2006年06月29日

バードの鍵盤ポリフォニー

ここのところバードの鍵盤曲(というか Nevells Booke)にずっとはまっていたので、そろそろ中世に戻りたいな、と思っているところなのですが、先週 up した A Gaillards Gygge という曲はどちらかというと鍵盤的なホモフォニックな曲だったので、もう一曲、もっとポリフォニックな曲を作ってみようと思い、A Voluntarie: for my ladye nevell という曲をぽちぽちと打ち込みはじめました。

そこでまた面白い現象に直面しました……といっても言ってしまえば当たり前のことなんですけどね。

私は単旋律の音楽以外の西洋音楽は基本的に全てポリフォニーだと思っている人間です。(特殊な現代曲は除きます。)例えば、主旋律に和音が付いて、みたいなホモフォニックな音楽もポリフォニーの特殊な場合にすぎないと見做しています。

そんなこともあって、ピアノ曲の MIDI を作るときでも4〜5チャンネル使ってパートを割り振り、PANを左右に散らします。あ、別にややこしいことをしてるわけでも何でもなくて左右それぞれの手に2チャンネルずつみたいな感じです。(こうしとくと後で手を加えるときに見やすかったりもします。)

で、それは大抵の場合それなりにうまくいきます。ブーレーズのピアノ・ソナタでさえ大体4、5パートに収めることができます。(ホントですよ。)

では、これこそがまさにポリフォニー音楽であるというバードのこの曲はきっとそのようにしやすいに違いない、と思いきや、これが存外厄介だということに気付きます。ある意味、ブーレーズより厄介です。

どういうことかと言うと、混線や分岐が非常に頻繁に起きるのです。

例えば、上から二番目の声部だなぁと思って進んでいくと途中で一番目と二番目の声部の間に新たな声部が出現していつのまにか三番目の声部に変わっているというようなことが頻繁に起こるのです。

つまり、バードのこの種の音楽は、声楽ポリフォニー的な書法ではあるけれども、声部を直線的に固定する必要がないという自由を、むしろ積極的に利用している鍵盤特有のポリフォニーだと言ってよいようです。

もともと分かれていないものを分けようというのだから不整合が起こるのは当然なのですが、上でも言ったように経験上、大抵はそこそこうまくいくものでした。けど、ここまで悩ましいのはちょっとなかった経験です。

それにしても面白いですね。
バードのこの Nevells Booke はいろんな意味でエキサイティングな曲集です。
posted by まうかめ堂 at 00:21| Comment(4) | TrackBack(0) | 中世以外の音楽
この記事へのコメント
>混線や分岐が非常に頻繁に起きるのです。
声楽では考えにくいことがあって面白いです。同時代のダウランドのリュートのための作品も同じような傾向があります。
Posted by Myoushin at 2006年06月30日 05:07
>同時代のダウランドのリュートのための作品も
>同じような傾向があります。
なるほど、それも興味深いですね。旋律を順番に次々と重ねていく書きかたをするとこうなるのでしょうか。
Posted by まうかめ堂 at 2006年06月30日 17:44
私の個人的な考えですが、即興的に作曲されたものがそのまま譜面になっていると思っています。このスタイルは時代の流行かもしれないですが、独りで演奏する場合は三声あたりからリュートでは不可能に近くなります。器楽にあわせて作曲しているという見方も成り立つかもしれません。
Posted by Myoushin at 2006年06月30日 19:10
Nevells Booke の次はダウランドのリュート曲かもしれませんね(笑)。
器楽曲の発展の歴史を調べてみると面白そうです。
Posted by まうかめ堂 at 2006年06月30日 23:36
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