新年あけましておめでとうございます。
今年もたいしたものではありませんが音源を上げました。
曲は Jacob de Senleches の La harpe de melodie という曲です。
Jacob de Senleches: La harpe de melodie
[mp3], [現代譜]
ハープの形の楽譜に書かれていることで有名ですが、この時代のスタイル(Ars subtilior)に特徴的ななかなかに複雑なリズムを持った曲でもあります.
思い返すに,もともとまうかめ堂の MIDI というのはこの時代の複雑なポリフォニーを機械で「正確に」鳴らすことを目的にチコチコ打ち込んだのが始まりでした.初期のものほど MIDI データのみ上げていて,今や普通のPCでは開くだけで鳴るという感じではありません.やはりこの辺のものはたとえ簡素なものであっても音にしといた方が良いかと思いこの曲のシンセ版を作りました.時々クレイジーなリズム構成はそれなりに際立って聞こえるんじゃないかと思います.
昨年は6年半住んだ関西から東北に転居するという一大イベントがありました.新天地で前より暇になるということはないですが,静かにものを考えられる環境にはなった気もします.中世音楽の方にももう少しエフォートを割けるといいなと思います.
それでは今年もどうぞよろしくお願いいたします.
2023年01月01日
2022年01月01日
謹賀新年
あけましておめでとうございます.
年に一度の更新を年始にやるという状態が続いておりますが,まるで路線を廃止しないために年に一度運行するバスのようです.
今年も音源を作りました.曲はなんとジョスカン,Missa Pange Lingua, Kyrie です.
Josquin: Kyrie (Missa Pange Lingua) [mp3]
なぜにジョスカンか.
フォンス・フローリスさんからメルマガを受け取っているのですが,少し前のメルマガでオンライショップの方で Pange Lingua, Kyrie の写本のページをプリントしたトートバッグを販売するとの情報.
見た瞬間即買いです.

(私は4声版の大きい方を買い,スタンコ奥さんが2声の小さい方を買いました.)
計量譜を見ると読んでしまい,読むと鳴らしたくなってしまうので,自動的にこの曲になりました.
バッグにプリントされているのは最初のページだけなので,後ろのページが欲しいところですが,同じ写本の画像はネットに見つかりませんでした.(どこかにあるのでしたら情報いただけるとありがたいです.)
Occo codex の画像は公開されていたので,Christe eleison 以降はこれを見ました.
Missa Pange Lingua は高校生ぐらいの頃タリスコのCDをよく聴いていて,楽譜(現代譜)も持っていた気がするのですが,当時は極めて美しい曲だとは思っていたものの,この曲の真の凄さに気づいてなかったかもしれません.
それで今回一通りやってみて,「やっぱすげ〜なこの曲」ということになりました.こういうのを完璧な作品というのでしょう.中世音楽をそれなりに詳しく見てきた視点で見ると
Contra Tenor 凄すぎ
中世の多声の(世俗)歌曲でも Contra tenor は注目ポイントで鑑賞のポイントでもありますが,ジョスカンの完全に統制された和声の中で Contra tenor のこの自由さはなんなんだろうというのが今回最も感動したところです.
mp3 の方は,500年前の曲を40年前の方法で演奏するみたいなことになっていますが, Contra tenor にかなり noisy な Funk Splash Lead(Heavy Sweep) という音色を当てているのは今回感動した声部への愛情表現みたいなものです.
それでは今年もどうぞよろしくお願いいたします.
年に一度の更新を年始にやるという状態が続いておりますが,まるで路線を廃止しないために年に一度運行するバスのようです.
今年も音源を作りました.曲はなんとジョスカン,Missa Pange Lingua, Kyrie です.
Josquin: Kyrie (Missa Pange Lingua) [mp3]
なぜにジョスカンか.
フォンス・フローリスさんからメルマガを受け取っているのですが,少し前のメルマガでオンライショップの方で Pange Lingua, Kyrie の写本のページをプリントしたトートバッグを販売するとの情報.
見た瞬間即買いです.

(私は4声版の大きい方を買い,スタンコ奥さんが2声の小さい方を買いました.)
計量譜を見ると読んでしまい,読むと鳴らしたくなってしまうので,自動的にこの曲になりました.
バッグにプリントされているのは最初のページだけなので,後ろのページが欲しいところですが,同じ写本の画像はネットに見つかりませんでした.(どこかにあるのでしたら情報いただけるとありがたいです.)
Occo codex の画像は公開されていたので,Christe eleison 以降はこれを見ました.
Missa Pange Lingua は高校生ぐらいの頃タリスコのCDをよく聴いていて,楽譜(現代譜)も持っていた気がするのですが,当時は極めて美しい曲だとは思っていたものの,この曲の真の凄さに気づいてなかったかもしれません.
それで今回一通りやってみて,「やっぱすげ〜なこの曲」ということになりました.こういうのを完璧な作品というのでしょう.中世音楽をそれなりに詳しく見てきた視点で見ると
Contra Tenor 凄すぎ
中世の多声の(世俗)歌曲でも Contra tenor は注目ポイントで鑑賞のポイントでもありますが,ジョスカンの完全に統制された和声の中で Contra tenor のこの自由さはなんなんだろうというのが今回最も感動したところです.
mp3 の方は,500年前の曲を40年前の方法で演奏するみたいなことになっていますが, Contra tenor にかなり noisy な Funk Splash Lead(Heavy Sweep) という音色を当てているのは今回感動した声部への愛情表現みたいなものです.
それでは今年もどうぞよろしくお願いいたします.
2021年01月01日
謹賀新年
新年あけましておめでとうございます。
昨年はお休みしましたが、ことしは新年の MIDI というか mp3 を復活できました。
曲は、私が Ars subtilior の曲で最もカッコいいと思う次の曲です。
Guido: Diuex gart qui bien le chantera (rondeau, 14th C, GarageBand version ) [mp3]
この曲はおそらく Chantilly 写本の中の二曲でしか知られていない Guido という人の曲です。
二曲ともカッコいいのですが、特にこっちの方が好きで現代譜まで作ったのですが、MIDI が今ひとつなものしか出来なくて、ずっと mp3 化を見送ってきた曲です。
今回シンセ版を作ってみたら、「まあこのくらいならいいか」という感じになったので、新年の mp3 とすることにしました。
昨年は新しいことは本当になにも出来ませんでしたが、一つ楽譜の掲載についての問い合わせをいただいたということがありました。
ニューヨーク在住の指揮者の伊藤玲阿奈さんからマショーの「我が終わりは我が始まり」(Ma fin est mon commencement)の楽譜をご自身の著作に掲載したいとのメールをいただきました。お断りするような理由はありませんので「拙作の楽譜で用が足りるのでしたらお使いください」というお返事をしました。それが次の書籍です。
「宇宙の音楽」を聴く 指揮者の思考法 伊藤玲阿奈 著
私が要約できるような感じの書物でないので内容については述べませんが、マショーの楽譜がどう使われるのかを含めて興味のある方は読まれると良いと思います。
(Ma fin の楽譜の掲載許諾の問い合わせを頂いたのはこれで三度目です。
実際に掲載され出版されたのはこれで二回目です。
有名曲だというのはありますが、何かのめぐり合わせで不思議な需要のある楽譜です。)
毎年これができるといい、あれがやりたいと新年の挨拶に書いて果たせずにいますが、少しフットワークを軽くしてパッとできることをちょこちょこやるようにするのが良いのかなという気がしてきました。
今年もよろしくお願いします。
昨年はお休みしましたが、ことしは新年の MIDI というか mp3 を復活できました。
曲は、私が Ars subtilior の曲で最もカッコいいと思う次の曲です。
Guido: Diuex gart qui bien le chantera (rondeau, 14th C, GarageBand version ) [mp3]
この曲はおそらく Chantilly 写本の中の二曲でしか知られていない Guido という人の曲です。
二曲ともカッコいいのですが、特にこっちの方が好きで現代譜まで作ったのですが、MIDI が今ひとつなものしか出来なくて、ずっと mp3 化を見送ってきた曲です。
今回シンセ版を作ってみたら、「まあこのくらいならいいか」という感じになったので、新年の mp3 とすることにしました。
昨年は新しいことは本当になにも出来ませんでしたが、一つ楽譜の掲載についての問い合わせをいただいたということがありました。
ニューヨーク在住の指揮者の伊藤玲阿奈さんからマショーの「我が終わりは我が始まり」(Ma fin est mon commencement)の楽譜をご自身の著作に掲載したいとのメールをいただきました。お断りするような理由はありませんので「拙作の楽譜で用が足りるのでしたらお使いください」というお返事をしました。それが次の書籍です。
「宇宙の音楽」を聴く 指揮者の思考法 伊藤玲阿奈 著
私が要約できるような感じの書物でないので内容については述べませんが、マショーの楽譜がどう使われるのかを含めて興味のある方は読まれると良いと思います。
(Ma fin の楽譜の掲載許諾の問い合わせを頂いたのはこれで三度目です。
実際に掲載され出版されたのはこれで二回目です。
有名曲だというのはありますが、何かのめぐり合わせで不思議な需要のある楽譜です。)
毎年これができるといい、あれがやりたいと新年の挨拶に書いて果たせずにいますが、少しフットワークを軽くしてパッとできることをちょこちょこやるようにするのが良いのかなという気がしてきました。
今年もよろしくお願いします。
2020年01月01日
謹賀新年
新年あけましておめでとうございます。
昨年は年末に風邪をひいて数日寝込んでしまったりして、ちょっと何かを作る感じにならなかったのでこれまでなんとなく続けてきた新年のMIDIもなしになりました。
昨年は内容はほとんど変化していませんが、大半のページをようやく HTML5 & CSS3 に書き換えました。
PC以外で「まうかめ堂」をご覧になる方がどのくらいいらっしゃるのかわかりませんが、タブレットまでなら多少見やすくなったかもしれません。
今年も何ができるかは不透明です。
少しだけ具体的なことを言うと、ムジカ・フィクタ関連のことをまとめようとしていて、案の定ドツボにハマって身動きがとれなくなっているのですが、入り口として Rob Wegman の次の記事の内容をまとめるのが良いかと思っています。
Wegman, Rob C. “Musica Ficta.” In Companion to Medieval and Renaissance Music. Edited by Tess Knighton and David Fallows, 265–274. Berkeley: University of California Press, 1992.
(でもやろうとし始めると
Berger, Karol. Musica Ficta: Theories of Accidental Inflections in Vocal Polyphony from Marchetto da Padova to Gioseffo Zarlino. Cambridge, UK, and New York: Cambridge University Press, 1987.
のこととか
Bent, Margaret. Counterpoint, Composition, and Musica Ficta. New York and London: Routledge, 2002.
のことが気になって進まなくなります。)
そういうわけでまだまだ開店休業状態が続きそうですが今年もどうぞよろしくおねがいいたします。
昨年は年末に風邪をひいて数日寝込んでしまったりして、ちょっと何かを作る感じにならなかったのでこれまでなんとなく続けてきた新年のMIDIもなしになりました。
昨年は内容はほとんど変化していませんが、大半のページをようやく HTML5 & CSS3 に書き換えました。
PC以外で「まうかめ堂」をご覧になる方がどのくらいいらっしゃるのかわかりませんが、タブレットまでなら多少見やすくなったかもしれません。
今年も何ができるかは不透明です。
少しだけ具体的なことを言うと、ムジカ・フィクタ関連のことをまとめようとしていて、案の定ドツボにハマって身動きがとれなくなっているのですが、入り口として Rob Wegman の次の記事の内容をまとめるのが良いかと思っています。
Wegman, Rob C. “Musica Ficta.” In Companion to Medieval and Renaissance Music. Edited by Tess Knighton and David Fallows, 265–274. Berkeley: University of California Press, 1992.
(でもやろうとし始めると
Berger, Karol. Musica Ficta: Theories of Accidental Inflections in Vocal Polyphony from Marchetto da Padova to Gioseffo Zarlino. Cambridge, UK, and New York: Cambridge University Press, 1987.
のこととか
Bent, Margaret. Counterpoint, Composition, and Musica Ficta. New York and London: Routledge, 2002.
のことが気になって進まなくなります。)
そういうわけでまだまだ開店休業状態が続きそうですが今年もどうぞよろしくおねがいいたします。
2019年01月01日
ブログ『フランドル楽派の音楽家たち』
昨年11月から『フランドル楽派の音楽家たち』のブログがオープンしています!!!
ブログ『フランドル楽派の音楽家たち』
オーナーの新見 我無人 (にいみ がむと)さんからブログ開設当初からご連絡をいただいており、早く紹介しなければと思いつつ今になってしまいました。
本家の方が置かれているジオシティーズが今年度一杯で閉鎖されてしまうようで、新ブログの方に少しずつ移行されているそうです。
その本家の方は「まうかめ堂」が常々お手本、目標にしてきたサイトで、(その割に「まうかめ堂」の方は一向に目標に近づく気配がないのですが、)ジオ閉鎖と聞いてどうされるのか少し気になっていました。
ブログの形に移行されると聞いて一安心だったのですが、開設されたとお聞きしたので行ってみると、いきなりの豊富な内容に打ちのめされます。
まさにこれが現在的なあり方ですね!
開設されてから一ヶ月ちょっとですが、既に古楽ファンが興味を惹かれる情報満載です。
さらに、本家の方で公開されていた MIDI が mp3 化されて上げられているのがありがたいです。
改めて聞くと我無人さんの MIDI は本当に繊細です。人の声でやるとともすると覆い隠されてしまうかもしれない響きの核心部分が常に顕在化されているように思います。
しかも mp3 化されたことで意図された音色できけるのはありがたく、やられたかったことが私にはより鮮明になったように感じます。
(「まうかめ堂」はこの10年全く進歩していないので、そろそろ心を入れかえてまっとうな活動にしなければと思いました。)
というわけでブログ『フランドル楽派の音楽家たち』に注目です。
ブログ『フランドル楽派の音楽家たち』
オーナーの新見 我無人 (にいみ がむと)さんからブログ開設当初からご連絡をいただいており、早く紹介しなければと思いつつ今になってしまいました。
本家の方が置かれているジオシティーズが今年度一杯で閉鎖されてしまうようで、新ブログの方に少しずつ移行されているそうです。
その本家の方は「まうかめ堂」が常々お手本、目標にしてきたサイトで、(その割に「まうかめ堂」の方は一向に目標に近づく気配がないのですが、)ジオ閉鎖と聞いてどうされるのか少し気になっていました。
ブログの形に移行されると聞いて一安心だったのですが、開設されたとお聞きしたので行ってみると、いきなりの豊富な内容に打ちのめされます。
まさにこれが現在的なあり方ですね!
開設されてから一ヶ月ちょっとですが、既に古楽ファンが興味を惹かれる情報満載です。
さらに、本家の方で公開されていた MIDI が mp3 化されて上げられているのがありがたいです。
改めて聞くと我無人さんの MIDI は本当に繊細です。人の声でやるとともすると覆い隠されてしまうかもしれない響きの核心部分が常に顕在化されているように思います。
しかも mp3 化されたことで意図された音色できけるのはありがたく、やられたかったことが私にはより鮮明になったように感じます。
(「まうかめ堂」はこの10年全く進歩していないので、そろそろ心を入れかえてまっとうな活動にしなければと思いました。)
というわけでブログ『フランドル楽派の音楽家たち』に注目です。
謹賀新年
新年あけましておめでとうございます。
新年の mp3 です。
昨年に引き続き Garageband 再登場で、今度はシンセ版 Ars subtilior です。
・Grimace: Alarme alarme ( virelai, 14th C, GarageBand version ):[mp3]
なかなかに意味不明な演奏に聞こえるかもしれませんが、まうかめ堂的にはこういうのが Ars subtilior MIDI の一つの答みたいなものです。
(15年前にこの種の音源が手に入っていたら、こういうものばかり100個ぐらい量産したかもしれません。)
昨年は(活動を全くしていないにもかかわらず)いくつかお便りをいただいたのと、マショーの楽譜の本への掲載の話があったりしました。(「わが終わりはわが始まり」Ma fin est mon commencement の掲載許諾の問い合わせが来たのは二度目です。校正は前にある程度しっかりやっているはずなので大きな間違いはないと思いますが、やはりちょっと心配です。)
それと中世ルネサンス音楽史研究会によるミクロログス(全訳&解説)がようやく出版されたことがまうかめ堂的には大きかったかなと思います。(1998年に金澤先生の「中世音楽の精神史」の註で出版予定との情報を目にして以来、本当に20年待ちました。)
今年はなにか一つぐらいアウトプットが出せるとよいかなと思います。
今年もどうぞよろしくお願いします。
新年の mp3 です。
昨年に引き続き Garageband 再登場で、今度はシンセ版 Ars subtilior です。
・Grimace: Alarme alarme ( virelai, 14th C, GarageBand version ):[mp3]
なかなかに意味不明な演奏に聞こえるかもしれませんが、まうかめ堂的にはこういうのが Ars subtilior MIDI の一つの答みたいなものです。
(15年前にこの種の音源が手に入っていたら、こういうものばかり100個ぐらい量産したかもしれません。)
昨年は(活動を全くしていないにもかかわらず)いくつかお便りをいただいたのと、マショーの楽譜の本への掲載の話があったりしました。(「わが終わりはわが始まり」Ma fin est mon commencement の掲載許諾の問い合わせが来たのは二度目です。校正は前にある程度しっかりやっているはずなので大きな間違いはないと思いますが、やはりちょっと心配です。)
それと中世ルネサンス音楽史研究会によるミクロログス(全訳&解説)がようやく出版されたことがまうかめ堂的には大きかったかなと思います。(1998年に金澤先生の「中世音楽の精神史」の註で出版予定との情報を目にして以来、本当に20年待ちました。)
今年はなにか一つぐらいアウトプットが出せるとよいかなと思います。
今年もどうぞよろしくお願いします。
2018年01月01日
謹賀新年
新年あけましておめでとうございます。
新年の mp3 です。
今年は MIDI ですらないです。
iPad の GarageBand をいじっていたらなんとなくできたものです。
なかなかに末期的な感じですが、こういうのは今回限りです。
GarageBand にはアナログ・シンセの音がいろいろ入っていたので、「これは使えそう」と思い Solage の Fumeux fume を打ちはじめたのですが、途中で拍子を変えるやり方がわからず断念。
(後でネットで調べましたが。)
でノートルダム・ミサ、キリエになりました。
(キリエの繰り返しは三回ということで。)
ドラムセットは二度と使わないと思いますが、アナログ・シンセ版 ars subtilior は少しやるかもしれません。
(あと二胡は結構便利かも。)
今年も状況に大きな変化はないと思いますが、どうぞよろしくお願いいたします。
新年の mp3 です。
今年は MIDI ですらないです。
- Guillame de Machaut: Kyrie (Messe de Notre Dame, GarageBand version)
[mp3]
iPad の GarageBand をいじっていたらなんとなくできたものです。
なかなかに末期的な感じですが、こういうのは今回限りです。
GarageBand にはアナログ・シンセの音がいろいろ入っていたので、「これは使えそう」と思い Solage の Fumeux fume を打ちはじめたのですが、途中で拍子を変えるやり方がわからず断念。
(後でネットで調べましたが。)
でノートルダム・ミサ、キリエになりました。
(キリエの繰り返しは三回ということで。)
ドラムセットは二度と使わないと思いますが、アナログ・シンセ版 ars subtilior は少しやるかもしれません。
(あと二胡は結構便利かも。)
今年も状況に大きな変化はないと思いますが、どうぞよろしくお願いいたします。
2017年01月01日
謹賀新年
新年あけましておめでとうございます。
新年の MIDI です。
チコーニアの prolatio canon です.
3声のカノンですが, すべての声部が別々の「速さ」で進みます.
上の声部は下の声部の4倍速で進み, 真ん中の声部は下の声部の3倍速で進みます.
詳しくは次のサイトを見てください
Mathematical Medieval Music: "Popular" (?) Music from 14th Century Italy: Part 1 - Johannes Ciconia (c. 1370 - 1412), Canon "Le ray au soleyl"
(というか上のページから Youtube へリンクがはられていて、それを見ればはっきり言ってまうかめ堂の MIDI は不要です。)
今年もなんとか新年の MIDI を死守しました。
というわけで今年もよろしくお願いします。
新年の MIDI です。
チコーニアの prolatio canon です.
3声のカノンですが, すべての声部が別々の「速さ」で進みます.
上の声部は下の声部の4倍速で進み, 真ん中の声部は下の声部の3倍速で進みます.
詳しくは次のサイトを見てください
Mathematical Medieval Music: "Popular" (?) Music from 14th Century Italy: Part 1 - Johannes Ciconia (c. 1370 - 1412), Canon "Le ray au soleyl"
(というか上のページから Youtube へリンクがはられていて、それを見ればはっきり言ってまうかめ堂の MIDI は不要です。)
今年もなんとか新年の MIDI を死守しました。
というわけで今年もよろしくお願いします。
2016年01月09日
20世紀音楽完全終了 ピエール・ブーレーズ追悼
数日前にピエール・ブーレーズ死去のニュースが飛び込んできました。
Mort de Pierre Boulez, symbole d’un XXe siècle musical avant-gardiste (Le Monde)
Composer Pierre Boulez dies at 90 (BBC)
Pierre Boulez, classical music's maverick, dies aged 90 (The Guardian)
Pierre Boulez, Composer and Conductor Who Pushed Modernism’s Boundaries, Dies at 90 (The New York Times)
ピエール・ブーレーズさん死去 仏の作曲家・指揮者 (朝日新聞)
90歳。
2013年には既に自身の作品の全集すら出していて、まだ生きてたのかと思われた人もいるかもしれません。
私にとっては特別な作曲家、指揮者でした。
若い頃、現代音楽なるものがどうしても理解出来ずに七転八倒していたときに、遠くの灯台の光のように、常に道標となったのがブーレーズの著作と演奏と作品(役に立った順)でした。
さらに後年、中世音楽に立ち向かうことになったとき、極めて有効だったのが「現代音楽」と格闘したときの方法論でした。
そういえば以前(すごい前)にもこのブログのいくつかの記事で、ブーレーズに言及していました。
20世紀のアルス・ノヴァ
ブーレーズはマショーをどう見ていたのか
「春の祭典」からマショー、デュファイを参照するブーレーズ
(なかなか8年も前の自分の文章を読み返すと微妙な感じがしますね。)
今となってはブーレーズに関して特別な感慨が湧いてくる感じでもありません。
ただ彼の死去によって、20世紀音楽と呼ぶべきものの当事者が完全にこの世からいなくなってしまったと言えるでしょう。
20世紀音楽完全終了です。
(「現代音楽」と呼ばれるものの継承者は若干ながら世界中にまだ存在しているようですが。)
このことは実はそれ以上の意味を持つかもしれません。
今やバッハから西洋音楽史を書き始めたひとはその書物をブーレーズの名とともに書き終えることができます。
(一方古代ギリシャあたりから音楽史を書き始めたひとは21世紀以降も書き続けなくてはなりません。)
前にどこかに書いたかもしれませんが、西洋音楽史における14世紀と20世紀は並行していると感じています。
もっと限定するなら、1350年ごろを起点とする70年ぐらいと1908年を起点とする60年ぐらいが対応するように思います。
私にとって、それが14世紀の音楽、特にアルス・スブティリオールの音楽に大きな関心を寄せる理由なのですが、21世紀の今、われわれは21世紀のギョーム・デュファイの到来を待ち望みます。
今世紀も既に15年が過ぎましたが、今世紀のデュファイが誕生する兆しすらみえません。
あるいはそれは一人の天才が登場するというよりは、無数のデュファイが現れるのかもしれませんし、もう既に人知れず世界のいたるところで誕生しているのかもしれません。
若きブーレーズは1951年のシェーンベルクの死去に際し、「シェーンベルクは死んだ」という短い論文を書いています。
Pierre Boulez: Shoenberg is dead
これはもちろん死亡記事などではなくて、無調に歩みを進め、12音技法というセリー技法の端緒を開発しておきながら、それを単純に古典的な形式に適用するなど、セリーそのものの可能性を見過ごし、misuse し続けた彼の諸作品に対する糾弾であり、それらは時代遅れのものであるとしてシェーンベルクの音楽そのものの死亡を宣告する記事でした。
(そしてブーレーズらセリー作曲家たちの出発点の一つとなったのがむしろウェーベルンであったわけです。)
ブーレーズの死去に際し、われわれは何を言えるでしょうか?
もう既に、彼自身の作品は忘れ去られたに等しい状況かもしれません。
少なくともアンサンブル・アンテルコンタンポランが存続している間は、ほそぼそと世界の片隅で演奏されることもあるでしょうが、近い将来、全く演奏されなくなるかもしれません。
そんな風にして20世紀が忘れ去られたとしたら(ブーレーズが20世紀音楽に占める役割は一般にそれほど大きく見積もられないかもしれませんが、そこが第一の問題でしょう)、20世紀を見過ごした21世紀、22世紀の人々の作る音楽が一体いかなる意味や価値を持ちえるというのでしょう。
今一度、21世紀のデュファイの到来を待ち望みつつ、真に終わってしまった20世紀音楽にわずかばかりの感慨を胸にいだきながら、記すことにしましょう。
ブーレーズが死んだ。
Mort de Pierre Boulez, symbole d’un XXe siècle musical avant-gardiste (Le Monde)
Composer Pierre Boulez dies at 90 (BBC)
Pierre Boulez, classical music's maverick, dies aged 90 (The Guardian)
Pierre Boulez, Composer and Conductor Who Pushed Modernism’s Boundaries, Dies at 90 (The New York Times)
ピエール・ブーレーズさん死去 仏の作曲家・指揮者 (朝日新聞)
90歳。
2013年には既に自身の作品の全集すら出していて、まだ生きてたのかと思われた人もいるかもしれません。
私にとっては特別な作曲家、指揮者でした。
若い頃、現代音楽なるものがどうしても理解出来ずに七転八倒していたときに、遠くの灯台の光のように、常に道標となったのがブーレーズの著作と演奏と作品(役に立った順)でした。
さらに後年、中世音楽に立ち向かうことになったとき、極めて有効だったのが「現代音楽」と格闘したときの方法論でした。
そういえば以前(すごい前)にもこのブログのいくつかの記事で、ブーレーズに言及していました。
20世紀のアルス・ノヴァ
ブーレーズはマショーをどう見ていたのか
「春の祭典」からマショー、デュファイを参照するブーレーズ
(なかなか8年も前の自分の文章を読み返すと微妙な感じがしますね。)
今となってはブーレーズに関して特別な感慨が湧いてくる感じでもありません。
ただ彼の死去によって、20世紀音楽と呼ぶべきものの当事者が完全にこの世からいなくなってしまったと言えるでしょう。
20世紀音楽完全終了です。
(「現代音楽」と呼ばれるものの継承者は若干ながら世界中にまだ存在しているようですが。)
このことは実はそれ以上の意味を持つかもしれません。
今やバッハから西洋音楽史を書き始めたひとはその書物をブーレーズの名とともに書き終えることができます。
(一方古代ギリシャあたりから音楽史を書き始めたひとは21世紀以降も書き続けなくてはなりません。)
前にどこかに書いたかもしれませんが、西洋音楽史における14世紀と20世紀は並行していると感じています。
もっと限定するなら、1350年ごろを起点とする70年ぐらいと1908年を起点とする60年ぐらいが対応するように思います。
私にとって、それが14世紀の音楽、特にアルス・スブティリオールの音楽に大きな関心を寄せる理由なのですが、21世紀の今、われわれは21世紀のギョーム・デュファイの到来を待ち望みます。
今世紀も既に15年が過ぎましたが、今世紀のデュファイが誕生する兆しすらみえません。
あるいはそれは一人の天才が登場するというよりは、無数のデュファイが現れるのかもしれませんし、もう既に人知れず世界のいたるところで誕生しているのかもしれません。
若きブーレーズは1951年のシェーンベルクの死去に際し、「シェーンベルクは死んだ」という短い論文を書いています。
Pierre Boulez: Shoenberg is dead
これはもちろん死亡記事などではなくて、無調に歩みを進め、12音技法というセリー技法の端緒を開発しておきながら、それを単純に古典的な形式に適用するなど、セリーそのものの可能性を見過ごし、misuse し続けた彼の諸作品に対する糾弾であり、それらは時代遅れのものであるとしてシェーンベルクの音楽そのものの死亡を宣告する記事でした。
(そしてブーレーズらセリー作曲家たちの出発点の一つとなったのがむしろウェーベルンであったわけです。)
ブーレーズの死去に際し、われわれは何を言えるでしょうか?
もう既に、彼自身の作品は忘れ去られたに等しい状況かもしれません。
少なくともアンサンブル・アンテルコンタンポランが存続している間は、ほそぼそと世界の片隅で演奏されることもあるでしょうが、近い将来、全く演奏されなくなるかもしれません。
そんな風にして20世紀が忘れ去られたとしたら(ブーレーズが20世紀音楽に占める役割は一般にそれほど大きく見積もられないかもしれませんが、そこが第一の問題でしょう)、20世紀を見過ごした21世紀、22世紀の人々の作る音楽が一体いかなる意味や価値を持ちえるというのでしょう。
今一度、21世紀のデュファイの到来を待ち望みつつ、真に終わってしまった20世紀音楽にわずかばかりの感慨を胸にいだきながら、記すことにしましょう。
ブーレーズが死んだ。