今回は、超有名な「はるさい」の分析論文『ストラヴィンスキーは生きている』(これも「ブーレーズ音楽論 徒弟の覚書」ピエール・ブーレーズ著、船山隆、笠羽映子訳所収)の一節についてです。
これはストラヴィンスキーの『春の祭典』の主にリズム構造に関する詳細な分析論文ですが、この論文には個人的な思い入れが非常に強いです。
ここは、私のブログなので、私が個人的な話をしても悪いことはないでしょう、ということで少し個人的な話をします。
多くの人は若いころに良い意味で世界観をひっくり返すような衝撃的なものに出会うものと思いますが、それが私の場合はストラビの『春の祭典』でした。
14歳のころ、とある6月の日曜日に、ほとんどジャケ買いをしたショルティのLP(そう、ぎりぎりLPです!)を聴いてあまりのショックにまさに茫然となったのがそもそものはじまりです。
それ以来世界が『春の祭典』を中心に回り始めるのですが、当時すごくもどかしかったのは、その強烈な思いを表現するための言語を全く持たなかったことです。
そういうもやもやした状態がその後何年も続きましたが、後に渋谷のYAMAHAでフルスコアを入手、これで事態は解決するかと思いきや、困難は深まるばかりでした。
すなわち、スコアには全てが書かれているはずなのに、実際手をのばせば音楽そのものに触れることさえできるのに、その音楽のもつ真の力を捕まえることができないという、さらなるもどかしさに直面したのです。
ほどなく船山隆著「ストラヴィンスキー」を読み、ブーレーズの論文のことを知ります。そしてその半年後ぐらいにようやくこの論文集を入手します。
書泉グランデで見付けたときに思わず「あった!」と叫んだ記憶があります。
で、その後しばらく、この本をまさにむさぼるように読みました。後にも先にもあんな読み方をしたことはないでしょうね。本当に若かったです。
そして、この「はるさい」の論文も期待に違わずすごく衝撃的でしたが、その話をしはじめると今回それだけで終わってしまいますのでそれはパス。
でも、一言だけいうなら、パッと見「野性」と形容しうる強烈な音響と強烈なリズムからなるこの曲の、厚い神秘のヴェールに覆われているかのようなヴァイタリティーでさえ、極めて整然とした、「理性的な」分析によって語りうるのだ、ということが最も衝撃的なことでした。しかもブーレーズは音楽自体から決してブレません。
さて、ようやく本題に入れます。
今回取り上げたいのは、この論考のまさに本論が終わったその後にかかれた「後記」の部分です。そこでは唐突に(というか最初に読んだときは本当に唐突に感じたということなのですが)、ド・ヴィトリ、マショー、デュファイの名とともにアイソリズム・モテトが言及されるのです。
まずはその導入部分から。
人々は、リズムに対するわれわれのかくも一方的な姿勢を非難したり、あるいはわれわれがリズムに与える過大な重要性に驚いたりするかもしれない。事実、われわれにとって語法の問題自体は、セリー技法の採用ーそれは次第に普及したーによって、以前よりもはるかに解決に近づいているように思われる。したがって本質的な課題は、一つの均衡を回復することである。あらゆる音楽研究分野のかたわらにあって、実際、リズムの浴している恩恵といえば、誰もが常識的な教則本の中に見いだせるようなきわめて簡略な観念でしかない。そこに見いだすべきなのは、単に教育的欠陥だけだろうか?いっそう正当に次のことが考えられる。すなわち、ルネッサンス末期以降、リズムは他の音楽構成要素と同等には考えられなくなり、直観や良い趣味に過分な分け前が与えられるようになったということである。
たしかに、いわゆるフツーのクラシック音楽を聴いてるだけだと、ルネサンス以前、とりわけ中世にリズムに関してあんなことが行われていたなんて知りえないですからね。
われわれ西欧の音楽において、リズムに対するもっとも理性的な姿勢を見いだそうとすれば、フィリップ・ド・ヴィトリ、ギョーム・ド・マショー、ギョーム・デュファイの名を引き合いにださなければならない。彼らのアイソリズム・モテトは、カデンツに含まれる様々なゼクエンツに対するリズム構造の構築的な価値を断固として証明するものである。現代の諸探求にとってこの時代のそれ以上にすぐれた先例が求められようか。音楽は、この時代においては、単に一つの芸術としてのみならず、同時に一つの学問として考えられていた。つまりそのことによって、あらゆる種類の安易な誤解は(少なからず安易なスコラ学は永続したにせよ)回避されていたのである。
ここでギョーム・ド・ヴァンのデュファイ作品集の序文からの引用が入った後に
したがって、現代の多くの聴き手にとって、また多くの作曲家にとってさえ考えられないように思われることが明らかとなる。つまり、それらのモテトのリズム構造は書く行為(エクリチュール)に先立って存在していたということである。そこに見られるのは、単に分離現象だけではなく、まさしく、17世紀以来西欧音楽の発展を通じてわれわれが守っているのとは正反対の方法である。
まさにセリー音楽において、例えば音高の組合せがあらかじめセリーによって決められているように、アイソリズム・モテトで最初に与えられ/与えるのは定旋律と各声部のリズム構造です。
この際の作曲の具体的プロセスは、定旋律によって陰に規定されている和声構造にしたがって各声部に音を配分していくような作業になることが容易に予想されます。
にもかかわらずマショー、デュファイのアイソリズム・モテトの獲得している自由さと自発性には聴くたびに驚かされます。その驚きは作品の構造についての理解が深まれば深まるほど、より大きくなっていく種類のものです。
さあ、ここで、上で引用を省略したギョーム・ド・ヴァンの言葉を引くのが良いかもしれません。
ギョーム・ド・ヴァンは、デュファイの作品集の序文で次のように述べている。「アイソリズム法は、十四世紀の音楽理想のもっとも洗練された表現であり、ごく少数の人々によってだけ洞察されることが出来、作曲家の技倆に関する至上の証明の基礎となっていた本質であった。…諸処の束縛が、リズム構造のもっとも微細な部分をもあらかじめ決定する一つのプランがもつ厳格な次元によって課せられていた。しかしそれらの束縛は、少しもこのカンブレ人の霊感に限界を与えはしなかった。というのも、彼のモテトは、アイソリズム・カノンが事実厳密に守られているにもかかわらず、自由で自発的な作品という印象を与えるからである。デュファイの作品を十四世紀の諸作全体(マショーの作品を除く)から区別しているのは、まさに旋律とリズム構造のあいだに成立している調和のとれた均衡である。」
今後は、いくつかのアイソリズム・モテトについて分析的なことをやってみることにしましょうか。
私は単純に聴くのが好きなので、文献や解説書を読んだりしないので無知の塊なのでいろいろ考えさせられる事もあって、とても参考になりました。
また、立ち寄らせていただきます。
(ほとんど独り言みたいなものなのに、ですね。)