2006年07月13日

今日のクラウズラ

二日ほど前に「ノートル・ダム楽派様式のクラウズラを自作する」ということをしましたが、今日も一つ作りました(笑)。

Regis Aevus 2 (Clausula)

しかし、良い悪いを別にするならいくらでもできますね。クラウズラが実用上必要であるよりもはるかに大量に作られた理由は案外こういうところにあったのかもしれませんね。

第1モードは何となくわかってきたので、次は第2か第3モードで作りましょう。(←って、まだ作る気?)
posted by まうかめ堂 at 00:20| Comment(5) | TrackBack(0) | 中世音楽

2006年07月10日

ノートル・ダム楽派様式のクラウズラを自作する

中世の様式の多声音楽を自作してみるというのは、やってみても良いことだなぁ、と前々から思っておりました。

で、一番作りやすそうな、ノートル・ダム楽派のディスカント様式の2声のオルガヌム(クラウズラか?)を作ってみました。

作るだけなら、異様なまでに簡単で、15分ぐらいでできました。工程は以下の通り。
1.定旋律を持ってくる。
2.テノール(定旋律)のリズムを決める。
3.対旋律を、原則的に強拍でテノールと完全八度、または完全五度になるように作る。まずは基本の第一モード。

で、とりあえずできたものがこれ。→Regis Aevus (Clausula)

初めてにしてはまずまずと自己評価したいところですが、中世においても平行五度八度や場合によっては隠伏五度八度も避けられた傾向があるようなのでその辺は調整した方が良いかも…。

次は3声のオルガヌムでしょうか。それができたらアルス・アンティカの様式のモテト、ホケトゥス。それができたらアイソリズム・モテト…かな?

註:上の曲の定旋律にはグレゴリオ聖歌ではなくて、日本人なら誰でも知ってる曲が使ってあります。題名はその勝手なラテン語訳です。
posted by まうかめ堂 at 23:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 中世音楽

2006年06月04日

マショーのバラード 2声 vs 3声以上

今年の「重点領域」と年の初めに定めたマショーのバラード「チクルス」も、それなりに着々と量産できていて、2声曲は全曲 MIDI 化を終え、3声曲に突入しはじめました。
そこで、2声と3声では全く世界が違うのだという、非常に興味深い事実に気付きました。

それは「2声のようなフレキシビリティーが3声には無い」、「3声曲の構造は2声曲よりはるかに rigid である」、という口に出してしまうと当たり前に聞こえることなのですが、作ってみてそれを実際に体感できたというのはちょっと良い経験です。

これに関して二つのことを思いました。

第一には、中世音楽は単旋律のものと多声のものに大きく分けられますが、多声音楽もそれに匹敵するような差異として2声と3声以上に分けられるということです。

これは、単旋から2声への飛躍と2声から3声への飛躍がそれぞれかなりの期間を要したのに、3声から4声以上への敷衍は比較的短期間で行われたということと本質的に関わることと思われます。

またこれはノートルダム楽派におけるモーダル記譜法の導入とも微妙に関わってくることです。すなわちレオニヌスの時代までのような多分に即興的要素を含む2声の音楽においては必ずしもリズムをrigid に書き記さなくとも容易に「調和=協和」のための同期が得られたわけですが、3声以上で同期するとなると「時間 tempus」を何らかの意味で「計量する mensurare」必要が生じるわけです。

ただ、この辺の発展のモチベーションの核心がどこにあったのかは微妙かつ難しい問題ではないかと思います。つまり、3声以上に拡張するためにリズムの構造化が起こったのか、最初に2声において既にリズムの構造化が起こってそれが自然に3声に拡張されたのか、はたまたそれらが同時に起こったのか…。

面白いのは、完全に計量された音楽であるマショーの作品においても2声曲と3声曲の間にこれほど実感できるほどに差があったということです。

二番目には、トレチェントの曲で2声曲のウェイトが大きいのは、そのフレキシビリティーと直接関わっているようだということ。

確かにトレチェントの decorative な旋律重視の表現においては2声曲の方が圧倒的に作りやすそうです。
(カッチャは例外ですね。カッチャも旋律重視の音楽であることには変わりないと思いますが、これは系統が別ですね。)


マショーに話を戻しますが、3声の曲でもう一つ興味深く思ったのはコントラテノールの豊かさです。マショーの3声曲ではコントラテノールがいわば「狂言回し」になってるんじゃないかと…。

例えば、 Gais et joli ではAパート(二回くりかえす前半部分)で、三分の一ぐらいのところでコントラテノールに上声部のAパートのエンディング(二回目の方)の予示が既に出てくるんですね。しかも上声部のフレーズの切れ目にかぶせるような形で…。

本当に面白いですね、コントラテノール、和声やリズムの補完的声部にとどまるわけでなく、近代以降の音楽で言うところのオブリガートとも違う、マショーを始めとするこの時代のポリフォニーは本当に興味深いです。

また、これは、最近BBSの方でちらっと言った、コントラテノールにチェロ、Tテノールにハープシコード、というMUSICA ANTIQUAの Myoushin さんがよく使われている楽器法がしっくりくるということと関わっています。

チェロの音って大抵の音源でかなり分厚いウェイトのある音なのですが、これを敢えてコントラテノールに置き、上声部とがっつり対決させて、その分テノールを撥弦楽器にしてウェイトを軽くしておくと面白いぐらい良いバランスになるんですね。

マショーも、マショーの MIDI 化も興味が尽きないです。
posted by まうかめ堂 at 04:29| Comment(4) | TrackBack(0) | 中世音楽

2005年12月23日

今度こそ振動数は槌の重さに反比例しない

ちょっと前に書いた二つの記事の「槌の振動数」についてもう一度考えてみました。

「振動数は槌の重さに反比例しない?!」

「やっぱり振動数は槌の重さに反比例する?!」


仮定をもう一度述べますと、簡単のため直方体の金属棒(というか等方性の弾性体の棒)の横方向の振動のみを考えます。

このとき基本振動数と棒のサイズの間の関係は次のようです。(今度こそ正しい、はず…。)

基本振動数は長さの自乗に反比例し厚さに比例する


(これまでは曲げのモーメントの計算で間違っていました。)

「長さの自乗に反比例」というのは「はあ、そうですか」という感じでそれなりに納得もいくのですが、「厚さに比例」というのはちょっと一瞬、直観に反する気もします。鉄琴の金属板の厚さを二倍にするとオクターブ上がるというのは一瞬不思議な感じもしますが、厚くなるとそれだけ曲げのモーメントが大きくなる(曲げるのにより力が必要になる)のでそれが効いてるわけですね。

でも、こうなると、ピタゴラスが鍛冶屋で協和音程が整数比と関係付けられることを「重さ」を通じて発見できるもう一つの可能性が出てきましたね。

つまり、叩いてみて出る音が協和してる長さの同じ二つの直方体の金属棒の「重さ」を計ると整数比だったということがありえます。実は「厚さ」がその比だったということですね。

まあでも、いずれにしても「槌の重さ」自体に比例 or 反比例というのはなさそうです。

また、これ以上、「伝説」に対して云々してもどうかと思うのでこのへんでこの話題は終わりにしたいと思います。
posted by まうかめ堂 at 16:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 中世音楽

2005年12月10日

やっぱり振動数は槌の重さに反比例する?!

直前の記事の訂正です。形を相似のまま直方体の金属板の重さを変えると、その金属板を叩いたときの振動数は重さに反比例しそうです。

まちがいがあったのは次の主張です。

振動数は長さの自乗に反比例し断面積に比例する


断面積が増えると質量が増えるので、それで振動数が増えるのはおかしいですね。もういちど考えなおしてみたら、どうも次が正しいようです。

振動数は長さの自乗に反比例する。そして断面積の1/2乗に反比例する。


ということは、すべての辺を2の立方根倍して体積を二倍にすると(したがって重さも二倍になる)と、振動数はちょうど半分になることになります!

振動数が辺の長さに依存するときの次数が方向によって異なるので、これはちょっと不思議ですね。やっぱり自明ではないです。

まとめますと、直方体の金属を相似なまま大きさを変えるとき、それを叩いて出る音の基本振動数は重量に反比例する

どなたか弾性体の力学の知識がある方、以上の議論を検証して下さるとありがたいです。
posted by まうかめ堂 at 20:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 中世音楽

振動数は槌の重さに反比例しない?!

中世の旋法理論について少しまじめに勉強しようと思い、久しぶりに金澤正剛先生の『中世音楽の精神史』を読んでいて、以前には疑問に思わずにスルーしてたけれど、よくよく考えてみると自明でないあることに気付きました。

それは、ピタゴラスが耳に心地良く響く協和音程が数比で表現されることを発見する伝説に関するものです。

ある日のこと、鍛冶屋の前を偶然に通ったピタゴラスは、何人かの職人が打っている槌の音が共鳴して快い協和音を発していることに気付いた。
最初それはそれぞれの槌を打っている職人たちの力の入れ方であると考え、職人たちに槌を持ち替えて打ってみるように頼んだが、それぞれの槌の打ち手が替わっても、変わらなかった。

そこでさらに調べてみるうちに、音の高さの違いは、その槌の重量の違いと関係があることに気づいた。すなわちそこにはちょうど五本の槌があったが、他の槌と不協和音を生ずる槌一本を除けば、他の四本の槌の重さは次のような数比の関係にあることが解ったのでる。

12 : 9 : 8 : 6


これはボエティウスの『音楽教程』に出てくる有名な逸話で、後の理論書、例えばヨハンネス・デ・グロケイオの『音楽論』などにも引用される話です。

さて、ここで、最後に現れる数比 12 : 9 : 8 : 6 が、現代の科学的な理解ではそのまま振動数の比(正確には逆比)を表すことは、コンテクストから明白です。

ただ、今回私が自明でないと思ったのは、その振動数が槌の重さに反比例するかどうかです。

例えば弦の場合なら、均質な材質でできてる弦で張力が同じであれば、(横振動の)振動数が長さに(したがって重量に)反比例することは物理的に正しいことです。

ただ槌の場合、材質が金属の塊で、弦とは振動の様式、というか従う運動方程式自体が異ります。その上形状が複雑なので、その分境界条件も複雑になります。仮に重さの比が整数比である異なる槌が相似な形であったとしても、それがそのまま振動数の比に一致するかは全く自明ではありません。

そこで、複雑な形状の槌について運動方程式を厳密に解くことは不可能にしても、槌を直方体であると見做してしまって振動数が形状そして重さにどうのように依存するのかを理解しようと思いました。

というわけで、6、7年ぶりにクーラン=ヒルベルトの『数理物理学の方法』を開きました。

courant.jpg

(いやはや、名著というのはたまに読むと本当に良さが心にしみてくるものですね。)

さて、それで、詳細は省きますが結論としては、金属の直方体を鳴らしたときにそれの音程と認識されるであろう基本振動数(fundamental frequency)は、一番長い辺に横断的な方向への振動により与えられるもので、長さの自乗に反比例し断面積に比例するということがわかりました。

つまり単純に相似なまま重さを二倍にしても振動数は半分にはならない、振動数が重さに反比例するためにはうまく形状を変えなければならない、ということになります。

(弦では長さの一乗に反比例するのに金属の棒あるいは板では二乗に反比例するのは、弦では時間方向にも空間方向にも二階の偏微分方程式である波動方程式に従うのに対して、金属棒では時間方向には二階だけど空間方向には四階の偏微分方程式に従うことが反映しています。)

以上のような話をスタンコお嬢さんにしてみたら、こんなことを言いはじめました。

「鳴っているのは槌ですか?むしろ叩かれてる金属板の方ではないですか」と…。
「仏壇のチーンでは叩く棒は鳴りません。」

さすがスタンコお嬢さんです。言われてみればもっともであります。
でも、そうだとしても上の考察した状況により近くなるだけで結論は変わりません。

まあ、もともとこのピタゴラスの逸話は、あくまで逸話であって、基となる出来事はあったかもしれないけれどもそのまま事実というわけではないでしょう。

仮にピタゴラスが鍛冶屋で何かを発見したとして、それは音に関する定性的な事実だったのかもしれません。つまり重い金属を叩くと低い音がするというような…。
数比と協和の関係については弦を通じて発見したのではないか、などと憶測してみたりもします。

それにしても、協和における「数比」というのは、現代では振動数の比という非常に具体的に実体を持ったものとして理解できるわけですが、もちろんピタゴラスの時代にはそういう理解ではなかったわけで、もっと抽象的な概念的なものだったわけです。にもかかわらず「万物は数である」という、それが言われてから2000年以上たってから近代科学がその言葉に血と肉を与えることになる世界観を打ち出したピタゴラスってやっぱりすごいのかも、などと思ったりもします。
posted by まうかめ堂 at 18:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 中世音楽