2024年04月08日

「数の学問」としての音楽とユークリッド幾何学

プトレマイオスの音楽論の話をしたいと思います.

古代天文学のあのプトレマイオスです.

プトレマイオス,著作としては天動説に基づく数理天文学の書『アルマゲスト』がつとに有名ですが,音楽論についても『ハルモニア論』という重要な著作を残しています.(邦訳は アリストクセノス/プトレマイオス 古代音楽論集 山本 建郎 訳,京都大学学術出版会)


この『ハルモニア論』,ボエティウスの『音楽教程』にもその内容がたびたび取り上げられており,書物全体を検討したいところですが,その冒頭部分に特に感動したので今日はそのことについて書き記しておきたいと思います.

『ハルモニア論』の冒頭部分,第一巻第一章は「ハルモニア論の判別者(criterion)について」と題されていますが,その冒頭部分は,後に中世に伝えられることとなる「数の学問」としての音楽のコンセプチュアルな精髄について簡潔ながら核心をついた記述がなされています.

順を追って少し見ていきましょう.

まずこの書物の主題が語られます.(訳文は前掲書のもの)
ハルモニア論は,諸々の音の高低の差異を把握する能力である.
あまりにあからさまな定義で,はぁ?って感じになりますが,要は楽音とは何か,協和とは何かを判別する能力を意味していることがすぐ後でわかってきます.
そして,音とは,空気が打たれて被った情態,それも聞かれるもののうちで第一義的にして最も根源的な情態である.
「音は打つことによってもたらされる.」ボエティウスでも記述される音というものの一般的な説明と理解しておいて良いでしょう.続いて核心に入ります.
ハルモニアの判別者は聴覚と理性であるが,それは同じ意味で語られるのではない.聴覚は質料つまり情態としての判定者なのであり,理性は形相つまり原因としての判定者なのである.それは一般的に言って,近似値を発見し,正確な値を受け容れることが感覚に固有であるのに対して,近似値を受け容れた上で正確な値を発見することが理性に固有であるからである.

(中略)

視覚によってのみ描かれた円はしばしば正確であるように見えるが,それは,理性によって構成された円が本当に正確な円の再認へと導き上げるかぎりにおいてである.そのように,音についても,その一定の差異が聴覚によってのみ受け容れられた場合でも,その差異はただちには均衡の数値に及ばないとも超えているとも思われないが,固有の比にしたがって調律がなされ差異を示す数値が容認されると,初めに聴覚によって受け容れられた差異はしばしばその非信憑性を暴露される.聴覚はさらに正確な嫡流とも言わるべき数値を,あの庶子的な数値から比較によって区別して,認知するに至るのである.

いくつもの重要なテーゼが dense に書き記されている一文ですが,まず第一に「音(の調和=ハルモニア)を判別するのは聴覚と理性である」ということが言われています.音を聞き分けるにはもちろん文字通り聴覚によらなければ始まらないのですが,感覚というのは間違うものなので,理性によって正される必要があるということとひとまず理解できます.

感覚と理性という二者,ボエティウスの『音楽教程』においてはそれほど強調されているようには見えませんが,それでもしっかりと音楽の領域で中世に伝わっていた節があります.例えばグイード・ダレッツォの『ミクロログス』では,ある主張の根拠を述べるのに,まずは感覚に基づく説明をし,その後理性に訴えかけるような論理的な議論に進むような箇所があります.

そして,私にとって驚愕だったのがユークリッド幾何学との対比でした.言われてみればまさにその通りとしかいいようが無いのですが,私は明確に理解していたとは言い難いです.目からウロコが落ちるとはこのことです.

一体何の話をしているかというと,こうです.

周知のように,ピタゴラス以来,古代・中世を通じて,「数の学問」としての音楽が研究され,学ばれていました.プトレマイオスのこの書物もその流れに属する重要な書物ですが,音楽が数の学問として成立したのはもともとピタゴラスが協和と数比との関係を発見したことに始まり,そこでは音程関係が数比として厳密に捉えられ論証されるのでした.

数学的論証による数比の議論を推し進めていくと,ボエティウス『音楽教程』の第二巻の末尾にあるように,「6全音とオクターブの比は 531441:524288」なんて,ちょっと度を越してるんじゃないかという比まで現れます.

もちろん論理的帰結としてその比になるのだからそうなわけですが,このぐらい大きな数の比ともなると当時の技術ではそれが表す音程を現実に正確に鳴らすことはほとんど不可能だったに違いないわけで,そのようなものを当時の人はどう思っていたのだろうということを考えたりもしていました.

そこで,プトレマイオスの上の一文です.プトレマイオスは,ユークリッド幾何における円と同様に,音程を理性で捉えよと言うのです.

いまや中学高校でも学ばれるユークリッド幾何学ですが,その対象となる図形は,正確に言うならば,紙の上に実際に描かれた円や三角形ではありません.

ユークリッド自身の手による幾何学の原論において,「点とは部分をもたないもの」「直線は幅のない長さ」として定義されます.

もちろんそんな点や直線は実際に描かれたものとしては存在しえないわけですが,「大きさを持たない点」「幅をもたない直線」のような理想化された図形,理念としての図形については厳密な論証が展開でき,それこそがユークリッド幾何学の核心でした.

つまり,われわれが教わってきた幾何学は,実は感覚を超えた理性によって初めて捉えられるものだったということになります.(このことはどの程度中学高校の教育で強調されているのかわかりませんが….)

プトレマイオスが言うのは,ハルモニア論の対象たる音も,ユークリッド幾何学における幾何学的対象と同様に,理性によって捉え論じるべき対象であるということです.

別の言葉で言えば,視覚に対するユークリッド幾何学に相当することを聴覚に対して行うのが「数の学問」としての音楽,あるいはハルモニア論ということになると思います.

私はこれまで実際に鳴らされる音響を,古代・中世の人々より,無意識のうちにも重視しすぎていたかもしれません.つまり,数比の理論で論証されたことは最終的に音響として実現しうると暗黙のうちにみなしてしまっていたようです.(しかも現代の技術を用いればそれは概ね可能だと言えます.)

しかし,古代・中世の人々にとっては必ずしもそうではなかったはずです.数比の理論で論じられる音は鳴らされる音響というよりはもっと理念的な実体として理解されていたのかもしれません.

このことからさらにいくつかのことを思いました.

一つは数比を実際の音響として検証するための device として古代・中世を通じて広く用いられたモノコルドについてです.

モノコルドは古代ギリシアではカノン( κᾰνών 基準)と呼ばれていたようで,ユークリッドに至っては
「カノンの分割」という非常に切れ味の鋭い論文を書いています.(プトレマイオスも論じていますし,ボエティウスもユークリッドの論文を紹介する形で取り上げています.)

さてこのカノン,上の話との関連でいうならば,ユークリッド幾何学における定規とコンパスに相当するものと理解するとしっくりくるように思います.その意味で,カノン=基準と呼ばれていたわけですね.定規・コンパスもカノンも,感覚では精度に限界があるものについて,より理念に近い実現を可能にしてくれる道具ということになるのだと思います.

もう一つ,中世の音楽作品の理念性ということを考えたのですが,この記事もだいぶ長くなったので別の記事にまとめたいと思います.
posted by まうかめ堂 at 20:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽理論

2024年04月07日

ボエティウスから古代ギリシアのハルモニア論へ

2月ごろからボエティウス『音楽教程』のページを作り始めましたが,最もやりたかった第二巻を一通りまとめたところでストップしています.

ほぼ数学的な議論に終始する第二巻に対して,他の巻,特に第一,四,五巻をまとめようとすると,元となる古代ギリシアの理論について調べたくなってくるので,今は次のような文献を読み漁っていて,古代ギリシアのハルモニア論に絶賛脱線中です.

アリストクセノス「ハルモニア原論」,エウクレイデス「カノンの分割」をひとまず読み終えたところで,現在プトレマイオスの「ハルモニア論」に取り掛かっているところですが,面白いですね.

段々ボエティウスを読むより楽しくなってきて,「古代音楽理論のまうかめ堂」でも作った方がいいんじゃないかという気分にもなってきます.(実際にそれをやるのは難しいですが.)

これらの文献に接する過程で,これまで疑問だったことのいくつかがわかってきました.
とりあえず項目だけここにメモして置きます.
  • エンハーモニック音階の起源に関すること
  • 「音楽」が数の学問であることの意味
これらについては,別の記事でまとめたいと思います.


posted by まうかめ堂 at 14:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽理論

2006年06月26日

再び音律についてのメモ

これも備忘のためのメモ。

うちにある音律の参考書、平島達司著『ゼロ・ビートの再発見』(今でもこれが一番の名著でしょうか)に興味深い記述が。

1.「(3)(←ピタゴラス音階のこと)は、純正の五度調弦をする弦楽器の現代奏法では、思いのほか多用されているようです。」p.77.
そうだっだのか…。そうするとフル・オーケストラの演奏ではいくつもの系統の響きが同時に聴かれるのですね。弦のピタゴラス、ブラスの純正、鍵盤が入るなら平均律と。
でも、たしかに言われてみればオーケストラの響きは重層的で流動的かもしれません。

2.「1756年に出版されたレオポルド・モーツァルト(ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの父)のヴァイオリン教則本を見ますと、四本の弦はすべて開放弦から弾き始めるようになっています。このことは、父モーツァルトの時代でも、ヴァイオリンの調弦は、ミーン・トーンに調律したチェンバロのg, d1, a1, e2に合わせたことを物語っています。」p.106.

これもちょっとすごいですね。
ミーン・トーンの五度って純正よりも5.5セント、平均律よりも3.4セント狭くて、私でも「ああ、ちょっと狭いな」と思うぐらいのものですが、それで調律したヴァイオリンは結構違和感あるんじゃないでしょうかね。

それと、現代のギターのフレットの付け方は平均律ですよね。そうすると6弦を正確に純正に取ってしまうとだいぶ「狂う」ことになりますね。だからギターのチューニングをハーモニクスを使ってやると不正確になる、ということで良いのでしょうか? (←誰に訊いているのだろう…。)
posted by まうかめ堂 at 02:16| Comment(8) | TrackBack(0) | 音楽理論

2006年06月25日

ミーン・トーン音律の覚え書き

Byrd の Virginal 曲の MIDI を作るのにミーン・トーン音律を計算する必要がでてきました。(いや、別に平均律のままでもいいんですけどね…。折角の機会なので。)

で、今日計算を実行しました。
備忘のため計算のプロセスをメモっておきます。

Cを基準に取ります。各音の振動数をCを1とした比で表すことにします。
まず5度の積み重ね C-G-D-A-E を考えます。純正の5度で積むとこのEは 81/16 になりますが、これをちょっとずらして E=80/16=5 とすると最初のCとこのEの音程はちょうど2オクターブ+純正長三度になります。

中間の G-D-A はこの「2オクターブ+純正長三度」を四等分することで決定します。
すなわち G=45 (←5の4乗根), D=√5 , A= (45)3.

全ての音程を最初のCから1オクターブの間に置いておいた方が都合が良いので、適当に2のべき乗で割ってやって1から2の間に入るようにしときましょう。すると

C=1, G=45 , D=√5/2, A= (45)3/2, E=5/4.

他の音程はこれら五つの音高から純正長三度だけ上がるまたは下がることによって計算します。(上がるときは5/4を掛ける。下るときは5/4で割る。)
例えば G# は E の純正長三度上なので G#=(5/4)E = (5/4)2 = 25/16.
Eb は G の純正長三度下なので Eb = (4/5)G = 45 ×4/5. 等々。

そのようにして次のような表が得られます。(う〜む、表を入れるとレイアウトが壊れますね。css直すの面倒なのでほっときます。)































G#=25/16D#=45×25/16×1/2A#=√5/2×25/16E#= (45)3/4×25/16
E=5/4B=45×5/4F#=√5/2×5/4C#= (45)3/4×5/4
C=1G=45D=√5/2A= (45)3/2
Ab=4/5×2Eb=45×4/5Bb=√5×4/5F= (45)3/2×4/5
Fb=16/25×2Cb=45×16/25×2Gb=√5×16/25Db= (45)3/2×16/25

註:オクターブの範囲に入るように調整してあります。また、理論上はこの表は上下に無限に続けることができます。
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posted by まうかめ堂 at 00:17| Comment(2) | TrackBack(0) | 音楽理論