年末にスタンコ奥さんが興味深い記事を見つけてくれました。
Earliest known piece of polyphonic music discovered
実用的な用途で用いられた我々の知る限り最古のポリフォニー音楽が最近 British library で発見されたとのことです。
詳しくは上の記事を読んでいただくのが良いですが、少しだけこの発見の背景説明のようなことをしたいと思います。(言うまでもないことですが私の知識は限定的です。)
記事を読むと The earliest known practical example of polyphonic music ... has been found ... という一文が目に飛び込んできて、パッと見「最古のポリフォニーの発見か」というようにも見えるのですが、実はそうではなくて、ここでは practical という但し書きが必須です。つまり「実用的な用途で用いられたものとしては最古のポリフォニー」が新たに見つかったということです。
西暦900年ごろに書かれたものとのことです。
「じゃあ、実用でない(本当の)最古の例っていったい何なの?」という疑問が生じますが、それは音楽理論書の中に譜例として現れるポリフォニー曲として知られています。9世紀後半に書かれたと推定される「音楽提要 Musica Enchiriadis」や「学問提要 Scolica Enchiriadis」に現れる非常に素朴な平行オルガヌムの譜例が、「我々の知る本当に最古のポリフォニー曲」ということになるようです。
では「この発見以前に知られていた最古の実用ポリフォニー音楽って何っだったの?」かというと、それは11世紀半ば頃に成立したとされる「ウィンチェスターのトロープス集」に含まれるオルガヌム曲だそうです。
この「ウィンチェスターのトロープス集」はイングランド独特のネウマで書かれていて解読がほとんど出来てない状態だそうですが、内容的にはその少し後の「アキテーヌのポリフォニー」(1100年頃〜13世紀初頭)「カリクスティヌス写本」(1173年には成立)などに含まれるレパートリーと同程度に高度な自由オルガヌムの実例を含んでいるようです。
そこで、9世紀の音楽理論書に現れる素朴なオルガヌムの譜例と、11世紀以降突如大量に書き記される高度な超絶技巧オルガヌムの間の非常に大きなギャップがポリフォニー音楽の歴史における missing liik としてあったわけですが、今回の発見はそのギャップを埋める一つのピースということになりそうです。
上にも書きましたが、記事によると西暦900年ごろに書かれたものとのことで、9世紀の音楽理論書の成立の少し後ということになります。上の記事には解読した現代譜が掲載され、その演奏の YouTube が貼られています。
この演奏はぜひ聴いていただきたいのですが、4度の平行オルガヌムをベースに、それを音楽的にアレンジしたものになっています。
上述の「音楽提要」には Rex celi Domine maris undi soni という大抵の音楽史の本に載っているオルガヌムがありますが、発想としてはこれに近く、理論的に Rex celi として示されたオルガヌムのやり方は、こういう形で実践されたと考えると「なるほど」となる感じの音楽です。
確かにこれが本当なら大発見ですね。
発見者は Giovanni Varelli という人だそうですが、この曲の定旋律パート(vox principalis)の解読に関する記事が次で読めます。
Pitch, Rhythm and Text-Setting in Palaeofrankish Notation
オルガヌム全体に関する論文はまだ出版されていない(forth coming )ようですが、どういう経緯でこのような解読になったのか詳しく知りたいところです。
2015年01月02日
2014年12月28日
オルガヌム大全 & モンペリエ写本 in IMSLP
みなさん、ご無沙汰しております。
暮れも押し迫って参りましたがいかがお過ごしでしょうか?
さて、しばらく前に気づいたのですが、ペトルッチ楽譜ライブラリー(IMSLP)の中世パートが大変なことになっています。
どう大変かと言うと、ノートルダム楽派の集大成である「オルガヌム大全」(Magnus Liber Organi)と、13世紀フランスのモテトの一大コレクションの一つである「モンペリエ写本」(Montpellier Codex)の、まるごとそのままのPDFが up されているではないですかぁ!!!!
Magnus Liber Organi
Montpellier Codex
(ちなみにモンペリエ写本のページの下の方にまうかめ堂作の楽譜が上がっていて、今となってはちょっと恥ずかしいです。最初は別のところに上がっていたのですが、何年か前に吸収合併されてこういうことになっています。ときどき使われることもあるようなのでそのままにしています。)
しかし(こういうことに関しては)本当に素晴らしい時代になりました。
もう少し早くお伝えしたかったのですが今になってしまいました。
それではよいお年を。
暮れも押し迫って参りましたがいかがお過ごしでしょうか?
さて、しばらく前に気づいたのですが、ペトルッチ楽譜ライブラリー(IMSLP)の中世パートが大変なことになっています。
どう大変かと言うと、ノートルダム楽派の集大成である「オルガヌム大全」(Magnus Liber Organi)と、13世紀フランスのモテトの一大コレクションの一つである「モンペリエ写本」(Montpellier Codex)の、まるごとそのままのPDFが up されているではないですかぁ!!!!
Magnus Liber Organi
Montpellier Codex
(ちなみにモンペリエ写本のページの下の方にまうかめ堂作の楽譜が上がっていて、今となってはちょっと恥ずかしいです。最初は別のところに上がっていたのですが、何年か前に吸収合併されてこういうことになっています。ときどき使われることもあるようなのでそのままにしています。)
しかし(こういうことに関しては)本当に素晴らしい時代になりました。
もう少し早くお伝えしたかったのですが今になってしまいました。
それではよいお年を。
2014年09月15日
ヒリヤード・アンサンブル 東京最終公演
みなさま、ご無沙汰しております。
夏の暑さはどうやら過ぎ去ったようですが、天候がおかしなことになっている今日このごろ、いかがお過ごしでしょうか。
もうかれこれ数ヶ月前のことですが、ヒリヤード・アンサンブルが今年結成40週年を迎え、しかも今年いっぱいで解散するというショッキングなニュースが飛び込んできました。
「英国式アカペラ古楽」の華々しい歴史もいよいよ幕引きとなってしまうのかぁ、としみじみしていたところ、彼らの最後の世界巡業で東京で一度だけ公演するというではありませんか!
これは絶対に外せないということで、スタンコ奥さんと行って参りました。
ヒリヤード・アンサンブル ア・カペラ・コンサート@武蔵野文化
よくよく思い返してみるとヒリヤードのコンサートに行くのはこれが3回目です。
いずれも2000年代だった思いますが、過去に二回行っています。
確か一回目はクリストフ・ポッペン(Vn)と一緒の Morimur 巡業のとき、二回目は今回と同じ武蔵野文化で、そのときはペロタンと細川俊夫をやっていました。
それで今回、まず前半はエストニアの作曲家ヴェリヨ・トルミスという人の1996年の曲に始まり、コーニッシュやアルカデルトなどのルネサンス期の歌曲を歌った後、細川俊夫の日本民謡編曲(南部牛追歌、さくら、五木の子守歌)でおわるという構成でした。
で、演奏を聞いてみると、もうだいぶメンバー全員の年齢が上がったせいか、息が続かない、音程がキープできないなどのヒリヤードらしからぬ光景が散見されたというのはありますが、ヒリヤード独特の響きの美しさは全く失われておらず、例えば細川俊夫の民謡編曲は圧巻の美しさでした。
そして後半は、ペロタンの Viderunt omnes に始まり、コーニッシュ、ペルトと続き、なんとアルメニア聖歌の編曲(コミタス・ヴァルダペット, 1869-1935, という人の編曲)、そしてペルトで終わるというものでした。
で、この後半、冒頭のペロタンで一気にエンジンがかかった感じで、その後はフルスロットルな演奏が続き、「なんだ、まだまだ全然いけんじゃん…」、「これで解散はやはりもったいない…」という展開。
例えばアルヴォ・ペルトの声楽曲はヒリヤード以外の演奏というのが想像しにくい曲が多く、実際、よほどうまい団体でないかぎりダメで、ヒリヤード以外の団体の大抵のペルトの曲の演奏は悲惨なものになるというのがあります。
ヒリヤードが解散してしまったら、ペルトの曲は誰が演奏できるというのだろう、とか思いながらききました。
アルメニア聖歌は、絶妙に exotic で、仮にこういうのが西方教会の聖歌に含まれていたら西洋音楽のありようが随分変わっていたのかもしれない、なんてことを思いました。例えば教会旋法の理論はさらにややこしいことになっていたでしょうね。
そしてアンコールの一曲目は細川俊夫の「さくら」をもう一度。
これも前半での演奏より格段に上がっていました。
これで終わりかなと思っていたら、アンコールをもう一曲やってくれました。
曲はなんと Thomas gemma という14世紀イギリスのモテトです。まうかめ堂的にはこれは感動ものです。
なぜなら、この曲の入っている Medieval English Music というディスクは、私が持っているヒリヤードのディスクの中で最も好きなものだったからです。
(1983年録音です。ECM以前のものです。多分ヒリヤードが世界的にメジャーになったのはECMレーベルでディスクを出すようになってからだろうと思いますが、古楽のディスクではECMヒリヤードにあまり良い印象は持っていません。
Perotin は良いです。というかPerotinの演奏の一つのお手本として勧められるものが他にほとんどないからですが、それでもときどきECM臭さが顔を出すのが珠に傷です。
最悪のものは Jan Garbarek と共演した Officium です。しかもこれが売れてしまったのだから「なんだかななあ」という感じでした。結局誰も古楽なんかに興味はなくて、ambient 化するみたいなことをしないとだれも古楽なんて聴かないのだということを物語っているような哀しいディスクでした。
そんなECMヒリヤード古楽で例外的に一つだけ素晴らしいディスクがあります。 Codex Specialnik, 1500年頃のプラハの宗教音楽のディスクです。これだけはECMは偉いと思いました。
古楽以外ではECMヒリヤードがアルヴォ・ペルトを遍く天下に知らしめたことは 大変良いです。)
脱線しました。
アンコールのThomas gemma の話をしていました。
最近はなんでもYouyubeに上がっていますがこの曲もありました。
Thomas gemma Cantuarie
最後の曲がこの曲で余計に感慨深かったヒリヤードさよならコンサートでした。
なおこの演奏会は確か11月3日の早朝?にNHK BS3 で放送されるようです。みなさん見ましょう。
夏の暑さはどうやら過ぎ去ったようですが、天候がおかしなことになっている今日このごろ、いかがお過ごしでしょうか。
もうかれこれ数ヶ月前のことですが、ヒリヤード・アンサンブルが今年結成40週年を迎え、しかも今年いっぱいで解散するというショッキングなニュースが飛び込んできました。
「英国式アカペラ古楽」の華々しい歴史もいよいよ幕引きとなってしまうのかぁ、としみじみしていたところ、彼らの最後の世界巡業で東京で一度だけ公演するというではありませんか!
これは絶対に外せないということで、スタンコ奥さんと行って参りました。
ヒリヤード・アンサンブル ア・カペラ・コンサート@武蔵野文化
よくよく思い返してみるとヒリヤードのコンサートに行くのはこれが3回目です。
いずれも2000年代だった思いますが、過去に二回行っています。
確か一回目はクリストフ・ポッペン(Vn)と一緒の Morimur 巡業のとき、二回目は今回と同じ武蔵野文化で、そのときはペロタンと細川俊夫をやっていました。
それで今回、まず前半はエストニアの作曲家ヴェリヨ・トルミスという人の1996年の曲に始まり、コーニッシュやアルカデルトなどのルネサンス期の歌曲を歌った後、細川俊夫の日本民謡編曲(南部牛追歌、さくら、五木の子守歌)でおわるという構成でした。
で、演奏を聞いてみると、もうだいぶメンバー全員の年齢が上がったせいか、息が続かない、音程がキープできないなどのヒリヤードらしからぬ光景が散見されたというのはありますが、ヒリヤード独特の響きの美しさは全く失われておらず、例えば細川俊夫の民謡編曲は圧巻の美しさでした。
そして後半は、ペロタンの Viderunt omnes に始まり、コーニッシュ、ペルトと続き、なんとアルメニア聖歌の編曲(コミタス・ヴァルダペット, 1869-1935, という人の編曲)、そしてペルトで終わるというものでした。
で、この後半、冒頭のペロタンで一気にエンジンがかかった感じで、その後はフルスロットルな演奏が続き、「なんだ、まだまだ全然いけんじゃん…」、「これで解散はやはりもったいない…」という展開。
例えばアルヴォ・ペルトの声楽曲はヒリヤード以外の演奏というのが想像しにくい曲が多く、実際、よほどうまい団体でないかぎりダメで、ヒリヤード以外の団体の大抵のペルトの曲の演奏は悲惨なものになるというのがあります。
ヒリヤードが解散してしまったら、ペルトの曲は誰が演奏できるというのだろう、とか思いながらききました。
アルメニア聖歌は、絶妙に exotic で、仮にこういうのが西方教会の聖歌に含まれていたら西洋音楽のありようが随分変わっていたのかもしれない、なんてことを思いました。例えば教会旋法の理論はさらにややこしいことになっていたでしょうね。
そしてアンコールの一曲目は細川俊夫の「さくら」をもう一度。
これも前半での演奏より格段に上がっていました。
これで終わりかなと思っていたら、アンコールをもう一曲やってくれました。
曲はなんと Thomas gemma という14世紀イギリスのモテトです。まうかめ堂的にはこれは感動ものです。
なぜなら、この曲の入っている Medieval English Music というディスクは、私が持っているヒリヤードのディスクの中で最も好きなものだったからです。
(1983年録音です。ECM以前のものです。多分ヒリヤードが世界的にメジャーになったのはECMレーベルでディスクを出すようになってからだろうと思いますが、古楽のディスクではECMヒリヤードにあまり良い印象は持っていません。
Perotin は良いです。というかPerotinの演奏の一つのお手本として勧められるものが他にほとんどないからですが、それでもときどきECM臭さが顔を出すのが珠に傷です。
最悪のものは Jan Garbarek と共演した Officium です。しかもこれが売れてしまったのだから「なんだかななあ」という感じでした。結局誰も古楽なんかに興味はなくて、ambient 化するみたいなことをしないとだれも古楽なんて聴かないのだということを物語っているような哀しいディスクでした。
そんなECMヒリヤード古楽で例外的に一つだけ素晴らしいディスクがあります。 Codex Specialnik, 1500年頃のプラハの宗教音楽のディスクです。これだけはECMは偉いと思いました。
古楽以外ではECMヒリヤードがアルヴォ・ペルトを遍く天下に知らしめたことは 大変良いです。)
脱線しました。
アンコールのThomas gemma の話をしていました。
最近はなんでもYouyubeに上がっていますがこの曲もありました。
Thomas gemma Cantuarie
最後の曲がこの曲で余計に感慨深かったヒリヤードさよならコンサートでした。
なおこの演奏会は確か11月3日の早朝?にNHK BS3 で放送されるようです。みなさん見ましょう。
2011年05月23日
Papalinさんのすごすぎるサイト
一週間ほど前にリコーダー奏者の Papalinさんから、まうかめ堂作の楽譜で Congaudeant Catholici をリコーダーで演奏しました、というメールをいただきました。で、参照されてるURLへ行ってみたら、すごいことになっているではありませんか!!!
どこからどういう風に紹介したら良いものかわからないくらい凄いので、取りあえず次のところに行ってみて下さい。
IL DIVO "Papalin" --- パパリンの音楽の全て > 中世ヨーロッパの音楽(ルネサンス以前)
ここだけでもかなりの量の曲のリコーダー演奏がストリーミング配信されているのですが、とりあげられてるレパートリーが素晴らしすぎます!!!
なんと古代ギリシアの「セイキロスの墓碑銘」に始まり、ビンゲン、初期ポリフォニー、ノートル・ダム楽派(レオナン、ペロタン)、13世紀のモテト、カルミナブラーナ、聖母マリアのカンティガ、モンセラートの朱い本、マショー、ダンスタブル、デュファイ、アルス・スブティリオール、セルデン写本のキャロルなどが、所狭しと並んでいます。
凄すぎます。
このページだけで、中世音楽の音による紹介というまうかめ堂の果たせなかった夢が理想的な形で実現されています。
本当に素晴らしい!!
まうかめ堂作の現代譜はすべて演奏して下さっているようです。
しかも Congaudeant Catholici のバージョン違いだけでなく、「夏は来たりぬ」Sumer is icumen in の Bukofzer による二分割リズム版まで演奏してくださっていて、感動ものです。
本当に語りつくせませんが、この充実したレパートリーの中から特に特に感銘を受けたものを数曲だけあげますと、ペロタンの4声のオルガヌムやマショーのノートルダムミサあたりでしょうか。
実に聞きごたえのある演奏をして下さっています。
一般的に言って中世の曲は、(少なくとも楽譜の現存しているものは)声楽曲として書かれていることが多いわけですが、実際に歌おうとするとエラく難しいというか、「これって本当に歌う曲なの?」という感じ曲ばかりだと言ってもよいかもしれません。
だからペロタンもノートルダムミサも、下手な声楽団体が下手に歌うと結構悲惨なことになります。よっぽど上手い団体でないと歌いこなせる曲ではないように思います。
それで、私は常々中世音楽の多くの曲は下手に歌うよりは、器楽で、特にリコーダーなどの管楽器で演奏する方が聞き映えがするという感じがしていて、まうかめ堂のMIDIも管楽器を中心に作ってあることが多いですが、Papalin さんはリコーダーで非常に魅力的に実演されています。
ペロタンもノートルダムミサも他の曲もこれが正解なんじゃないかっていう感じです。
さて、これまでPapalinさんのサイトの中世音楽のページについてのみ書いてきましたが、Home へ上がれば中世以外の音楽のさらなる広大な世界が広がっています。
みなさん是非訪れてみてください。
どこからどういう風に紹介したら良いものかわからないくらい凄いので、取りあえず次のところに行ってみて下さい。
IL DIVO "Papalin" --- パパリンの音楽の全て > 中世ヨーロッパの音楽(ルネサンス以前)
ここだけでもかなりの量の曲のリコーダー演奏がストリーミング配信されているのですが、とりあげられてるレパートリーが素晴らしすぎます!!!
なんと古代ギリシアの「セイキロスの墓碑銘」に始まり、ビンゲン、初期ポリフォニー、ノートル・ダム楽派(レオナン、ペロタン)、13世紀のモテト、カルミナブラーナ、聖母マリアのカンティガ、モンセラートの朱い本、マショー、ダンスタブル、デュファイ、アルス・スブティリオール、セルデン写本のキャロルなどが、所狭しと並んでいます。
凄すぎます。
このページだけで、中世音楽の音による紹介というまうかめ堂の果たせなかった夢が理想的な形で実現されています。
本当に素晴らしい!!
まうかめ堂作の現代譜はすべて演奏して下さっているようです。
しかも Congaudeant Catholici のバージョン違いだけでなく、「夏は来たりぬ」Sumer is icumen in の Bukofzer による二分割リズム版まで演奏してくださっていて、感動ものです。
本当に語りつくせませんが、この充実したレパートリーの中から特に特に感銘を受けたものを数曲だけあげますと、ペロタンの4声のオルガヌムやマショーのノートルダムミサあたりでしょうか。
実に聞きごたえのある演奏をして下さっています。
一般的に言って中世の曲は、(少なくとも楽譜の現存しているものは)声楽曲として書かれていることが多いわけですが、実際に歌おうとするとエラく難しいというか、「これって本当に歌う曲なの?」という感じ曲ばかりだと言ってもよいかもしれません。
だからペロタンもノートルダムミサも、下手な声楽団体が下手に歌うと結構悲惨なことになります。よっぽど上手い団体でないと歌いこなせる曲ではないように思います。
それで、私は常々中世音楽の多くの曲は下手に歌うよりは、器楽で、特にリコーダーなどの管楽器で演奏する方が聞き映えがするという感じがしていて、まうかめ堂のMIDIも管楽器を中心に作ってあることが多いですが、Papalin さんはリコーダーで非常に魅力的に実演されています。
ペロタンもノートルダムミサも他の曲もこれが正解なんじゃないかっていう感じです。
さて、これまでPapalinさんのサイトの中世音楽のページについてのみ書いてきましたが、Home へ上がれば中世以外の音楽のさらなる広大な世界が広がっています。
みなさん是非訪れてみてください。
2011年04月24日
J. Herndon さんの古楽曲のギター編曲のサイト
東北や関東では依然毎日のように余震が続いておりますが、みなさんいかがお過ごしでしょうか?
震災の直後ぐらいから、かならずしも地震と関係なく、海外からの「まうかめ堂」宛のメールが増えて、「地震大丈夫か」的なことも必ずかかれていましたが、その中に J. Herndon さんからのメールがありました。
内容は「まうかめ堂の Alle, psalite cum, luya の譜を元にギター編曲を作ったのだけど今度作る新しいサイトに載せていいですか」という問い合わせで、この曲のタブ譜付きのギター編曲の楽譜が添付されていました。
中世のモテトのギター編曲という発想がとても面白く、もちろんそういう目的にまうかめ堂の楽譜を利用して下さるのは大歓迎ですので即OKだったわけですが、数日前にその新しいサイトが「出来ました」という連絡をもらいました。
それが次のサイトです。
Mediaeval Guitar: Guitar Tablatures of Mediaeval, Renaissance, and Baroque Music
で、見てみると Alle, psalite cum, luya の編曲譜が MIDI 付きで up されていたほか、ノートル・ダム・ミサのキリエやパレストリーナのミサ、John Farmer の曲などのギター編曲が up されているではないですか。面白いです。
(ただノートル・ダム・ミサに関しては音の「間違い」がちらほらありそうです。)
まうかめ堂的に大ヒットだったのがバッハのロ短調ミサの Agnus Dei のギター編曲です。ロ短調ミサをギターで演奏するなんて発想は私にはありませんでしたね。
Herndon さんは「いろいろな曲をアレンジしたい」と仰っていますので、今後も楽しみなサイトです。みなさんチェックしましょう。
震災の直後ぐらいから、かならずしも地震と関係なく、海外からの「まうかめ堂」宛のメールが増えて、「地震大丈夫か」的なことも必ずかかれていましたが、その中に J. Herndon さんからのメールがありました。
内容は「まうかめ堂の Alle, psalite cum, luya の譜を元にギター編曲を作ったのだけど今度作る新しいサイトに載せていいですか」という問い合わせで、この曲のタブ譜付きのギター編曲の楽譜が添付されていました。
中世のモテトのギター編曲という発想がとても面白く、もちろんそういう目的にまうかめ堂の楽譜を利用して下さるのは大歓迎ですので即OKだったわけですが、数日前にその新しいサイトが「出来ました」という連絡をもらいました。
それが次のサイトです。
Mediaeval Guitar: Guitar Tablatures of Mediaeval, Renaissance, and Baroque Music
で、見てみると Alle, psalite cum, luya の編曲譜が MIDI 付きで up されていたほか、ノートル・ダム・ミサのキリエやパレストリーナのミサ、John Farmer の曲などのギター編曲が up されているではないですか。面白いです。
(ただノートル・ダム・ミサに関しては音の「間違い」がちらほらありそうです。)
まうかめ堂的に大ヒットだったのがバッハのロ短調ミサの Agnus Dei のギター編曲です。ロ短調ミサをギターで演奏するなんて発想は私にはありませんでしたね。
Herndon さんは「いろいろな曲をアレンジしたい」と仰っていますので、今後も楽しみなサイトです。みなさんチェックしましょう。
2011年03月06日
教会旋法と音階
このところ教会旋法についてのページを作っているのですが、それを読まれた Clara さんから質問がありました。
> 此処で質問なのですが、Aを終始音にもつ音階はDを終始音に
> もつものと同種となっていますが、後期ルネッサンス期には
> 第9旋法から第12旋法まであります。
>
> これは支配音などに関する定義が時代の変遷により変わった
> のでしょうか。
この質問を最初に見たときには実は意味がよくわからなかったのですが、よくよく質問の意味を考えてみると極めて自然に出てくる疑問であることがわかってきました。ここではこれに対する答えを書きたいと思います。
さて、教会旋法というものをどういう風に理解するかということについて、いろいろなレベルの理解、そして様々なやり方での理解がありえるでしょうが、一つのよくある説明は、「音階」をずらずら並べて「これが教会旋法だ」と説明するやりかたでしょう。
これは、多くの本でされているやりかたと言ってよいでしょうが、私はこのやり方に基本的に賛成できません。なぜなら、その説明を読んだ人にはその「音階」だけが頭に残って、旋法についての正しい知識が伝わりにくいように思われるからです。
仮に正格プロトゥス(第一旋法、ドリア)、すなわちDをフィナリス(終止音)とする正格旋法を、Dから始まる1オクターヴの音階のことだというふうに理解していたとしましょう。このように、旋法は特定の音階のことであると理解した上で、「教会旋法2」の「アフィニタスとアッフィナリス」なる文書を読んだとすると、そこには「Aをフィナリスとする聖歌はDをフィナリスとする聖歌と同様にプロトゥスに分類される」と書かれているので、質問にある「Aを終始音にもつ音階はDを終始音にもつものと同種となってい」るという理解が生じると考えられます。(正しいでしょうか?)
一方16世紀のグラレアーヌスの12旋法理論ではAから始まるオクターヴの音階は第9旋法(エオリア旋法)と呼ばれDから始まる音階の第1旋法と区別されます。すると、旋法の定義が時代が変遷する途中のどこかで変わったのではないのか、という疑問が自然に生じます。
私は Clara さんの質問をこのように理解したのですが正しいでしょうか?
質問の意味がこうだったと仮定してこれに答えるなら、グラレアーヌスと中世では旋法のとらえ方が若干異なるようだ、というのがまず第一の答えでしょう。
(ただ私はグラレアーヌスの理論については中世の旋法理論ほどには詳しく検討していないので、なにがどうなっているのかはっきりと答えることができません。)
ここで、もしかしたらいくつかの誤解が生じる可能性があるかもしれないので、いくつか注意しておきたいと思います。
まず、もし、中世の旋法理論において、教会旋法のそれぞれの旋法をあるオクターヴの「音階」のことだと思っているとしたら、これは厳密には正確でないでしょう。また「教会旋法は終止音と「支配音」とで決定される」と理解していたとしたら、これも正確でないでしょう。(たとえなにかの本にそのような説明がされていたとしても。)
中世の文献を読む限り、もっとも基本的と思われるのは、まず第一に、教会旋法とは聖歌の分類の規則、あるいはその種類と理解するのがよいということ(「音階」のことだというわけではない)、そして第二に、分類のやりかたは「教会旋法1」に書いたように、フィナリス(終止音)とアンビトゥス(音域)によってなされるのが基本であること(やはり「音階」のことではない)です。
ではフィナリスによる分類でポイントとなるのは何かというと、フィナリスとその周囲の音たちとの音程関係です。具体的には、プロトゥス旋法のDの場合、グイドの説明によれば、Dから下には全音下がることができ、Dから上には全音、半音、全音、全音と上がることができるというのがプロトゥスを特徴づける要件ということになります。これはCDEFGaという6度内の音程関係で下から2番めのDに終止するというのがプロトゥス旋法の要件だと言ってよいでしょう。
逆に言うならば、この範囲外、すなわちCの下そしてaの上に現れるのがbナチュラルであってもbフラットであってもその曲はプロトゥス旋法だということになります。
すなわち第一旋法は、あえてオクターヴの「音階」の言葉で理解するならば、DEFGab(ナチュラル)cd という「音階」に属する曲だけでなく、bにフラットの付くような、現代でいうところの二短調の「音階」に属する曲も第一旋法に分類されることになるわけです。
さて、二短調の音階を五度上に移高するならば、a の上の変化音の無いオクターヴの音階になります。グレゴリオ聖歌では移高が自由だったことを考慮に入れるなら、a の上のオクターヴの音階に属する曲もプロトゥス旋法ということになると考えるのは自然でしょう。
以上が、ある意味11世紀ごろ完成された中世の旋法理論のエッセンスだろうと思います。
一方グラレアーヌスの理論については、上で書いたように私は十分にそれを理解しているわけではないのですが、たしかに旋法を(フィナリス付きの)オクターヴの音階と理解しているように見えます。なのでDから始まる音階で示される第1旋法とaから始まる音階で表される第9旋法は別ものということになります。
では、この旋法に対する理解の違い、変化は、いつごろからのものなのかというと、オクターヴの音階(オクターヴ種)が旋法概念の中核になるようになったのはやはり16世紀以降のことのようです。そしてこれはグラレアーヌス一人に限ったことでは無くてかなり一般的な変化であったようです。
多分この辺りのことは次を読めばわかるだろうと思います。
Doleres Pesce: The Affinities and Medieval Transposition, Indiana Universit Press, 1987.
この本の第5章は The rise of octave species theory と題されていて、1520年代から、オクターヴ種の理論がさかんになったと書かれています。
> 此処で質問なのですが、Aを終始音にもつ音階はDを終始音に
> もつものと同種となっていますが、後期ルネッサンス期には
> 第9旋法から第12旋法まであります。
>
> これは支配音などに関する定義が時代の変遷により変わった
> のでしょうか。
この質問を最初に見たときには実は意味がよくわからなかったのですが、よくよく質問の意味を考えてみると極めて自然に出てくる疑問であることがわかってきました。ここではこれに対する答えを書きたいと思います。
さて、教会旋法というものをどういう風に理解するかということについて、いろいろなレベルの理解、そして様々なやり方での理解がありえるでしょうが、一つのよくある説明は、「音階」をずらずら並べて「これが教会旋法だ」と説明するやりかたでしょう。
これは、多くの本でされているやりかたと言ってよいでしょうが、私はこのやり方に基本的に賛成できません。なぜなら、その説明を読んだ人にはその「音階」だけが頭に残って、旋法についての正しい知識が伝わりにくいように思われるからです。
仮に正格プロトゥス(第一旋法、ドリア)、すなわちDをフィナリス(終止音)とする正格旋法を、Dから始まる1オクターヴの音階のことだというふうに理解していたとしましょう。このように、旋法は特定の音階のことであると理解した上で、「教会旋法2」の「アフィニタスとアッフィナリス」なる文書を読んだとすると、そこには「Aをフィナリスとする聖歌はDをフィナリスとする聖歌と同様にプロトゥスに分類される」と書かれているので、質問にある「Aを終始音にもつ音階はDを終始音にもつものと同種となってい」るという理解が生じると考えられます。(正しいでしょうか?)
一方16世紀のグラレアーヌスの12旋法理論ではAから始まるオクターヴの音階は第9旋法(エオリア旋法)と呼ばれDから始まる音階の第1旋法と区別されます。すると、旋法の定義が時代が変遷する途中のどこかで変わったのではないのか、という疑問が自然に生じます。
私は Clara さんの質問をこのように理解したのですが正しいでしょうか?
質問の意味がこうだったと仮定してこれに答えるなら、グラレアーヌスと中世では旋法のとらえ方が若干異なるようだ、というのがまず第一の答えでしょう。
(ただ私はグラレアーヌスの理論については中世の旋法理論ほどには詳しく検討していないので、なにがどうなっているのかはっきりと答えることができません。)
ここで、もしかしたらいくつかの誤解が生じる可能性があるかもしれないので、いくつか注意しておきたいと思います。
まず、もし、中世の旋法理論において、教会旋法のそれぞれの旋法をあるオクターヴの「音階」のことだと思っているとしたら、これは厳密には正確でないでしょう。また「教会旋法は終止音と「支配音」とで決定される」と理解していたとしたら、これも正確でないでしょう。(たとえなにかの本にそのような説明がされていたとしても。)
中世の文献を読む限り、もっとも基本的と思われるのは、まず第一に、教会旋法とは聖歌の分類の規則、あるいはその種類と理解するのがよいということ(「音階」のことだというわけではない)、そして第二に、分類のやりかたは「教会旋法1」に書いたように、フィナリス(終止音)とアンビトゥス(音域)によってなされるのが基本であること(やはり「音階」のことではない)です。
ではフィナリスによる分類でポイントとなるのは何かというと、フィナリスとその周囲の音たちとの音程関係です。具体的には、プロトゥス旋法のDの場合、グイドの説明によれば、Dから下には全音下がることができ、Dから上には全音、半音、全音、全音と上がることができるというのがプロトゥスを特徴づける要件ということになります。これはCDEFGaという6度内の音程関係で下から2番めのDに終止するというのがプロトゥス旋法の要件だと言ってよいでしょう。
逆に言うならば、この範囲外、すなわちCの下そしてaの上に現れるのがbナチュラルであってもbフラットであってもその曲はプロトゥス旋法だということになります。
すなわち第一旋法は、あえてオクターヴの「音階」の言葉で理解するならば、DEFGab(ナチュラル)cd という「音階」に属する曲だけでなく、bにフラットの付くような、現代でいうところの二短調の「音階」に属する曲も第一旋法に分類されることになるわけです。
さて、二短調の音階を五度上に移高するならば、a の上の変化音の無いオクターヴの音階になります。グレゴリオ聖歌では移高が自由だったことを考慮に入れるなら、a の上のオクターヴの音階に属する曲もプロトゥス旋法ということになると考えるのは自然でしょう。
以上が、ある意味11世紀ごろ完成された中世の旋法理論のエッセンスだろうと思います。
一方グラレアーヌスの理論については、上で書いたように私は十分にそれを理解しているわけではないのですが、たしかに旋法を(フィナリス付きの)オクターヴの音階と理解しているように見えます。なのでDから始まる音階で示される第1旋法とaから始まる音階で表される第9旋法は別ものということになります。
では、この旋法に対する理解の違い、変化は、いつごろからのものなのかというと、オクターヴの音階(オクターヴ種)が旋法概念の中核になるようになったのはやはり16世紀以降のことのようです。そしてこれはグラレアーヌス一人に限ったことでは無くてかなり一般的な変化であったようです。
多分この辺りのことは次を読めばわかるだろうと思います。
Doleres Pesce: The Affinities and Medieval Transposition, Indiana Universit Press, 1987.
この本の第5章は The rise of octave species theory と題されていて、1520年代から、オクターヴ種の理論がさかんになったと書かれています。
2010年04月08日
ヘクサコルドの発展史におけるバタフライ効果?
再びグイド・ダレッツォの本についてです。
Stefano Mengozzi, The Renaissance Reform of Medieval Music Theory: Guido of Arezzo between Myth and History, Cambridge University Press, 2010.
ut-re-mi-fa-sol-la のソルミゼーションはグイドの同時代には、理論としては、それほど流行らなかったそうなんですが、後の時代にヘクサコルドの理論として全音階システムそのものを基礎付けるほどの重要な位置にまで昇格します。
どうもこの大躍進の端緒となったのがグイドの「ミクロログス」という超有名論文を注釈した「メトロログス」という13世紀の論文のある箇所だとのことです。
そもそも「ミクロログス」はグイドの著作でありながら ut-la のシラブルによる音名が全く出てこないのですが、「メトロログス」ではそれを書き換えて、ut-la のシラブルで表される6つの音が「全てのハーモニーの基礎である」というようなことをぽろっと言っちゃったみたいで、それがヘクサコルド大出世の一番おおもとの原因だと上の本には書かれています。
それを表現するのに次のような一文が出てきてまうかめ堂的に無茶苦茶大ウケでした。
こんなところにバタフライ効果の比喩が出てくるなんて…。
Stefano Mengozzi, The Renaissance Reform of Medieval Music Theory: Guido of Arezzo between Myth and History, Cambridge University Press, 2010.
ut-re-mi-fa-sol-la のソルミゼーションはグイドの同時代には、理論としては、それほど流行らなかったそうなんですが、後の時代にヘクサコルドの理論として全音階システムそのものを基礎付けるほどの重要な位置にまで昇格します。
どうもこの大躍進の端緒となったのがグイドの「ミクロログス」という超有名論文を注釈した「メトロログス」という13世紀の論文のある箇所だとのことです。
そもそも「ミクロログス」はグイドの著作でありながら ut-la のシラブルによる音名が全く出てこないのですが、「メトロログス」ではそれを書き換えて、ut-la のシラブルで表される6つの音が「全てのハーモニーの基礎である」というようなことをぽろっと言っちゃったみたいで、それがヘクサコルド大出世の一番おおもとの原因だと上の本には書かれています。
それを表現するのに次のような一文が出てきてまうかめ堂的に無茶苦茶大ウケでした。
In hindsight, this excerpt may be viewed as the initial fluttering of the butterfly that will lead to a powerful hurricane in a different place and time... (p.61)
後知恵では、この抜粋は、異なる地域と時代において強力なハリケーンを導くことになる蝶の最初の羽ばたきとして見ることができる…
こんなところにバタフライ効果の比喩が出てくるなんて…。
2010年04月04日
Clavis, Clef そして Key
ト音記号やヘ音記号などの音部記号を英語では G-clef や F-clef など clef と言いました。また、調のことを英語で key と言ったりもします。この辺のことが、どうしてこういう風に言われるのか、あまり考えもしませんでしたが、ある本を読んでいて唐突にその起源がわかりました。
ある本とは次です。
Stefano Mengozzi, The Renaissance Reform of Medieval Music Theory: Guido of Arezzo between Myth and History, Cambridge University Press, 2010.
これは11世紀に Guido d'Arezzo によって開発されたという中世・ルネサンスにおけるソルミゼーションであるヘクサコルド hexachord (一言で言うとドレミの原型です)がその後の時代にどのように用いられていたのかを、特にそれまでに既にあった G-A-B-... という七音の音名の体系の用いられかたとの対比によって探っている本(のよう)です。(まだ、あんまり読んでません。)
なかなかヘクサコルドというのは、明解ではあるけれどもよくよく考えてみるとちょっと不思議な理論で、どうもしっくりこないところが残るので、まうかめ堂は中世音楽のサイトでありながら言及を避けてきたのですが、この本を読むともう少しすっきりしそうです。
で、本題の Clef や Key です。
上の本の中にこんな記述がありました。(以下、だいぶいい加減な訳による引用です。)
えっ!そうだったの!という感じですが、これで表題の三つのもの Clavis, Clef そして Key がつながりました。
Clavis は正に鍵を意味するラテン語です。(複数形が Claves) また、それは、中世・ルネサンス期には上の音部記号という意味を超えて多様に用いられた音楽用語でもあります。
最初に書いたように Clef は音部記号の意味であり、かつその意味でしか用いられない英語のようですが、その大本は Clavis ということになりそうです。
そして Key. これがなぜ調を表すのか、いままで私には謎でしたが、なんというか「鍵」という意味を経由して英語に「調」の意味として入りこんだということになるわけですね。
なんというか clavis というラテン語の多義性によって英語の key の多義性が impose されるとでもいうべき状況でしょうか…。
上の引用に「多くの中世の理論家たちが指摘しているように」というのがありました。
気になったので TML で clavis で検索をかけてみたら、大量に引っかかってとても全部見きれませんでしたが、それっぽいものが一つ見付かりました。
13世紀の論文で、 Elias Salomo という人の Scientia artis musicae (「音楽技法の知識」)という文書の中にこんな一文がありました。
この部分はいわゆる「グイドの手」を論じている章の一部で、上で sex punctos とあるのはおそらくヘクサコルドの六つの音名 ut-re-mi-fa-sol-la のことでしょうね。
音楽に対して aperire なんて語を使っているのは面白いですね。
ある本とは次です。
Stefano Mengozzi, The Renaissance Reform of Medieval Music Theory: Guido of Arezzo between Myth and History, Cambridge University Press, 2010.
これは11世紀に Guido d'Arezzo によって開発されたという中世・ルネサンスにおけるソルミゼーションであるヘクサコルド hexachord (一言で言うとドレミの原型です)がその後の時代にどのように用いられていたのかを、特にそれまでに既にあった G-A-B-... という七音の音名の体系の用いられかたとの対比によって探っている本(のよう)です。(まだ、あんまり読んでません。)
なかなかヘクサコルドというのは、明解ではあるけれどもよくよく考えてみるとちょっと不思議な理論で、どうもしっくりこないところが残るので、まうかめ堂は中世音楽のサイトでありながら言及を避けてきたのですが、この本を読むともう少しすっきりしそうです。
で、本題の Clef や Key です。
上の本の中にこんな記述がありました。(以下、だいぶいい加減な訳による引用です。)
A-G の文字は claves ("keys") としても知られていた。なぜなら、それらは譜表の始めに置かれ、ピッチを紛れなく示すための "clefs" として用いられたからだ。(多くの中世の理論家たちが指摘しているように、鍵が錠を開けるのと同じ風に、それら(claves)は読む者に楽譜を開ける(unlock)ことを可能にするのである。(p.7)
えっ!そうだったの!という感じですが、これで表題の三つのもの Clavis, Clef そして Key がつながりました。
Clavis は正に鍵を意味するラテン語です。(複数形が Claves) また、それは、中世・ルネサンス期には上の音部記号という意味を超えて多様に用いられた音楽用語でもあります。
最初に書いたように Clef は音部記号の意味であり、かつその意味でしか用いられない英語のようですが、その大本は Clavis ということになりそうです。
そして Key. これがなぜ調を表すのか、いままで私には謎でしたが、なんというか「鍵」という意味を経由して英語に「調」の意味として入りこんだということになるわけですね。
なんというか clavis というラテン語の多義性によって英語の key の多義性が impose されるとでもいうべき状況でしょうか…。
上の引用に「多くの中世の理論家たちが指摘しているように」というのがありました。
気になったので TML で clavis で検索をかけてみたら、大量に引っかかってとても全部見きれませんでしたが、それっぽいものが一つ見付かりました。
13世紀の論文で、 Elias Salomo という人の Scientia artis musicae (「音楽技法の知識」)という文書の中にこんな一文がありました。
Quid est clavis in hac arte? Clavis est scientiam artis musicae aperiens artificialiter per septem litteras et sex punctos
この技法において clavis とは何か? Clavis
は7つの文字と六つの punctos を通じて音楽を開ける(aperire)技法の知識である。
この部分はいわゆる「グイドの手」を論じている章の一部で、上で sex punctos とあるのはおそらくヘクサコルドの六つの音名 ut-re-mi-fa-sol-la のことでしょうね。
音楽に対して aperire なんて語を使っているのは面白いですね。
2009年05月31日
シャンティー写本
アルス・スブティリオールのレパートリーの記された代表的な写本といえばシャンティー写本(Chantilly, Musee Conde, MS 564)ですが、ついに去年の秋にそのファクシミリが出版されました。
Codex Chantilly Manuscript 564: Bibliotheque Du Chateau De Chantilly (Epitome Musical), Brepols Pub (2008/9/15)
ISBN-10: 2503523498
ISBN-13: 978-2503523491
で、ついに「まうかめ堂」もそのファクシミリを入手しました!!(パチパチ)
これで「まうかめ堂」はある意味「無敵になる」というか、やりたい放題ですね。勢いあまって3曲立て続けに MIDI を作ってしまいました。
今後数年間はこの写本にかかりきりになるかもしれません。
(ファクシミリはなかなかに高価なのであまり自腹で購入することはお勧めできません。いずれネットで誰もが見られる時代が来るだろう…来るといいなぁ…と思います。)
Codex Chantilly Manuscript 564: Bibliotheque Du Chateau De Chantilly (Epitome Musical), Brepols Pub (2008/9/15)
ISBN-10: 2503523498
ISBN-13: 978-2503523491
で、ついに「まうかめ堂」もそのファクシミリを入手しました!!(パチパチ)
これで「まうかめ堂」はある意味「無敵になる」というか、やりたい放題ですね。勢いあまって3曲立て続けに MIDI を作ってしまいました。
今後数年間はこの写本にかかりきりになるかもしれません。
(ファクシミリはなかなかに高価なのであまり自腹で購入することはお勧めできません。いずれネットで誰もが見られる時代が来るだろう…来るといいなぁ…と思います。)
2008年07月26日
フランコにおけるハビトゥス
上の記事のタイトルだけ見ると中世哲学に関する論文の題名かなにかにきこえますが、「まうかめ堂」で翻訳をしているケルンのフランコ著『計量音楽論』についての話です。
この『計量音楽論』には二箇所ほど中世哲学のタームを用いた記述が出てきます。
一つは「ある類において、ある特定の種と種差があたえられると別の種が定立される」というアリストテレス哲学の基本(?)が出てくるところで、この箇所はそれほど悩まないで良いものでした。(ただ訳がどうにも…。)
しかし、もう一つの箇所には habitus, privatio というスコラ哲学に独特なジャルゴンが登場し、本筋には直接関係していないにしても、仮にも訳文を作るとなると、ちょっと悩ましい部分でした。
それは次の一文です。
Sed cum prius sit vox recta quam amissa, quoniam habitus praecedit privationem,
素直に意味をとると、「無音(vox amissa)よりも真正の音(vox recta)の方が第一のものである。なぜなら habitus は privatio に先行するから。」となります。
privatio というのは「欠如」という意味で、文の前半の無音と対応していて、この意味で間違いなさそうです。
一方、habitus は辞書を見ると、その意味は「態度、外観、服装、様子、状態、習慣、性質…」で、???となってしまいます。(英語の habit=習慣はここから来てるみたいですね。)
文脈からは、habitus は「欠如」の反対、すなわち「存在」あるいは「有ること」を言っていると推測でき、また他の人(専門家)の訳を見てもそのように訳されているので、きっとそれで良いのでしょう。とはいうものの、やはりしっくりこないものは残ります。
ただここでの habitus は中世哲学のテクニカル・タームであって、おそらく通常の意味とずれるものであることも想像されるわけで、多少調べてみるなりしてもいいのかなとも少しだけ思いましたが、ここでスコラ哲学に深入りするなんてことはさすがに無理なので、もやもやしたものを残しつつそのままにしていました。
で、最近、ある本を読みました。山内志朗著「天使の記号学」(岩波書店)です。そしたら「ハビトゥス」についてだいぶページを割いて論じられていて、だんだんこの語の内実がわかってきました。
ここでその議論の不用意な要約はすべきではないでしょうが、また詳しくはその本を読んでいただくのが良いでしょうが、すこしだけ私の理解をまとめておくことにします。
まず一つのパラグラフを引用します。
なるほど、ハビトゥスは「自己を保持すること」から来ているわけですね。上の文では「おのれを持つこと→状態にあること」という形で→で結ばれているけれども、より根源的には「自己を保持すること→有ること」だと理解できそうです。
また、この本の別の箇所では、こちらはハビトゥスとは直接関係ないけれども、「存在の三項図式」というのが登場します。
それは、ラテン語の動詞から本質を抽出されたような概念については次のような「三項図式」で理解すると出発点として理解しやすいというものです。
たとえば、生命(vita) - 生きること(vivere) - 生物(vivens)、光(lux) - 光ること(lucere) - 光るもの(lucens)、等が三項図式の例で、著者は存在、本質、普遍を論ずる手がかりとして「存在の三項図式」、本質(essentia) - 存在(esse) - 存在者(ens)を導入しています。
さて、「存在の三項図式」の方については、本の方を参照していただくことにして、ハビトゥスです。この本にはそう書かれているわけではないけど、ハビトゥスを三項図式で書くとその意味がはっきりしてくる気がします。
すなわち habitus - se habere - habens.
つまり habitus とは、「自己を保持すること se habere 」の本質、「自己を保持すること」性であると理解できます。
この本の前半部分を参照するなら、habitus に「己有性」なんて訳語をあててもいいかもしれません(笑)。
わたしとしては、これで、「態度云々」といった通常の意味からだいぶ理解が進んだ感じがします。
でも、まだ疑問はのこります。たとえば、本文にあるように habitus は privatio に「先行するもの」なのかとか、フランコはどの程度同時代の哲学者とハビトゥスについての理解を共有していたのかというような疑問です。
でもここから先は邪推のようなものになりそうなので、ここでやめることにしましょう。
この『計量音楽論』には二箇所ほど中世哲学のタームを用いた記述が出てきます。
一つは「ある類において、ある特定の種と種差があたえられると別の種が定立される」というアリストテレス哲学の基本(?)が出てくるところで、この箇所はそれほど悩まないで良いものでした。(ただ訳がどうにも…。)
しかし、もう一つの箇所には habitus, privatio というスコラ哲学に独特なジャルゴンが登場し、本筋には直接関係していないにしても、仮にも訳文を作るとなると、ちょっと悩ましい部分でした。
それは次の一文です。
Sed cum prius sit vox recta quam amissa, quoniam habitus praecedit privationem,
素直に意味をとると、「無音(vox amissa)よりも真正の音(vox recta)の方が第一のものである。なぜなら habitus は privatio に先行するから。」となります。
privatio というのは「欠如」という意味で、文の前半の無音と対応していて、この意味で間違いなさそうです。
一方、habitus は辞書を見ると、その意味は「態度、外観、服装、様子、状態、習慣、性質…」で、???となってしまいます。(英語の habit=習慣はここから来てるみたいですね。)
文脈からは、habitus は「欠如」の反対、すなわち「存在」あるいは「有ること」を言っていると推測でき、また他の人(専門家)の訳を見てもそのように訳されているので、きっとそれで良いのでしょう。とはいうものの、やはりしっくりこないものは残ります。
ただここでの habitus は中世哲学のテクニカル・タームであって、おそらく通常の意味とずれるものであることも想像されるわけで、多少調べてみるなりしてもいいのかなとも少しだけ思いましたが、ここでスコラ哲学に深入りするなんてことはさすがに無理なので、もやもやしたものを残しつつそのままにしていました。
で、最近、ある本を読みました。山内志朗著「天使の記号学」(岩波書店)です。そしたら「ハビトゥス」についてだいぶページを割いて論じられていて、だんだんこの語の内実がわかってきました。
ここでその議論の不用意な要約はすべきではないでしょうが、また詳しくはその本を読んでいただくのが良いでしょうが、すこしだけ私の理解をまとめておくことにします。
まず一つのパラグラフを引用します。
ハビトゥスには、<態度、行状、衣服、装い>等の意味もある。これらがハビトゥスと言われるのは、所有されるものからだ。つまり、habere (所有する・持つ)の受動的結果として考えられているのだ。とはいっても、トマス・アクィナスによれば、このようなハビトゥスは本来のハビトゥスではない。ハビトゥスとは、「持つ」ことの受動的結果、所有されるものではなく、ラテン語で言えば、"se habere" つまり「おのれを持つこと→状態にあること」から生じるものだからだ。
なるほど、ハビトゥスは「自己を保持すること」から来ているわけですね。上の文では「おのれを持つこと→状態にあること」という形で→で結ばれているけれども、より根源的には「自己を保持すること→有ること」だと理解できそうです。
また、この本の別の箇所では、こちらはハビトゥスとは直接関係ないけれども、「存在の三項図式」というのが登場します。
それは、ラテン語の動詞から本質を抽出されたような概念については次のような「三項図式」で理解すると出発点として理解しやすいというものです。
たとえば、生命(vita) - 生きること(vivere) - 生物(vivens)、光(lux) - 光ること(lucere) - 光るもの(lucens)、等が三項図式の例で、著者は存在、本質、普遍を論ずる手がかりとして「存在の三項図式」、本質(essentia) - 存在(esse) - 存在者(ens)を導入しています。
さて、「存在の三項図式」の方については、本の方を参照していただくことにして、ハビトゥスです。この本にはそう書かれているわけではないけど、ハビトゥスを三項図式で書くとその意味がはっきりしてくる気がします。
すなわち habitus - se habere - habens.
つまり habitus とは、「自己を保持すること se habere 」の本質、「自己を保持すること」性であると理解できます。
この本の前半部分を参照するなら、habitus に「己有性」なんて訳語をあててもいいかもしれません(笑)。
わたしとしては、これで、「態度云々」といった通常の意味からだいぶ理解が進んだ感じがします。
でも、まだ疑問はのこります。たとえば、本文にあるように habitus は privatio に「先行するもの」なのかとか、フランコはどの程度同時代の哲学者とハビトゥスについての理解を共有していたのかというような疑問です。
でもここから先は邪推のようなものになりそうなので、ここでやめることにしましょう。
2008年01月27日
「春の祭典」からマショー、デュファイを参照するブーレーズ
ブーレーズと中世音楽について書き散らかすのも、今回で最後となる予定です。
今回は、超有名な「はるさい」の分析論文『ストラヴィンスキーは生きている』(これも「ブーレーズ音楽論 徒弟の覚書」ピエール・ブーレーズ著、船山隆、笠羽映子訳所収)の一節についてです。
これはストラヴィンスキーの『春の祭典』の主にリズム構造に関する詳細な分析論文ですが、この論文には個人的な思い入れが非常に強いです。
ここは、私のブログなので、私が個人的な話をしても悪いことはないでしょう、ということで少し個人的な話をします。
多くの人は若いころに良い意味で世界観をひっくり返すような衝撃的なものに出会うものと思いますが、それが私の場合はストラビの『春の祭典』でした。
14歳のころ、とある6月の日曜日に、ほとんどジャケ買いをしたショルティのLP(そう、ぎりぎりLPです!)を聴いてあまりのショックにまさに茫然となったのがそもそものはじまりです。
それ以来世界が『春の祭典』を中心に回り始めるのですが、当時すごくもどかしかったのは、その強烈な思いを表現するための言語を全く持たなかったことです。
そういうもやもやした状態がその後何年も続きましたが、後に渋谷のYAMAHAでフルスコアを入手、これで事態は解決するかと思いきや、困難は深まるばかりでした。
すなわち、スコアには全てが書かれているはずなのに、実際手をのばせば音楽そのものに触れることさえできるのに、その音楽のもつ真の力を捕まえることができないという、さらなるもどかしさに直面したのです。
ほどなく船山隆著「ストラヴィンスキー」を読み、ブーレーズの論文のことを知ります。そしてその半年後ぐらいにようやくこの論文集を入手します。
書泉グランデで見付けたときに思わず「あった!」と叫んだ記憶があります。
で、その後しばらく、この本をまさにむさぼるように読みました。後にも先にもあんな読み方をしたことはないでしょうね。本当に若かったです。
そして、この「はるさい」の論文も期待に違わずすごく衝撃的でしたが、その話をしはじめると今回それだけで終わってしまいますのでそれはパス。
でも、一言だけいうなら、パッと見「野性」と形容しうる強烈な音響と強烈なリズムからなるこの曲の、厚い神秘のヴェールに覆われているかのようなヴァイタリティーでさえ、極めて整然とした、「理性的な」分析によって語りうるのだ、ということが最も衝撃的なことでした。しかもブーレーズは音楽自体から決してブレません。
さて、ようやく本題に入れます。
今回取り上げたいのは、この論考のまさに本論が終わったその後にかかれた「後記」の部分です。そこでは唐突に(というか最初に読んだときは本当に唐突に感じたということなのですが)、ド・ヴィトリ、マショー、デュファイの名とともにアイソリズム・モテトが言及されるのです。
まずはその導入部分から。
たしかに、いわゆるフツーのクラシック音楽を聴いてるだけだと、ルネサンス以前、とりわけ中世にリズムに関してあんなことが行われていたなんて知りえないですからね。
ここでギョーム・ド・ヴァンのデュファイ作品集の序文からの引用が入った後に
まさにセリー音楽において、例えば音高の組合せがあらかじめセリーによって決められているように、アイソリズム・モテトで最初に与えられ/与えるのは定旋律と各声部のリズム構造です。
この際の作曲の具体的プロセスは、定旋律によって陰に規定されている和声構造にしたがって各声部に音を配分していくような作業になることが容易に予想されます。
にもかかわらずマショー、デュファイのアイソリズム・モテトの獲得している自由さと自発性には聴くたびに驚かされます。その驚きは作品の構造についての理解が深まれば深まるほど、より大きくなっていく種類のものです。
さあ、ここで、上で引用を省略したギョーム・ド・ヴァンの言葉を引くのが良いかもしれません。
今後は、いくつかのアイソリズム・モテトについて分析的なことをやってみることにしましょうか。
今回は、超有名な「はるさい」の分析論文『ストラヴィンスキーは生きている』(これも「ブーレーズ音楽論 徒弟の覚書」ピエール・ブーレーズ著、船山隆、笠羽映子訳所収)の一節についてです。
これはストラヴィンスキーの『春の祭典』の主にリズム構造に関する詳細な分析論文ですが、この論文には個人的な思い入れが非常に強いです。
ここは、私のブログなので、私が個人的な話をしても悪いことはないでしょう、ということで少し個人的な話をします。
多くの人は若いころに良い意味で世界観をひっくり返すような衝撃的なものに出会うものと思いますが、それが私の場合はストラビの『春の祭典』でした。
14歳のころ、とある6月の日曜日に、ほとんどジャケ買いをしたショルティのLP(そう、ぎりぎりLPです!)を聴いてあまりのショックにまさに茫然となったのがそもそものはじまりです。
それ以来世界が『春の祭典』を中心に回り始めるのですが、当時すごくもどかしかったのは、その強烈な思いを表現するための言語を全く持たなかったことです。
そういうもやもやした状態がその後何年も続きましたが、後に渋谷のYAMAHAでフルスコアを入手、これで事態は解決するかと思いきや、困難は深まるばかりでした。
すなわち、スコアには全てが書かれているはずなのに、実際手をのばせば音楽そのものに触れることさえできるのに、その音楽のもつ真の力を捕まえることができないという、さらなるもどかしさに直面したのです。
ほどなく船山隆著「ストラヴィンスキー」を読み、ブーレーズの論文のことを知ります。そしてその半年後ぐらいにようやくこの論文集を入手します。
書泉グランデで見付けたときに思わず「あった!」と叫んだ記憶があります。
で、その後しばらく、この本をまさにむさぼるように読みました。後にも先にもあんな読み方をしたことはないでしょうね。本当に若かったです。
そして、この「はるさい」の論文も期待に違わずすごく衝撃的でしたが、その話をしはじめると今回それだけで終わってしまいますのでそれはパス。
でも、一言だけいうなら、パッと見「野性」と形容しうる強烈な音響と強烈なリズムからなるこの曲の、厚い神秘のヴェールに覆われているかのようなヴァイタリティーでさえ、極めて整然とした、「理性的な」分析によって語りうるのだ、ということが最も衝撃的なことでした。しかもブーレーズは音楽自体から決してブレません。
さて、ようやく本題に入れます。
今回取り上げたいのは、この論考のまさに本論が終わったその後にかかれた「後記」の部分です。そこでは唐突に(というか最初に読んだときは本当に唐突に感じたということなのですが)、ド・ヴィトリ、マショー、デュファイの名とともにアイソリズム・モテトが言及されるのです。
まずはその導入部分から。
人々は、リズムに対するわれわれのかくも一方的な姿勢を非難したり、あるいはわれわれがリズムに与える過大な重要性に驚いたりするかもしれない。事実、われわれにとって語法の問題自体は、セリー技法の採用ーそれは次第に普及したーによって、以前よりもはるかに解決に近づいているように思われる。したがって本質的な課題は、一つの均衡を回復することである。あらゆる音楽研究分野のかたわらにあって、実際、リズムの浴している恩恵といえば、誰もが常識的な教則本の中に見いだせるようなきわめて簡略な観念でしかない。そこに見いだすべきなのは、単に教育的欠陥だけだろうか?いっそう正当に次のことが考えられる。すなわち、ルネッサンス末期以降、リズムは他の音楽構成要素と同等には考えられなくなり、直観や良い趣味に過分な分け前が与えられるようになったということである。
たしかに、いわゆるフツーのクラシック音楽を聴いてるだけだと、ルネサンス以前、とりわけ中世にリズムに関してあんなことが行われていたなんて知りえないですからね。
われわれ西欧の音楽において、リズムに対するもっとも理性的な姿勢を見いだそうとすれば、フィリップ・ド・ヴィトリ、ギョーム・ド・マショー、ギョーム・デュファイの名を引き合いにださなければならない。彼らのアイソリズム・モテトは、カデンツに含まれる様々なゼクエンツに対するリズム構造の構築的な価値を断固として証明するものである。現代の諸探求にとってこの時代のそれ以上にすぐれた先例が求められようか。音楽は、この時代においては、単に一つの芸術としてのみならず、同時に一つの学問として考えられていた。つまりそのことによって、あらゆる種類の安易な誤解は(少なからず安易なスコラ学は永続したにせよ)回避されていたのである。
ここでギョーム・ド・ヴァンのデュファイ作品集の序文からの引用が入った後に
したがって、現代の多くの聴き手にとって、また多くの作曲家にとってさえ考えられないように思われることが明らかとなる。つまり、それらのモテトのリズム構造は書く行為(エクリチュール)に先立って存在していたということである。そこに見られるのは、単に分離現象だけではなく、まさしく、17世紀以来西欧音楽の発展を通じてわれわれが守っているのとは正反対の方法である。
まさにセリー音楽において、例えば音高の組合せがあらかじめセリーによって決められているように、アイソリズム・モテトで最初に与えられ/与えるのは定旋律と各声部のリズム構造です。
この際の作曲の具体的プロセスは、定旋律によって陰に規定されている和声構造にしたがって各声部に音を配分していくような作業になることが容易に予想されます。
にもかかわらずマショー、デュファイのアイソリズム・モテトの獲得している自由さと自発性には聴くたびに驚かされます。その驚きは作品の構造についての理解が深まれば深まるほど、より大きくなっていく種類のものです。
さあ、ここで、上で引用を省略したギョーム・ド・ヴァンの言葉を引くのが良いかもしれません。
ギョーム・ド・ヴァンは、デュファイの作品集の序文で次のように述べている。「アイソリズム法は、十四世紀の音楽理想のもっとも洗練された表現であり、ごく少数の人々によってだけ洞察されることが出来、作曲家の技倆に関する至上の証明の基礎となっていた本質であった。…諸処の束縛が、リズム構造のもっとも微細な部分をもあらかじめ決定する一つのプランがもつ厳格な次元によって課せられていた。しかしそれらの束縛は、少しもこのカンブレ人の霊感に限界を与えはしなかった。というのも、彼のモテトは、アイソリズム・カノンが事実厳密に守られているにもかかわらず、自由で自発的な作品という印象を与えるからである。デュファイの作品を十四世紀の諸作全体(マショーの作品を除く)から区別しているのは、まさに旋律とリズム構造のあいだに成立している調和のとれた均衡である。」
今後は、いくつかのアイソリズム・モテトについて分析的なことをやってみることにしましょうか。
2008年01月26日
ブーレーズはマショーをどう見ていたのか
吐き出せるときに吐き出しておきましょう、ということで、もう一つ二つ、ブーレーズと中世音楽関係のことを書き散らかします。
再び「ブーレーズ音楽論 徒弟の覚書」(ピエール・ブーレーズ著、船山隆、笠羽映子訳)から、ある音楽事典のために書かれた文書の中から、「対位法」についての文章についてです。
これはまさに音楽事典の「対位法」の項目に書かれた対位法の解説ですが、ただの辞書的な解説に留まらない、きわめてブーレーズ的なものになっています。
その中で、それこそ中世から現代にいたる対位法の歴史が、簡潔にして高密度に記述されるのですが、その記述は極めてフランス人ぽいというか、読者に全く媚びないというか、「着いてこれるやつだけ着いてくれば…。こっちは必要十分に解説してるもんね」みたいなところがあって、私は結構好きです。
それで、この中で、「アルス・ノヴァ」、とりわけマショーについてブーレーズが非常に高く見てることに、驚かされます。
訳がところどころ変なのと、いまでも「終止クラウズラ」なんていい方するのかなというのはありますが、マショーに対する評価が異様に高いですね。
「あらゆる時代を通じてもっとも偉大な作曲家の一人、ギョーム・ド・マショー」であり、「彼の音楽はヨーロッパ音楽の発展のなかで一つの頂点を成している。」ですから。
これに比べるとその後のフランドル楽派や、16世紀末の対位法の「黄金時代」に関しては割とそっけなかったりします。
で、次に明確に重要視されているのは、大バッハです。
さらに興味深いことに、対位法の教育に関してこんなことも言っています。
これは現在でも全く当てはまる指摘でしょう。
バッハが偉大であることは疑いようのないことです。「音楽の父」と呼ばれ、それ以前の全ての音楽はバッハに集約されており、それ以後の音楽の発展の全てがバッハに遡れるというものの見方は一つの観点として正しいでしょう。
バッハは西洋音楽においてもっとも高い山(の一つ)なわけですね。
しかしそれは一つ陥穽でもあります。すなわち、あまりに大きな山なのでその向こうが見えなくて、また、その山を登って越えることなど極めて困難なことです。
確かに、バッハには中世音楽のかすかな残響さえ聴くことができます。が、しかし、「集約」は「取捨選択」であり「選別」です。ある種のフィルタリングです。当然のことながらバッハに中世音楽そのものを聴くことなどできません。
バッハの向こう側に行くためには、一度「飛ぶ」必要がどうしてもあるようです。ヘリかなにかで山の向こうにポンと飛ぶ。
そうするとさらなる山々が連なっているのが見えるのですが、今飛び越えてきた高い山と同じくらい高い山に出会うことになります。
それがマショーです。
というか、マショーの高さを正当に見極められるかがどうかは、バッハを音楽の「始まり」とみなす類の立場、「バッハの重力圏」から抜け出ることが出来るかどうかにかかっていると言っても良いかもしれません。
(もう一つ「バッハの重力圏」から抜けだせるかどうかが問題になるのは20世紀音楽に向き合うときでしょう。)
ブーレーズの同じ文書の中にこんな一節があります。
なかなか理解しにくい一文ですが、この文章は1960年ごろ書かれており、「ポリフォニーのポリフォニー」という「第三の段階」をセリーに託したブーレーズの夢はそれほど成功しなかったようにも今となっては見えます。
しかし、ブーレーズが当時一体何を夢見ていたのか、そしてそれとの関連においてアルス・ノヴァの中に何を見ていたのかは非常に興味のあるところです。
そういうわけで、私がマショーの MIDI を作るのは、ブーレーズを理解するためだと言ってもよいでしょう。
再び「ブーレーズ音楽論 徒弟の覚書」(ピエール・ブーレーズ著、船山隆、笠羽映子訳)から、ある音楽事典のために書かれた文書の中から、「対位法」についての文章についてです。
これはまさに音楽事典の「対位法」の項目に書かれた対位法の解説ですが、ただの辞書的な解説に留まらない、きわめてブーレーズ的なものになっています。
その中で、それこそ中世から現代にいたる対位法の歴史が、簡潔にして高密度に記述されるのですが、その記述は極めてフランス人ぽいというか、読者に全く媚びないというか、「着いてこれるやつだけ着いてくれば…。こっちは必要十分に解説してるもんね」みたいなところがあって、私は結構好きです。
それで、この中で、「アルス・ノヴァ」、とりわけマショーについてブーレーズが非常に高く見てることに、驚かされます。
「アルス・ノーヴァ」はポリフォニーの変遷におけるもっとも輝かしい時期の一つである。きわめて急速な発展が生じたのは、定量記譜法のおかげである。この時期は、フィリップ・ド・ヴィトリのような大理論家の名や、あらゆる時代を通じてもっとも偉大な作曲家の一人、ギョーム・ド・マショーの名に結びつけられる。ここでわれわれが目撃するのは、リズムや旋律による各声部のきわめてはっきりした区別である。展開は、いっそう精緻な旋律と流動的なリズムによって、より変化に富んだ柔軟なものとなるが、このリズム的柔軟性は、今日なお一方ならずわれわれを驚かせる。他方「終止クラウズラ」の確立は、展開に対して一種の三和声的な基礎を保証する。人々は、声部間で模倣を行なういくつかの用法を見いだし始める。マショーの音楽は、まったく驚くべき複雑さや精緻さや精妙さを示している。マショーは、旋律対位法の領域においてもリズム対位法の領域においても同様に、完璧な技倆をわが物としたのである。彼の音楽はヨーロッパ音楽の発展のなかで一つの頂点を成している。
訳がところどころ変なのと、いまでも「終止クラウズラ」なんていい方するのかなというのはありますが、マショーに対する評価が異様に高いですね。
「あらゆる時代を通じてもっとも偉大な作曲家の一人、ギョーム・ド・マショー」であり、「彼の音楽はヨーロッパ音楽の発展のなかで一つの頂点を成している。」ですから。
これに比べるとその後のフランドル楽派や、16世紀末の対位法の「黄金時代」に関しては割とそっけなかったりします。
で、次に明確に重要視されているのは、大バッハです。
それ以降(モンテヴェルディ以降)の音楽は、対位法的な考え方と和声的な概念の交錯を目ざした。ヨーハン・セバスティアン・バッハについては次のようにいうことができる。すなわち、彼は17世紀以降の書法の発展すべてを見事にしかも効果的に要約している、と。まさしくバッハにおいては、二つの書法類型の間にきわめて緊密な結び付きが見いだされ、またその結びつきは、彼以後もはやそれほど容易に達成されないような一致を示している。現在でも学校の対位法は、とくに彼の作品から引かれた範例にしたがって教えられている。バッハはわれわれに「対位法大全」とも言えるものを残したが、そこには、人間の獲得し得る書法上の全知識が要約された形で見いだされる。この大全は、『フーガの技法』、『音楽の捧げもの』、(チェンバロのための)『ゴールドベルク変奏曲』および(オルガンのための)『"高き天より”に基づく変奏曲』を含んでいる。これらの四つの作品には、模倣から厳格なカノンに至るまで、自由な対位法や厳格な対位法の諸形式がすべて見いだされる。
さらに興味深いことに、対位法の教育に関してこんなことも言っています。
しかし現代の対位法教育においては、より多くの考慮がバッハ以前の作曲家たちに与えられることが望ましい。大部分の教師たちにとっては、音楽が始まるのはまさしくバッハからということになっているのだ。ルネッサンスの側からおずおずとした侵入が行われはしたが、「オルガヌム」から古典派の時代に至る対位法の発展に誠実に基づいた教育は何もない。さらにテキストそのものを識ることも、それらの出版物が数少なかったり、高価であったりするために、ひじょうな制限を加えられている。
これは現在でも全く当てはまる指摘でしょう。
バッハが偉大であることは疑いようのないことです。「音楽の父」と呼ばれ、それ以前の全ての音楽はバッハに集約されており、それ以後の音楽の発展の全てがバッハに遡れるというものの見方は一つの観点として正しいでしょう。
バッハは西洋音楽においてもっとも高い山(の一つ)なわけですね。
しかしそれは一つ陥穽でもあります。すなわち、あまりに大きな山なのでその向こうが見えなくて、また、その山を登って越えることなど極めて困難なことです。
確かに、バッハには中世音楽のかすかな残響さえ聴くことができます。が、しかし、「集約」は「取捨選択」であり「選別」です。ある種のフィルタリングです。当然のことながらバッハに中世音楽そのものを聴くことなどできません。
バッハの向こう側に行くためには、一度「飛ぶ」必要がどうしてもあるようです。ヘリかなにかで山の向こうにポンと飛ぶ。
そうするとさらなる山々が連なっているのが見えるのですが、今飛び越えてきた高い山と同じくらい高い山に出会うことになります。
それがマショーです。
というか、マショーの高さを正当に見極められるかがどうかは、バッハを音楽の「始まり」とみなす類の立場、「バッハの重力圏」から抜け出ることが出来るかどうかにかかっていると言っても良いかもしれません。
(もう一つ「バッハの重力圏」から抜けだせるかどうかが問題になるのは20世紀音楽に向き合うときでしょう。)
ブーレーズの同じ文書の中にこんな一節があります。
たしかに、今や音楽の発展は、モノディーであり次いでポリフォニー(対位法から和声)であった二つの段階のあとで、第三の段階に入りつつあり、それは一種の「ポリフォニーのポリフォニー」であるように思われる。すなわち、もはや単なる堆積ではなく、音程の「配分」が要請されるのである。大ざっぱな表現だが、今や音楽には新たな次元が存在する、といえるだろう。このポリフォニックな観念は、いわゆるリズム語法の発展に助けられている。そしてたしかに、中世以来、あらゆる領域において、現在ほどの鋭さをもって問題提起がなされたことは未だかつてなかったように思われる。現代と「アルス・ノーヴァ」の間に正当な権利をもって存在し得るのは、以上のような比較だけだろう。
なかなか理解しにくい一文ですが、この文章は1960年ごろ書かれており、「ポリフォニーのポリフォニー」という「第三の段階」をセリーに託したブーレーズの夢はそれほど成功しなかったようにも今となっては見えます。
しかし、ブーレーズが当時一体何を夢見ていたのか、そしてそれとの関連においてアルス・ノヴァの中に何を見ていたのかは非常に興味のあるところです。
そういうわけで、私がマショーの MIDI を作るのは、ブーレーズを理解するためだと言ってもよいでしょう。
2008年01月20日
デュファイのアイソリズム・モテト
今年に入って立て続けにデュファイの MIDI を up してますが、今や私はデュファイのアイソリズム・モテトに夢中です。
実は、私はアイソリズム・モテトをまうかめ堂で取り上げるのを今までずっと避けてきました。なぜならば、アイソリズム・モテトは、ジャンルとして、あるいは技法として、中世音楽の精華というべきか、最終到達点というべきか、もっとも高度なポリフォニーであって、最後に来るべきものだと思っていたからです。
それで、ほとんど気まぐれにデュファイの二曲を作ってみたら、何かわかってしまいました。
今までまうかめ堂で MIDI なりなんなりを作ってきた本当の目的は、アイソリズム・モテトをきちんと理解することだったということを…。(いままで気づきませんでした。)
そしてその向こう側には20世紀音楽、とりわけセリー音楽をきちんと理解するという20年来の宿題が見えかくれしていて、いずれは、中世音楽と現代音楽をてこに「通常の」西洋音楽史における図と地を反転させるようなものの見方を形にしようとするかもしれません…が、これだけでは、何を言ってるのかわかりませんね。
まあ、それはさておき、デュファイです。
アイソリズム・モテトです。
デュファイのアイソリズム・モテトは、13世紀のモテトを胚とし、ド・ヴィトリ、マショー、チコーニア、ダンスタブル、と続く系譜の最後にくるものです。
デュファイは音楽の歴史としてみるならば、ルネサンスと呼ばれる時代の最初の作曲家であり、新しい時代を切り拓いたパイオニアであるわけですが、時代の移り変わりはもちろんある日を境に起こるわけではありません。つまり昨日まで中世で、今日からルネサンスだという特定の日付は存在しません。
デカルトの中にスコラ哲学が流れ込んでいてその養分の上に近代哲学が切り拓かれたように、デュファイの中には中世音楽の全てが流れ込んでいて、そこに深く根を下ろしています。
その大きな残響は、一方では彼の多くの世俗シャンソンに響いており、また一方では、アイソリズム・モテトにおいてより直接的に発現しています。
しかし、デュファイはその音楽家としての人生の半ば(1440年代前半)で、もはや時流にそぐわなくなったアイソリズム・モテトの作曲をやめてしまいます。
すなわち、デュファイこそが、中世音楽を完全に終わらせた墓堀人だということもできます。
これに関して、ウエルガス・アンサンブルのデュファイのアイソリズム・モテト集のCDによせられた、この団体のリーダーであるパウル・ファン・ネーヴェルの言葉が極めて的確にこれを表現しています。
しばらくアイソリズム・モテトとその周辺をうろつくことになると思います。
実は、私はアイソリズム・モテトをまうかめ堂で取り上げるのを今までずっと避けてきました。なぜならば、アイソリズム・モテトは、ジャンルとして、あるいは技法として、中世音楽の精華というべきか、最終到達点というべきか、もっとも高度なポリフォニーであって、最後に来るべきものだと思っていたからです。
それで、ほとんど気まぐれにデュファイの二曲を作ってみたら、何かわかってしまいました。
今までまうかめ堂で MIDI なりなんなりを作ってきた本当の目的は、アイソリズム・モテトをきちんと理解することだったということを…。(いままで気づきませんでした。)
そしてその向こう側には20世紀音楽、とりわけセリー音楽をきちんと理解するという20年来の宿題が見えかくれしていて、いずれは、中世音楽と現代音楽をてこに「通常の」西洋音楽史における図と地を反転させるようなものの見方を形にしようとするかもしれません…が、これだけでは、何を言ってるのかわかりませんね。
まあ、それはさておき、デュファイです。
アイソリズム・モテトです。
デュファイのアイソリズム・モテトは、13世紀のモテトを胚とし、ド・ヴィトリ、マショー、チコーニア、ダンスタブル、と続く系譜の最後にくるものです。
デュファイは音楽の歴史としてみるならば、ルネサンスと呼ばれる時代の最初の作曲家であり、新しい時代を切り拓いたパイオニアであるわけですが、時代の移り変わりはもちろんある日を境に起こるわけではありません。つまり昨日まで中世で、今日からルネサンスだという特定の日付は存在しません。
デカルトの中にスコラ哲学が流れ込んでいてその養分の上に近代哲学が切り拓かれたように、デュファイの中には中世音楽の全てが流れ込んでいて、そこに深く根を下ろしています。
その大きな残響は、一方では彼の多くの世俗シャンソンに響いており、また一方では、アイソリズム・モテトにおいてより直接的に発現しています。
しかし、デュファイはその音楽家としての人生の半ば(1440年代前半)で、もはや時流にそぐわなくなったアイソリズム・モテトの作曲をやめてしまいます。
すなわち、デュファイこそが、中世音楽を完全に終わらせた墓堀人だということもできます。
これに関して、ウエルガス・アンサンブルのデュファイのアイソリズム・モテト集のCDによせられた、この団体のリーダーであるパウル・ファン・ネーヴェルの言葉が極めて的確にこれを表現しています。
1440年代、個人の表現、ポリフォニー的音響の感覚性(sensualite)、テクストの内容へのヒューマニスティックなアプローチがますます重要になってくる時代にあって、アイソリズム・モテトの厳密な数学的制約にもはや未来がないことはデュファイにとって明白なことだったにちがいない。この意味で、デュファイのアイソリズム・モテトは、マショー、ダンスタブル、チコーニアによって準備されたこの中世の多声音楽の概念の頂点をなすと同時に、若かりしデュファイが完全に同意していた形式概念の終焉をも表現している。彼のアイソリズム・モテトは、中世の凋落のある種の加速された音楽的なヴィジョンを形成している。(主に仏語訳からのまうかめ堂のテキトー訳)
しばらくアイソリズム・モテトとその周辺をうろつくことになると思います。
2007年05月19日
Ce moys de may の詞にもう一言だけ
デュファイの Ce moys de may の詞について書き連ねておりますが、最後にもう一言だけ。今回はこれまで私が目にしてきた詞の transcription とは、意見を異にする箇所の話です。
詞の全文とまうかめ堂による適当な訳については数日前の記事を参照してください。
問題にしたい箇所は、最初から四行目
Pour despiter ces felons en vieux.
の、en vieux です。
これは、私の所有する全ての詞の transcription では envieux と一語になっています。しかし写本のファクシミリを見ると en vieux と、はっきり二語に見えるように書かれています。
少し詳しく言うなら、この箇所は楽譜の中に書かれている詞なので、場合によっては語の区切が必ずしも明確ではありません。というのは、現代のようにハイフンによって語のつながりと区切をはっきりさせるという習慣なんて無かったからです。
にもかかわらず、これが二語に見えるのは、vieux の最初の v が大きめに、語頭であることを強調するかのように書かれているからです。しかも三パート全部同じようにです。
では、これを envieux と一語に読む積極的な理由はあるだろうか、と考えてみます。私は最初、詞の文脈から envieux 一語説が正しいだろうと思っていました。しかし今回改めて検討してみて、二語 en vieux が意味的にピッタリくるという結論になりました。それについて説明します。
まず、そこにいたるまでの詞を最初から見てみましょう。
Ce moys de may soyons lies et joyeux
Et de no cuer ostons merancolie.
Chantons, dansons, et menons chiere lie,
Pour despiter ces felons en vieux.
この五月、陽気に楽しくやろう
そして心の中から憂さを追い出そう
歌って踊って明るい顔をしよう
en vieux な反逆者(裏切り者)に負けないために
さて、最初の三行は意味的に明解です。疑問の入る余地はあまりないでしょう。
ところが四行目になると、いきなり ces felons (反逆者、裏切り者、冷酷な者、不敬な輩)を despiter する(軽蔑する、挑戦する、負けない、立ち向かう、反する)という詞になっていてちょっと???と思うことになります。「反逆者」もしくは「裏切り者」が唐突に登場するので…。
で、 en vieux もしくは envieux は、その ces felon (「反逆者」「裏切り者」)に掛かるというので間違いないでしょうが、 en vieux と envieux どちらが意味的に正しそうか。
envieux は、現代英語で対応物を見付けるなら見たまま envious で、当時も同じ意味、すなわち「うらやましがる、妬み深い」となるようです。
だから ces felons envieux だとすると「嫉妬深い反逆者たち」というような意味になります。
これで、もちろん意味は通りますが、やはり「反逆者」が何なのか、何に反逆してるのかがわからないままです。(想像はできますが…。)
では en vieux ではどうか。英語にそのまま直すとしたら in old となります。これだとさらに???ですね。
でも、次のような意味だと思うとしっくりくる気がします。
フラ語の前置詞 en は英語の in と同様、意味が広いですが、ここでは状態を表すものと考えます。すなわち en vieux は「古い状態にある」です。
それで、改めてこの歌の内容を思い出しますと、これは「春の歌」です。冬は遠くに去って、新緑が生い茂り、生命が新生を向かえる新しい季節の歌です。過ごしやすい良い季節で日の光も明るい、だからみんなで浮かれて楽しくやろうよ、歌って踊ってさぁ、という歌です。
それでようやく ces felons en vieux の意味が見えてきます。つまり ces felons en vieux というのは、春になってみんな浮かれて楽しい気分になってるのにいつまでも冬みたいに暗い顔してるノリの悪い連中のことということになります。それが「反逆者」であるのは「五月の新鮮さ、明るさに反逆してるから」ですね。
以上のように理解すると私には非常にしっくりくるように思うのですがいかがでしょうか?
やっぱり折角写本のオリジナルを見ているなら、詞もしっかり見ないといけませんね。それと CD に付いてるような詞もその訳も、もとよりそれらはいい加減なものでは決してないでしょうが、そのまま鵜呑みにするというわけにもいかないようですね。
いやはや、古い音楽と付き合うのって大変です。
それから、この曲の詞について、もう一箇所明確に理解できてない箇所があります。後ろの方の
Car la saison semont tous amoureux
A ce faire, pourtant n'y fallons mie.
というところで、n'y fallons mie の意味がいまひとつ私にははっきりしません。みなさまの御意見求む、です。
詞の全文とまうかめ堂による適当な訳については数日前の記事を参照してください。
問題にしたい箇所は、最初から四行目
Pour despiter ces felons en vieux.
の、en vieux です。
これは、私の所有する全ての詞の transcription では envieux と一語になっています。しかし写本のファクシミリを見ると en vieux と、はっきり二語に見えるように書かれています。
少し詳しく言うなら、この箇所は楽譜の中に書かれている詞なので、場合によっては語の区切が必ずしも明確ではありません。というのは、現代のようにハイフンによって語のつながりと区切をはっきりさせるという習慣なんて無かったからです。
にもかかわらず、これが二語に見えるのは、vieux の最初の v が大きめに、語頭であることを強調するかのように書かれているからです。しかも三パート全部同じようにです。
では、これを envieux と一語に読む積極的な理由はあるだろうか、と考えてみます。私は最初、詞の文脈から envieux 一語説が正しいだろうと思っていました。しかし今回改めて検討してみて、二語 en vieux が意味的にピッタリくるという結論になりました。それについて説明します。
まず、そこにいたるまでの詞を最初から見てみましょう。
Ce moys de may soyons lies et joyeux
Et de no cuer ostons merancolie.
Chantons, dansons, et menons chiere lie,
Pour despiter ces felons en vieux.
この五月、陽気に楽しくやろう
そして心の中から憂さを追い出そう
歌って踊って明るい顔をしよう
en vieux な反逆者(裏切り者)に負けないために
さて、最初の三行は意味的に明解です。疑問の入る余地はあまりないでしょう。
ところが四行目になると、いきなり ces felons (反逆者、裏切り者、冷酷な者、不敬な輩)を despiter する(軽蔑する、挑戦する、負けない、立ち向かう、反する)という詞になっていてちょっと???と思うことになります。「反逆者」もしくは「裏切り者」が唐突に登場するので…。
で、 en vieux もしくは envieux は、その ces felon (「反逆者」「裏切り者」)に掛かるというので間違いないでしょうが、 en vieux と envieux どちらが意味的に正しそうか。
envieux は、現代英語で対応物を見付けるなら見たまま envious で、当時も同じ意味、すなわち「うらやましがる、妬み深い」となるようです。
だから ces felons envieux だとすると「嫉妬深い反逆者たち」というような意味になります。
これで、もちろん意味は通りますが、やはり「反逆者」が何なのか、何に反逆してるのかがわからないままです。(想像はできますが…。)
では en vieux ではどうか。英語にそのまま直すとしたら in old となります。これだとさらに???ですね。
でも、次のような意味だと思うとしっくりくる気がします。
フラ語の前置詞 en は英語の in と同様、意味が広いですが、ここでは状態を表すものと考えます。すなわち en vieux は「古い状態にある」です。
それで、改めてこの歌の内容を思い出しますと、これは「春の歌」です。冬は遠くに去って、新緑が生い茂り、生命が新生を向かえる新しい季節の歌です。過ごしやすい良い季節で日の光も明るい、だからみんなで浮かれて楽しくやろうよ、歌って踊ってさぁ、という歌です。
それでようやく ces felons en vieux の意味が見えてきます。つまり ces felons en vieux というのは、春になってみんな浮かれて楽しい気分になってるのにいつまでも冬みたいに暗い顔してるノリの悪い連中のことということになります。それが「反逆者」であるのは「五月の新鮮さ、明るさに反逆してるから」ですね。
以上のように理解すると私には非常にしっくりくるように思うのですがいかがでしょうか?
やっぱり折角写本のオリジナルを見ているなら、詞もしっかり見ないといけませんね。それと CD に付いてるような詞もその訳も、もとよりそれらはいい加減なものでは決してないでしょうが、そのまま鵜呑みにするというわけにもいかないようですね。
いやはや、古い音楽と付き合うのって大変です。
それから、この曲の詞について、もう一箇所明確に理解できてない箇所があります。後ろの方の
Car la saison semont tous amoureux
A ce faire, pourtant n'y fallons mie.
というところで、n'y fallons mie の意味がいまひとつ私にははっきりしません。みなさまの御意見求む、です。
2007年05月18日
デュファイの Ce moys de may のまうかめ堂訳
Ce moys de may soyons lies et joyeux
Et de no cuer ostons merancolie.
Chantons, dansons, et menons chiere lie,
Pour despiter ces felons en vieux.
Plus c'onques mais chascuns soit curieux
De bien servir sa maistresse jolie.
Ce moys de may...
Car la saison semont tous amoureux
A ce faire, pourtant n'y fallons mie.
Karissime! Dufay vous en prie
Et Perrinet dira de mieux en mieux.
Ce moys de may...
この五月、陽気に楽しくやりましょうよ
そして心の中から憂さを追い出そう
歌って踊って明るい顔をしよう
老けこんでるひねくれ者は蹴散らしちゃえ
各人はいつにもまして念入りに
うるわしの御婦人によく仕えよう
この五月…
なぜなら季節が愛する者すべてを誘うのだ
こうするように、だからこの機を逃さないでね
Oh my Dear! デュファイたってのお願いだ
そうすればペリネもますますいいこと言うだろうし
この五月…
→[MIDI]
Et de no cuer ostons merancolie.
Chantons, dansons, et menons chiere lie,
Pour despiter ces felons en vieux.
Plus c'onques mais chascuns soit curieux
De bien servir sa maistresse jolie.
Ce moys de may...
Car la saison semont tous amoureux
A ce faire, pourtant n'y fallons mie.
Karissime! Dufay vous en prie
Et Perrinet dira de mieux en mieux.
Ce moys de may...
この五月、陽気に楽しくやりましょうよ
そして心の中から憂さを追い出そう
歌って踊って明るい顔をしよう
老けこんでるひねくれ者は蹴散らしちゃえ
各人はいつにもまして念入りに
うるわしの御婦人によく仕えよう
この五月…
なぜなら季節が愛する者すべてを誘うのだ
こうするように、だからこの機を逃さないでね
Oh my Dear! デュファイたってのお願いだ
そうすればペリネもますますいいこと言うだろうし
この五月…
→[MIDI]
2007年05月13日
デュファイの Ce moys de may の詞
みなさま、こちらではお久しぶりです。
ここ数ヶ月、本業の方で論文を書いていたために、他のことに使う余力がありませんでした。というわけでだいぶ御無沙汰になってしまいました。
それはさておき、「まうかめ堂」の最近の出来事として、アメリカの某大学のコンピューターサイエンスのさる教授(以下 O 教授)と、デュファイの Ce moys de may の詞に関してちょっとしたやりとりをしているというのがあります。
最初はその O 教授が、「まうかめ堂」の Ce moys de may の楽譜を見て、自分で作成した詞の英訳を送ってくれたのが事の始まりでした。そのメールでは、「自分でも source を見たいんだけども、あなたはどこで見たのか?」と訊いてきていて、「ファクシミリが出版されていて云々」と答えました。すると、先週になって、 O 教授が自身でファクシミリを検討した結果が、詳細なコメントとともに送られてきて、これを昨日今日、私の方で検討してみたところ、「まうかめ堂」の楽譜の詞の間違いもいくつか見付かったのと、あと、いろいろ面白い発見がありました。
O 教授の偉いところは Larousse の中仏語辞典をひき倒しながら、徹底的に自力で解読しようとしているところです。
一方、私の方はといえば、詞に関しては半ば諦めていて、というのはそれが目的の中心ではないからでもありますが、不明な箇所が出てきたら、市販の楽譜とか、CDのブックレットの中の詞とか、既存のものを参照してその中から最も納得のいくもので埋めとくことにしています(笑)。
さすがに自分が習熟してない中仏語のテクストの専門家による transcription をクリティークするわけにはいきかねますからね…。
(実はこれ、「まうかめ堂」で、楽譜の需要が最も多いにもかかわらずそれを無闇に増やすわけにいかない理由でもあります。補完して下さるかた募集。)
さて、それでO 教授の詞の transcription を見ていてわかったことがいくつかあります。
・私はこの Ce moys de may の詞を、何らかの形で印刷されたものを四つほど持っています。(Besseler 校訂の楽譜、CDの詞等)。もしかしたら、その全てが重要な局面で単一の transcription (Besseler か?)に依拠しているかもしれない感じがしてきました。
・例えば些細なところでは "Por despiter" という箇所。
写本に忠実に読むなら "Pour despiter"の方が良いかもしれません。
ただこれはほとんど表記の仕方が違うだけなのであまり問題にはなりません。
・ちょっと問題なのは "Carissimi" というパッと見イタリア語が突如現れる箇所です。写本ではどう見ても "k(?)rissime" のように読めます。
当然のことながら O 教授は「何であんたの transcription は Carissimi! になってるの?」と噛みついてきます。
いえ、私の所有する全ての詞が Carissimi になってるから、そのまま写しただけなんですけどね…。
しかし、ここはちょっと根拠をはっきりさせないと問題かなとも思いました。
それで、しばらく写本を眺めながら「カリッシミ、カリッシミ」と呟いていたら、これはイタリア語じゃなくてラテン語なんじゃないかと思いあたりました。
(先程言ったイタリア語というのは、私も O 教授も勝手にそう思ってたことなんですね…。)
より詳しく言うと、「カリッシミ、カリッシミ」と呟いていたら Antonius 'Zacharias' de Teramo という人の Sumite, karissimi というモデナ写本に含まれるアルス・スブティリオールの曲を思いだし、ラテン語である可能性に気付きました。
そして、やはりCe moys de may の中のこの語は karissime で、第一第二変化形容詞 karus の最上級 karissimus の男性単数呼格が名詞的に用いられていて、「親愛なる友よ」(訂正)「最愛なるものよ」という呼び掛けの意味になってると解するのが一番自然のように見えてきました。
ちなみに karissimus は carissimus とも綴られるようです。
すると Carissimi はパッと見イタリア語に見えるけれども、ラテン語と思うこともできて、その場合男性複数呼格で、「親愛なる友たちよ」(訂正)「最愛なるものたちよ」というような意味になります。イタリア語と見做しても複数のようです。
それでは、これまでの transcription において、karissime と単数に読めるものが、なぜ複数に解されていたのかが問題になりますが、詞の内容を見るかぎり複数と見做すべき積極的な理由は見当らないように思うのですが……どうでしょうか?(御意見求む。デュファイの場合、複数の写本に写されてることも多いので他の写本との校合により Carissimiなのかもしれませんね。)
そういうわけで、近々この曲の楽譜は改訂します。
特に、とりあえず Karissime になる予定です。
でも、「かりっしめ、でゅふぁーい」と歌うより「かりっしみ、でゅふぁーい」の方がカッコいい気も…なぁ〜んて。
ここ数ヶ月、本業の方で論文を書いていたために、他のことに使う余力がありませんでした。というわけでだいぶ御無沙汰になってしまいました。
それはさておき、「まうかめ堂」の最近の出来事として、アメリカの某大学のコンピューターサイエンスのさる教授(以下 O 教授)と、デュファイの Ce moys de may の詞に関してちょっとしたやりとりをしているというのがあります。
最初はその O 教授が、「まうかめ堂」の Ce moys de may の楽譜を見て、自分で作成した詞の英訳を送ってくれたのが事の始まりでした。そのメールでは、「自分でも source を見たいんだけども、あなたはどこで見たのか?」と訊いてきていて、「ファクシミリが出版されていて云々」と答えました。すると、先週になって、 O 教授が自身でファクシミリを検討した結果が、詳細なコメントとともに送られてきて、これを昨日今日、私の方で検討してみたところ、「まうかめ堂」の楽譜の詞の間違いもいくつか見付かったのと、あと、いろいろ面白い発見がありました。
O 教授の偉いところは Larousse の中仏語辞典をひき倒しながら、徹底的に自力で解読しようとしているところです。
一方、私の方はといえば、詞に関しては半ば諦めていて、というのはそれが目的の中心ではないからでもありますが、不明な箇所が出てきたら、市販の楽譜とか、CDのブックレットの中の詞とか、既存のものを参照してその中から最も納得のいくもので埋めとくことにしています(笑)。
さすがに自分が習熟してない中仏語のテクストの専門家による transcription をクリティークするわけにはいきかねますからね…。
(実はこれ、「まうかめ堂」で、楽譜の需要が最も多いにもかかわらずそれを無闇に増やすわけにいかない理由でもあります。補完して下さるかた募集。)
さて、それでO 教授の詞の transcription を見ていてわかったことがいくつかあります。
・私はこの Ce moys de may の詞を、何らかの形で印刷されたものを四つほど持っています。(Besseler 校訂の楽譜、CDの詞等)。もしかしたら、その全てが重要な局面で単一の transcription (Besseler か?)に依拠しているかもしれない感じがしてきました。
・例えば些細なところでは "Por despiter" という箇所。
写本に忠実に読むなら "Pour despiter"の方が良いかもしれません。
ただこれはほとんど表記の仕方が違うだけなのであまり問題にはなりません。
・ちょっと問題なのは "Carissimi" というパッと見イタリア語が突如現れる箇所です。写本ではどう見ても "k(?)rissime" のように読めます。
当然のことながら O 教授は「何であんたの transcription は Carissimi! になってるの?」と噛みついてきます。
いえ、私の所有する全ての詞が Carissimi になってるから、そのまま写しただけなんですけどね…。
しかし、ここはちょっと根拠をはっきりさせないと問題かなとも思いました。
それで、しばらく写本を眺めながら「カリッシミ、カリッシミ」と呟いていたら、これはイタリア語じゃなくてラテン語なんじゃないかと思いあたりました。
(先程言ったイタリア語というのは、私も O 教授も勝手にそう思ってたことなんですね…。)
より詳しく言うと、「カリッシミ、カリッシミ」と呟いていたら Antonius 'Zacharias' de Teramo という人の Sumite, karissimi というモデナ写本に含まれるアルス・スブティリオールの曲を思いだし、ラテン語である可能性に気付きました。
そして、やはりCe moys de may の中のこの語は karissime で、第一第二変化形容詞 karus の最上級 karissimus の男性単数呼格が名詞的に用いられていて、
ちなみに karissimus は carissimus とも綴られるようです。
すると Carissimi はパッと見イタリア語に見えるけれども、ラテン語と思うこともできて、その場合男性複数呼格で、
それでは、これまでの transcription において、karissime と単数に読めるものが、なぜ複数に解されていたのかが問題になりますが、詞の内容を見るかぎり複数と見做すべき積極的な理由は見当らないように思うのですが……どうでしょうか?(御意見求む。デュファイの場合、複数の写本に写されてることも多いので他の写本との校合により Carissimiなのかもしれませんね。)
そういうわけで、近々この曲の楽譜は改訂します。
特に、とりあえず Karissime になる予定です。
でも、「かりっしめ、でゅふぁーい」と歌うより「かりっしみ、でゅふぁーい」の方がカッコいい気も…なぁ〜んて。
2007年01月21日
モーダル記譜法を達観する!?
「今年の重点領域はノートル・ダム楽派」と年始に宣言した通りに、Apelの記譜法の教科書を読みながら、クラウズラやオルガヌムの MIDI をちょこちょこと up しています。
やっぱり Apel の教科書は、よく読めばわかるようにきちんと書かれていますね。おかげで、段々モーダル記譜法がわかってきた気がします。
少なくともどういう順序で勉強すれば良いかはわかります。
第一段階:モーダル記譜法の基本ルールに従っているディスカントゥス部分。これは誰でもすぐにできます。
第二段階:同じくディスカントゥス部分で、モードが変わるときの連結部分や曲全体の終止部分などのコプラ。ここではモーダル記譜法がだいぶ broken な形で用いられています。ただ brokenとはいってもよく見ると原則の骨格は残っていることがわかることが多いので、「正確な解答」を得ることは不可能にしても、大体の見当は付きそうです。
第三段階:organum duplum (2声のオルガヌム)のオルガヌム部分。この部分は、テノールが聖歌を長く引き伸ばしている上で、ソリストの即興的に歌うような部分で、「モーダル記譜法のルールには必ずしも従っていない」というのが、おそらく、共通の見解でしょう。ただ、どの程度まで「必ずしも…ない」のかが問題でしょう。
モーダル記譜法の勉強しはじめの最初の段階では、たしかにこのオルガヌム部分は全くモーダル記譜法に見えなくても不思議でないのですが、第二段階のコプラの部分を読む経験を多少積んでからだと、かなり違った風に見えてくることがわかります。
すなわち、オルガヌム部分も結構、モーダルなんじゃないかと…。
ただ、Waiteの現代譜をもとにしたマンロウの演奏みたいに、オルガヌム部分もディスカントゥス部分みたいにカチッカチッとしたリズムで急速な三拍子だったというのは、だいぶ変な気がするので、そこはディスカントゥス部分とは違って、ソリストによってゆったり朗朗と歌われていたのだろうと思われます。
それで、以上のような仮説のもとに MIDI を作ってみたのが、昨日 up した Benedicamus Domino だったりします。一応。
(今日、音色を弦からいつもの木管に変えました。)
初期ポリフォニーの曲もそうだけど、楽譜の解読のしかたが確定してないような曲を実際に音にするというのは非常に厄介で、既存の演奏を真似るとか、何か仮設的な原則を作るとかしないと不可能ですね。
ノートル・ダム楽派の2声のオルガヌムについては、以前レオニヌスのオルガヌムを作りかけて挫折した経験があるのですが、今年はこんなかんじでいけないかなぁ…と少し思っています。
やっぱり Apel の教科書は、よく読めばわかるようにきちんと書かれていますね。おかげで、段々モーダル記譜法がわかってきた気がします。
少なくともどういう順序で勉強すれば良いかはわかります。
第一段階:モーダル記譜法の基本ルールに従っているディスカントゥス部分。これは誰でもすぐにできます。
第二段階:同じくディスカントゥス部分で、モードが変わるときの連結部分や曲全体の終止部分などのコプラ。ここではモーダル記譜法がだいぶ broken な形で用いられています。ただ brokenとはいってもよく見ると原則の骨格は残っていることがわかることが多いので、「正確な解答」を得ることは不可能にしても、大体の見当は付きそうです。
第三段階:organum duplum (2声のオルガヌム)のオルガヌム部分。この部分は、テノールが聖歌を長く引き伸ばしている上で、ソリストの即興的に歌うような部分で、「モーダル記譜法のルールには必ずしも従っていない」というのが、おそらく、共通の見解でしょう。ただ、どの程度まで「必ずしも…ない」のかが問題でしょう。
モーダル記譜法の勉強しはじめの最初の段階では、たしかにこのオルガヌム部分は全くモーダル記譜法に見えなくても不思議でないのですが、第二段階のコプラの部分を読む経験を多少積んでからだと、かなり違った風に見えてくることがわかります。
すなわち、オルガヌム部分も結構、モーダルなんじゃないかと…。
ただ、Waiteの現代譜をもとにしたマンロウの演奏みたいに、オルガヌム部分もディスカントゥス部分みたいにカチッカチッとしたリズムで急速な三拍子だったというのは、だいぶ変な気がするので、そこはディスカントゥス部分とは違って、ソリストによってゆったり朗朗と歌われていたのだろうと思われます。
それで、以上のような仮説のもとに MIDI を作ってみたのが、昨日 up した Benedicamus Domino だったりします。一応。
- Benedicamus Domino (organum duplum)
- mp3: [mp3, 2.6M]
- MIDI: [GM], [SC-88]
- mp3: [mp3, 2.6M]
(今日、音色を弦からいつもの木管に変えました。)
初期ポリフォニーの曲もそうだけど、楽譜の解読のしかたが確定してないような曲を実際に音にするというのは非常に厄介で、既存の演奏を真似るとか、何か仮設的な原則を作るとかしないと不可能ですね。
ノートル・ダム楽派の2声のオルガヌムについては、以前レオニヌスのオルガヌムを作りかけて挫折した経験があるのですが、今年はこんなかんじでいけないかなぁ…と少し思っています。
2006年12月27日
The Early Music Show
先週、土日のBBC Radio3, The Early Music Show は、久々の本格的中世音楽のプログラム(14世紀、チョーサーの時代の音楽)で良いです。
興味のある方は是非どうぞ。今週中なら聴けます。
Chaucer 1
Chaucer 2
一日目は Gothic Voices の創始者 Christopher Page がゲストでした。(司会の Lucie Skeaping も Page も早口なので私にはかなり厳しかったです。)
この一日目では全盛期の Gothic Voices の演奏が沢山聴けました。
二日目は実は今まさに聴いてるところなのですが、チョーサーのカンタベリー物語の朗読の上に、 BGM に様々な中世音楽がたて続けに流れていて面白いです。
朗読の内容がもうちょっと理解できるときっと楽しいのだけど…現代英語訳でも厳しいですねぇ。
興味のある方は是非どうぞ。今週中なら聴けます。
Chaucer 1
Chaucer 2
一日目は Gothic Voices の創始者 Christopher Page がゲストでした。(司会の Lucie Skeaping も Page も早口なので私にはかなり厳しかったです。)
この一日目では全盛期の Gothic Voices の演奏が沢山聴けました。
二日目は実は今まさに聴いてるところなのですが、チョーサーのカンタベリー物語の朗読の上に、 BGM に様々な中世音楽がたて続けに流れていて面白いです。
朗読の内容がもうちょっと理解できるときっと楽しいのだけど…現代英語訳でも厳しいですねぇ。
2006年12月16日
布袋さんの Sumer is icumen in
布袋 厚さんの一人多重録音による(ルネサンス)合唱曲のサイト
ルネサンス音楽の部屋 salle de musique renaissante
に、とうとう、「Sumer is icumen in 夏がやってきた」が up されました!
みなさま、是非聴いてみてください。
中世の曲が一人多重録音でネットに up されたのは、これが初めてのことかもしれません。(わかりませんが。)
それと、「まうかめ堂」のBBSにも少し書きましたが、この曲のオリジナル通りの演奏はヒリアード・アンサンブルのものを除いて私はほとんど知らないのですが、それがこのようにネットで誰でも聴けるようになったというのは、素晴しいことだと思います。
それにしても、構想から半年以上かかって完成とのこと、大変な作業に敬服いたします。
「まうかめ堂」のマショーのバラードみたいに、その日に楽譜をパラパラめくって曲を決めてから up するまでせいぜい4時間ぐらいというのとは大ちがいですね…。
ルネサンス音楽の部屋 salle de musique renaissante
に、とうとう、「Sumer is icumen in 夏がやってきた」が up されました!
みなさま、是非聴いてみてください。
中世の曲が一人多重録音でネットに up されたのは、これが初めてのことかもしれません。(わかりませんが。)
それと、「まうかめ堂」のBBSにも少し書きましたが、この曲のオリジナル通りの演奏はヒリアード・アンサンブルのものを除いて私はほとんど知らないのですが、それがこのようにネットで誰でも聴けるようになったというのは、素晴しいことだと思います。
それにしても、構想から半年以上かかって完成とのこと、大変な作業に敬服いたします。
「まうかめ堂」のマショーのバラードみたいに、その日に楽譜をパラパラめくって曲を決めてから up するまでせいぜい4時間ぐらいというのとは大ちがいですね…。
2006年07月16日
知らなかった…
TMLでノートル・ダム楽派のオルガヌムに関する13世紀の論文Discantus positio vulgaris「ディスカントゥスにおける通常の配置」をつらつらと見ていて衝撃の記述が…。
リガトゥーラに関して、二つの音符からなるリガトゥーラは前がブレヴィス後ろがロンガ、三つのときは(休符がそれに先行するなら)ロンガ-ブレヴィス-ロンガ、四つなら全部ブレヴィス、ということが書かれた後で、五つ以上からなるリガトゥーラに関して
Quodsi plures quam quatuor fuerint, tunc quasi regulis non subjacent, sed ad placitum proferuntur.
いい加減訳:四つより多いときは規則が無いみたいだから好きなようにやっていいよ。
ad placitum (= as it is pleasing)ときたもんです。
モーダル記譜法では、初めから厳密に書き記そうという意志は無かったのかもしれませんね。
リガトゥーラに関して、二つの音符からなるリガトゥーラは前がブレヴィス後ろがロンガ、三つのときは(休符がそれに先行するなら)ロンガ-ブレヴィス-ロンガ、四つなら全部ブレヴィス、ということが書かれた後で、五つ以上からなるリガトゥーラに関して
Quodsi plures quam quatuor fuerint, tunc quasi regulis non subjacent, sed ad placitum proferuntur.
いい加減訳:四つより多いときは規則が無いみたいだから好きなようにやっていいよ。
ad placitum (= as it is pleasing)ときたもんです。
モーダル記譜法では、初めから厳密に書き記そうという意志は無かったのかもしれませんね。