ゲルギエフ指揮キーロフ歌劇場管弦楽団の「春の祭典」を聴きました。
前々から「はるさい演奏史を塗りかえた」とか「ブーレーズが知的なアプローチを一般化させたのを野生に戻した」だのいう噂を聞いていたので一度は聴かなきゃと思っていたのですが、いろいろあって聴きそびれていました。
で感想です。
結論を先に言えば「全然たいしたことない」。ダイナミック・レンジが広くてフォルティッシモが大音量なので、それを音楽的な大迫力と勘違いしてるのかもしれませんね。
特にスコアを見ながら聴いたりすると(実は見なくてもだけど)、「ああ、ここではこのパートが聴こえないと嘘なのに消えちゃってる」とか気になっちゃってダメでした…。
それから、ペットやトロンボーンやチューバは派手にバリバリ言わせてるのに、ホルンが全然迫力なくてどうしてもバランスが悪い…何故でしょう?団員の技術的問題か?いやカップリングされてるスクリャビンではちゃんと咆えてるからそうでもないか。
ホルンが十分に咆哮しないと困る箇所沢山あったんだけど…。
でも見所というか面白いところが無いわけでないです。
ときどき和音のバランスが「変」なところがあって、それがちょっと面白いです。つまり、普通はその音あるいそのパート強調しないだろうっていうのが強調されてたりして…。
ストラビは、「ぶつかってる」音を「ぶつかってる」という理由で音量をしぼったりして無闇に回避するとストラビで無くなります。それは本当にゴシャっと塊で聴こえるのがおそらく正解です。響きを統制しようなどと考えてはいけない…。
その点、ゲルギエフは正解が多かったかもしれません。
それに、露骨に反ブーレーズな箇所があるのもちょっと面白かったです。第二部の終わりから二曲目「祖先の儀式」で、弦のトレモロの中に第二部序奏の旋律が「隠されてる」ところがあるのですが、大抵の演奏はそれに派手にアクセントを付けさせたりして「明るい所に引きずり出してる」んですね。ところがゲルギエフは見事に何もさせないで「隠れたまま」にしてて、こういう演奏はちょっと聴いたことがないです。確かに楽譜にはなにも余計な指示は書いてない。
前にショスタコの「革命」の終楽章の最初の方を試聴したときは、大迫力の大盛り上がりのキレてる演奏のように見えて実はものすごく頭がイイ感じがしたので、そういう「はるさい」を期待してたのにちょっと残念でありました。
2006年07月22日
2006年07月19日
まうかめ堂は幽霊でなくてはならない
ええと、ちょっと奇妙に聞こえるかもしれないことを少々書きます…。自己確認です。
「まうかめ堂は幽霊でなくてはならない」ということを少し忘れかけていて、最近「肉声」のようなものをこのブログを初めいくつかの場所で発しすぎたようだ、と思いはじめました。
「まうかめ堂は幽霊でなくてはならない」。
「中世音楽のまうかめ堂は十分広大なネットの情報世界のなかのもう一つの小さなノイズでなければならない。」
不特定多数の人々に向けて何かを言うことなど、もとより私にはできません。
したがって、私がここあるいは自サイトに書いていることはモノローグ以外のなにものでもないわけです。
そういえば大昔の日記には「世界の周縁でなんか呟く」と記していたではないですか。そこを履き違えてはいけません。
しかし、そうであっても面白いことに、またありがたいことに、通りすがりの人々が、耳を傾むけてくれたり、声なき声で応答してくれたり、声のある声で応答してくれたりするわけです。
彼ら自身それぞれはもちろんリアルな存在でしょうが、誤解を恐れずに言うなら、ネットを介して私の前に立ち現れるそのすがたは、やはり幽霊そのものです。
だから(この論理は理解しにくいでしょうが)「まうかめ堂は幽霊でなくてはならない」
でも、考えてみれば、中世音楽との対話も、常に幽霊との対話なのでした。それを作った人々はとうの昔にいなくなっていて、その活動の、その音楽のかすかな痕跡だけが残されています。その痕跡は本当にかすかなもので、それをどのように実際に鳴らされる音楽として実現するのかすら確かなものが極めて少ない状況です。
にもかかわらずそれら幽霊たちは、私の中に揺ぎないリアルな驚きや感銘を私の中に残していくのです。それを作った人々は、600年も700年も後になって、自分の作ったものが、極東の、彼らが住んでいた土地から地球を半周ちかくも回ったところに暮らす人間の心に響くなどとは思いもよらなかったかもしれませんね。
もう一段飛躍をするなら、まうかめ堂は、そのリアルなもののために幽霊であらなければならない……きっとこれです。
(いや、やはり理解不能。)
「まうかめ堂は幽霊でなくてはならない」ということを少し忘れかけていて、最近「肉声」のようなものをこのブログを初めいくつかの場所で発しすぎたようだ、と思いはじめました。
「まうかめ堂は幽霊でなくてはならない」。
「中世音楽のまうかめ堂は十分広大なネットの情報世界のなかのもう一つの小さなノイズでなければならない。」
不特定多数の人々に向けて何かを言うことなど、もとより私にはできません。
したがって、私がここあるいは自サイトに書いていることはモノローグ以外のなにものでもないわけです。
そういえば大昔の日記には「世界の周縁でなんか呟く」と記していたではないですか。そこを履き違えてはいけません。
しかし、そうであっても面白いことに、またありがたいことに、通りすがりの人々が、耳を傾むけてくれたり、声なき声で応答してくれたり、声のある声で応答してくれたりするわけです。
彼ら自身それぞれはもちろんリアルな存在でしょうが、誤解を恐れずに言うなら、ネットを介して私の前に立ち現れるそのすがたは、やはり幽霊そのものです。
だから(この論理は理解しにくいでしょうが)「まうかめ堂は幽霊でなくてはならない」
でも、考えてみれば、中世音楽との対話も、常に幽霊との対話なのでした。それを作った人々はとうの昔にいなくなっていて、その活動の、その音楽のかすかな痕跡だけが残されています。その痕跡は本当にかすかなもので、それをどのように実際に鳴らされる音楽として実現するのかすら確かなものが極めて少ない状況です。
にもかかわらずそれら幽霊たちは、私の中に揺ぎないリアルな驚きや感銘を私の中に残していくのです。それを作った人々は、600年も700年も後になって、自分の作ったものが、極東の、彼らが住んでいた土地から地球を半周ちかくも回ったところに暮らす人間の心に響くなどとは思いもよらなかったかもしれませんね。
もう一段飛躍をするなら、まうかめ堂は、そのリアルなもののために幽霊であらなければならない……きっとこれです。
(いや、やはり理解不能。)
2006年07月16日
知らなかった…
TMLでノートル・ダム楽派のオルガヌムに関する13世紀の論文Discantus positio vulgaris「ディスカントゥスにおける通常の配置」をつらつらと見ていて衝撃の記述が…。
リガトゥーラに関して、二つの音符からなるリガトゥーラは前がブレヴィス後ろがロンガ、三つのときは(休符がそれに先行するなら)ロンガ-ブレヴィス-ロンガ、四つなら全部ブレヴィス、ということが書かれた後で、五つ以上からなるリガトゥーラに関して
Quodsi plures quam quatuor fuerint, tunc quasi regulis non subjacent, sed ad placitum proferuntur.
いい加減訳:四つより多いときは規則が無いみたいだから好きなようにやっていいよ。
ad placitum (= as it is pleasing)ときたもんです。
モーダル記譜法では、初めから厳密に書き記そうという意志は無かったのかもしれませんね。
リガトゥーラに関して、二つの音符からなるリガトゥーラは前がブレヴィス後ろがロンガ、三つのときは(休符がそれに先行するなら)ロンガ-ブレヴィス-ロンガ、四つなら全部ブレヴィス、ということが書かれた後で、五つ以上からなるリガトゥーラに関して
Quodsi plures quam quatuor fuerint, tunc quasi regulis non subjacent, sed ad placitum proferuntur.
いい加減訳:四つより多いときは規則が無いみたいだから好きなようにやっていいよ。
ad placitum (= as it is pleasing)ときたもんです。
モーダル記譜法では、初めから厳密に書き記そうという意志は無かったのかもしれませんね。
2006年07月13日
今日のクラウズラ
二日ほど前に「ノートル・ダム楽派様式のクラウズラを自作する」ということをしましたが、今日も一つ作りました(笑)。
→Regis Aevus 2 (Clausula)
しかし、良い悪いを別にするならいくらでもできますね。クラウズラが実用上必要であるよりもはるかに大量に作られた理由は案外こういうところにあったのかもしれませんね。
第1モードは何となくわかってきたので、次は第2か第3モードで作りましょう。(←って、まだ作る気?)
→Regis Aevus 2 (Clausula)
しかし、良い悪いを別にするならいくらでもできますね。クラウズラが実用上必要であるよりもはるかに大量に作られた理由は案外こういうところにあったのかもしれませんね。
第1モードは何となくわかってきたので、次は第2か第3モードで作りましょう。(←って、まだ作る気?)
2006年07月12日
MML
ええと、ちょっと小声で言いたいのですが…。
私は「みやこだい音楽研究所」というところの「所長」に就任したようです。
私は「みやこだい音楽研究所」というところの「所長」に就任したようです。
2006年07月10日
ノートル・ダム楽派様式のクラウズラを自作する
中世の様式の多声音楽を自作してみるというのは、やってみても良いことだなぁ、と前々から思っておりました。
で、一番作りやすそうな、ノートル・ダム楽派のディスカント様式の2声のオルガヌム(クラウズラか?)を作ってみました。
作るだけなら、異様なまでに簡単で、15分ぐらいでできました。工程は以下の通り。
1.定旋律を持ってくる。
2.テノール(定旋律)のリズムを決める。
3.対旋律を、原則的に強拍でテノールと完全八度、または完全五度になるように作る。まずは基本の第一モード。
で、とりあえずできたものがこれ。→Regis Aevus (Clausula)
初めてにしてはまずまずと自己評価したいところですが、中世においても平行五度八度や場合によっては隠伏五度八度も避けられた傾向があるようなのでその辺は調整した方が良いかも…。
次は3声のオルガヌムでしょうか。それができたらアルス・アンティカの様式のモテト、ホケトゥス。それができたらアイソリズム・モテト…かな?
註:上の曲の定旋律にはグレゴリオ聖歌ではなくて、日本人なら誰でも知ってる曲が使ってあります。題名はその勝手なラテン語訳です。
で、一番作りやすそうな、ノートル・ダム楽派のディスカント様式の2声のオルガヌム(クラウズラか?)を作ってみました。
作るだけなら、異様なまでに簡単で、15分ぐらいでできました。工程は以下の通り。
1.定旋律を持ってくる。
2.テノール(定旋律)のリズムを決める。
3.対旋律を、原則的に強拍でテノールと完全八度、または完全五度になるように作る。まずは基本の第一モード。
で、とりあえずできたものがこれ。→Regis Aevus (Clausula)
初めてにしてはまずまずと自己評価したいところですが、中世においても平行五度八度や場合によっては隠伏五度八度も避けられた傾向があるようなのでその辺は調整した方が良いかも…。
次は3声のオルガヌムでしょうか。それができたらアルス・アンティカの様式のモテト、ホケトゥス。それができたらアイソリズム・モテト…かな?
註:上の曲の定旋律にはグレゴリオ聖歌ではなくて、日本人なら誰でも知ってる曲が使ってあります。題名はその勝手なラテン語訳です。