2008年01月27日

「春の祭典」からマショー、デュファイを参照するブーレーズ

ブーレーズと中世音楽について書き散らかすのも、今回で最後となる予定です。

今回は、超有名な「はるさい」の分析論文『ストラヴィンスキーは生きている』(これも「ブーレーズ音楽論 徒弟の覚書」ピエール・ブーレーズ著、船山隆、笠羽映子訳所収)の一節についてです。

これはストラヴィンスキーの『春の祭典』の主にリズム構造に関する詳細な分析論文ですが、この論文には個人的な思い入れが非常に強いです。

ここは、私のブログなので、私が個人的な話をしても悪いことはないでしょう、ということで少し個人的な話をします。

多くの人は若いころに良い意味で世界観をひっくり返すような衝撃的なものに出会うものと思いますが、それが私の場合はストラビの『春の祭典』でした。

14歳のころ、とある6月の日曜日に、ほとんどジャケ買いをしたショルティのLP(そう、ぎりぎりLPです!)を聴いてあまりのショックにまさに茫然となったのがそもそものはじまりです。

それ以来世界が『春の祭典』を中心に回り始めるのですが、当時すごくもどかしかったのは、その強烈な思いを表現するための言語を全く持たなかったことです。

そういうもやもやした状態がその後何年も続きましたが、後に渋谷のYAMAHAでフルスコアを入手、これで事態は解決するかと思いきや、困難は深まるばかりでした。

すなわち、スコアには全てが書かれているはずなのに、実際手をのばせば音楽そのものに触れることさえできるのに、その音楽のもつ真の力を捕まえることができないという、さらなるもどかしさに直面したのです。

ほどなく船山隆著「ストラヴィンスキー」を読み、ブーレーズの論文のことを知ります。そしてその半年後ぐらいにようやくこの論文集を入手します。
書泉グランデで見付けたときに思わず「あった!」と叫んだ記憶があります。

で、その後しばらく、この本をまさにむさぼるように読みました。後にも先にもあんな読み方をしたことはないでしょうね。本当に若かったです。

そして、この「はるさい」の論文も期待に違わずすごく衝撃的でしたが、その話をしはじめると今回それだけで終わってしまいますのでそれはパス。

でも、一言だけいうなら、パッと見「野性」と形容しうる強烈な音響と強烈なリズムからなるこの曲の、厚い神秘のヴェールに覆われているかのようなヴァイタリティーでさえ、極めて整然とした、「理性的な」分析によって語りうるのだ、ということが最も衝撃的なことでした。しかもブーレーズは音楽自体から決してブレません。

さて、ようやく本題に入れます。
今回取り上げたいのは、この論考のまさに本論が終わったその後にかかれた「後記」の部分です。そこでは唐突に(というか最初に読んだときは本当に唐突に感じたということなのですが)、ド・ヴィトリ、マショー、デュファイの名とともにアイソリズム・モテトが言及されるのです。

まずはその導入部分から。
人々は、リズムに対するわれわれのかくも一方的な姿勢を非難したり、あるいはわれわれがリズムに与える過大な重要性に驚いたりするかもしれない。事実、われわれにとって語法の問題自体は、セリー技法の採用ーそれは次第に普及したーによって、以前よりもはるかに解決に近づいているように思われる。したがって本質的な課題は、一つの均衡を回復することである。あらゆる音楽研究分野のかたわらにあって、実際、リズムの浴している恩恵といえば、誰もが常識的な教則本の中に見いだせるようなきわめて簡略な観念でしかない。そこに見いだすべきなのは、単に教育的欠陥だけだろうか?いっそう正当に次のことが考えられる。すなわち、ルネッサンス末期以降、リズムは他の音楽構成要素と同等には考えられなくなり、直観や良い趣味に過分な分け前が与えられるようになったということである。

たしかに、いわゆるフツーのクラシック音楽を聴いてるだけだと、ルネサンス以前、とりわけ中世にリズムに関してあんなことが行われていたなんて知りえないですからね。
われわれ西欧の音楽において、リズムに対するもっとも理性的な姿勢を見いだそうとすれば、フィリップ・ド・ヴィトリ、ギョーム・ド・マショー、ギョーム・デュファイの名を引き合いにださなければならない。彼らのアイソリズム・モテトは、カデンツに含まれる様々なゼクエンツに対するリズム構造の構築的な価値を断固として証明するものである。現代の諸探求にとってこの時代のそれ以上にすぐれた先例が求められようか。音楽は、この時代においては、単に一つの芸術としてのみならず、同時に一つの学問として考えられていた。つまりそのことによって、あらゆる種類の安易な誤解は(少なからず安易なスコラ学は永続したにせよ)回避されていたのである。

ここでギョーム・ド・ヴァンのデュファイ作品集の序文からの引用が入った後に
したがって、現代の多くの聴き手にとって、また多くの作曲家にとってさえ考えられないように思われることが明らかとなる。つまり、それらのモテトのリズム構造は書く行為(エクリチュール)に先立って存在していたということである。そこに見られるのは、単に分離現象だけではなく、まさしく、17世紀以来西欧音楽の発展を通じてわれわれが守っているのとは正反対の方法である。

まさにセリー音楽において、例えば音高の組合せがあらかじめセリーによって決められているように、アイソリズム・モテトで最初に与えられ/与えるのは定旋律と各声部のリズム構造です。

この際の作曲の具体的プロセスは、定旋律によって陰に規定されている和声構造にしたがって各声部に音を配分していくような作業になることが容易に予想されます。

にもかかわらずマショー、デュファイのアイソリズム・モテトの獲得している自由さと自発性には聴くたびに驚かされます。その驚きは作品の構造についての理解が深まれば深まるほど、より大きくなっていく種類のものです。

さあ、ここで、上で引用を省略したギョーム・ド・ヴァンの言葉を引くのが良いかもしれません。
ギョーム・ド・ヴァンは、デュファイの作品集の序文で次のように述べている。「アイソリズム法は、十四世紀の音楽理想のもっとも洗練された表現であり、ごく少数の人々によってだけ洞察されることが出来、作曲家の技倆に関する至上の証明の基礎となっていた本質であった。…諸処の束縛が、リズム構造のもっとも微細な部分をもあらかじめ決定する一つのプランがもつ厳格な次元によって課せられていた。しかしそれらの束縛は、少しもこのカンブレ人の霊感に限界を与えはしなかった。というのも、彼のモテトは、アイソリズム・カノンが事実厳密に守られているにもかかわらず、自由で自発的な作品という印象を与えるからである。デュファイの作品を十四世紀の諸作全体(マショーの作品を除く)から区別しているのは、まさに旋律とリズム構造のあいだに成立している調和のとれた均衡である。」

今後は、いくつかのアイソリズム・モテトについて分析的なことをやってみることにしましょうか。
posted by まうかめ堂 at 22:13| Comment(2) | TrackBack(0) | 中世音楽

2008年01月26日

ブーレーズはマショーをどう見ていたのか

吐き出せるときに吐き出しておきましょう、ということで、もう一つ二つ、ブーレーズと中世音楽関係のことを書き散らかします。

再び「ブーレーズ音楽論 徒弟の覚書」(ピエール・ブーレーズ著、船山隆、笠羽映子訳)から、ある音楽事典のために書かれた文書の中から、「対位法」についての文章についてです。

これはまさに音楽事典の「対位法」の項目に書かれた対位法の解説ですが、ただの辞書的な解説に留まらない、きわめてブーレーズ的なものになっています。

その中で、それこそ中世から現代にいたる対位法の歴史が、簡潔にして高密度に記述されるのですが、その記述は極めてフランス人ぽいというか、読者に全く媚びないというか、「着いてこれるやつだけ着いてくれば…。こっちは必要十分に解説してるもんね」みたいなところがあって、私は結構好きです。

それで、この中で、「アルス・ノヴァ」、とりわけマショーについてブーレーズが非常に高く見てることに、驚かされます。
「アルス・ノーヴァ」はポリフォニーの変遷におけるもっとも輝かしい時期の一つである。きわめて急速な発展が生じたのは、定量記譜法のおかげである。この時期は、フィリップ・ド・ヴィトリのような大理論家の名や、あらゆる時代を通じてもっとも偉大な作曲家の一人、ギョーム・ド・マショーの名に結びつけられる。ここでわれわれが目撃するのは、リズムや旋律による各声部のきわめてはっきりした区別である。展開は、いっそう精緻な旋律と流動的なリズムによって、より変化に富んだ柔軟なものとなるが、このリズム的柔軟性は、今日なお一方ならずわれわれを驚かせる。他方「終止クラウズラ」の確立は、展開に対して一種の三和声的な基礎を保証する。人々は、声部間で模倣を行なういくつかの用法を見いだし始める。マショーの音楽は、まったく驚くべき複雑さや精緻さや精妙さを示している。マショーは、旋律対位法の領域においてもリズム対位法の領域においても同様に、完璧な技倆をわが物としたのである。彼の音楽はヨーロッパ音楽の発展のなかで一つの頂点を成している。

訳がところどころ変なのと、いまでも「終止クラウズラ」なんていい方するのかなというのはありますが、マショーに対する評価が異様に高いですね。
「あらゆる時代を通じてもっとも偉大な作曲家の一人、ギョーム・ド・マショー」であり、「彼の音楽はヨーロッパ音楽の発展のなかで一つの頂点を成している。」ですから。

これに比べるとその後のフランドル楽派や、16世紀末の対位法の「黄金時代」に関しては割とそっけなかったりします。

で、次に明確に重要視されているのは、大バッハです。
それ以降(モンテヴェルディ以降)の音楽は、対位法的な考え方と和声的な概念の交錯を目ざした。ヨーハン・セバスティアン・バッハについては次のようにいうことができる。すなわち、彼は17世紀以降の書法の発展すべてを見事にしかも効果的に要約している、と。まさしくバッハにおいては、二つの書法類型の間にきわめて緊密な結び付きが見いだされ、またその結びつきは、彼以後もはやそれほど容易に達成されないような一致を示している。現在でも学校の対位法は、とくに彼の作品から引かれた範例にしたがって教えられている。バッハはわれわれに「対位法大全」とも言えるものを残したが、そこには、人間の獲得し得る書法上の全知識が要約された形で見いだされる。この大全は、『フーガの技法』、『音楽の捧げもの』、(チェンバロのための)『ゴールドベルク変奏曲』および(オルガンのための)『"高き天より”に基づく変奏曲』を含んでいる。これらの四つの作品には、模倣から厳格なカノンに至るまで、自由な対位法や厳格な対位法の諸形式がすべて見いだされる。


さらに興味深いことに、対位法の教育に関してこんなことも言っています。
しかし現代の対位法教育においては、より多くの考慮がバッハ以前の作曲家たちに与えられることが望ましい。大部分の教師たちにとっては、音楽が始まるのはまさしくバッハからということになっているのだ。ルネッサンスの側からおずおずとした侵入が行われはしたが、「オルガヌム」から古典派の時代に至る対位法の発展に誠実に基づいた教育は何もない。さらにテキストそのものを識ることも、それらの出版物が数少なかったり、高価であったりするために、ひじょうな制限を加えられている。

これは現在でも全く当てはまる指摘でしょう。
バッハが偉大であることは疑いようのないことです。「音楽の父」と呼ばれ、それ以前の全ての音楽はバッハに集約されており、それ以後の音楽の発展の全てがバッハに遡れるというものの見方は一つの観点として正しいでしょう。

バッハは西洋音楽においてもっとも高い山(の一つ)なわけですね。

しかしそれは一つ陥穽でもあります。すなわち、あまりに大きな山なのでその向こうが見えなくて、また、その山を登って越えることなど極めて困難なことです。

確かに、バッハには中世音楽のかすかな残響さえ聴くことができます。が、しかし、「集約」は「取捨選択」であり「選別」です。ある種のフィルタリングです。当然のことながらバッハに中世音楽そのものを聴くことなどできません。

バッハの向こう側に行くためには、一度「飛ぶ」必要がどうしてもあるようです。ヘリかなにかで山の向こうにポンと飛ぶ。

そうするとさらなる山々が連なっているのが見えるのですが、今飛び越えてきた高い山と同じくらい高い山に出会うことになります。

それがマショーです。

というか、マショーの高さを正当に見極められるかがどうかは、バッハを音楽の「始まり」とみなす類の立場、「バッハの重力圏」から抜け出ることが出来るかどうかにかかっていると言っても良いかもしれません。

(もう一つ「バッハの重力圏」から抜けだせるかどうかが問題になるのは20世紀音楽に向き合うときでしょう。)

ブーレーズの同じ文書の中にこんな一節があります。

たしかに、今や音楽の発展は、モノディーであり次いでポリフォニー(対位法から和声)であった二つの段階のあとで、第三の段階に入りつつあり、それは一種の「ポリフォニーのポリフォニー」であるように思われる。すなわち、もはや単なる堆積ではなく、音程の「配分」が要請されるのである。大ざっぱな表現だが、今や音楽には新たな次元が存在する、といえるだろう。このポリフォニックな観念は、いわゆるリズム語法の発展に助けられている。そしてたしかに、中世以来、あらゆる領域において、現在ほどの鋭さをもって問題提起がなされたことは未だかつてなかったように思われる。現代と「アルス・ノーヴァ」の間に正当な権利をもって存在し得るのは、以上のような比較だけだろう。

なかなか理解しにくい一文ですが、この文章は1960年ごろ書かれており、「ポリフォニーのポリフォニー」という「第三の段階」をセリーに託したブーレーズの夢はそれほど成功しなかったようにも今となっては見えます。

しかし、ブーレーズが当時一体何を夢見ていたのか、そしてそれとの関連においてアルス・ノヴァの中に何を見ていたのかは非常に興味のあるところです。

そういうわけで、私がマショーの MIDI を作るのは、ブーレーズを理解するためだと言ってもよいでしょう。
posted by まうかめ堂 at 20:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 中世音楽

2008年01月20日

デュファイのアイソリズム・モテト

今年に入って立て続けにデュファイの MIDI を up してますが、今や私はデュファイのアイソリズム・モテトに夢中です。

実は、私はアイソリズム・モテトをまうかめ堂で取り上げるのを今までずっと避けてきました。なぜならば、アイソリズム・モテトは、ジャンルとして、あるいは技法として、中世音楽の精華というべきか、最終到達点というべきか、もっとも高度なポリフォニーであって、最後に来るべきものだと思っていたからです。

それで、ほとんど気まぐれにデュファイの二曲を作ってみたら、何かわかってしまいました。
今までまうかめ堂で MIDI なりなんなりを作ってきた本当の目的は、アイソリズム・モテトをきちんと理解することだったということを…。(いままで気づきませんでした。)

そしてその向こう側には20世紀音楽、とりわけセリー音楽をきちんと理解するという20年来の宿題が見えかくれしていて、いずれは、中世音楽と現代音楽をてこに「通常の」西洋音楽史における図と地を反転させるようなものの見方を形にしようとするかもしれません…が、これだけでは、何を言ってるのかわかりませんね。

まあ、それはさておき、デュファイです。
アイソリズム・モテトです。

デュファイのアイソリズム・モテトは、13世紀のモテトを胚とし、ド・ヴィトリ、マショー、チコーニア、ダンスタブル、と続く系譜の最後にくるものです。

デュファイは音楽の歴史としてみるならば、ルネサンスと呼ばれる時代の最初の作曲家であり、新しい時代を切り拓いたパイオニアであるわけですが、時代の移り変わりはもちろんある日を境に起こるわけではありません。つまり昨日まで中世で、今日からルネサンスだという特定の日付は存在しません。

デカルトの中にスコラ哲学が流れ込んでいてその養分の上に近代哲学が切り拓かれたように、デュファイの中には中世音楽の全てが流れ込んでいて、そこに深く根を下ろしています。

その大きな残響は、一方では彼の多くの世俗シャンソンに響いており、また一方では、アイソリズム・モテトにおいてより直接的に発現しています。

しかし、デュファイはその音楽家としての人生の半ば(1440年代前半)で、もはや時流にそぐわなくなったアイソリズム・モテトの作曲をやめてしまいます。

すなわち、デュファイこそが、中世音楽を完全に終わらせた墓堀人だということもできます。

これに関して、ウエルガス・アンサンブルのデュファイのアイソリズム・モテト集のCDによせられた、この団体のリーダーであるパウル・ファン・ネーヴェルの言葉が極めて的確にこれを表現しています。
1440年代、個人の表現、ポリフォニー的音響の感覚性(sensualite)、テクストの内容へのヒューマニスティックなアプローチがますます重要になってくる時代にあって、アイソリズム・モテトの厳密な数学的制約にもはや未来がないことはデュファイにとって明白なことだったにちがいない。この意味で、デュファイのアイソリズム・モテトは、マショー、ダンスタブル、チコーニアによって準備されたこの中世の多声音楽の概念の頂点をなすと同時に、若かりしデュファイが完全に同意していた形式概念の終焉をも表現している。彼のアイソリズム・モテトは、中世の凋落のある種の加速された音楽的なヴィジョンを形成している。(主に仏語訳からのまうかめ堂のテキトー訳)

しばらくアイソリズム・モテトとその周辺をうろつくことになると思います。
posted by まうかめ堂 at 18:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 中世音楽

2007年05月19日

Ce moys de may の詞にもう一言だけ

デュファイの Ce moys de may の詞について書き連ねておりますが、最後にもう一言だけ。今回はこれまで私が目にしてきた詞の transcription とは、意見を異にする箇所の話です。

詞の全文とまうかめ堂による適当な訳については数日前の記事を参照してください。
問題にしたい箇所は、最初から四行目

Pour despiter ces felons en vieux.

の、en vieux です。
これは、私の所有する全ての詞の transcription では envieux と一語になっています。しかし写本のファクシミリを見ると en vieux と、はっきり二語に見えるように書かれています。

少し詳しく言うなら、この箇所は楽譜の中に書かれている詞なので、場合によっては語の区切が必ずしも明確ではありません。というのは、現代のようにハイフンによって語のつながりと区切をはっきりさせるという習慣なんて無かったからです。

にもかかわらず、これが二語に見えるのは、vieux の最初の v が大きめに、語頭であることを強調するかのように書かれているからです。しかも三パート全部同じようにです。

では、これを envieux と一語に読む積極的な理由はあるだろうか、と考えてみます。私は最初、詞の文脈から envieux 一語説が正しいだろうと思っていました。しかし今回改めて検討してみて、二語 en vieux が意味的にピッタリくるという結論になりました。それについて説明します。

まず、そこにいたるまでの詞を最初から見てみましょう。

Ce moys de may soyons lies et joyeux
Et de no cuer ostons merancolie.
Chantons, dansons, et menons chiere lie,
Pour despiter ces felons en vieux.

この五月、陽気に楽しくやろう
そして心の中から憂さを追い出そう
歌って踊って明るい顔をしよう
en vieux な反逆者(裏切り者)に負けないために


さて、最初の三行は意味的に明解です。疑問の入る余地はあまりないでしょう。

ところが四行目になると、いきなり ces felons (反逆者、裏切り者、冷酷な者、不敬な輩)を despiter する(軽蔑する、挑戦する、負けない、立ち向かう、反する)という詞になっていてちょっと???と思うことになります。「反逆者」もしくは「裏切り者」が唐突に登場するので…。

で、 en vieux もしくは envieux は、その ces felon (「反逆者」「裏切り者」)に掛かるというので間違いないでしょうが、 en vieux と envieux どちらが意味的に正しそうか。

envieux は、現代英語で対応物を見付けるなら見たまま envious で、当時も同じ意味、すなわち「うらやましがる、妬み深い」となるようです。
だから ces felons envieux だとすると「嫉妬深い反逆者たち」というような意味になります。
これで、もちろん意味は通りますが、やはり「反逆者」が何なのか、何に反逆してるのかがわからないままです。(想像はできますが…。)

では en vieux ではどうか。英語にそのまま直すとしたら in old となります。これだとさらに???ですね。

でも、次のような意味だと思うとしっくりくる気がします。
フラ語の前置詞 en は英語の in と同様、意味が広いですが、ここでは状態を表すものと考えます。すなわち en vieux は「古い状態にある」です。

それで、改めてこの歌の内容を思い出しますと、これは「春の歌」です。冬は遠くに去って、新緑が生い茂り、生命が新生を向かえる新しい季節の歌です。過ごしやすい良い季節で日の光も明るい、だからみんなで浮かれて楽しくやろうよ、歌って踊ってさぁ、という歌です。

それでようやく ces felons en vieux の意味が見えてきます。つまり ces felons en vieux というのは、春になってみんな浮かれて楽しい気分になってるのにいつまでも冬みたいに暗い顔してるノリの悪い連中のことということになります。それが「反逆者」であるのは「五月の新鮮さ、明るさに反逆してるから」ですね。

以上のように理解すると私には非常にしっくりくるように思うのですがいかがでしょうか?

やっぱり折角写本のオリジナルを見ているなら、詞もしっかり見ないといけませんね。それと CD に付いてるような詞もその訳も、もとよりそれらはいい加減なものでは決してないでしょうが、そのまま鵜呑みにするというわけにもいかないようですね。

いやはや、古い音楽と付き合うのって大変です。

それから、この曲の詞について、もう一箇所明確に理解できてない箇所があります。後ろの方の

Car la saison semont tous amoureux
A ce faire, pourtant n'y fallons mie.

というところで、n'y fallons mie の意味がいまひとつ私にははっきりしません。みなさまの御意見求む、です。
posted by まうかめ堂 at 18:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 中世音楽

2007年05月18日

デュファイの Ce moys de may のまうかめ堂訳

Ce moys de may soyons lies et joyeux
Et de no cuer ostons merancolie.
Chantons, dansons, et menons chiere lie,
Pour despiter ces felons en vieux.

Plus c'onques mais chascuns soit curieux
De bien servir sa maistresse jolie.

Ce moys de may...

Car la saison semont tous amoureux
A ce faire, pourtant n'y fallons mie.
Karissime! Dufay vous en prie
Et Perrinet dira de mieux en mieux.

Ce moys de may...

この五月、陽気に楽しくやりましょうよ
そして心の中から憂さを追い出そう
歌って踊って明るい顔をしよう
老けこんでるひねくれ者は蹴散らしちゃえ

各人はいつにもまして念入りに
うるわしの御婦人によく仕えよう

この五月…

なぜなら季節が愛する者すべてを誘うのだ
こうするように、だからこの機を逃さないでね
Oh my Dear! デュファイたってのお願いだ
そうすればペリネもますますいいこと言うだろうし

この五月…


[MIDI]
posted by まうかめ堂 at 02:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 中世音楽

2007年05月13日

デュファイの Ce moys de may の詞

みなさま、こちらではお久しぶりです。

ここ数ヶ月、本業の方で論文を書いていたために、他のことに使う余力がありませんでした。というわけでだいぶ御無沙汰になってしまいました。

それはさておき、「まうかめ堂」の最近の出来事として、アメリカの某大学のコンピューターサイエンスのさる教授(以下 O 教授)と、デュファイの Ce moys de may の詞に関してちょっとしたやりとりをしているというのがあります。

最初はその O 教授が、「まうかめ堂」の Ce moys de may の楽譜を見て、自分で作成した詞の英訳を送ってくれたのが事の始まりでした。そのメールでは、「自分でも source を見たいんだけども、あなたはどこで見たのか?」と訊いてきていて、「ファクシミリが出版されていて云々」と答えました。すると、先週になって、 O 教授が自身でファクシミリを検討した結果が、詳細なコメントとともに送られてきて、これを昨日今日、私の方で検討してみたところ、「まうかめ堂」の楽譜の詞の間違いもいくつか見付かったのと、あと、いろいろ面白い発見がありました。

O 教授の偉いところは Larousse の中仏語辞典をひき倒しながら、徹底的に自力で解読しようとしているところです。

一方、私の方はといえば、詞に関しては半ば諦めていて、というのはそれが目的の中心ではないからでもありますが、不明な箇所が出てきたら、市販の楽譜とか、CDのブックレットの中の詞とか、既存のものを参照してその中から最も納得のいくもので埋めとくことにしています(笑)。
さすがに自分が習熟してない中仏語のテクストの専門家による transcription をクリティークするわけにはいきかねますからね…。
(実はこれ、「まうかめ堂」で、楽譜の需要が最も多いにもかかわらずそれを無闇に増やすわけにいかない理由でもあります。補完して下さるかた募集。)

さて、それでO 教授の詞の transcription を見ていてわかったことがいくつかあります。

・私はこの Ce moys de may の詞を、何らかの形で印刷されたものを四つほど持っています。(Besseler 校訂の楽譜、CDの詞等)。もしかしたら、その全てが重要な局面で単一の transcription (Besseler か?)に依拠しているかもしれない感じがしてきました。

・例えば些細なところでは "Por despiter" という箇所。
写本に忠実に読むなら "Pour despiter"の方が良いかもしれません。
ただこれはほとんど表記の仕方が違うだけなのであまり問題にはなりません。

・ちょっと問題なのは "Carissimi" というパッと見イタリア語が突如現れる箇所です。写本ではどう見ても "k(?)rissime" のように読めます。
当然のことながら O 教授は「何であんたの transcription は Carissimi! になってるの?」と噛みついてきます。
いえ、私の所有する全ての詞が Carissimi になってるから、そのまま写しただけなんですけどね…。

しかし、ここはちょっと根拠をはっきりさせないと問題かなとも思いました。

それで、しばらく写本を眺めながら「カリッシミ、カリッシミ」と呟いていたら、これはイタリア語じゃなくてラテン語なんじゃないかと思いあたりました。
(先程言ったイタリア語というのは、私も O 教授も勝手にそう思ってたことなんですね…。)

より詳しく言うと、「カリッシミ、カリッシミ」と呟いていたら Antonius 'Zacharias' de Teramo という人の Sumite, karissimi というモデナ写本に含まれるアルス・スブティリオールの曲を思いだし、ラテン語である可能性に気付きました。

そして、やはりCe moys de may の中のこの語は karissime で、第一第二変化形容詞 karus の最上級 karissimus の男性単数呼格が名詞的に用いられていて、「親愛なる友よ」(訂正)「最愛なるものよ」という呼び掛けの意味になってると解するのが一番自然のように見えてきました。

ちなみに karissimus は carissimus とも綴られるようです。
すると Carissimi はパッと見イタリア語に見えるけれども、ラテン語と思うこともできて、その場合男性複数呼格で、「親愛なる友たちよ」(訂正)「最愛なるものたちよ」というような意味になります。イタリア語と見做しても複数のようです。

それでは、これまでの transcription において、karissime と単数に読めるものが、なぜ複数に解されていたのかが問題になりますが、詞の内容を見るかぎり複数と見做すべき積極的な理由は見当らないように思うのですが……どうでしょうか?(御意見求む。デュファイの場合、複数の写本に写されてることも多いので他の写本との校合により Carissimiなのかもしれませんね。)

そういうわけで、近々この曲の楽譜は改訂します。
特に、とりあえず Karissime になる予定です。

でも、「かりっしめ、でゅふぁーい」と歌うより「かりっしみ、でゅふぁーい」の方がカッコいい気も…なぁ〜んて。
posted by まうかめ堂 at 22:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 中世音楽

2007年01月21日

モーダル記譜法を達観する!?

「今年の重点領域はノートル・ダム楽派」と年始に宣言した通りに、Apelの記譜法の教科書を読みながら、クラウズラやオルガヌムの MIDI をちょこちょこと up しています。

やっぱり Apel の教科書は、よく読めばわかるようにきちんと書かれていますね。おかげで、段々モーダル記譜法がわかってきた気がします。

少なくともどういう順序で勉強すれば良いかはわかります。

第一段階:モーダル記譜法の基本ルールに従っているディスカントゥス部分。これは誰でもすぐにできます。

第二段階:同じくディスカントゥス部分で、モードが変わるときの連結部分や曲全体の終止部分などのコプラ。ここではモーダル記譜法がだいぶ broken な形で用いられています。ただ brokenとはいってもよく見ると原則の骨格は残っていることがわかることが多いので、「正確な解答」を得ることは不可能にしても、大体の見当は付きそうです。

第三段階:organum duplum (2声のオルガヌム)のオルガヌム部分。この部分は、テノールが聖歌を長く引き伸ばしている上で、ソリストの即興的に歌うような部分で、「モーダル記譜法のルールには必ずしも従っていない」というのが、おそらく、共通の見解でしょう。ただ、どの程度まで「必ずしも…ない」のかが問題でしょう。

モーダル記譜法の勉強しはじめの最初の段階では、たしかにこのオルガヌム部分は全くモーダル記譜法に見えなくても不思議でないのですが、第二段階のコプラの部分を読む経験を多少積んでからだと、かなり違った風に見えてくることがわかります。

すなわち、オルガヌム部分も結構、モーダルなんじゃないかと…。

ただ、Waiteの現代譜をもとにしたマンロウの演奏みたいに、オルガヌム部分もディスカントゥス部分みたいにカチッカチッとしたリズムで急速な三拍子だったというのは、だいぶ変な気がするので、そこはディスカントゥス部分とは違って、ソリストによってゆったり朗朗と歌われていたのだろうと思われます。

それで、以上のような仮説のもとに MIDI を作ってみたのが、昨日 up した Benedicamus Domino だったりします。一応。

(今日、音色を弦からいつもの木管に変えました。)

初期ポリフォニーの曲もそうだけど、楽譜の解読のしかたが確定してないような曲を実際に音にするというのは非常に厄介で、既存の演奏を真似るとか、何か仮設的な原則を作るとかしないと不可能ですね。

ノートル・ダム楽派の2声のオルガヌムについては、以前レオニヌスのオルガヌムを作りかけて挫折した経験があるのですが、今年はこんなかんじでいけないかなぁ…と少し思っています。
posted by まうかめ堂 at 18:27| Comment(4) | TrackBack(0) | 中世音楽

2006年12月27日

The Early Music Show

先週、土日のBBC Radio3, The Early Music Show は、久々の本格的中世音楽のプログラム(14世紀、チョーサーの時代の音楽)で良いです。

興味のある方は是非どうぞ。今週中なら聴けます。

Chaucer 1
Chaucer 2

一日目は Gothic Voices の創始者 Christopher Page がゲストでした。(司会の Lucie Skeaping も Page も早口なので私にはかなり厳しかったです。)

この一日目では全盛期の Gothic Voices の演奏が沢山聴けました。

二日目は実は今まさに聴いてるところなのですが、チョーサーのカンタベリー物語の朗読の上に、 BGM に様々な中世音楽がたて続けに流れていて面白いです。

朗読の内容がもうちょっと理解できるときっと楽しいのだけど…現代英語訳でも厳しいですねぇ。
posted by まうかめ堂 at 00:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 中世音楽

2006年12月16日

布袋さんの Sumer is icumen in

布袋 厚さんの一人多重録音による(ルネサンス)合唱曲のサイト

ルネサンス音楽の部屋 salle de musique renaissante

に、とうとう、「Sumer is icumen in 夏がやってきた」が up されました!

みなさま、是非聴いてみてください。

中世の曲が一人多重録音でネットに up されたのは、これが初めてのことかもしれません。(わかりませんが。)
それと、「まうかめ堂」のBBSにも少し書きましたが、この曲のオリジナル通りの演奏はヒリアード・アンサンブルのものを除いて私はほとんど知らないのですが、それがこのようにネットで誰でも聴けるようになったというのは、素晴しいことだと思います。

それにしても、構想から半年以上かかって完成とのこと、大変な作業に敬服いたします。

「まうかめ堂」のマショーのバラードみたいに、その日に楽譜をパラパラめくって曲を決めてから up するまでせいぜい4時間ぐらいというのとは大ちがいですね…。
posted by まうかめ堂 at 16:44| Comment(0) | TrackBack(1) | 中世音楽

2006年07月16日

知らなかった…

TMLでノートル・ダム楽派のオルガヌムに関する13世紀の論文Discantus positio vulgaris「ディスカントゥスにおける通常の配置」をつらつらと見ていて衝撃の記述が…。

リガトゥーラに関して、二つの音符からなるリガトゥーラは前がブレヴィス後ろがロンガ、三つのときは(休符がそれに先行するなら)ロンガ-ブレヴィス-ロンガ、四つなら全部ブレヴィス、ということが書かれた後で、五つ以上からなるリガトゥーラに関して

Quodsi plures quam quatuor fuerint, tunc quasi regulis non subjacent, sed ad placitum proferuntur.

いい加減訳:四つより多いときは規則が無いみたいだから好きなようにやっていいよ。

ad placitum (= as it is pleasing)ときたもんです。
モーダル記譜法では、初めから厳密に書き記そうという意志は無かったのかもしれませんね。
posted by まうかめ堂 at 03:11| Comment(2) | TrackBack(0) | 中世音楽

2006年07月13日

今日のクラウズラ

二日ほど前に「ノートル・ダム楽派様式のクラウズラを自作する」ということをしましたが、今日も一つ作りました(笑)。

Regis Aevus 2 (Clausula)

しかし、良い悪いを別にするならいくらでもできますね。クラウズラが実用上必要であるよりもはるかに大量に作られた理由は案外こういうところにあったのかもしれませんね。

第1モードは何となくわかってきたので、次は第2か第3モードで作りましょう。(←って、まだ作る気?)
posted by まうかめ堂 at 00:20| Comment(5) | TrackBack(0) | 中世音楽

2006年07月10日

ノートル・ダム楽派様式のクラウズラを自作する

中世の様式の多声音楽を自作してみるというのは、やってみても良いことだなぁ、と前々から思っておりました。

で、一番作りやすそうな、ノートル・ダム楽派のディスカント様式の2声のオルガヌム(クラウズラか?)を作ってみました。

作るだけなら、異様なまでに簡単で、15分ぐらいでできました。工程は以下の通り。
1.定旋律を持ってくる。
2.テノール(定旋律)のリズムを決める。
3.対旋律を、原則的に強拍でテノールと完全八度、または完全五度になるように作る。まずは基本の第一モード。

で、とりあえずできたものがこれ。→Regis Aevus (Clausula)

初めてにしてはまずまずと自己評価したいところですが、中世においても平行五度八度や場合によっては隠伏五度八度も避けられた傾向があるようなのでその辺は調整した方が良いかも…。

次は3声のオルガヌムでしょうか。それができたらアルス・アンティカの様式のモテト、ホケトゥス。それができたらアイソリズム・モテト…かな?

註:上の曲の定旋律にはグレゴリオ聖歌ではなくて、日本人なら誰でも知ってる曲が使ってあります。題名はその勝手なラテン語訳です。
posted by まうかめ堂 at 23:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 中世音楽

2006年06月04日

マショーのバラード 2声 vs 3声以上

今年の「重点領域」と年の初めに定めたマショーのバラード「チクルス」も、それなりに着々と量産できていて、2声曲は全曲 MIDI 化を終え、3声曲に突入しはじめました。
そこで、2声と3声では全く世界が違うのだという、非常に興味深い事実に気付きました。

それは「2声のようなフレキシビリティーが3声には無い」、「3声曲の構造は2声曲よりはるかに rigid である」、という口に出してしまうと当たり前に聞こえることなのですが、作ってみてそれを実際に体感できたというのはちょっと良い経験です。

これに関して二つのことを思いました。

第一には、中世音楽は単旋律のものと多声のものに大きく分けられますが、多声音楽もそれに匹敵するような差異として2声と3声以上に分けられるということです。

これは、単旋から2声への飛躍と2声から3声への飛躍がそれぞれかなりの期間を要したのに、3声から4声以上への敷衍は比較的短期間で行われたということと本質的に関わることと思われます。

またこれはノートルダム楽派におけるモーダル記譜法の導入とも微妙に関わってくることです。すなわちレオニヌスの時代までのような多分に即興的要素を含む2声の音楽においては必ずしもリズムをrigid に書き記さなくとも容易に「調和=協和」のための同期が得られたわけですが、3声以上で同期するとなると「時間 tempus」を何らかの意味で「計量する mensurare」必要が生じるわけです。

ただ、この辺の発展のモチベーションの核心がどこにあったのかは微妙かつ難しい問題ではないかと思います。つまり、3声以上に拡張するためにリズムの構造化が起こったのか、最初に2声において既にリズムの構造化が起こってそれが自然に3声に拡張されたのか、はたまたそれらが同時に起こったのか…。

面白いのは、完全に計量された音楽であるマショーの作品においても2声曲と3声曲の間にこれほど実感できるほどに差があったということです。

二番目には、トレチェントの曲で2声曲のウェイトが大きいのは、そのフレキシビリティーと直接関わっているようだということ。

確かにトレチェントの decorative な旋律重視の表現においては2声曲の方が圧倒的に作りやすそうです。
(カッチャは例外ですね。カッチャも旋律重視の音楽であることには変わりないと思いますが、これは系統が別ですね。)


マショーに話を戻しますが、3声の曲でもう一つ興味深く思ったのはコントラテノールの豊かさです。マショーの3声曲ではコントラテノールがいわば「狂言回し」になってるんじゃないかと…。

例えば、 Gais et joli ではAパート(二回くりかえす前半部分)で、三分の一ぐらいのところでコントラテノールに上声部のAパートのエンディング(二回目の方)の予示が既に出てくるんですね。しかも上声部のフレーズの切れ目にかぶせるような形で…。

本当に面白いですね、コントラテノール、和声やリズムの補完的声部にとどまるわけでなく、近代以降の音楽で言うところのオブリガートとも違う、マショーを始めとするこの時代のポリフォニーは本当に興味深いです。

また、これは、最近BBSの方でちらっと言った、コントラテノールにチェロ、Tテノールにハープシコード、というMUSICA ANTIQUAの Myoushin さんがよく使われている楽器法がしっくりくるということと関わっています。

チェロの音って大抵の音源でかなり分厚いウェイトのある音なのですが、これを敢えてコントラテノールに置き、上声部とがっつり対決させて、その分テノールを撥弦楽器にしてウェイトを軽くしておくと面白いぐらい良いバランスになるんですね。

マショーも、マショーの MIDI 化も興味が尽きないです。
posted by まうかめ堂 at 04:29| Comment(4) | TrackBack(0) | 中世音楽

2005年12月23日

今度こそ振動数は槌の重さに反比例しない

ちょっと前に書いた二つの記事の「槌の振動数」についてもう一度考えてみました。

「振動数は槌の重さに反比例しない?!」

「やっぱり振動数は槌の重さに反比例する?!」


仮定をもう一度述べますと、簡単のため直方体の金属棒(というか等方性の弾性体の棒)の横方向の振動のみを考えます。

このとき基本振動数と棒のサイズの間の関係は次のようです。(今度こそ正しい、はず…。)

基本振動数は長さの自乗に反比例し厚さに比例する


(これまでは曲げのモーメントの計算で間違っていました。)

「長さの自乗に反比例」というのは「はあ、そうですか」という感じでそれなりに納得もいくのですが、「厚さに比例」というのはちょっと一瞬、直観に反する気もします。鉄琴の金属板の厚さを二倍にするとオクターブ上がるというのは一瞬不思議な感じもしますが、厚くなるとそれだけ曲げのモーメントが大きくなる(曲げるのにより力が必要になる)のでそれが効いてるわけですね。

でも、こうなると、ピタゴラスが鍛冶屋で協和音程が整数比と関係付けられることを「重さ」を通じて発見できるもう一つの可能性が出てきましたね。

つまり、叩いてみて出る音が協和してる長さの同じ二つの直方体の金属棒の「重さ」を計ると整数比だったということがありえます。実は「厚さ」がその比だったということですね。

まあでも、いずれにしても「槌の重さ」自体に比例 or 反比例というのはなさそうです。

また、これ以上、「伝説」に対して云々してもどうかと思うのでこのへんでこの話題は終わりにしたいと思います。
posted by まうかめ堂 at 16:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 中世音楽

2005年12月10日

やっぱり振動数は槌の重さに反比例する?!

直前の記事の訂正です。形を相似のまま直方体の金属板の重さを変えると、その金属板を叩いたときの振動数は重さに反比例しそうです。

まちがいがあったのは次の主張です。

振動数は長さの自乗に反比例し断面積に比例する


断面積が増えると質量が増えるので、それで振動数が増えるのはおかしいですね。もういちど考えなおしてみたら、どうも次が正しいようです。

振動数は長さの自乗に反比例する。そして断面積の1/2乗に反比例する。


ということは、すべての辺を2の立方根倍して体積を二倍にすると(したがって重さも二倍になる)と、振動数はちょうど半分になることになります!

振動数が辺の長さに依存するときの次数が方向によって異なるので、これはちょっと不思議ですね。やっぱり自明ではないです。

まとめますと、直方体の金属を相似なまま大きさを変えるとき、それを叩いて出る音の基本振動数は重量に反比例する

どなたか弾性体の力学の知識がある方、以上の議論を検証して下さるとありがたいです。
posted by まうかめ堂 at 20:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 中世音楽

振動数は槌の重さに反比例しない?!

中世の旋法理論について少しまじめに勉強しようと思い、久しぶりに金澤正剛先生の『中世音楽の精神史』を読んでいて、以前には疑問に思わずにスルーしてたけれど、よくよく考えてみると自明でないあることに気付きました。

それは、ピタゴラスが耳に心地良く響く協和音程が数比で表現されることを発見する伝説に関するものです。

ある日のこと、鍛冶屋の前を偶然に通ったピタゴラスは、何人かの職人が打っている槌の音が共鳴して快い協和音を発していることに気付いた。
最初それはそれぞれの槌を打っている職人たちの力の入れ方であると考え、職人たちに槌を持ち替えて打ってみるように頼んだが、それぞれの槌の打ち手が替わっても、変わらなかった。

そこでさらに調べてみるうちに、音の高さの違いは、その槌の重量の違いと関係があることに気づいた。すなわちそこにはちょうど五本の槌があったが、他の槌と不協和音を生ずる槌一本を除けば、他の四本の槌の重さは次のような数比の関係にあることが解ったのでる。

12 : 9 : 8 : 6


これはボエティウスの『音楽教程』に出てくる有名な逸話で、後の理論書、例えばヨハンネス・デ・グロケイオの『音楽論』などにも引用される話です。

さて、ここで、最後に現れる数比 12 : 9 : 8 : 6 が、現代の科学的な理解ではそのまま振動数の比(正確には逆比)を表すことは、コンテクストから明白です。

ただ、今回私が自明でないと思ったのは、その振動数が槌の重さに反比例するかどうかです。

例えば弦の場合なら、均質な材質でできてる弦で張力が同じであれば、(横振動の)振動数が長さに(したがって重量に)反比例することは物理的に正しいことです。

ただ槌の場合、材質が金属の塊で、弦とは振動の様式、というか従う運動方程式自体が異ります。その上形状が複雑なので、その分境界条件も複雑になります。仮に重さの比が整数比である異なる槌が相似な形であったとしても、それがそのまま振動数の比に一致するかは全く自明ではありません。

そこで、複雑な形状の槌について運動方程式を厳密に解くことは不可能にしても、槌を直方体であると見做してしまって振動数が形状そして重さにどうのように依存するのかを理解しようと思いました。

というわけで、6、7年ぶりにクーラン=ヒルベルトの『数理物理学の方法』を開きました。

courant.jpg

(いやはや、名著というのはたまに読むと本当に良さが心にしみてくるものですね。)

さて、それで、詳細は省きますが結論としては、金属の直方体を鳴らしたときにそれの音程と認識されるであろう基本振動数(fundamental frequency)は、一番長い辺に横断的な方向への振動により与えられるもので、長さの自乗に反比例し断面積に比例するということがわかりました。

つまり単純に相似なまま重さを二倍にしても振動数は半分にはならない、振動数が重さに反比例するためにはうまく形状を変えなければならない、ということになります。

(弦では長さの一乗に反比例するのに金属の棒あるいは板では二乗に反比例するのは、弦では時間方向にも空間方向にも二階の偏微分方程式である波動方程式に従うのに対して、金属棒では時間方向には二階だけど空間方向には四階の偏微分方程式に従うことが反映しています。)

以上のような話をスタンコお嬢さんにしてみたら、こんなことを言いはじめました。

「鳴っているのは槌ですか?むしろ叩かれてる金属板の方ではないですか」と…。
「仏壇のチーンでは叩く棒は鳴りません。」

さすがスタンコお嬢さんです。言われてみればもっともであります。
でも、そうだとしても上の考察した状況により近くなるだけで結論は変わりません。

まあ、もともとこのピタゴラスの逸話は、あくまで逸話であって、基となる出来事はあったかもしれないけれどもそのまま事実というわけではないでしょう。

仮にピタゴラスが鍛冶屋で何かを発見したとして、それは音に関する定性的な事実だったのかもしれません。つまり重い金属を叩くと低い音がするというような…。
数比と協和の関係については弦を通じて発見したのではないか、などと憶測してみたりもします。

それにしても、協和における「数比」というのは、現代では振動数の比という非常に具体的に実体を持ったものとして理解できるわけですが、もちろんピタゴラスの時代にはそういう理解ではなかったわけで、もっと抽象的な概念的なものだったわけです。にもかかわらず「万物は数である」という、それが言われてから2000年以上たってから近代科学がその言葉に血と肉を与えることになる世界観を打ち出したピタゴラスってやっぱりすごいのかも、などと思ったりもします。
posted by まうかめ堂 at 18:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 中世音楽