ここのところバードの鍵盤曲(というか Nevells Booke)にずっとはまっていたので、そろそろ中世に戻りたいな、と思っているところなのですが、先週 up した A Gaillards Gygge という曲はどちらかというと鍵盤的なホモフォニックな曲だったので、もう一曲、もっとポリフォニックな曲を作ってみようと思い、A Voluntarie: for my ladye nevell という曲をぽちぽちと打ち込みはじめました。
そこでまた面白い現象に直面しました……といっても言ってしまえば当たり前のことなんですけどね。
私は単旋律の音楽以外の西洋音楽は基本的に全てポリフォニーだと思っている人間です。(特殊な現代曲は除きます。)例えば、主旋律に和音が付いて、みたいなホモフォニックな音楽もポリフォニーの特殊な場合にすぎないと見做しています。
そんなこともあって、ピアノ曲の MIDI を作るときでも4〜5チャンネル使ってパートを割り振り、PANを左右に散らします。あ、別にややこしいことをしてるわけでも何でもなくて左右それぞれの手に2チャンネルずつみたいな感じです。(こうしとくと後で手を加えるときに見やすかったりもします。)
で、それは大抵の場合それなりにうまくいきます。ブーレーズのピアノ・ソナタでさえ大体4、5パートに収めることができます。(ホントですよ。)
では、これこそがまさにポリフォニー音楽であるというバードのこの曲はきっとそのようにしやすいに違いない、と思いきや、これが存外厄介だということに気付きます。ある意味、ブーレーズより厄介です。
どういうことかと言うと、混線や分岐が非常に頻繁に起きるのです。
例えば、上から二番目の声部だなぁと思って進んでいくと途中で一番目と二番目の声部の間に新たな声部が出現していつのまにか三番目の声部に変わっているというようなことが頻繁に起こるのです。
つまり、バードのこの種の音楽は、声楽ポリフォニー的な書法ではあるけれども、声部を直線的に固定する必要がないという自由を、むしろ積極的に利用している鍵盤特有のポリフォニーだと言ってよいようです。
もともと分かれていないものを分けようというのだから不整合が起こるのは当然なのですが、上でも言ったように経験上、大抵はそこそこうまくいくものでした。けど、ここまで悩ましいのはちょっとなかった経験です。
それにしても面白いですね。
バードのこの Nevells Booke はいろんな意味でエキサイティングな曲集です。