あまりこういうところに時事ネタは書きたくないのですが、さる洋画家の盗作疑惑のことであります。
とうとう本人も「盗作と見られても仕方のない」ことを認めて、芸術選奨も取り消しになっちゃいましたね。
普段ならこういう話は「ふ〜ん」で済ませるのですが、今回わざわざ取り上げているのにはちょっと訳がありまして、というのは、朝、読売の朝刊で両者の絵がカラーで掲載されているのを見たときに、盗作の絵をオリジナルだと思いこんでしまい、夜あらためてみて逆だということに気付きえらくびっくりしたということがあったからです。
えらくびっくりしたのには次の二つのことがあります。
一つ目は、ルネサンス期の絵画の展覧会に行ったりすると、しばしば高名な巨匠の手による有名な絵画とともに、無名または本当に名前の無い人が描いた fake だか贋作だか模写だかが並べて展示されているのを目にすることがあるわけですが、ほとんど100%の場合その差は歴然としているということです。
fake の方はまるでオリジナルに及ばない。
二つ目には、にもかかわらずと言うべきか、私は盗作の絵の方をパッと見、優れていると判断していたことにあります。まあ、何分新聞のカラー画なので、この判断はまったくあてにならないことは確かなんですが…。
(それに、上のケースと盗作は違いますし。この場合のことはわからないけど、盗作がオリジナルを越えることはあるでしょうしね。それに、当時は盗作とは見做されてなかったけれども現代から見ると盗作にあたるかもしれなくて、オリジナルを軽々と越えてみせた人にモーツァルトがいますね。)
それで、盗作ということになった人の肩を持つわけではまったくないですが、「構図を借り、私なりのものを加えているのが自分の手法。」というのは言い訳でもなんでもなく、本当にそうだったんじゃないかという気もちょっとしてきました。
ただ、仮にそうだったとしても正当な手続きを踏んでいないのだからこういう事になってもしかたないことには変わりはないですけどね。
で、オリジナルの作者が「彼は社会的制裁を受けたので告訴はしない」と気持ちのいいことを言っているそうなので、この話は私のなかでめでたしめでたしとなったのですが、しばらく盗作バッシングのブログやらなにやらを目にすることが多くなりそうなのは、ちょっと嫌なんです。
例えば、本とか詩とかの盗作が起こるといたるところで口を揃えて「自分の言葉で書け」と言っているのを目にすることになる…。すると私は「その『自分の言葉で書け』という言葉は本当にあなたの言葉ですか」などということをグルグル考えはじめてしまうのです。
現代詩を書いている詩人など、言葉と血みどろになって格闘してる人達からすると「自分の言葉で書く」なんてことは軽々しく言えないことでしょう。e.e.カミングスやポール・オースターも「詩人が自分の言葉を獲得するのには五年も十年もかかる」みたいなこと言ってますし…。(でもこれは次元の違う話といえばそうかもしれませんが。)
こういうことをグルグル考えてしまう背景には、本質的に新しいものを生み出しているようには見えないのに creator と自称する傲慢な現代の作者たちのことが念頭にあります。(creator をラテン語としてクレアトールと読むと重みが増しますね。)
中世音楽において、作者不詳の素晴らしい作品群に日々感嘆し、新しい時代を切り開くのに大きく貢献しながらもその作品に自分の名を記さなかったヴィトリのような人のことを思うときに、現代の作者が傲慢に見えることが時折あります。
良く知られているように、中世の作曲家には、作曲に関して「無から新しいものを作り出す」という感覚は無く、「すでに宇宙にある調和を見出す・発見する」ことが作曲だったわけです。
例えばトルヴェールはフラ語の「見つけ出す」という意味の trouver が元となっているわけですし、フランコの『計量音楽論』の中にも、コンドゥクトゥスを作るにあたって、「まず可能なかぎり美しい旋律を見出さ( invenire )なければならない。」との記述があります(第十一章)。
ただ、これは全ての学問が神の御業を誉め讃えるために存在していた+プラトンという背景があることは確かなんですけど、ものを作ったことのある人は、本当にものが出来るときに何かに導かれるようにそのものに到達するような感覚に襲われるようなことがあるのではないでしょうか。
もしそうなら、創作のその瞬間は「自分の力」を超え出ていたかもしれないことに少し謙虚になっても良いのでは…などと、言ってみたり…。
。。。。。。。。。。。
すみません、収拾つかなくなりました。
やっぱり書き散らかすのはよくないですね。
2006年06月06日
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何かに導かれるように・・・曲を作ったことが私は無いですが、それは趣味でやってるからかも。
昔の作曲家は(少なくとも宗教曲においては)天上の音楽により近い曲を追い求めていたと思います。その意味で宗教心は大事だと思います(私は熱心な信心を持っていませんが・・・)
ただ思うのは、私が作るへたっぴな曲は一つ残らず未熟なのは痛感しています。
そこで、少しでも良い音楽をって考えるかどうかが良い作曲家やプロとの差なのかも。
全く考えてない人→σ(・・*)アタシ
盗作についてですが、技術を盗むという意味では誰でも盗作に近いことはしてると思います。
「あの曲のあの和声は素晴らしい」と思ったら、次に作った作品に少なからず影響しています・・・・あれ?どっかで聴いたような感じ(; ̄ー ̄)...ン?
勉強のために他人の作品を真似ての盗作は在りだと思います。
(公開するかは別の次元ですが・・・・)
それはともかく、凡人の私は小説家の人たちとか文章を書けるだけで尊敬しています・・・・
書くのが苦手なのでこうしてコメントするのもドキドキはらはら・・・・w
いつも意味不明で迷惑をかけてないか心配してますw
中世人のように、「すべてのものは神の創りたもうたもので、我々はその調和=美を発見するにすぎない」というのは現代では言い過ぎにしても、現代人の多くがオリジナリティーというものを過信あるいは誤解している感じがするときがあります。
上で sumika さんが言われている、他人の曲の要素が自身の作品に混入してくるようなことはむしろ健全な創造行為で、というか既にあるものを真似る踏襲する過程で自然と「新しい」ものが付け加わってくるというのが自然な姿であるように思います。
また、著作権を法律によって保護しなければいけない状況は不幸な状態だと思うのですが……そういうことについては改めて書くことにしましょうかね。
ぜひ続きも・・・
むしろ sumika さんのように本当に創作活動をされて公開されている人達からすると偉そうに聞こえることを私は言っていたかもしれませんね。
うーん・・・マジでまがい物ばっかです。
それからMP3だけのサイトを新しく立ち上げました。
値段が最安値のレンタルサーバーを借りたのはいいんだけど、よく「表示できません」が起こります・・・・回線が細いみたい(-_-;)
(間違ってエンターを押してしまった・・・)
ロリポがMP3おっけーならそっちを借りたんだけど・・・・
おお、.jp ドメインですか。
あとで伺います(^^)。