このところ教会旋法についてのページを作っているのですが、それを読まれた Clara さんから質問がありました。
> 此処で質問なのですが、Aを終始音にもつ音階はDを終始音に
> もつものと同種となっていますが、後期ルネッサンス期には
> 第9旋法から第12旋法まであります。
>
> これは支配音などに関する定義が時代の変遷により変わった
> のでしょうか。
この質問を最初に見たときには実は意味がよくわからなかったのですが、よくよく質問の意味を考えてみると極めて自然に出てくる疑問であることがわかってきました。ここではこれに対する答えを書きたいと思います。
さて、教会旋法というものをどういう風に理解するかということについて、いろいろなレベルの理解、そして様々なやり方での理解がありえるでしょうが、一つのよくある説明は、「音階」をずらずら並べて「これが教会旋法だ」と説明するやりかたでしょう。
これは、多くの本でされているやりかたと言ってよいでしょうが、私はこのやり方に基本的に賛成できません。なぜなら、その説明を読んだ人にはその「音階」だけが頭に残って、旋法についての正しい知識が伝わりにくいように思われるからです。
仮に正格プロトゥス(第一旋法、ドリア)、すなわちDをフィナリス(終止音)とする正格旋法を、Dから始まる1オクターヴの音階のことだというふうに理解していたとしましょう。このように、旋法は特定の音階のことであると理解した上で、「教会旋法2」の「アフィニタスとアッフィナリス」なる文書を読んだとすると、そこには「Aをフィナリスとする聖歌はDをフィナリスとする聖歌と同様にプロトゥスに分類される」と書かれているので、質問にある「Aを終始音にもつ音階はDを終始音にもつものと同種となってい」るという理解が生じると考えられます。(正しいでしょうか?)
一方16世紀のグラレアーヌスの12旋法理論ではAから始まるオクターヴの音階は第9旋法(エオリア旋法)と呼ばれDから始まる音階の第1旋法と区別されます。すると、旋法の定義が時代が変遷する途中のどこかで変わったのではないのか、という疑問が自然に生じます。
私は Clara さんの質問をこのように理解したのですが正しいでしょうか?
質問の意味がこうだったと仮定してこれに答えるなら、グラレアーヌスと中世では旋法のとらえ方が若干異なるようだ、というのがまず第一の答えでしょう。
(ただ私はグラレアーヌスの理論については中世の旋法理論ほどには詳しく検討していないので、なにがどうなっているのかはっきりと答えることができません。)
ここで、もしかしたらいくつかの誤解が生じる可能性があるかもしれないので、いくつか注意しておきたいと思います。
まず、もし、中世の旋法理論において、教会旋法のそれぞれの旋法をあるオクターヴの「音階」のことだと思っているとしたら、これは厳密には正確でないでしょう。また「教会旋法は終止音と「支配音」とで決定される」と理解していたとしたら、これも正確でないでしょう。(たとえなにかの本にそのような説明がされていたとしても。)
中世の文献を読む限り、もっとも基本的と思われるのは、まず第一に、教会旋法とは聖歌の分類の規則、あるいはその種類と理解するのがよいということ(「音階」のことだというわけではない)、そして第二に、分類のやりかたは「教会旋法1」に書いたように、フィナリス(終止音)とアンビトゥス(音域)によってなされるのが基本であること(やはり「音階」のことではない)です。
ではフィナリスによる分類でポイントとなるのは何かというと、フィナリスとその周囲の音たちとの音程関係です。具体的には、プロトゥス旋法のDの場合、グイドの説明によれば、Dから下には全音下がることができ、Dから上には全音、半音、全音、全音と上がることができるというのがプロトゥスを特徴づける要件ということになります。これはCDEFGaという6度内の音程関係で下から2番めのDに終止するというのがプロトゥス旋法の要件だと言ってよいでしょう。
逆に言うならば、この範囲外、すなわちCの下そしてaの上に現れるのがbナチュラルであってもbフラットであってもその曲はプロトゥス旋法だということになります。
すなわち第一旋法は、あえてオクターヴの「音階」の言葉で理解するならば、DEFGab(ナチュラル)cd という「音階」に属する曲だけでなく、bにフラットの付くような、現代でいうところの二短調の「音階」に属する曲も第一旋法に分類されることになるわけです。
さて、二短調の音階を五度上に移高するならば、a の上の変化音の無いオクターヴの音階になります。グレゴリオ聖歌では移高が自由だったことを考慮に入れるなら、a の上のオクターヴの音階に属する曲もプロトゥス旋法ということになると考えるのは自然でしょう。
以上が、ある意味11世紀ごろ完成された中世の旋法理論のエッセンスだろうと思います。
一方グラレアーヌスの理論については、上で書いたように私は十分にそれを理解しているわけではないのですが、たしかに旋法を(フィナリス付きの)オクターヴの音階と理解しているように見えます。なのでDから始まる音階で示される第1旋法とaから始まる音階で表される第9旋法は別ものということになります。
では、この旋法に対する理解の違い、変化は、いつごろからのものなのかというと、オクターヴの音階(オクターヴ種)が旋法概念の中核になるようになったのはやはり16世紀以降のことのようです。そしてこれはグラレアーヌス一人に限ったことでは無くてかなり一般的な変化であったようです。
多分この辺りのことは次を読めばわかるだろうと思います。
Doleres Pesce: The Affinities and Medieval Transposition, Indiana Universit Press, 1987.
この本の第5章は The rise of octave species theory と題されていて、1520年代から、オクターヴ種の理論がさかんになったと書かれています。
2011年03月06日
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G.ガブリエリの時代になると「第9旋法による〇〇」とか「第2旋法による〇〇」とか明らかに12の旋法は区別されていましたのですが、多声音楽での器楽曲の場合は各旋法をどうやって見分けるのか、それから正格と変格の見分け方もさっぱり。
また、音域だけの問題であれば不都合が起こるのではないかと思って私のブログでは書いていましたが、グレゴリオ聖歌など古い音楽を見渡すと、コンフィナリスは現在の調性音楽でいう属音のような正格を持っていない感じですし・・・。
ということで色々と解らないことばかりで理解に苦しんでいました。
中世に於ける旋法とのちの時代の旋法で定義が変化したとの説明でひとつ謎が解けました。
まだまだ解らない部分が多く、いろいろと質問するかもしれませんが、よろしくお願いします^^
外国語が全くダメな私にとってはまうかめ堂さんの翻訳はとても貴重なもので、続編もとても楽しみにしています。
支配音という言葉についてですが、
高校の楽典の授業で使っていた教科書の
楽典(菊池有恒 著/音楽之友社)では
《ここから引用》
最初は正格(authenyicus)4種と、その変格(plagalis)4種の計8種であったが、16世紀に至って4種の旋法が追加され12種類の旋法になった。
それぞれの旋法には、現在の主音に相当するfinalis(終始音)とdominant(属音)に相当するconfinalis(支配音)を持っている。なお、finalisを同じくする変格にはhypo(下のを意味するギリシャ語に由来)を付加して表される。
《ここまで引用》
と書かれていまして、confinalisの日本語翻訳は支配音と私はずっと思っていました(ーー;)
音楽史の名曲(美山良夫 茂木博 編著/春秋社)では
《ここから引用》
教会旋法は8種あり、それは4種の終始音 finalis の上のオクターヴのアンビトゥス(旋律の音域)をもつ正格旋法と、それぞれの終始音の4度下から通常5度上までのアンビトゥスを持つ尖閣旋法に分けられる。
(中略)
またそれぞれの旋法には終始音とともに重要な役割を果たすテノール音(テノール=保持)があった。これは正格旋法においては趣旨音の5度上であり、変格旋法では同じ名の正格旋法のテノール音の3度下にある。ただし、テノール音がロ音に当たる場合はハ音に移される。
《ここまで引用》
とあり、テノール音と書かれています。意味がわかりません。
ポリフォニーに見る喜び(ロベルト・ヴリーゲン 著/音楽之友社)では
《ここから引用》
フィナーリスからフィナーリスまでのグループは、1オクターヴの音域を持つ正格旋法(aauthentic)であり、フィナーリスの4度下から上5度までのグループは1オクターヴの音域を持つ変格旋法(plagal)である。
(中略)
旋律が高い音域を持ち、フィナーリスの5度上の音符、すなわちドミナント(属音)を中心とする場合は正格旋法といわれ、旋律の音域が低くフィナーリスの3度下の音符、変格旋法のドミナントを中心とするとき、変格旋法と言われる。
”
《ここまで引用》
ドミナントという言葉は和声法で使う用語なので不適切と思いますが^^;
もう1冊、「西洋音楽史」という本(本を紛失して著者・出版社を忘れましたが、確か著者は日本人だったような)でも支配音と書いていました。
まうかめ堂さんが不思議に思ってしまうほど支配音という言葉は通常は先ず使わない言葉なのでしょうね^^;。
> それから正格と変格の見分け方もさっぱり。
「まうかめ堂」の教会旋法のページでは多声音楽の旋法理論は一切扱わないことにしました。どうも悩ましい部分が多く、すっきりと理解できる感じでないので…。
そのうち気が向いたら一度じっくり腰を据えて勉強したいとも思っています。
> また、音域だけの問題であれば不都合が起こるのではないかと思って
これもとても良い直観であるように思います。
なぜフィナリスとアンビトゥス(音域)なのか、を洞察するというのは中世の人が聖歌の(旋法的な)性格をどのように認識していたのかを探る、非常によい問のように感じています。
実際にこれを文章で表現しようというのはなかなか厄介なことだとも思いますが。
また、支配音に関する丁寧な引用をありがとうございます。
音楽史の名曲(美山良夫 茂木博 編著/春秋社)の説明が正確だと思います。
(それぞれの旋法のテノールについては「教会旋法4」というところで一応の説明をしておきました。)
多分ある程度古い文献はみんな「支配音」という言葉を使っているんじゃないかと思います。しかも、使っている本人が意味をよくわかってないで書いているように見えるところもあります。
これは単なる憶測ですが、19世紀頃の大御所級の音楽学者のだれかが使い始めて、その後の人たちはみんな意味も分からずに真似て使ってるだけという可能性もあるのではと邪推していたりもします。
ということはある時代を境に教会旋法に関するセオリーは変化し、違った解釈に基くものになったと言うことでしょうか。
”これは単なる憶測ですが、19世紀頃の大御所級の音楽学者のだれかが使い始めて、その後の人たちはみんな意味も分からずに真似て使ってるだけという可能性もあるのではと邪推していたりもします。”
については私もそう思います^^
他にもグランド・バスはロマネスカやフォリアなどに代表される固執低音のことですが、対してドイツ語のゲネラル・バスでは通奏低音を指していまして、これは西洋音史を勉強した人なら誰でも知ってることですが、ネットでは同じ意味に捉えているものも良く見かけます。
Groundをドイツ語にするとGroßなのでGeneralではないはずなのですが・・・・w
驚いたことに日本語の通奏低音と固執低音を同じ意味と解説したサイトもいくつか発見しました。
後期ルネッサンス期や初期バロック期にはバッハのインヴェンションのように12の旋法による正格変格、各旋法1曲ずつの12曲で構成される作品などがよく見られますので、何らかの違いはあるように思えますが、楽譜を見てもさっぱり・・・w
私が神様に召されるまでによろしくお願いします〜〜
中世の多声音楽での教会旋法の理論的な枠組みは、一応このお話では扱わないということですが、少しだけ教えていただければ有難いです。
多声になると音域が拡大するので、正格と変格の区別はあまり意味を持たなくなると思われます。多声の場合、単旋律での定義と同じように終止音をそれぞれの声部の最後の音だとすると、各声部が一致するとは限らない。ですから多声に対しては、終止音とは、音階上の各音の「性格」「機能」を決める座標原点のようなもので、それは全部の声部に共通の、「主音」とも呼ぶべき音を指すように変化したと思っていいのでしょうか。それとも、各声部の旋法は別々として考えるべきなのでしょうか。もう一つ、その前提になる話しですが、各声部の構成音は、基本的には同じ音階(ΓABCD・・・)に属すると考えているのですが、そうなのでしょうか。以上の疑問も、アルスノヴァ、アルスアンティカ、ルネッサンスと時代的に変化するので一括りで考えるのが間違いなのかとも思っていますが。ご教示頂ければ大変有難いです。宜しくお願いいたします。
レスポンスが遅くてすみません。
ご質問が高度すぎて、私の知識ではお答えできないようなことばかりですが、いくつかのコメントをさせていただきたいと思います。
(参考文献はニューグローヴ世界音楽大事典の「旋法」の項目です。)
1.まず一般に、中世の多声音楽に対する旋法理論は存在しないようです。つまり中世の理論家は単旋聖歌に対する旋法理論を多声音楽に適用しようという発想はなかったようです。
2. 1450年から1600年の間には音楽家は多声音楽は旋法的であるべきだと考えていたようですが、18〜19世紀の調とも、単旋聖歌の旋法理論とも異なり、どちらかというと音楽様式の一部と理解すべきもののようです。(また旋法によって曲の性格が異なるという捉え方をしていたようです。)
すなわち単旋聖歌のときのようにそれぞれの曲がどれかの旋法に分類されるというのではなく、それぞれの曲はどれかの旋法に属するものとして作曲されていると理解する方が正しいようです。
3.では特定の旋法に従って曲が作られるとはどういうことか…これがなかなか大変です。可能であればニューグローヴの「旋法」の項の「旋法理論とポリフォニー音楽」という節を読んでいただくのが良いかと思います。
4.多声曲では「正格と変格の区別はあまり意味を持たなくなる」というご指摘はごもっともです。現代の学者たちも慣習的にそう思っていたようで、g調プロトゥスの曲は全て「g調ドリア」と呼ぶなどしていたようです。
しかしながら多声曲に対しても正格と変格の区別は几帳面に維持されたそうです。
それはまずテノールの属する旋法が曲全体の旋法と見なされたようです。
(ティンクトリスは対位法的な意味でテノールを「主要声部」と見なすべきだと言っているそうです。)
「そんな形式的なことでいいのか」というふうに思われるかもしれませんが、どうもこれで大概よいようなのです。
というのは、多声曲の骨格をなすのはおおむね主旋律を担う上声部(ソプラノ)とテノールの組です。
上声部は大体テノールのオクターブ上を動きます。したがって大抵上声部とテノールは同じ旋法に属していて、かつこの上声部とテノールのペアが曲の性格を決めています。
だからテノールの旋法がその曲の旋法であるとみなせる、と、こういうふうになっているようなのです。
さらにカデンツであるとか模倣のポイントなるものとかがそれぞれの旋法に適っていなけらばならないという規則があり、それぞれの多声曲が一つ様式、あるいは性格付けとして特定の旋法に属するということがきちんと意味をもっているのもわかる気がしてきます。
まだお答えできていない事項もありますが、さしあたり私にコメントできるのはこのくらいかと思います。