みなさま、ご無沙汰しております。
夏の暑さはどうやら過ぎ去ったようですが、天候がおかしなことになっている今日このごろ、いかがお過ごしでしょうか。
もうかれこれ数ヶ月前のことですが、ヒリヤード・アンサンブルが今年結成40週年を迎え、しかも今年いっぱいで解散するというショッキングなニュースが飛び込んできました。
「英国式アカペラ古楽」の華々しい歴史もいよいよ幕引きとなってしまうのかぁ、としみじみしていたところ、彼らの最後の世界巡業で東京で一度だけ公演するというではありませんか!
これは絶対に外せないということで、スタンコ奥さんと行って参りました。
ヒリヤード・アンサンブル ア・カペラ・コンサート@武蔵野文化
よくよく思い返してみるとヒリヤードのコンサートに行くのはこれが3回目です。
いずれも2000年代だった思いますが、過去に二回行っています。
確か一回目はクリストフ・ポッペン(Vn)と一緒の Morimur 巡業のとき、二回目は今回と同じ武蔵野文化で、そのときはペロタンと細川俊夫をやっていました。
それで今回、まず前半はエストニアの作曲家ヴェリヨ・トルミスという人の1996年の曲に始まり、コーニッシュやアルカデルトなどのルネサンス期の歌曲を歌った後、細川俊夫の日本民謡編曲(南部牛追歌、さくら、五木の子守歌)でおわるという構成でした。
で、演奏を聞いてみると、もうだいぶメンバー全員の年齢が上がったせいか、息が続かない、音程がキープできないなどのヒリヤードらしからぬ光景が散見されたというのはありますが、ヒリヤード独特の響きの美しさは全く失われておらず、例えば細川俊夫の民謡編曲は圧巻の美しさでした。
そして後半は、ペロタンの Viderunt omnes に始まり、コーニッシュ、ペルトと続き、なんとアルメニア聖歌の編曲(コミタス・ヴァルダペット, 1869-1935, という人の編曲)、そしてペルトで終わるというものでした。
で、この後半、冒頭のペロタンで一気にエンジンがかかった感じで、その後はフルスロットルな演奏が続き、「なんだ、まだまだ全然いけんじゃん…」、「これで解散はやはりもったいない…」という展開。
例えばアルヴォ・ペルトの声楽曲はヒリヤード以外の演奏というのが想像しにくい曲が多く、実際、よほどうまい団体でないかぎりダメで、ヒリヤード以外の団体の大抵のペルトの曲の演奏は悲惨なものになるというのがあります。
ヒリヤードが解散してしまったら、ペルトの曲は誰が演奏できるというのだろう、とか思いながらききました。
アルメニア聖歌は、絶妙に exotic で、仮にこういうのが西方教会の聖歌に含まれていたら西洋音楽のありようが随分変わっていたのかもしれない、なんてことを思いました。例えば教会旋法の理論はさらにややこしいことになっていたでしょうね。
そしてアンコールの一曲目は細川俊夫の「さくら」をもう一度。
これも前半での演奏より格段に上がっていました。
これで終わりかなと思っていたら、アンコールをもう一曲やってくれました。
曲はなんと Thomas gemma という14世紀イギリスのモテトです。まうかめ堂的にはこれは感動ものです。
なぜなら、この曲の入っている Medieval English Music というディスクは、私が持っているヒリヤードのディスクの中で最も好きなものだったからです。
(1983年録音です。ECM以前のものです。多分ヒリヤードが世界的にメジャーになったのはECMレーベルでディスクを出すようになってからだろうと思いますが、古楽のディスクではECMヒリヤードにあまり良い印象は持っていません。
Perotin は良いです。というかPerotinの演奏の一つのお手本として勧められるものが他にほとんどないからですが、それでもときどきECM臭さが顔を出すのが珠に傷です。
最悪のものは Jan Garbarek と共演した Officium です。しかもこれが売れてしまったのだから「なんだかななあ」という感じでした。結局誰も古楽なんかに興味はなくて、ambient 化するみたいなことをしないとだれも古楽なんて聴かないのだということを物語っているような哀しいディスクでした。
そんなECMヒリヤード古楽で例外的に一つだけ素晴らしいディスクがあります。 Codex Specialnik, 1500年頃のプラハの宗教音楽のディスクです。これだけはECMは偉いと思いました。
古楽以外ではECMヒリヤードがアルヴォ・ペルトを遍く天下に知らしめたことは 大変良いです。)
脱線しました。
アンコールのThomas gemma の話をしていました。
最近はなんでもYouyubeに上がっていますがこの曲もありました。
Thomas gemma Cantuarie
最後の曲がこの曲で余計に感慨深かったヒリヤードさよならコンサートでした。
なおこの演奏会は確か11月3日の早朝?にNHK BS3 で放送されるようです。みなさん見ましょう。
2014年09月15日
2014年01月02日
謹賀新年
あけましておめでとうございます。
昨年はMIDIの旧作のmp3化をいくつかと教会旋法の最後のページを書いてとりあえずの区切りをつけて終わらせました。
旋法みたいな厄介なテーマを扱っているとどんどん重くなってくるのでこれからはもう少しフットワークを軽くしたいです。
さしあたり Ars nova, Trecent の記譜法でもやろうかとも思いますがどうなるかわかりません。
更新は今年も「極めて緩やか」になると思いますので、気が向いた時にでものぞいていただけるとなにか変化があるかもしれません。
新年のMIDIは(もういい加減MIDIの時代ではないですが)、13世紀イングランドの2声曲 Edi beo thu hevene queene (Blessed be thou, queen of heaven) です。名旋律です。3度が美しいです。
それでは今年もどうぞよろしくお願いします。
昨年はMIDIの旧作のmp3化をいくつかと教会旋法の最後のページを書いてとりあえずの区切りをつけて終わらせました。
旋法みたいな厄介なテーマを扱っているとどんどん重くなってくるのでこれからはもう少しフットワークを軽くしたいです。
さしあたり Ars nova, Trecent の記譜法でもやろうかとも思いますがどうなるかわかりません。
更新は今年も「極めて緩やか」になると思いますので、気が向いた時にでものぞいていただけるとなにか変化があるかもしれません。
新年のMIDIは(もういい加減MIDIの時代ではないですが)、13世紀イングランドの2声曲 Edi beo thu hevene queene (Blessed be thou, queen of heaven) です。名旋律です。3度が美しいです。
- Edi beo thu, hevene quene ( 13th C )
- mp3: [mp3, 1.7M],
- MIDI: [GM], [SC-88]
それでは今年もどうぞよろしくお願いします。
2013年01月01日
謹賀新年
明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。
とうとう昨年は新年のMIDIが唯一の更新となってしました。
今年は昨年に比べ少し余裕ができそうですのでもう少し何かする予定です。
さしあたり旋法のページを補完することを考えていますが、いまのところどういう形になるかわかりません。
(ルネサンスの特に多声音楽の旋法理論まである程度やってグラレアヌスまで持ってこれれば良いのでしょうがなかなかにしんどいものがあります。)
新年のMIDIはバンベルク写本(13世紀)のホケトゥスです。こういうのは作っていて楽しいですね。
今年もよろしくお願いします。
とうとう昨年は新年のMIDIが唯一の更新となってしました。
今年は昨年に比べ少し余裕ができそうですのでもう少し何かする予定です。
さしあたり旋法のページを補完することを考えていますが、いまのところどういう形になるかわかりません。
(ルネサンスの特に多声音楽の旋法理論まである程度やってグラレアヌスまで持ってこれれば良いのでしょうがなかなかにしんどいものがあります。)
新年のMIDIはバンベルク写本(13世紀)のホケトゥスです。こういうのは作っていて楽しいですね。
- In seculum d'Amiens longum (hoquetus, Codex Bamberg)
- mp3: [mp3, 3.7M],
- MIDI: [GM], [SC-88]
- mp3: [mp3, 3.7M],
2012年01月01日
謹賀新年
明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。
とうとう昨年は作ったMIDIが新年のMIDI一本ということになってしました。今年は昨年以上に生活がばたばたすることになっていますので昨年程度に何かできれば良い方かと思います。半年に一度ぐらい覗いていただけると何か変化があるかもしれません。
新年のMIDIはアルス・スブティリオールの「鳥の歌」 Or sus vous dormez trop です。大昔に作ったもののリメイクです。
今年もよろしくお願いします。
とうとう昨年は作ったMIDIが新年のMIDI一本ということになってしました。今年は昨年以上に生活がばたばたすることになっていますので昨年程度に何かできれば良い方かと思います。半年に一度ぐらい覗いていただけると何か変化があるかもしれません。
新年のMIDIはアルス・スブティリオールの「鳥の歌」 Or sus vous dormez trop です。大昔に作ったもののリメイクです。
- Or sus vous dormez trop (virelai)
- mp3: [mp3, 4.2M], [Organ, mp3, 4.2M],
- MIDI: [GM], [SC-88]
- mp3: [mp3, 4.2M], [Organ, mp3, 4.2M],
2011年05月23日
Papalinさんのすごすぎるサイト
一週間ほど前にリコーダー奏者の Papalinさんから、まうかめ堂作の楽譜で Congaudeant Catholici をリコーダーで演奏しました、というメールをいただきました。で、参照されてるURLへ行ってみたら、すごいことになっているではありませんか!!!
どこからどういう風に紹介したら良いものかわからないくらい凄いので、取りあえず次のところに行ってみて下さい。
IL DIVO "Papalin" --- パパリンの音楽の全て > 中世ヨーロッパの音楽(ルネサンス以前)
ここだけでもかなりの量の曲のリコーダー演奏がストリーミング配信されているのですが、とりあげられてるレパートリーが素晴らしすぎます!!!
なんと古代ギリシアの「セイキロスの墓碑銘」に始まり、ビンゲン、初期ポリフォニー、ノートル・ダム楽派(レオナン、ペロタン)、13世紀のモテト、カルミナブラーナ、聖母マリアのカンティガ、モンセラートの朱い本、マショー、ダンスタブル、デュファイ、アルス・スブティリオール、セルデン写本のキャロルなどが、所狭しと並んでいます。
凄すぎます。
このページだけで、中世音楽の音による紹介というまうかめ堂の果たせなかった夢が理想的な形で実現されています。
本当に素晴らしい!!
まうかめ堂作の現代譜はすべて演奏して下さっているようです。
しかも Congaudeant Catholici のバージョン違いだけでなく、「夏は来たりぬ」Sumer is icumen in の Bukofzer による二分割リズム版まで演奏してくださっていて、感動ものです。
本当に語りつくせませんが、この充実したレパートリーの中から特に特に感銘を受けたものを数曲だけあげますと、ペロタンの4声のオルガヌムやマショーのノートルダムミサあたりでしょうか。
実に聞きごたえのある演奏をして下さっています。
一般的に言って中世の曲は、(少なくとも楽譜の現存しているものは)声楽曲として書かれていることが多いわけですが、実際に歌おうとするとエラく難しいというか、「これって本当に歌う曲なの?」という感じ曲ばかりだと言ってもよいかもしれません。
だからペロタンもノートルダムミサも、下手な声楽団体が下手に歌うと結構悲惨なことになります。よっぽど上手い団体でないと歌いこなせる曲ではないように思います。
それで、私は常々中世音楽の多くの曲は下手に歌うよりは、器楽で、特にリコーダーなどの管楽器で演奏する方が聞き映えがするという感じがしていて、まうかめ堂のMIDIも管楽器を中心に作ってあることが多いですが、Papalin さんはリコーダーで非常に魅力的に実演されています。
ペロタンもノートルダムミサも他の曲もこれが正解なんじゃないかっていう感じです。
さて、これまでPapalinさんのサイトの中世音楽のページについてのみ書いてきましたが、Home へ上がれば中世以外の音楽のさらなる広大な世界が広がっています。
みなさん是非訪れてみてください。
どこからどういう風に紹介したら良いものかわからないくらい凄いので、取りあえず次のところに行ってみて下さい。
IL DIVO "Papalin" --- パパリンの音楽の全て > 中世ヨーロッパの音楽(ルネサンス以前)
ここだけでもかなりの量の曲のリコーダー演奏がストリーミング配信されているのですが、とりあげられてるレパートリーが素晴らしすぎます!!!
なんと古代ギリシアの「セイキロスの墓碑銘」に始まり、ビンゲン、初期ポリフォニー、ノートル・ダム楽派(レオナン、ペロタン)、13世紀のモテト、カルミナブラーナ、聖母マリアのカンティガ、モンセラートの朱い本、マショー、ダンスタブル、デュファイ、アルス・スブティリオール、セルデン写本のキャロルなどが、所狭しと並んでいます。
凄すぎます。
このページだけで、中世音楽の音による紹介というまうかめ堂の果たせなかった夢が理想的な形で実現されています。
本当に素晴らしい!!
まうかめ堂作の現代譜はすべて演奏して下さっているようです。
しかも Congaudeant Catholici のバージョン違いだけでなく、「夏は来たりぬ」Sumer is icumen in の Bukofzer による二分割リズム版まで演奏してくださっていて、感動ものです。
本当に語りつくせませんが、この充実したレパートリーの中から特に特に感銘を受けたものを数曲だけあげますと、ペロタンの4声のオルガヌムやマショーのノートルダムミサあたりでしょうか。
実に聞きごたえのある演奏をして下さっています。
一般的に言って中世の曲は、(少なくとも楽譜の現存しているものは)声楽曲として書かれていることが多いわけですが、実際に歌おうとするとエラく難しいというか、「これって本当に歌う曲なの?」という感じ曲ばかりだと言ってもよいかもしれません。
だからペロタンもノートルダムミサも、下手な声楽団体が下手に歌うと結構悲惨なことになります。よっぽど上手い団体でないと歌いこなせる曲ではないように思います。
それで、私は常々中世音楽の多くの曲は下手に歌うよりは、器楽で、特にリコーダーなどの管楽器で演奏する方が聞き映えがするという感じがしていて、まうかめ堂のMIDIも管楽器を中心に作ってあることが多いですが、Papalin さんはリコーダーで非常に魅力的に実演されています。
ペロタンもノートルダムミサも他の曲もこれが正解なんじゃないかっていう感じです。
さて、これまでPapalinさんのサイトの中世音楽のページについてのみ書いてきましたが、Home へ上がれば中世以外の音楽のさらなる広大な世界が広がっています。
みなさん是非訪れてみてください。
2011年04月24日
J. Herndon さんの古楽曲のギター編曲のサイト
東北や関東では依然毎日のように余震が続いておりますが、みなさんいかがお過ごしでしょうか?
震災の直後ぐらいから、かならずしも地震と関係なく、海外からの「まうかめ堂」宛のメールが増えて、「地震大丈夫か」的なことも必ずかかれていましたが、その中に J. Herndon さんからのメールがありました。
内容は「まうかめ堂の Alle, psalite cum, luya の譜を元にギター編曲を作ったのだけど今度作る新しいサイトに載せていいですか」という問い合わせで、この曲のタブ譜付きのギター編曲の楽譜が添付されていました。
中世のモテトのギター編曲という発想がとても面白く、もちろんそういう目的にまうかめ堂の楽譜を利用して下さるのは大歓迎ですので即OKだったわけですが、数日前にその新しいサイトが「出来ました」という連絡をもらいました。
それが次のサイトです。
Mediaeval Guitar: Guitar Tablatures of Mediaeval, Renaissance, and Baroque Music
で、見てみると Alle, psalite cum, luya の編曲譜が MIDI 付きで up されていたほか、ノートル・ダム・ミサのキリエやパレストリーナのミサ、John Farmer の曲などのギター編曲が up されているではないですか。面白いです。
(ただノートル・ダム・ミサに関しては音の「間違い」がちらほらありそうです。)
まうかめ堂的に大ヒットだったのがバッハのロ短調ミサの Agnus Dei のギター編曲です。ロ短調ミサをギターで演奏するなんて発想は私にはありませんでしたね。
Herndon さんは「いろいろな曲をアレンジしたい」と仰っていますので、今後も楽しみなサイトです。みなさんチェックしましょう。
震災の直後ぐらいから、かならずしも地震と関係なく、海外からの「まうかめ堂」宛のメールが増えて、「地震大丈夫か」的なことも必ずかかれていましたが、その中に J. Herndon さんからのメールがありました。
内容は「まうかめ堂の Alle, psalite cum, luya の譜を元にギター編曲を作ったのだけど今度作る新しいサイトに載せていいですか」という問い合わせで、この曲のタブ譜付きのギター編曲の楽譜が添付されていました。
中世のモテトのギター編曲という発想がとても面白く、もちろんそういう目的にまうかめ堂の楽譜を利用して下さるのは大歓迎ですので即OKだったわけですが、数日前にその新しいサイトが「出来ました」という連絡をもらいました。
それが次のサイトです。
Mediaeval Guitar: Guitar Tablatures of Mediaeval, Renaissance, and Baroque Music
で、見てみると Alle, psalite cum, luya の編曲譜が MIDI 付きで up されていたほか、ノートル・ダム・ミサのキリエやパレストリーナのミサ、John Farmer の曲などのギター編曲が up されているではないですか。面白いです。
(ただノートル・ダム・ミサに関しては音の「間違い」がちらほらありそうです。)
まうかめ堂的に大ヒットだったのがバッハのロ短調ミサの Agnus Dei のギター編曲です。ロ短調ミサをギターで演奏するなんて発想は私にはありませんでしたね。
Herndon さんは「いろいろな曲をアレンジしたい」と仰っていますので、今後も楽しみなサイトです。みなさんチェックしましょう。
2011年03月06日
教会旋法と音階
このところ教会旋法についてのページを作っているのですが、それを読まれた Clara さんから質問がありました。
> 此処で質問なのですが、Aを終始音にもつ音階はDを終始音に
> もつものと同種となっていますが、後期ルネッサンス期には
> 第9旋法から第12旋法まであります。
>
> これは支配音などに関する定義が時代の変遷により変わった
> のでしょうか。
この質問を最初に見たときには実は意味がよくわからなかったのですが、よくよく質問の意味を考えてみると極めて自然に出てくる疑問であることがわかってきました。ここではこれに対する答えを書きたいと思います。
さて、教会旋法というものをどういう風に理解するかということについて、いろいろなレベルの理解、そして様々なやり方での理解がありえるでしょうが、一つのよくある説明は、「音階」をずらずら並べて「これが教会旋法だ」と説明するやりかたでしょう。
これは、多くの本でされているやりかたと言ってよいでしょうが、私はこのやり方に基本的に賛成できません。なぜなら、その説明を読んだ人にはその「音階」だけが頭に残って、旋法についての正しい知識が伝わりにくいように思われるからです。
仮に正格プロトゥス(第一旋法、ドリア)、すなわちDをフィナリス(終止音)とする正格旋法を、Dから始まる1オクターヴの音階のことだというふうに理解していたとしましょう。このように、旋法は特定の音階のことであると理解した上で、「教会旋法2」の「アフィニタスとアッフィナリス」なる文書を読んだとすると、そこには「Aをフィナリスとする聖歌はDをフィナリスとする聖歌と同様にプロトゥスに分類される」と書かれているので、質問にある「Aを終始音にもつ音階はDを終始音にもつものと同種となってい」るという理解が生じると考えられます。(正しいでしょうか?)
一方16世紀のグラレアーヌスの12旋法理論ではAから始まるオクターヴの音階は第9旋法(エオリア旋法)と呼ばれDから始まる音階の第1旋法と区別されます。すると、旋法の定義が時代が変遷する途中のどこかで変わったのではないのか、という疑問が自然に生じます。
私は Clara さんの質問をこのように理解したのですが正しいでしょうか?
質問の意味がこうだったと仮定してこれに答えるなら、グラレアーヌスと中世では旋法のとらえ方が若干異なるようだ、というのがまず第一の答えでしょう。
(ただ私はグラレアーヌスの理論については中世の旋法理論ほどには詳しく検討していないので、なにがどうなっているのかはっきりと答えることができません。)
ここで、もしかしたらいくつかの誤解が生じる可能性があるかもしれないので、いくつか注意しておきたいと思います。
まず、もし、中世の旋法理論において、教会旋法のそれぞれの旋法をあるオクターヴの「音階」のことだと思っているとしたら、これは厳密には正確でないでしょう。また「教会旋法は終止音と「支配音」とで決定される」と理解していたとしたら、これも正確でないでしょう。(たとえなにかの本にそのような説明がされていたとしても。)
中世の文献を読む限り、もっとも基本的と思われるのは、まず第一に、教会旋法とは聖歌の分類の規則、あるいはその種類と理解するのがよいということ(「音階」のことだというわけではない)、そして第二に、分類のやりかたは「教会旋法1」に書いたように、フィナリス(終止音)とアンビトゥス(音域)によってなされるのが基本であること(やはり「音階」のことではない)です。
ではフィナリスによる分類でポイントとなるのは何かというと、フィナリスとその周囲の音たちとの音程関係です。具体的には、プロトゥス旋法のDの場合、グイドの説明によれば、Dから下には全音下がることができ、Dから上には全音、半音、全音、全音と上がることができるというのがプロトゥスを特徴づける要件ということになります。これはCDEFGaという6度内の音程関係で下から2番めのDに終止するというのがプロトゥス旋法の要件だと言ってよいでしょう。
逆に言うならば、この範囲外、すなわちCの下そしてaの上に現れるのがbナチュラルであってもbフラットであってもその曲はプロトゥス旋法だということになります。
すなわち第一旋法は、あえてオクターヴの「音階」の言葉で理解するならば、DEFGab(ナチュラル)cd という「音階」に属する曲だけでなく、bにフラットの付くような、現代でいうところの二短調の「音階」に属する曲も第一旋法に分類されることになるわけです。
さて、二短調の音階を五度上に移高するならば、a の上の変化音の無いオクターヴの音階になります。グレゴリオ聖歌では移高が自由だったことを考慮に入れるなら、a の上のオクターヴの音階に属する曲もプロトゥス旋法ということになると考えるのは自然でしょう。
以上が、ある意味11世紀ごろ完成された中世の旋法理論のエッセンスだろうと思います。
一方グラレアーヌスの理論については、上で書いたように私は十分にそれを理解しているわけではないのですが、たしかに旋法を(フィナリス付きの)オクターヴの音階と理解しているように見えます。なのでDから始まる音階で示される第1旋法とaから始まる音階で表される第9旋法は別ものということになります。
では、この旋法に対する理解の違い、変化は、いつごろからのものなのかというと、オクターヴの音階(オクターヴ種)が旋法概念の中核になるようになったのはやはり16世紀以降のことのようです。そしてこれはグラレアーヌス一人に限ったことでは無くてかなり一般的な変化であったようです。
多分この辺りのことは次を読めばわかるだろうと思います。
Doleres Pesce: The Affinities and Medieval Transposition, Indiana Universit Press, 1987.
この本の第5章は The rise of octave species theory と題されていて、1520年代から、オクターヴ種の理論がさかんになったと書かれています。
> 此処で質問なのですが、Aを終始音にもつ音階はDを終始音に
> もつものと同種となっていますが、後期ルネッサンス期には
> 第9旋法から第12旋法まであります。
>
> これは支配音などに関する定義が時代の変遷により変わった
> のでしょうか。
この質問を最初に見たときには実は意味がよくわからなかったのですが、よくよく質問の意味を考えてみると極めて自然に出てくる疑問であることがわかってきました。ここではこれに対する答えを書きたいと思います。
さて、教会旋法というものをどういう風に理解するかということについて、いろいろなレベルの理解、そして様々なやり方での理解がありえるでしょうが、一つのよくある説明は、「音階」をずらずら並べて「これが教会旋法だ」と説明するやりかたでしょう。
これは、多くの本でされているやりかたと言ってよいでしょうが、私はこのやり方に基本的に賛成できません。なぜなら、その説明を読んだ人にはその「音階」だけが頭に残って、旋法についての正しい知識が伝わりにくいように思われるからです。
仮に正格プロトゥス(第一旋法、ドリア)、すなわちDをフィナリス(終止音)とする正格旋法を、Dから始まる1オクターヴの音階のことだというふうに理解していたとしましょう。このように、旋法は特定の音階のことであると理解した上で、「教会旋法2」の「アフィニタスとアッフィナリス」なる文書を読んだとすると、そこには「Aをフィナリスとする聖歌はDをフィナリスとする聖歌と同様にプロトゥスに分類される」と書かれているので、質問にある「Aを終始音にもつ音階はDを終始音にもつものと同種となってい」るという理解が生じると考えられます。(正しいでしょうか?)
一方16世紀のグラレアーヌスの12旋法理論ではAから始まるオクターヴの音階は第9旋法(エオリア旋法)と呼ばれDから始まる音階の第1旋法と区別されます。すると、旋法の定義が時代が変遷する途中のどこかで変わったのではないのか、という疑問が自然に生じます。
私は Clara さんの質問をこのように理解したのですが正しいでしょうか?
質問の意味がこうだったと仮定してこれに答えるなら、グラレアーヌスと中世では旋法のとらえ方が若干異なるようだ、というのがまず第一の答えでしょう。
(ただ私はグラレアーヌスの理論については中世の旋法理論ほどには詳しく検討していないので、なにがどうなっているのかはっきりと答えることができません。)
ここで、もしかしたらいくつかの誤解が生じる可能性があるかもしれないので、いくつか注意しておきたいと思います。
まず、もし、中世の旋法理論において、教会旋法のそれぞれの旋法をあるオクターヴの「音階」のことだと思っているとしたら、これは厳密には正確でないでしょう。また「教会旋法は終止音と「支配音」とで決定される」と理解していたとしたら、これも正確でないでしょう。(たとえなにかの本にそのような説明がされていたとしても。)
中世の文献を読む限り、もっとも基本的と思われるのは、まず第一に、教会旋法とは聖歌の分類の規則、あるいはその種類と理解するのがよいということ(「音階」のことだというわけではない)、そして第二に、分類のやりかたは「教会旋法1」に書いたように、フィナリス(終止音)とアンビトゥス(音域)によってなされるのが基本であること(やはり「音階」のことではない)です。
ではフィナリスによる分類でポイントとなるのは何かというと、フィナリスとその周囲の音たちとの音程関係です。具体的には、プロトゥス旋法のDの場合、グイドの説明によれば、Dから下には全音下がることができ、Dから上には全音、半音、全音、全音と上がることができるというのがプロトゥスを特徴づける要件ということになります。これはCDEFGaという6度内の音程関係で下から2番めのDに終止するというのがプロトゥス旋法の要件だと言ってよいでしょう。
逆に言うならば、この範囲外、すなわちCの下そしてaの上に現れるのがbナチュラルであってもbフラットであってもその曲はプロトゥス旋法だということになります。
すなわち第一旋法は、あえてオクターヴの「音階」の言葉で理解するならば、DEFGab(ナチュラル)cd という「音階」に属する曲だけでなく、bにフラットの付くような、現代でいうところの二短調の「音階」に属する曲も第一旋法に分類されることになるわけです。
さて、二短調の音階を五度上に移高するならば、a の上の変化音の無いオクターヴの音階になります。グレゴリオ聖歌では移高が自由だったことを考慮に入れるなら、a の上のオクターヴの音階に属する曲もプロトゥス旋法ということになると考えるのは自然でしょう。
以上が、ある意味11世紀ごろ完成された中世の旋法理論のエッセンスだろうと思います。
一方グラレアーヌスの理論については、上で書いたように私は十分にそれを理解しているわけではないのですが、たしかに旋法を(フィナリス付きの)オクターヴの音階と理解しているように見えます。なのでDから始まる音階で示される第1旋法とaから始まる音階で表される第9旋法は別ものということになります。
では、この旋法に対する理解の違い、変化は、いつごろからのものなのかというと、オクターヴの音階(オクターヴ種)が旋法概念の中核になるようになったのはやはり16世紀以降のことのようです。そしてこれはグラレアーヌス一人に限ったことでは無くてかなり一般的な変化であったようです。
多分この辺りのことは次を読めばわかるだろうと思います。
Doleres Pesce: The Affinities and Medieval Transposition, Indiana Universit Press, 1987.
この本の第5章は The rise of octave species theory と題されていて、1520年代から、オクターヴ種の理論がさかんになったと書かれています。
2011年01月01日
謹賀新年
明けましておめでとうございます。
今年もよろしくおねがいいたします。
さて、昨年も順調に更新が滞っておりますが、今年も昨年程度できれば良い方かなと思っております。
新年のMIDIはなんとなくマショーのヴィルレーです。
今年もよろしくおねがいいたします。
さて、昨年も順調に更新が滞っておりますが、今年も昨年程度できれば良い方かなと思っております。
新年のMIDIはなんとなくマショーのヴィルレーです。
- Guillaume de Machaut: Se je souspir (virelai)
- mp3: [mp3, 1.1M]
- MIDI: [GM], [SC-88]
- mp3: [mp3, 1.1M]
2010年04月08日
ヘクサコルドの発展史におけるバタフライ効果?
再びグイド・ダレッツォの本についてです。
Stefano Mengozzi, The Renaissance Reform of Medieval Music Theory: Guido of Arezzo between Myth and History, Cambridge University Press, 2010.
ut-re-mi-fa-sol-la のソルミゼーションはグイドの同時代には、理論としては、それほど流行らなかったそうなんですが、後の時代にヘクサコルドの理論として全音階システムそのものを基礎付けるほどの重要な位置にまで昇格します。
どうもこの大躍進の端緒となったのがグイドの「ミクロログス」という超有名論文を注釈した「メトロログス」という13世紀の論文のある箇所だとのことです。
そもそも「ミクロログス」はグイドの著作でありながら ut-la のシラブルによる音名が全く出てこないのですが、「メトロログス」ではそれを書き換えて、ut-la のシラブルで表される6つの音が「全てのハーモニーの基礎である」というようなことをぽろっと言っちゃったみたいで、それがヘクサコルド大出世の一番おおもとの原因だと上の本には書かれています。
それを表現するのに次のような一文が出てきてまうかめ堂的に無茶苦茶大ウケでした。
こんなところにバタフライ効果の比喩が出てくるなんて…。
Stefano Mengozzi, The Renaissance Reform of Medieval Music Theory: Guido of Arezzo between Myth and History, Cambridge University Press, 2010.
ut-re-mi-fa-sol-la のソルミゼーションはグイドの同時代には、理論としては、それほど流行らなかったそうなんですが、後の時代にヘクサコルドの理論として全音階システムそのものを基礎付けるほどの重要な位置にまで昇格します。
どうもこの大躍進の端緒となったのがグイドの「ミクロログス」という超有名論文を注釈した「メトロログス」という13世紀の論文のある箇所だとのことです。
そもそも「ミクロログス」はグイドの著作でありながら ut-la のシラブルによる音名が全く出てこないのですが、「メトロログス」ではそれを書き換えて、ut-la のシラブルで表される6つの音が「全てのハーモニーの基礎である」というようなことをぽろっと言っちゃったみたいで、それがヘクサコルド大出世の一番おおもとの原因だと上の本には書かれています。
それを表現するのに次のような一文が出てきてまうかめ堂的に無茶苦茶大ウケでした。
In hindsight, this excerpt may be viewed as the initial fluttering of the butterfly that will lead to a powerful hurricane in a different place and time... (p.61)
後知恵では、この抜粋は、異なる地域と時代において強力なハリケーンを導くことになる蝶の最初の羽ばたきとして見ることができる…
こんなところにバタフライ効果の比喩が出てくるなんて…。
2010年04月04日
Clavis, Clef そして Key
ト音記号やヘ音記号などの音部記号を英語では G-clef や F-clef など clef と言いました。また、調のことを英語で key と言ったりもします。この辺のことが、どうしてこういう風に言われるのか、あまり考えもしませんでしたが、ある本を読んでいて唐突にその起源がわかりました。
ある本とは次です。
Stefano Mengozzi, The Renaissance Reform of Medieval Music Theory: Guido of Arezzo between Myth and History, Cambridge University Press, 2010.
これは11世紀に Guido d'Arezzo によって開発されたという中世・ルネサンスにおけるソルミゼーションであるヘクサコルド hexachord (一言で言うとドレミの原型です)がその後の時代にどのように用いられていたのかを、特にそれまでに既にあった G-A-B-... という七音の音名の体系の用いられかたとの対比によって探っている本(のよう)です。(まだ、あんまり読んでません。)
なかなかヘクサコルドというのは、明解ではあるけれどもよくよく考えてみるとちょっと不思議な理論で、どうもしっくりこないところが残るので、まうかめ堂は中世音楽のサイトでありながら言及を避けてきたのですが、この本を読むともう少しすっきりしそうです。
で、本題の Clef や Key です。
上の本の中にこんな記述がありました。(以下、だいぶいい加減な訳による引用です。)
えっ!そうだったの!という感じですが、これで表題の三つのもの Clavis, Clef そして Key がつながりました。
Clavis は正に鍵を意味するラテン語です。(複数形が Claves) また、それは、中世・ルネサンス期には上の音部記号という意味を超えて多様に用いられた音楽用語でもあります。
最初に書いたように Clef は音部記号の意味であり、かつその意味でしか用いられない英語のようですが、その大本は Clavis ということになりそうです。
そして Key. これがなぜ調を表すのか、いままで私には謎でしたが、なんというか「鍵」という意味を経由して英語に「調」の意味として入りこんだということになるわけですね。
なんというか clavis というラテン語の多義性によって英語の key の多義性が impose されるとでもいうべき状況でしょうか…。
上の引用に「多くの中世の理論家たちが指摘しているように」というのがありました。
気になったので TML で clavis で検索をかけてみたら、大量に引っかかってとても全部見きれませんでしたが、それっぽいものが一つ見付かりました。
13世紀の論文で、 Elias Salomo という人の Scientia artis musicae (「音楽技法の知識」)という文書の中にこんな一文がありました。
この部分はいわゆる「グイドの手」を論じている章の一部で、上で sex punctos とあるのはおそらくヘクサコルドの六つの音名 ut-re-mi-fa-sol-la のことでしょうね。
音楽に対して aperire なんて語を使っているのは面白いですね。
ある本とは次です。
Stefano Mengozzi, The Renaissance Reform of Medieval Music Theory: Guido of Arezzo between Myth and History, Cambridge University Press, 2010.
これは11世紀に Guido d'Arezzo によって開発されたという中世・ルネサンスにおけるソルミゼーションであるヘクサコルド hexachord (一言で言うとドレミの原型です)がその後の時代にどのように用いられていたのかを、特にそれまでに既にあった G-A-B-... という七音の音名の体系の用いられかたとの対比によって探っている本(のよう)です。(まだ、あんまり読んでません。)
なかなかヘクサコルドというのは、明解ではあるけれどもよくよく考えてみるとちょっと不思議な理論で、どうもしっくりこないところが残るので、まうかめ堂は中世音楽のサイトでありながら言及を避けてきたのですが、この本を読むともう少しすっきりしそうです。
で、本題の Clef や Key です。
上の本の中にこんな記述がありました。(以下、だいぶいい加減な訳による引用です。)
A-G の文字は claves ("keys") としても知られていた。なぜなら、それらは譜表の始めに置かれ、ピッチを紛れなく示すための "clefs" として用いられたからだ。(多くの中世の理論家たちが指摘しているように、鍵が錠を開けるのと同じ風に、それら(claves)は読む者に楽譜を開ける(unlock)ことを可能にするのである。(p.7)
えっ!そうだったの!という感じですが、これで表題の三つのもの Clavis, Clef そして Key がつながりました。
Clavis は正に鍵を意味するラテン語です。(複数形が Claves) また、それは、中世・ルネサンス期には上の音部記号という意味を超えて多様に用いられた音楽用語でもあります。
最初に書いたように Clef は音部記号の意味であり、かつその意味でしか用いられない英語のようですが、その大本は Clavis ということになりそうです。
そして Key. これがなぜ調を表すのか、いままで私には謎でしたが、なんというか「鍵」という意味を経由して英語に「調」の意味として入りこんだということになるわけですね。
なんというか clavis というラテン語の多義性によって英語の key の多義性が impose されるとでもいうべき状況でしょうか…。
上の引用に「多くの中世の理論家たちが指摘しているように」というのがありました。
気になったので TML で clavis で検索をかけてみたら、大量に引っかかってとても全部見きれませんでしたが、それっぽいものが一つ見付かりました。
13世紀の論文で、 Elias Salomo という人の Scientia artis musicae (「音楽技法の知識」)という文書の中にこんな一文がありました。
Quid est clavis in hac arte? Clavis est scientiam artis musicae aperiens artificialiter per septem litteras et sex punctos
この技法において clavis とは何か? Clavis
は7つの文字と六つの punctos を通じて音楽を開ける(aperire)技法の知識である。
この部分はいわゆる「グイドの手」を論じている章の一部で、上で sex punctos とあるのはおそらくヘクサコルドの六つの音名 ut-re-mi-fa-sol-la のことでしょうね。
音楽に対して aperire なんて語を使っているのは面白いですね。