バリトン歌手の松平敬さんの一人多重録音アカペラCD、MONO-POLI を聴いてみましたので感想を書きたいと思います。
このディスクの内容はかなり凄くて、「夏は来たりぬ」のカノンから、松平氏本人の自作曲まで、700年超に及ぶ全31曲を全て一人で演奏されています。そのチャレンジングな内容と、これだけのディスクを作り上げるのに要した手間ひまには本当に頭の下がる思いがします。演奏のクオリティーも非常に高く、一聴の価値ありだと思います。
そういうわけでまうかめ堂的大絶賛のディスクです、と言いたいところだったのですが、実際にそう言おうとすると、若干の齟齬の感覚が残ります。一体このひっかかる感じはなんなのだろう???、と、もやもやしているのですが、それをはっきり言語化しようとして、今これを書いています。
前述のように、中世からルネサンス、バロック、古典派、ロマン派、近代、戦後の前衛音楽そして現在にいたるまできわめて広範なレパートリーが録音されていて、しかも終わりに置かれたマショーの「我が終わりは我が始まり」の逆行カノンにならって、曲順は古い作品から新しい作品へと順に進み、ちょうど真ん中に置かれた氏の最新の自作で折り返し、また古い作品へと進んで行くという凝ったつくりになっています。
しかもその選曲にはそのカノンという軸線を通し、さまざまな時代のさまざまなカノンが配されているという念の入れようです。
で、これは確かに面白い趣向であって、若いころの私だったらきっと喝采を送ったにちがいありません。しかし、どうもこれを手放しで絶賛できないのは、少々意地悪く聞こえるいい方をするなら、思い付きをやってみました以上の意図が見当たらないことにあります。
例えば、さまざまな時代のさまざまな音楽が雑然と並んでいるという印象が拭えません。唯一の軸線たるカノンについても、色んなものをとにかく集めてみました程度の極めて弱いつながりしか感じとれないのがとても残念に思います。せっかく魅力的なテーマを設定しているのだから、中世以来現在に至るまで、その表層的な装いを絶えず変化させながら営まれてきた、カノンという実践の精髄が聴こえてくるような作りになってると良かったのにな、なんてことを思ってしまいます。
また一人多重録音ということに関して、クラシック音楽に於ける録音が生演奏の代替物、あるいは記録という認識が未だ強いことに抗して、音素材への現代テクノロジーの積極的な介入によるサウンドクリエイティング(ポピュラー音楽では既に当り前のこと)への強い意志が自身の手による解説から窺うことができ、そのことにはとても共感を覚えるのですが、実際それがどれほどの水準で達せられているかというと、それほど高いところまで到達しているようには見えないことも残念に思う点です。
もちろん松平氏は声楽のエキスパートであり、それぞれの音素材の素晴らしさについては私がどうこう言えるものではないのですが、次のような感想を持ちます。
「夏は来たりぬ」の演奏がルネサンス音楽の部屋における布袋厚さんの演奏を本質的に越えているかというと、そうでは無いと思います。
13世紀のモテト Alle psallite cum luya の演奏が、この演奏が参照していると思われるマンロウの演奏より魅力的かというと、これもそうではありません。
15世紀イギリスのキャロル Lullay... がアノニマス4より美しいかというと、これもそうとは感じません。
つまり、折角一人多重録音という「茨の道」を果敢に進んでいるのに、そのことが真に効を奏している曲があまりに少ないと思うのです。
私が思うにこのやりかたがその威力を遺憾なく発揮している曲は、ケージの二曲と松平氏の自作曲の3曲だけのように思います。
惜しいのはリゲティの Lux aeterna ですね。これ、サンプリングでやったら面白かったんじゃないかと思います。実はこの曲、私が「初音ミク」に歌わせたいと思う曲の一つでした。
また、私の感覚ではこのディスクを、次のものたちよりも低く評価せざるをえません。
グレン・グールドのいくつかのディスク
富田勲の最良の作品
マイク・オールドフィールドの「チューブラー・ベルズ」
ブーレーズの「春の祭典」の最初の録音(自身の分析論文を「鳴らす」ために実演ではありえないバランスのミキシングがされている箇所があります)
スティングによる Dowland: Can you excuse my wrongs
というわけで齟齬の感覚についての結論が出ました。
つまり、試みは素晴らしいが、それが必ずしも十全に生きているわけではない、です。
さて、音楽それ自体についての感想は大体以上ですが、松平氏自身の手による解説でいくつか気になる点がありますので少し書きたいと思います。
まず「夏は来たりぬ」のカノンの成立年代が「1240年頃」とされていますが、これは誤りで、「1280から1310年ごろ」というのがきちんとした実証研究による現在の結論であるようです。ただ、イギリス人研究者は現在でもあれこれ理由をつけて「1240年頃」説を固持しようとするそうなので、この場合に限っては彼らの言うことを信ずるべきではないでしょう。
また「カノンとは、自然界にありふれた「こだま」の効果を音楽化したものだ」とありますが、これはいかがなものかと…。
なんというか、それは、例えば「太古の人類が感きわまって叫び声を上げたとき、音楽が誕生した」なんていうのと同程度の深さの意味しか持ちえない命題に聞こえます。
これに対してはいろいろなことが言えますが、まずカノンの原義にもどるなら、あるいはカノンの歴史をひもとくならば、輪唱形式の単純カノンのみがカノンだというわけではないですし、輪唱形式のカノンが全てのカノンの原型であったというわけでもおそらくなかったでしょうし、輪唱形式のカノン自体も「こだま」の効果の音楽化としてその発生の根拠を捉えることはそれほど自明でないだろうと思います。
逆に「こだま」の効果を目指して書かれたホルストの最晩年のカノンみたいな特殊な例もありますが…。
以上、いろいろごちゃごちゃ書きましたが、最初に言ったように一聴の価値はあると思いますよ。なにしろ面白いディスクですから…。
2010年03月26日
2006年12月20日
Gothic Voises のソラージュ
イギリスのア・カペラ古楽グループ Gothic Voices の新譜 "The Unknown Lover - Songs by Solage and Machaut" が出てたので聴いてみました。
(上の Gothic Voices のサイトの Recordings のところで試聴できます。)
プログラムは、なんと、世界最初のソラージュ全曲録音です。(作者不詳だけどソラージュ作の可能性のあるものも含みます。それと軽めのマショーが数曲。)
ということで、ものすごく期待に胸を膨らませて聴きました。しかし…。
ちょっと残念な内容でした。
まず第一に、Gothic Voices にしては演奏がちょっと下手です。いや、一般的に言えば必ずしも下手な演奏では決してないのですが、あくまで「Gothic Voices にしては」です。
創設者の Christopher Page がいなくて古参メンバーが二人しか残っていないと、現ヒリアード・アンサンブルのメンバーでもある Steven Harrold が参加していてもこのレベルなのかという感じでした。
かつての、実は機械でやってるんじゃないかという精巧なア・カペラは見る影もない…と言っては言い過ぎですが、ちょっと残念でした。
二番目に、楽譜の解読にだいぶ疑問が残ります。特にムジカ・フィクタにはうなずけないところが多いです。機械的に「減5度は完全5度に修正」みたいなことをやっているように聴こえます。
それではだめじゃないかと……特にソラージュは…。
現代譜を作って歌っているのかどうかはわかりませんが、解読には音楽学者の Yolanda Plumley が関わっているようにライナーノートからは推測できます。
この人すごく興味深い仕事をしてる人なのですが、実践は苦手なのでしょうか。(←このパラグラフは完全に邪推です。)
結論としましては、かつての Gothic Voices ファンにはあまりお勧めできませんが、アルス・スブティリオール・ファンの人(そんな人どのくらいいるのだろう)には一枚のディスクでソラージュの全曲が聴けるというのはかなり魅力的かもしれません。
演奏も上のサイトで試聴してもらえばわかる通り、全くダメというわけではないですし…。
あ、上のサイトでもこれ以外の(もっと上手かったころの)ディスクも試聴ができますが、次の hyperion のページでも何曲か試聴できて、こっちの方が音質がいいみたいです。
hyperion の Gothic Voices のページ
(上の Gothic Voices のサイトの Recordings のところで試聴できます。)
プログラムは、なんと、世界最初のソラージュ全曲録音です。(作者不詳だけどソラージュ作の可能性のあるものも含みます。それと軽めのマショーが数曲。)
ということで、ものすごく期待に胸を膨らませて聴きました。しかし…。
ちょっと残念な内容でした。
まず第一に、Gothic Voices にしては演奏がちょっと下手です。いや、一般的に言えば必ずしも下手な演奏では決してないのですが、あくまで「Gothic Voices にしては」です。
創設者の Christopher Page がいなくて古参メンバーが二人しか残っていないと、現ヒリアード・アンサンブルのメンバーでもある Steven Harrold が参加していてもこのレベルなのかという感じでした。
かつての、実は機械でやってるんじゃないかという精巧なア・カペラは見る影もない…と言っては言い過ぎですが、ちょっと残念でした。
二番目に、楽譜の解読にだいぶ疑問が残ります。特にムジカ・フィクタにはうなずけないところが多いです。機械的に「減5度は完全5度に修正」みたいなことをやっているように聴こえます。
それではだめじゃないかと……特にソラージュは…。
現代譜を作って歌っているのかどうかはわかりませんが、解読には音楽学者の Yolanda Plumley が関わっているようにライナーノートからは推測できます。
この人すごく興味深い仕事をしてる人なのですが、実践は苦手なのでしょうか。(←このパラグラフは完全に邪推です。)
結論としましては、かつての Gothic Voices ファンにはあまりお勧めできませんが、アルス・スブティリオール・ファンの人(そんな人どのくらいいるのだろう)には一枚のディスクでソラージュの全曲が聴けるというのはかなり魅力的かもしれません。
演奏も上のサイトで試聴してもらえばわかる通り、全くダメというわけではないですし…。
あ、上のサイトでもこれ以外の(もっと上手かったころの)ディスクも試聴ができますが、次の hyperion のページでも何曲か試聴できて、こっちの方が音質がいいみたいです。
hyperion の Gothic Voices のページ
2006年06月10日
ノートル・ダム・ミサのディスク
前にもノートル・ダム・ミサのディスクについて書きかけたのですが(旧「まうかめ堂日記」)、意欲が続かず立ち消えになっていました。
ちょうどいい機会なので、再挑戦です。フットワークを軽くするためにランキング形式です。
第一位:Ensemble Gilles Binchois, Dominique Vellard
純粋に響きの美しさでこれが一位です。
第二位:Taverner Consort & Choir , Andrew Parrott
これについては旧「まうかめ堂日記」でちょっと書きました。
第三位:Oxford Camerata , Jeremy Summerly (NAXOS)
演奏者の力量と演奏自体の出来に関しては第四位のカペラに及ばないものの、演奏の素直さ・堅実さ、そして1000円という価格の良さ、さらに長大なレー Le lay de bonne esperance の見事な演奏が聴けるという点でこれを三位にしました。
第四位:ヴォーカル・アンサンブル・カペラ
これについては別の記事でちょっと書きました。
第五位:Deller Consort , Alfred Deller, 1961, DHM
歴史的録音でDeutch Harmonia mundi で比較的安く買えるので一度は聴いてみても良い演奏だと思います。(日本盤もあったはずです。)現代のピッチのやたらと正確な整然とした演奏を聴きなれていると「エーッ」ということになるかもしれませんが、よくよく聴くと味わいがわかってくるものと思います。
第六位:Ensemble Organum Marcel Peres
ここからあまり勧められなくなりますね。派手にこぶしをまわした強烈な節回しの演奏を怖いもの見たさで聴いてみたいと思う人のみ聴いてください。
第七位:Hilliard Ensemble, Paul Hillier
ヒリアードなので下手だとかそういうことは全くないのだけどいまひとつパッとしなかったものです。「泉のレー」は他では聴けないのでそのために買っても…でも、ちょっと微妙でしょうか。
第八位:Clemencic Consort, Rene Clemencic
これは私は最初から最後まで通して聴いた記憶がないディスクです(笑)。ここまで来ると私もついて行けません。
私が持っているのはこの八枚です。(しかし、八枚も持っていたのかと、自分でもちょっと驚きです。)
でもまだまだ沢山あるんですよね…。
それと、ランキング形式は書きやすいですね。
この方法で中世音楽のCDについてちょっとまとめられそうかも…。
ちょうどいい機会なので、再挑戦です。フットワークを軽くするためにランキング形式です。
第一位:Ensemble Gilles Binchois, Dominique Vellard
純粋に響きの美しさでこれが一位です。
第二位:Taverner Consort & Choir , Andrew Parrott
これについては旧「まうかめ堂日記」でちょっと書きました。
第三位:Oxford Camerata , Jeremy Summerly (NAXOS)
演奏者の力量と演奏自体の出来に関しては第四位のカペラに及ばないものの、演奏の素直さ・堅実さ、そして1000円という価格の良さ、さらに長大なレー Le lay de bonne esperance の見事な演奏が聴けるという点でこれを三位にしました。
第四位:ヴォーカル・アンサンブル・カペラ
これについては別の記事でちょっと書きました。
第五位:Deller Consort , Alfred Deller, 1961, DHM
歴史的録音でDeutch Harmonia mundi で比較的安く買えるので一度は聴いてみても良い演奏だと思います。(日本盤もあったはずです。)現代のピッチのやたらと正確な整然とした演奏を聴きなれていると「エーッ」ということになるかもしれませんが、よくよく聴くと味わいがわかってくるものと思います。
第六位:Ensemble Organum Marcel Peres
ここからあまり勧められなくなりますね。派手にこぶしをまわした強烈な節回しの演奏を怖いもの見たさで聴いてみたいと思う人のみ聴いてください。
第七位:Hilliard Ensemble, Paul Hillier
ヒリアードなので下手だとかそういうことは全くないのだけどいまひとつパッとしなかったものです。「泉のレー」は他では聴けないのでそのために買っても…でも、ちょっと微妙でしょうか。
第八位:Clemencic Consort, Rene Clemencic
これは私は最初から最後まで通して聴いた記憶がないディスクです(笑)。ここまで来ると私もついて行けません。
私が持っているのはこの八枚です。(しかし、八枚も持っていたのかと、自分でもちょっと驚きです。)
でもまだまだ沢山あるんですよね…。
それと、ランキング形式は書きやすいですね。
この方法で中世音楽のCDについてちょっとまとめられそうかも…。
カペラのマショー revisited (CDの感想)
ヴォーカル・アンサンブル・カペラのノートル・ダム・ミサのディスクを聴いたのでその感想を少し書きたいと思います。
カペラのノートル・ダム・ミサは以前2005年1月の演奏会で聴いて、その感想をlivedoor blog 時代の「まうかめ堂日記」に書いていました。なかなか今読み返すと、仮にカペラの人が読むことがあったとしたら失笑ものだろうというようなことも書いていますが、実際、どうしてもはっきりとは書けなかったのだけど「カペラにしてこの完成度?」というのが偽らざる感想で、それにいろいろ理屈を付けようとしたのでああなったというのが本当のところです。
それで今年一月の同曲の演奏会には本当に行きたかったのだけれど、今年は年始からバタバタと忙しく断念。「ダヴィデのホケトゥスと Felix virgo のモテトどうだったのかなあ、来年もやってくれないかなあ」と思っていたところにCDが出たので即、買いでした。
で感想です。
・やっぱりカペラは上手いです。CDだと他と比較しやすいですね。間違いなく世界のトップレベルの団体ですね。さすがに演奏の水準は格段に上がっていましたね。
・CDでようやくカペラのやりたかったことがわかったような気がしました。
なんというかフランドル楽派の視点からその源流のミサ曲を見るとこうなると言っても良いかもしれません???。
最も顕著にそう思うのはムジカ・フィクタのある種の徹底ぶりです。
Kyrie の冒頭部分から他の演奏では聞かれないSol#のムジカ・フィクタが Triplum に出現したりするのですが、これほど全曲にわたって consistent にというか、調的な homogeneity を得ようとしたものは無かったのではないかと思います。
特に頻出する Fa supra La のムジカ・フィクタは楽譜を見ながら「なるほどなぁ」と思う反面「そこまでやらなくても」という気も多少しました。
好みの問題なのかもしれませんが、マショーのこの曲に関しては ambiguity を残して、heterogeneous なままな方が私としては良いです。特に終止的な部分については、全てをクロマティックにしてしまわないで、ダイアトニックなところが残っていた方が良いです。
・教会で聴いているとそれほど感じないのですが、CDで聴くとテンポがだいぶ遅めに感じ、ノートル・ダム・ミサに関しては全体に重たく感じますね。そのためか、折角美しいパースペクティブの変化が見事に歌われているのにもかかわらず単調な印象が残ってしまうのが少し残念でした。
・アレルヤ唱の後にダビデのホケトゥスを置くというのはどうしていままでだれもやらなかったのだろうという感じで良いです。演奏も、私の知っているこの曲の演奏の中で間違いなく最高のものでした。
・モテト Felix Virgo / Inviolata Genitrix / Ad Te Suspiramus もカペラならではの美しさに満ちていますね。こちらは本当にいままで無かったタイプの演奏かもしれませんね。
(う〜む、ノートル・ダム・ミサ以外の曲の方がやっぱり良いですね。)
・結論として、カペラファンなら間違いなく「買い」です。
既存のノートル・ダム・ミサの演奏に飽きていてもっと別の演奏が聴きたいという人も「買い」…でも初めての人にはあまり勧めない、という感じです。
カペラのノートル・ダム・ミサは以前2005年1月の演奏会で聴いて、その感想をlivedoor blog 時代の「まうかめ堂日記」に書いていました。なかなか今読み返すと、仮にカペラの人が読むことがあったとしたら失笑ものだろうというようなことも書いていますが、実際、どうしてもはっきりとは書けなかったのだけど「カペラにしてこの完成度?」というのが偽らざる感想で、それにいろいろ理屈を付けようとしたのでああなったというのが本当のところです。
それで今年一月の同曲の演奏会には本当に行きたかったのだけれど、今年は年始からバタバタと忙しく断念。「ダヴィデのホケトゥスと Felix virgo のモテトどうだったのかなあ、来年もやってくれないかなあ」と思っていたところにCDが出たので即、買いでした。
で感想です。
・やっぱりカペラは上手いです。CDだと他と比較しやすいですね。間違いなく世界のトップレベルの団体ですね。さすがに演奏の水準は格段に上がっていましたね。
・CDでようやくカペラのやりたかったことがわかったような気がしました。
なんというかフランドル楽派の視点からその源流のミサ曲を見るとこうなると言っても良いかもしれません???。
最も顕著にそう思うのはムジカ・フィクタのある種の徹底ぶりです。
Kyrie の冒頭部分から他の演奏では聞かれないSol#のムジカ・フィクタが Triplum に出現したりするのですが、これほど全曲にわたって consistent にというか、調的な homogeneity を得ようとしたものは無かったのではないかと思います。
特に頻出する Fa supra La のムジカ・フィクタは楽譜を見ながら「なるほどなぁ」と思う反面「そこまでやらなくても」という気も多少しました。
好みの問題なのかもしれませんが、マショーのこの曲に関しては ambiguity を残して、heterogeneous なままな方が私としては良いです。特に終止的な部分については、全てをクロマティックにしてしまわないで、ダイアトニックなところが残っていた方が良いです。
・教会で聴いているとそれほど感じないのですが、CDで聴くとテンポがだいぶ遅めに感じ、ノートル・ダム・ミサに関しては全体に重たく感じますね。そのためか、折角美しいパースペクティブの変化が見事に歌われているのにもかかわらず単調な印象が残ってしまうのが少し残念でした。
・アレルヤ唱の後にダビデのホケトゥスを置くというのはどうしていままでだれもやらなかったのだろうという感じで良いです。演奏も、私の知っているこの曲の演奏の中で間違いなく最高のものでした。
・モテト Felix Virgo / Inviolata Genitrix / Ad Te Suspiramus もカペラならではの美しさに満ちていますね。こちらは本当にいままで無かったタイプの演奏かもしれませんね。
(う〜む、ノートル・ダム・ミサ以外の曲の方がやっぱり良いですね。)
・結論として、カペラファンなら間違いなく「買い」です。
既存のノートル・ダム・ミサの演奏に飽きていてもっと別の演奏が聴きたいという人も「買い」…でも初めての人にはあまり勧めない、という感じです。
2005年11月26日
Tonus Peregrinus のレオナン/ペロタン
前にちょっと言っていた、NAXOS のノートルダム楽派のディスクについて書きたいと思います。
NAXOS: Sacred Music from Notre-Dame Cathedral, Tonus Peregrinus
このディスク、聴けば聴くほど良いディスクに思えてくるディスクですね。
Ensemble Gilles Binchois の新しい録音
Perotin & l'Ecole de Notre Dame
を除けば、現在のところ、レオナン、ペロタンの最高のディスクと言っても良いかもしれません。
まず、女声の使い方がうまいです。上の Gilles Binchois のディスクも女声の使い方が衝撃的に美しかったのですが、こちらもひけを取りません。ペロタンの作とされる単声のコンドゥクトゥス Beata Viscera をどちらのディスクも女声のソロで歌っていて、どちらの演奏もすごく美しく、この点では互角かもしれません。
しかし Tonus Peregrinus のすごいのは、レオナンの Viderunt omnes などにおける女声を導入する編曲力でしょう。これはかなり面白いです。
またペロタンの二曲の4声曲のうち Sederunt principes を女声のみにしたのは大正解と言ってよいでしょう。男声による Viderunt omnes を軽々と凌駕しています。
次に、選曲がとても良くできています。それは、次のようです。
まず頭に Beata viscera を女声ソロで美しく聴かせ導入とした後、グレゴリオ聖歌(クリスマスのミサ)の Viderunt omnes をみんなで歌います。
そして、その聖歌をレオナン、ペロタンがどう料理したかを聴かせていきます。
まずはレオナンのものとされる2声のオルガヌムです。最近では、2声のオルガヌムのディスカントゥス部分以外のところは、明確にモーダル記譜法で書かれているわけでない、というのが多くの音楽学者に支持される見解であるようで、かつてマンロウが魅力的な演奏を聴かせた、William Waite の The Rhythm of Twelfth Century Polyphony のような明確な三拍子のリズムは拒絶される傾向が強いようです。
ところが、Tonus Peregrinus のこの演奏では、Waite のものとはだいぶ違うようですが、ディスカントゥス部分以外もだいぶモーダル風のリズムで歌っています。ただ、テンポがマンロウとかヒリアードみたいに急速でないので、それほど際立って聴こえるということはありません。
この選択は私には、ある意味正しく思えるのですが、というのは、上記のように「ディスカントゥス部分以外のところは、明確にモーダル記譜法で書かれているわけでない」というのが定説になりつつあるようなので、演奏する人もそのようにするわけですが、Waite の仮説が強力であったためか、それに替わるような音楽的な解決を提示できている演奏が極めて少ないように思います。(ほとんど唯一の例外は上記の Gilles Binchois のディスクの中の Leonin-Perotin: Et valde のように思います。)
そこで、ディスカントゥス部分以外にもモーダル風の理解を試みることは場合によってはアリではないかと思います。実際、曲によっては Waite のやり方で良いのではないかと思えてくる曲もあります。
さて、それで、レオナンが終わると、今度はその Viderunt omnes の聖歌の中の Dominus の部分の上に作られたクラウズラとモテトゥスを六曲、ポンポンと演奏していきます。それぞれは1分に満たないものばかりです。間奏として興味深く面白いです。
さてそれが終わると、いよいよペロタンの大オルガヌム、4声の Viderunt omnes の登場です。私としては必ずしも絶賛できる演奏ではないのですが、いくつかの点でこの演奏に賛同します。一つは、教会の深い残響の中、一つ一つの協和を確かめながら進めるようなゆっくりとしたテンポであることです。この点、マンロウやヒリアードは速すぎです。
この演奏は16分かかっており、Gilles Binchois の別のディスク(1993年のもの)の17分17秒に次いでゆっくりですが、Gilles Binchois の演奏では、後半、ブレイクというか終止を置きすぎて無闇に音楽が途切れてしまうのが残念な点でした。一方、こちらはほとんど終結させることなくどんどん進んで行きます。これがこの演奏を評価したいもう一つの点です。
さて、その次の曲は驚愕の一曲です。
なんと Scolica enchiriadis の曲です。Scolica enchiriadis というのは9世紀に書かれた音楽理論書のことで、同時期に書かれたとされる Musica enchiriadis と並び、その中に、オルガヌムの実例が具体的に書き記された最初期のものです。そして、ここで歌われているのはそういった最初期のオルガヌムの実例の一つであり、つまり、われわれの知り得る最古の多声音楽がこの曲ということになります。
これらの理論書に書かれているものは、多声音楽といっても、終止部分を除いて4度5度の平行で進むオルガヌムなので、一見、trivial であって、音楽としてそれほど興味を引くものではないようにも思えるのですが、その4度5度の平行オルガヌムをここでは7分以上もやっていて、しかも面白いのです。これには本当に驚かされました。この団体の編曲力が光っていますね。
この演奏を聴くと、中世の人々が初めて教会でポリフォニーを耳にしたときに受けたであろう感銘を追体験できるような気がします。(別のところで、4度5度の平行オルガヌムを「ポリフォニーと呼ぶには忍びない」などと言ってしまったのがちょっと恥ずかしい…。)
そして、これが終わると再び12世紀にもどり、ペロタンのもう一つの4声の大オルガヌム Sederunt principes です。これは女声だけで歌っていて、男声のときのように重くならずに、この曲の色彩の豊かさが存分に楽しめる名演だと思います。
そして最後は、最初の Beata viscera の旋律を定旋律に取ったコンドゥクトゥス Vetus abit littera を postlude として演奏し、全体をしめくくっています。
全体として、これほどまで面白く曲が組まれたCDはなかなか無いでしょう。
長々と書いてしまいましたが、NAXOS で1000円で買えるということもあり、これは超オススメのディスクですね。
NAXOS: Sacred Music from Notre-Dame Cathedral, Tonus Peregrinus
このディスク、聴けば聴くほど良いディスクに思えてくるディスクですね。
Ensemble Gilles Binchois の新しい録音
Perotin & l'Ecole de Notre Dame
を除けば、現在のところ、レオナン、ペロタンの最高のディスクと言っても良いかもしれません。
まず、女声の使い方がうまいです。上の Gilles Binchois のディスクも女声の使い方が衝撃的に美しかったのですが、こちらもひけを取りません。ペロタンの作とされる単声のコンドゥクトゥス Beata Viscera をどちらのディスクも女声のソロで歌っていて、どちらの演奏もすごく美しく、この点では互角かもしれません。
しかし Tonus Peregrinus のすごいのは、レオナンの Viderunt omnes などにおける女声を導入する編曲力でしょう。これはかなり面白いです。
またペロタンの二曲の4声曲のうち Sederunt principes を女声のみにしたのは大正解と言ってよいでしょう。男声による Viderunt omnes を軽々と凌駕しています。
次に、選曲がとても良くできています。それは、次のようです。
- Perotin: Beata viscera (conductus)
- Plain chant: Viderunt omnes
- Leonin(?): Viderunt omnes (organum)
- Dominus に基づく6曲のクラウズラとモテト
- Perotin: Viderunt omnes (organum)
- Scolica enchiriadis: Non nobis Domine (organum)
- Perotin: Sederunt principes (organum)
- anon.: Vetus abit littera (motetus)
まず頭に Beata viscera を女声ソロで美しく聴かせ導入とした後、グレゴリオ聖歌(クリスマスのミサ)の Viderunt omnes をみんなで歌います。
そして、その聖歌をレオナン、ペロタンがどう料理したかを聴かせていきます。
まずはレオナンのものとされる2声のオルガヌムです。最近では、2声のオルガヌムのディスカントゥス部分以外のところは、明確にモーダル記譜法で書かれているわけでない、というのが多くの音楽学者に支持される見解であるようで、かつてマンロウが魅力的な演奏を聴かせた、William Waite の The Rhythm of Twelfth Century Polyphony のような明確な三拍子のリズムは拒絶される傾向が強いようです。
ところが、Tonus Peregrinus のこの演奏では、Waite のものとはだいぶ違うようですが、ディスカントゥス部分以外もだいぶモーダル風のリズムで歌っています。ただ、テンポがマンロウとかヒリアードみたいに急速でないので、それほど際立って聴こえるということはありません。
この選択は私には、ある意味正しく思えるのですが、というのは、上記のように「ディスカントゥス部分以外のところは、明確にモーダル記譜法で書かれているわけでない」というのが定説になりつつあるようなので、演奏する人もそのようにするわけですが、Waite の仮説が強力であったためか、それに替わるような音楽的な解決を提示できている演奏が極めて少ないように思います。(ほとんど唯一の例外は上記の Gilles Binchois のディスクの中の Leonin-Perotin: Et valde のように思います。)
そこで、ディスカントゥス部分以外にもモーダル風の理解を試みることは場合によってはアリではないかと思います。実際、曲によっては Waite のやり方で良いのではないかと思えてくる曲もあります。
さて、それで、レオナンが終わると、今度はその Viderunt omnes の聖歌の中の Dominus の部分の上に作られたクラウズラとモテトゥスを六曲、ポンポンと演奏していきます。それぞれは1分に満たないものばかりです。間奏として興味深く面白いです。
さてそれが終わると、いよいよペロタンの大オルガヌム、4声の Viderunt omnes の登場です。私としては必ずしも絶賛できる演奏ではないのですが、いくつかの点でこの演奏に賛同します。一つは、教会の深い残響の中、一つ一つの協和を確かめながら進めるようなゆっくりとしたテンポであることです。この点、マンロウやヒリアードは速すぎです。
この演奏は16分かかっており、Gilles Binchois の別のディスク(1993年のもの)の17分17秒に次いでゆっくりですが、Gilles Binchois の演奏では、後半、ブレイクというか終止を置きすぎて無闇に音楽が途切れてしまうのが残念な点でした。一方、こちらはほとんど終結させることなくどんどん進んで行きます。これがこの演奏を評価したいもう一つの点です。
さて、その次の曲は驚愕の一曲です。
なんと Scolica enchiriadis の曲です。Scolica enchiriadis というのは9世紀に書かれた音楽理論書のことで、同時期に書かれたとされる Musica enchiriadis と並び、その中に、オルガヌムの実例が具体的に書き記された最初期のものです。そして、ここで歌われているのはそういった最初期のオルガヌムの実例の一つであり、つまり、われわれの知り得る最古の多声音楽がこの曲ということになります。
これらの理論書に書かれているものは、多声音楽といっても、終止部分を除いて4度5度の平行で進むオルガヌムなので、一見、trivial であって、音楽としてそれほど興味を引くものではないようにも思えるのですが、その4度5度の平行オルガヌムをここでは7分以上もやっていて、しかも面白いのです。これには本当に驚かされました。この団体の編曲力が光っていますね。
この演奏を聴くと、中世の人々が初めて教会でポリフォニーを耳にしたときに受けたであろう感銘を追体験できるような気がします。(別のところで、4度5度の平行オルガヌムを「ポリフォニーと呼ぶには忍びない」などと言ってしまったのがちょっと恥ずかしい…。)
そして、これが終わると再び12世紀にもどり、ペロタンのもう一つの4声の大オルガヌム Sederunt principes です。これは女声だけで歌っていて、男声のときのように重くならずに、この曲の色彩の豊かさが存分に楽しめる名演だと思います。
そして最後は、最初の Beata viscera の旋律を定旋律に取ったコンドゥクトゥス Vetus abit littera を postlude として演奏し、全体をしめくくっています。
全体として、これほどまで面白く曲が組まれたCDはなかなか無いでしょう。
長々と書いてしまいましたが、NAXOS で1000円で買えるということもあり、これは超オススメのディスクですね。