2025年01月01日

謹賀新年

新年あけましておめでとうございます.

とりあえず音源を上げました.まとめて3曲です.
  • Jehannot de Lescurel ( d.1304 ): A vous, douce debonaire (rondeau)

    • Ver.1 フランス式: [mp3]
    • Ver.2 イタリア式: [mp3]

  • Jacob de Senleches: Je me merveil (ballade, late 14th C )

  • Machaut: Ma fin est mon commencement (rondeau, 14th C)

いずれも MIDI ファイルのみ上がってた曲を適当な音源で適当に mp3 化したものです.

1つ目は Jehannot de Lescurel のアルス・ノーヴァ前夜の作品で,二通りのリズム解釈について二通り作りました.
2つ目は,Jacob de Senleches のリズムの複雑さをMIDIで正確に再現しましょうシリーズの一つです.
3つ目はマショーの有名な逆行カノン「わが終わりはわが始まり」です.

昨年はボエティウスのページを作り始めましたが,第二巻をやったところで,他の巻をまとめるには古代ギリシャの音楽理論の知識が必要となることがわかってそちらへはげしく脱線中です.

脱線先の古代ギリシャがやたら面白くなってきたので,そっちのことを何かの形でまとめられるといいかなと思っています.
(ピュタゴラスの系統一択かと思いきやアリストクセノスみたいな対立軸がボンと出てくるのが古代ギリシャのすごいところです.)

それでは今年もどうぞよろしくお願いいたします.
posted by まうかめ堂 at 00:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 「まうかめ堂」の日記

2024年04月08日

「数の学問」としての音楽とユークリッド幾何学

プトレマイオスの音楽論の話をしたいと思います.

古代天文学のあのプトレマイオスです.

プトレマイオス,著作としては天動説に基づく数理天文学の書『アルマゲスト』がつとに有名ですが,音楽論についても『ハルモニア論』という重要な著作を残しています.(邦訳は アリストクセノス/プトレマイオス 古代音楽論集 山本 建郎 訳,京都大学学術出版会)


この『ハルモニア論』,ボエティウスの『音楽教程』にもその内容がたびたび取り上げられており,書物全体を検討したいところですが,その冒頭部分に特に感動したので今日はそのことについて書き記しておきたいと思います.

『ハルモニア論』の冒頭部分,第一巻第一章は「ハルモニア論の判別者(criterion)について」と題されていますが,その冒頭部分は,後に中世に伝えられることとなる「数の学問」としての音楽のコンセプチュアルな精髄について簡潔ながら核心をついた記述がなされています.

順を追って少し見ていきましょう.

まずこの書物の主題が語られます.(訳文は前掲書のもの)
ハルモニア論は,諸々の音の高低の差異を把握する能力である.
あまりにあからさまな定義で,はぁ?って感じになりますが,要は楽音とは何か,協和とは何かを判別する能力を意味していることがすぐ後でわかってきます.
そして,音とは,空気が打たれて被った情態,それも聞かれるもののうちで第一義的にして最も根源的な情態である.
「音は打つことによってもたらされる.」ボエティウスでも記述される音というものの一般的な説明と理解しておいて良いでしょう.続いて核心に入ります.
ハルモニアの判別者は聴覚と理性であるが,それは同じ意味で語られるのではない.聴覚は質料つまり情態としての判定者なのであり,理性は形相つまり原因としての判定者なのである.それは一般的に言って,近似値を発見し,正確な値を受け容れることが感覚に固有であるのに対して,近似値を受け容れた上で正確な値を発見することが理性に固有であるからである.

(中略)

視覚によってのみ描かれた円はしばしば正確であるように見えるが,それは,理性によって構成された円が本当に正確な円の再認へと導き上げるかぎりにおいてである.そのように,音についても,その一定の差異が聴覚によってのみ受け容れられた場合でも,その差異はただちには均衡の数値に及ばないとも超えているとも思われないが,固有の比にしたがって調律がなされ差異を示す数値が容認されると,初めに聴覚によって受け容れられた差異はしばしばその非信憑性を暴露される.聴覚はさらに正確な嫡流とも言わるべき数値を,あの庶子的な数値から比較によって区別して,認知するに至るのである.

いくつもの重要なテーゼが dense に書き記されている一文ですが,まず第一に「音(の調和=ハルモニア)を判別するのは聴覚と理性である」ということが言われています.音を聞き分けるにはもちろん文字通り聴覚によらなければ始まらないのですが,感覚というのは間違うものなので,理性によって正される必要があるということとひとまず理解できます.

感覚と理性という二者,ボエティウスの『音楽教程』においてはそれほど強調されているようには見えませんが,それでもしっかりと音楽の領域で中世に伝わっていた節があります.例えばグイード・ダレッツォの『ミクロログス』では,ある主張の根拠を述べるのに,まずは感覚に基づく説明をし,その後理性に訴えかけるような論理的な議論に進むような箇所があります.

そして,私にとって驚愕だったのがユークリッド幾何学との対比でした.言われてみればまさにその通りとしかいいようが無いのですが,私は明確に理解していたとは言い難いです.目からウロコが落ちるとはこのことです.

一体何の話をしているかというと,こうです.

周知のように,ピタゴラス以来,古代・中世を通じて,「数の学問」としての音楽が研究され,学ばれていました.プトレマイオスのこの書物もその流れに属する重要な書物ですが,音楽が数の学問として成立したのはもともとピタゴラスが協和と数比との関係を発見したことに始まり,そこでは音程関係が数比として厳密に捉えられ論証されるのでした.

数学的論証による数比の議論を推し進めていくと,ボエティウス『音楽教程』の第二巻の末尾にあるように,「6全音とオクターブの比は 531441:524288」なんて,ちょっと度を越してるんじゃないかという比まで現れます.

もちろん論理的帰結としてその比になるのだからそうなわけですが,このぐらい大きな数の比ともなると当時の技術ではそれが表す音程を現実に正確に鳴らすことはほとんど不可能だったに違いないわけで,そのようなものを当時の人はどう思っていたのだろうということを考えたりもしていました.

そこで,プトレマイオスの上の一文です.プトレマイオスは,ユークリッド幾何における円と同様に,音程を理性で捉えよと言うのです.

いまや中学高校でも学ばれるユークリッド幾何学ですが,その対象となる図形は,正確に言うならば,紙の上に実際に描かれた円や三角形ではありません.

ユークリッド自身の手による幾何学の原論において,「点とは部分をもたないもの」「直線は幅のない長さ」として定義されます.

もちろんそんな点や直線は実際に描かれたものとしては存在しえないわけですが,「大きさを持たない点」「幅をもたない直線」のような理想化された図形,理念としての図形については厳密な論証が展開でき,それこそがユークリッド幾何学の核心でした.

つまり,われわれが教わってきた幾何学は,実は感覚を超えた理性によって初めて捉えられるものだったということになります.(このことはどの程度中学高校の教育で強調されているのかわかりませんが….)

プトレマイオスが言うのは,ハルモニア論の対象たる音も,ユークリッド幾何学における幾何学的対象と同様に,理性によって捉え論じるべき対象であるということです.

別の言葉で言えば,視覚に対するユークリッド幾何学に相当することを聴覚に対して行うのが「数の学問」としての音楽,あるいはハルモニア論ということになると思います.

私はこれまで実際に鳴らされる音響を,古代・中世の人々より,無意識のうちにも重視しすぎていたかもしれません.つまり,数比の理論で論証されたことは最終的に音響として実現しうると暗黙のうちにみなしてしまっていたようです.(しかも現代の技術を用いればそれは概ね可能だと言えます.)

しかし,古代・中世の人々にとっては必ずしもそうではなかったはずです.数比の理論で論じられる音は鳴らされる音響というよりはもっと理念的な実体として理解されていたのかもしれません.

このことからさらにいくつかのことを思いました.

一つは数比を実際の音響として検証するための device として古代・中世を通じて広く用いられたモノコルドについてです.

モノコルドは古代ギリシアではカノン( κᾰνών 基準)と呼ばれていたようで,ユークリッドに至っては
「カノンの分割」という非常に切れ味の鋭い論文を書いています.(プトレマイオスも論じていますし,ボエティウスもユークリッドの論文を紹介する形で取り上げています.)

さてこのカノン,上の話との関連でいうならば,ユークリッド幾何学における定規とコンパスに相当するものと理解するとしっくりくるように思います.その意味で,カノン=基準と呼ばれていたわけですね.定規・コンパスもカノンも,感覚では精度に限界があるものについて,より理念に近い実現を可能にしてくれる道具ということになるのだと思います.

もう一つ,中世の音楽作品の理念性ということを考えたのですが,この記事もだいぶ長くなったので別の記事にまとめたいと思います.
posted by まうかめ堂 at 20:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽理論

2024年04月07日

ボエティウスから古代ギリシアのハルモニア論へ

2月ごろからボエティウス『音楽教程』のページを作り始めましたが,最もやりたかった第二巻を一通りまとめたところでストップしています.

ほぼ数学的な議論に終始する第二巻に対して,他の巻,特に第一,四,五巻をまとめようとすると,元となる古代ギリシアの理論について調べたくなってくるので,今は次のような文献を読み漁っていて,古代ギリシアのハルモニア論に絶賛脱線中です.

アリストクセノス「ハルモニア原論」,エウクレイデス「カノンの分割」をひとまず読み終えたところで,現在プトレマイオスの「ハルモニア論」に取り掛かっているところですが,面白いですね.

段々ボエティウスを読むより楽しくなってきて,「古代音楽理論のまうかめ堂」でも作った方がいいんじゃないかという気分にもなってきます.(実際にそれをやるのは難しいですが.)

これらの文献に接する過程で,これまで疑問だったことのいくつかがわかってきました.
とりあえず項目だけここにメモして置きます.
  • エンハーモニック音階の起源に関すること
  • 「音楽」が数の学問であることの意味
これらについては,別の記事でまとめたいと思います.


posted by まうかめ堂 at 14:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽理論

2024年01月01日

謹賀新年

新年あけましておめでとうございます.

昨年末はスタンコ奥さんと相次いでコロナにやられて,新年を迎えられるのかという感じでしたが,今年も音源を上げられました.曲は Matteo da Perugia の Helas avril という曲です.

Matteo da Perugia: Helas avril [mp3]

春の曲だというのに Ars subtilior 独特の気怠さに満ちていますが響きの極めて美しい曲です.
適切な音色が見つからず長らく mp3 化を見送ってきましたが,シンセ音をいじってみたらなんかそれっぽいところへたどり着いたので up となりました.

昨年はボエティウスの「音楽教程」の日本語訳があろうことか文庫で出ていることに近所の書店で気付くという大事件がありました.
(ラモーに続き伊藤友計さん偉すぎです.おかげで「音楽教程」の全体を把握することができるようになったのでまうかめ堂も先に進めます.)

第三巻10章ぐらいまで来ました.今年は「音楽教程」をきちんと読む年にしたいと思います.

それでは今年もどうぞよろしくお願いいたします.



posted by まうかめ堂 at 13:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 「まうかめ堂」の日記

2023年01月01日

謹賀新年

新年あけましておめでとうございます。

今年もたいしたものではありませんが音源を上げました。
曲は Jacob de Senleches の La harpe de melodie という曲です。

Jacob de Senleches: La harpe de melodie
[mp3], [現代譜]

ハープの形の楽譜に書かれていることで有名ですが、この時代のスタイル(Ars subtilior)に特徴的ななかなかに複雑なリズムを持った曲でもあります.

思い返すに,もともとまうかめ堂の MIDI というのはこの時代の複雑なポリフォニーを機械で「正確に」鳴らすことを目的にチコチコ打ち込んだのが始まりでした.初期のものほど MIDI データのみ上げていて,今や普通のPCでは開くだけで鳴るという感じではありません.やはりこの辺のものはたとえ簡素なものであっても音にしといた方が良いかと思いこの曲のシンセ版を作りました.時々クレイジーなリズム構成はそれなりに際立って聞こえるんじゃないかと思います.

昨年は6年半住んだ関西から東北に転居するという一大イベントがありました.新天地で前より暇になるということはないですが,静かにものを考えられる環境にはなった気もします.中世音楽の方にももう少しエフォートを割けるといいなと思います.

それでは今年もどうぞよろしくお願いいたします.
posted by まうかめ堂 at 00:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 「まうかめ堂」の日記

2022年01月01日

謹賀新年

あけましておめでとうございます.

年に一度の更新を年始にやるという状態が続いておりますが,まるで路線を廃止しないために年に一度運行するバスのようです.

今年も音源を作りました.曲はなんとジョスカン,Missa Pange Lingua, Kyrie です.

Josquin: Kyrie (Missa Pange Lingua) [mp3]

なぜにジョスカンか.
フォンス・フローリスさんからメルマガを受け取っているのですが,少し前のメルマガでオンライショップの方で Pange Lingua, Kyrie の写本のページをプリントしたトートバッグを販売するとの情報.

見た瞬間即買いです.

IMG_0241.jpg

(私は4声版の大きい方を買い,スタンコ奥さんが2声の小さい方を買いました.)

計量譜を見ると読んでしまい,読むと鳴らしたくなってしまうので,自動的にこの曲になりました.
バッグにプリントされているのは最初のページだけなので,後ろのページが欲しいところですが,同じ写本の画像はネットに見つかりませんでした.(どこかにあるのでしたら情報いただけるとありがたいです.)
Occo codex の画像は公開されていたので,Christe eleison 以降はこれを見ました.

Missa Pange Lingua は高校生ぐらいの頃タリスコのCDをよく聴いていて,楽譜(現代譜)も持っていた気がするのですが,当時は極めて美しい曲だとは思っていたものの,この曲の真の凄さに気づいてなかったかもしれません.

それで今回一通りやってみて,「やっぱすげ〜なこの曲」ということになりました.こういうのを完璧な作品というのでしょう.中世音楽をそれなりに詳しく見てきた視点で見ると

Contra Tenor 凄すぎ

中世の多声の(世俗)歌曲でも Contra tenor は注目ポイントで鑑賞のポイントでもありますが,ジョスカンの完全に統制された和声の中で Contra tenor のこの自由さはなんなんだろうというのが今回最も感動したところです.

mp3 の方は,500年前の曲を40年前の方法で演奏するみたいなことになっていますが, Contra tenor にかなり noisy な Funk Splash Lead(Heavy Sweep) という音色を当てているのは今回感動した声部への愛情表現みたいなものです.

それでは今年もどうぞよろしくお願いいたします.
posted by まうかめ堂 at 18:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 「まうかめ堂」の日記

2021年01月01日

謹賀新年

新年あけましておめでとうございます。

昨年はお休みしましたが、ことしは新年の MIDI というか mp3 を復活できました。
曲は、私が Ars subtilior の曲で最もカッコいいと思う次の曲です。

Guido: Diuex gart qui bien le chantera (rondeau, 14th C, GarageBand version ) [mp3]

この曲はおそらく Chantilly 写本の中の二曲でしか知られていない Guido という人の曲です。
二曲ともカッコいいのですが、特にこっちの方が好きで現代譜まで作ったのですが、MIDI が今ひとつなものしか出来なくて、ずっと mp3 化を見送ってきた曲です。

今回シンセ版を作ってみたら、「まあこのくらいならいいか」という感じになったので、新年の mp3 とすることにしました。

昨年は新しいことは本当になにも出来ませんでしたが、一つ楽譜の掲載についての問い合わせをいただいたということがありました。

ニューヨーク在住の指揮者の伊藤玲阿奈さんからマショーの「我が終わりは我が始まり」(Ma fin est mon commencement)の楽譜をご自身の著作に掲載したいとのメールをいただきました。お断りするような理由はありませんので「拙作の楽譜で用が足りるのでしたらお使いください」というお返事をしました。それが次の書籍です。

「宇宙の音楽」を聴く 指揮者の思考法 伊藤玲阿奈 著

私が要約できるような感じの書物でないので内容については述べませんが、マショーの楽譜がどう使われるのかを含めて興味のある方は読まれると良いと思います。

(Ma fin の楽譜の掲載許諾の問い合わせを頂いたのはこれで三度目です。
実際に掲載され出版されたのはこれで二回目です。
有名曲だというのはありますが、何かのめぐり合わせで不思議な需要のある楽譜です。)

毎年これができるといい、あれがやりたいと新年の挨拶に書いて果たせずにいますが、少しフットワークを軽くしてパッとできることをちょこちょこやるようにするのが良いのかなという気がしてきました。
今年もよろしくお願いします。
posted by まうかめ堂 at 21:02| Comment(3) | TrackBack(0) | 「まうかめ堂」の日記

2020年01月01日

謹賀新年

新年あけましておめでとうございます。

昨年は年末に風邪をひいて数日寝込んでしまったりして、ちょっと何かを作る感じにならなかったのでこれまでなんとなく続けてきた新年のMIDIもなしになりました。

昨年は内容はほとんど変化していませんが、大半のページをようやく HTML5 & CSS3 に書き換えました。
PC以外で「まうかめ堂」をご覧になる方がどのくらいいらっしゃるのかわかりませんが、タブレットまでなら多少見やすくなったかもしれません。

今年も何ができるかは不透明です。
少しだけ具体的なことを言うと、ムジカ・フィクタ関連のことをまとめようとしていて、案の定ドツボにハマって身動きがとれなくなっているのですが、入り口として Rob Wegman の次の記事の内容をまとめるのが良いかと思っています。

Wegman, Rob C. “Musica Ficta.” In Companion to Medieval and Renaissance Music. Edited by Tess Knighton and David Fallows, 265–274. Berkeley: University of California Press, 1992.

(でもやろうとし始めると

Berger, Karol. Musica Ficta: Theories of Accidental Inflections in Vocal Polyphony from Marchetto da Padova to Gioseffo Zarlino. Cambridge, UK, and New York: Cambridge University Press, 1987.

のこととか

Bent, Margaret. Counterpoint, Composition, and Musica Ficta. New York and London: Routledge, 2002.

のことが気になって進まなくなります。)

そういうわけでまだまだ開店休業状態が続きそうですが今年もどうぞよろしくおねがいいたします。
posted by まうかめ堂 at 02:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 「まうかめ堂」の日記

2019年01月01日

ブログ『フランドル楽派の音楽家たち』

昨年11月から『フランドル楽派の音楽家たち』のブログがオープンしています!!!

ブログ『フランドル楽派の音楽家たち』

オーナーの新見 我無人 (にいみ がむと)さんからブログ開設当初からご連絡をいただいており、早く紹介しなければと思いつつ今になってしまいました。

本家の方が置かれているジオシティーズが今年度一杯で閉鎖されてしまうようで、新ブログの方に少しずつ移行されているそうです。

その本家の方は「まうかめ堂」が常々お手本、目標にしてきたサイトで、(その割に「まうかめ堂」の方は一向に目標に近づく気配がないのですが、)ジオ閉鎖と聞いてどうされるのか少し気になっていました。

ブログの形に移行されると聞いて一安心だったのですが、開設されたとお聞きしたので行ってみると、いきなりの豊富な内容に打ちのめされます。

まさにこれが現在的なあり方ですね!
開設されてから一ヶ月ちょっとですが、既に古楽ファンが興味を惹かれる情報満載です。

さらに、本家の方で公開されていた MIDI が mp3 化されて上げられているのがありがたいです。
改めて聞くと我無人さんの MIDI は本当に繊細です。人の声でやるとともすると覆い隠されてしまうかもしれない響きの核心部分が常に顕在化されているように思います。
しかも mp3 化されたことで意図された音色できけるのはありがたく、やられたかったことが私にはより鮮明になったように感じます。

(「まうかめ堂」はこの10年全く進歩していないので、そろそろ心を入れかえてまっとうな活動にしなければと思いました。)

というわけでブログ『フランドル楽派の音楽家たち』に注目です。




posted by まうかめ堂 at 02:19| Comment(1) | TrackBack(0) | 中世以外の音楽

謹賀新年

新年あけましておめでとうございます。

新年の mp3 です。
昨年に引き続き Garageband 再登場で、今度はシンセ版 Ars subtilior です。

・Grimace: Alarme alarme ( virelai, 14th C, GarageBand version ):[mp3]

なかなかに意味不明な演奏に聞こえるかもしれませんが、まうかめ堂的にはこういうのが Ars subtilior MIDI の一つの答みたいなものです。
(15年前にこの種の音源が手に入っていたら、こういうものばかり100個ぐらい量産したかもしれません。)

昨年は(活動を全くしていないにもかかわらず)いくつかお便りをいただいたのと、マショーの楽譜の本への掲載の話があったりしました。(「わが終わりはわが始まり」Ma fin est mon commencement の掲載許諾の問い合わせが来たのは二度目です。校正は前にある程度しっかりやっているはずなので大きな間違いはないと思いますが、やはりちょっと心配です。)

それと中世ルネサンス音楽史研究会によるミクロログス(全訳&解説)がようやく出版されたことがまうかめ堂的には大きかったかなと思います。(1998年に金澤先生の「中世音楽の精神史」の註で出版予定との情報を目にして以来、本当に20年待ちました。)

今年はなにか一つぐらいアウトプットが出せるとよいかなと思います。
今年もどうぞよろしくお願いします。

posted by まうかめ堂 at 02:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 「まうかめ堂」の日記