デュファイの Ce moys de may の詞について書き連ねておりますが、最後にもう一言だけ。今回はこれまで私が目にしてきた詞の transcription とは、意見を異にする箇所の話です。
詞の全文とまうかめ堂による適当な訳については数日前の記事を参照してください。
問題にしたい箇所は、最初から四行目
Pour despiter ces felons en vieux.
の、en vieux です。
これは、私の所有する全ての詞の transcription では envieux と一語になっています。しかし写本のファクシミリを見ると en vieux と、はっきり二語に見えるように書かれています。
少し詳しく言うなら、この箇所は楽譜の中に書かれている詞なので、場合によっては語の区切が必ずしも明確ではありません。というのは、現代のようにハイフンによって語のつながりと区切をはっきりさせるという習慣なんて無かったからです。
にもかかわらず、これが二語に見えるのは、vieux の最初の v が大きめに、語頭であることを強調するかのように書かれているからです。しかも三パート全部同じようにです。
では、これを envieux と一語に読む積極的な理由はあるだろうか、と考えてみます。私は最初、詞の文脈から envieux 一語説が正しいだろうと思っていました。しかし今回改めて検討してみて、二語 en vieux が意味的にピッタリくるという結論になりました。それについて説明します。
まず、そこにいたるまでの詞を最初から見てみましょう。
Ce moys de may soyons lies et joyeux
Et de no cuer ostons merancolie.
Chantons, dansons, et menons chiere lie,
Pour despiter ces felons en vieux.
この五月、陽気に楽しくやろう
そして心の中から憂さを追い出そう
歌って踊って明るい顔をしよう
en vieux な反逆者(裏切り者)に負けないために
さて、最初の三行は意味的に明解です。疑問の入る余地はあまりないでしょう。
ところが四行目になると、いきなり ces felons (反逆者、裏切り者、冷酷な者、不敬な輩)を despiter する(軽蔑する、挑戦する、負けない、立ち向かう、反する)という詞になっていてちょっと???と思うことになります。「反逆者」もしくは「裏切り者」が唐突に登場するので…。
で、 en vieux もしくは envieux は、その ces felon (「反逆者」「裏切り者」)に掛かるというので間違いないでしょうが、 en vieux と envieux どちらが意味的に正しそうか。
envieux は、現代英語で対応物を見付けるなら見たまま envious で、当時も同じ意味、すなわち「うらやましがる、妬み深い」となるようです。
だから ces felons envieux だとすると「嫉妬深い反逆者たち」というような意味になります。
これで、もちろん意味は通りますが、やはり「反逆者」が何なのか、何に反逆してるのかがわからないままです。(想像はできますが…。)
では en vieux ではどうか。英語にそのまま直すとしたら in old となります。これだとさらに???ですね。
でも、次のような意味だと思うとしっくりくる気がします。
フラ語の前置詞 en は英語の in と同様、意味が広いですが、ここでは状態を表すものと考えます。すなわち en vieux は「古い状態にある」です。
それで、改めてこの歌の内容を思い出しますと、これは「春の歌」です。冬は遠くに去って、新緑が生い茂り、生命が新生を向かえる新しい季節の歌です。過ごしやすい良い季節で日の光も明るい、だからみんなで浮かれて楽しくやろうよ、歌って踊ってさぁ、という歌です。
それでようやく ces felons en vieux の意味が見えてきます。つまり ces felons en vieux というのは、春になってみんな浮かれて楽しい気分になってるのにいつまでも冬みたいに暗い顔してるノリの悪い連中のことということになります。それが「反逆者」であるのは「五月の新鮮さ、明るさに反逆してるから」ですね。
以上のように理解すると私には非常にしっくりくるように思うのですがいかがでしょうか?
やっぱり折角写本のオリジナルを見ているなら、詞もしっかり見ないといけませんね。それと CD に付いてるような詞もその訳も、もとよりそれらはいい加減なものでは決してないでしょうが、そのまま鵜呑みにするというわけにもいかないようですね。
いやはや、古い音楽と付き合うのって大変です。
それから、この曲の詞について、もう一箇所明確に理解できてない箇所があります。後ろの方の
Car la saison semont tous amoureux
A ce faire, pourtant n'y fallons mie.
というところで、n'y fallons mie の意味がいまひとつ私にははっきりしません。みなさまの御意見求む、です。
2007年05月19日
2007年05月18日
デュファイの Ce moys de may のまうかめ堂訳
Ce moys de may soyons lies et joyeux
Et de no cuer ostons merancolie.
Chantons, dansons, et menons chiere lie,
Pour despiter ces felons en vieux.
Plus c'onques mais chascuns soit curieux
De bien servir sa maistresse jolie.
Ce moys de may...
Car la saison semont tous amoureux
A ce faire, pourtant n'y fallons mie.
Karissime! Dufay vous en prie
Et Perrinet dira de mieux en mieux.
Ce moys de may...
この五月、陽気に楽しくやりましょうよ
そして心の中から憂さを追い出そう
歌って踊って明るい顔をしよう
老けこんでるひねくれ者は蹴散らしちゃえ
各人はいつにもまして念入りに
うるわしの御婦人によく仕えよう
この五月…
なぜなら季節が愛する者すべてを誘うのだ
こうするように、だからこの機を逃さないでね
Oh my Dear! デュファイたってのお願いだ
そうすればペリネもますますいいこと言うだろうし
この五月…
→[MIDI]
Et de no cuer ostons merancolie.
Chantons, dansons, et menons chiere lie,
Pour despiter ces felons en vieux.
Plus c'onques mais chascuns soit curieux
De bien servir sa maistresse jolie.
Ce moys de may...
Car la saison semont tous amoureux
A ce faire, pourtant n'y fallons mie.
Karissime! Dufay vous en prie
Et Perrinet dira de mieux en mieux.
Ce moys de may...
この五月、陽気に楽しくやりましょうよ
そして心の中から憂さを追い出そう
歌って踊って明るい顔をしよう
老けこんでるひねくれ者は蹴散らしちゃえ
各人はいつにもまして念入りに
うるわしの御婦人によく仕えよう
この五月…
なぜなら季節が愛する者すべてを誘うのだ
こうするように、だからこの機を逃さないでね
Oh my Dear! デュファイたってのお願いだ
そうすればペリネもますますいいこと言うだろうし
この五月…
→[MIDI]
2007年05月13日
デュファイの Ce moys de may の詞
みなさま、こちらではお久しぶりです。
ここ数ヶ月、本業の方で論文を書いていたために、他のことに使う余力がありませんでした。というわけでだいぶ御無沙汰になってしまいました。
それはさておき、「まうかめ堂」の最近の出来事として、アメリカの某大学のコンピューターサイエンスのさる教授(以下 O 教授)と、デュファイの Ce moys de may の詞に関してちょっとしたやりとりをしているというのがあります。
最初はその O 教授が、「まうかめ堂」の Ce moys de may の楽譜を見て、自分で作成した詞の英訳を送ってくれたのが事の始まりでした。そのメールでは、「自分でも source を見たいんだけども、あなたはどこで見たのか?」と訊いてきていて、「ファクシミリが出版されていて云々」と答えました。すると、先週になって、 O 教授が自身でファクシミリを検討した結果が、詳細なコメントとともに送られてきて、これを昨日今日、私の方で検討してみたところ、「まうかめ堂」の楽譜の詞の間違いもいくつか見付かったのと、あと、いろいろ面白い発見がありました。
O 教授の偉いところは Larousse の中仏語辞典をひき倒しながら、徹底的に自力で解読しようとしているところです。
一方、私の方はといえば、詞に関しては半ば諦めていて、というのはそれが目的の中心ではないからでもありますが、不明な箇所が出てきたら、市販の楽譜とか、CDのブックレットの中の詞とか、既存のものを参照してその中から最も納得のいくもので埋めとくことにしています(笑)。
さすがに自分が習熟してない中仏語のテクストの専門家による transcription をクリティークするわけにはいきかねますからね…。
(実はこれ、「まうかめ堂」で、楽譜の需要が最も多いにもかかわらずそれを無闇に増やすわけにいかない理由でもあります。補完して下さるかた募集。)
さて、それでO 教授の詞の transcription を見ていてわかったことがいくつかあります。
・私はこの Ce moys de may の詞を、何らかの形で印刷されたものを四つほど持っています。(Besseler 校訂の楽譜、CDの詞等)。もしかしたら、その全てが重要な局面で単一の transcription (Besseler か?)に依拠しているかもしれない感じがしてきました。
・例えば些細なところでは "Por despiter" という箇所。
写本に忠実に読むなら "Pour despiter"の方が良いかもしれません。
ただこれはほとんど表記の仕方が違うだけなのであまり問題にはなりません。
・ちょっと問題なのは "Carissimi" というパッと見イタリア語が突如現れる箇所です。写本ではどう見ても "k(?)rissime" のように読めます。
当然のことながら O 教授は「何であんたの transcription は Carissimi! になってるの?」と噛みついてきます。
いえ、私の所有する全ての詞が Carissimi になってるから、そのまま写しただけなんですけどね…。
しかし、ここはちょっと根拠をはっきりさせないと問題かなとも思いました。
それで、しばらく写本を眺めながら「カリッシミ、カリッシミ」と呟いていたら、これはイタリア語じゃなくてラテン語なんじゃないかと思いあたりました。
(先程言ったイタリア語というのは、私も O 教授も勝手にそう思ってたことなんですね…。)
より詳しく言うと、「カリッシミ、カリッシミ」と呟いていたら Antonius 'Zacharias' de Teramo という人の Sumite, karissimi というモデナ写本に含まれるアルス・スブティリオールの曲を思いだし、ラテン語である可能性に気付きました。
そして、やはりCe moys de may の中のこの語は karissime で、第一第二変化形容詞 karus の最上級 karissimus の男性単数呼格が名詞的に用いられていて、「親愛なる友よ」(訂正)「最愛なるものよ」という呼び掛けの意味になってると解するのが一番自然のように見えてきました。
ちなみに karissimus は carissimus とも綴られるようです。
すると Carissimi はパッと見イタリア語に見えるけれども、ラテン語と思うこともできて、その場合男性複数呼格で、「親愛なる友たちよ」(訂正)「最愛なるものたちよ」というような意味になります。イタリア語と見做しても複数のようです。
それでは、これまでの transcription において、karissime と単数に読めるものが、なぜ複数に解されていたのかが問題になりますが、詞の内容を見るかぎり複数と見做すべき積極的な理由は見当らないように思うのですが……どうでしょうか?(御意見求む。デュファイの場合、複数の写本に写されてることも多いので他の写本との校合により Carissimiなのかもしれませんね。)
そういうわけで、近々この曲の楽譜は改訂します。
特に、とりあえず Karissime になる予定です。
でも、「かりっしめ、でゅふぁーい」と歌うより「かりっしみ、でゅふぁーい」の方がカッコいい気も…なぁ〜んて。
ここ数ヶ月、本業の方で論文を書いていたために、他のことに使う余力がありませんでした。というわけでだいぶ御無沙汰になってしまいました。
それはさておき、「まうかめ堂」の最近の出来事として、アメリカの某大学のコンピューターサイエンスのさる教授(以下 O 教授)と、デュファイの Ce moys de may の詞に関してちょっとしたやりとりをしているというのがあります。
最初はその O 教授が、「まうかめ堂」の Ce moys de may の楽譜を見て、自分で作成した詞の英訳を送ってくれたのが事の始まりでした。そのメールでは、「自分でも source を見たいんだけども、あなたはどこで見たのか?」と訊いてきていて、「ファクシミリが出版されていて云々」と答えました。すると、先週になって、 O 教授が自身でファクシミリを検討した結果が、詳細なコメントとともに送られてきて、これを昨日今日、私の方で検討してみたところ、「まうかめ堂」の楽譜の詞の間違いもいくつか見付かったのと、あと、いろいろ面白い発見がありました。
O 教授の偉いところは Larousse の中仏語辞典をひき倒しながら、徹底的に自力で解読しようとしているところです。
一方、私の方はといえば、詞に関しては半ば諦めていて、というのはそれが目的の中心ではないからでもありますが、不明な箇所が出てきたら、市販の楽譜とか、CDのブックレットの中の詞とか、既存のものを参照してその中から最も納得のいくもので埋めとくことにしています(笑)。
さすがに自分が習熟してない中仏語のテクストの専門家による transcription をクリティークするわけにはいきかねますからね…。
(実はこれ、「まうかめ堂」で、楽譜の需要が最も多いにもかかわらずそれを無闇に増やすわけにいかない理由でもあります。補完して下さるかた募集。)
さて、それでO 教授の詞の transcription を見ていてわかったことがいくつかあります。
・私はこの Ce moys de may の詞を、何らかの形で印刷されたものを四つほど持っています。(Besseler 校訂の楽譜、CDの詞等)。もしかしたら、その全てが重要な局面で単一の transcription (Besseler か?)に依拠しているかもしれない感じがしてきました。
・例えば些細なところでは "Por despiter" という箇所。
写本に忠実に読むなら "Pour despiter"の方が良いかもしれません。
ただこれはほとんど表記の仕方が違うだけなのであまり問題にはなりません。
・ちょっと問題なのは "Carissimi" というパッと見イタリア語が突如現れる箇所です。写本ではどう見ても "k(?)rissime" のように読めます。
当然のことながら O 教授は「何であんたの transcription は Carissimi! になってるの?」と噛みついてきます。
いえ、私の所有する全ての詞が Carissimi になってるから、そのまま写しただけなんですけどね…。
しかし、ここはちょっと根拠をはっきりさせないと問題かなとも思いました。
それで、しばらく写本を眺めながら「カリッシミ、カリッシミ」と呟いていたら、これはイタリア語じゃなくてラテン語なんじゃないかと思いあたりました。
(先程言ったイタリア語というのは、私も O 教授も勝手にそう思ってたことなんですね…。)
より詳しく言うと、「カリッシミ、カリッシミ」と呟いていたら Antonius 'Zacharias' de Teramo という人の Sumite, karissimi というモデナ写本に含まれるアルス・スブティリオールの曲を思いだし、ラテン語である可能性に気付きました。
そして、やはりCe moys de may の中のこの語は karissime で、第一第二変化形容詞 karus の最上級 karissimus の男性単数呼格が名詞的に用いられていて、
ちなみに karissimus は carissimus とも綴られるようです。
すると Carissimi はパッと見イタリア語に見えるけれども、ラテン語と思うこともできて、その場合男性複数呼格で、
それでは、これまでの transcription において、karissime と単数に読めるものが、なぜ複数に解されていたのかが問題になりますが、詞の内容を見るかぎり複数と見做すべき積極的な理由は見当らないように思うのですが……どうでしょうか?(御意見求む。デュファイの場合、複数の写本に写されてることも多いので他の写本との校合により Carissimiなのかもしれませんね。)
そういうわけで、近々この曲の楽譜は改訂します。
特に、とりあえず Karissime になる予定です。
でも、「かりっしめ、でゅふぁーい」と歌うより「かりっしみ、でゅふぁーい」の方がカッコいい気も…なぁ〜んて。