2008年01月26日

ブーレーズはマショーをどう見ていたのか

吐き出せるときに吐き出しておきましょう、ということで、もう一つ二つ、ブーレーズと中世音楽関係のことを書き散らかします。

再び「ブーレーズ音楽論 徒弟の覚書」(ピエール・ブーレーズ著、船山隆、笠羽映子訳)から、ある音楽事典のために書かれた文書の中から、「対位法」についての文章についてです。

これはまさに音楽事典の「対位法」の項目に書かれた対位法の解説ですが、ただの辞書的な解説に留まらない、きわめてブーレーズ的なものになっています。

その中で、それこそ中世から現代にいたる対位法の歴史が、簡潔にして高密度に記述されるのですが、その記述は極めてフランス人ぽいというか、読者に全く媚びないというか、「着いてこれるやつだけ着いてくれば…。こっちは必要十分に解説してるもんね」みたいなところがあって、私は結構好きです。

それで、この中で、「アルス・ノヴァ」、とりわけマショーについてブーレーズが非常に高く見てることに、驚かされます。
「アルス・ノーヴァ」はポリフォニーの変遷におけるもっとも輝かしい時期の一つである。きわめて急速な発展が生じたのは、定量記譜法のおかげである。この時期は、フィリップ・ド・ヴィトリのような大理論家の名や、あらゆる時代を通じてもっとも偉大な作曲家の一人、ギョーム・ド・マショーの名に結びつけられる。ここでわれわれが目撃するのは、リズムや旋律による各声部のきわめてはっきりした区別である。展開は、いっそう精緻な旋律と流動的なリズムによって、より変化に富んだ柔軟なものとなるが、このリズム的柔軟性は、今日なお一方ならずわれわれを驚かせる。他方「終止クラウズラ」の確立は、展開に対して一種の三和声的な基礎を保証する。人々は、声部間で模倣を行なういくつかの用法を見いだし始める。マショーの音楽は、まったく驚くべき複雑さや精緻さや精妙さを示している。マショーは、旋律対位法の領域においてもリズム対位法の領域においても同様に、完璧な技倆をわが物としたのである。彼の音楽はヨーロッパ音楽の発展のなかで一つの頂点を成している。

訳がところどころ変なのと、いまでも「終止クラウズラ」なんていい方するのかなというのはありますが、マショーに対する評価が異様に高いですね。
「あらゆる時代を通じてもっとも偉大な作曲家の一人、ギョーム・ド・マショー」であり、「彼の音楽はヨーロッパ音楽の発展のなかで一つの頂点を成している。」ですから。

これに比べるとその後のフランドル楽派や、16世紀末の対位法の「黄金時代」に関しては割とそっけなかったりします。

で、次に明確に重要視されているのは、大バッハです。
それ以降(モンテヴェルディ以降)の音楽は、対位法的な考え方と和声的な概念の交錯を目ざした。ヨーハン・セバスティアン・バッハについては次のようにいうことができる。すなわち、彼は17世紀以降の書法の発展すべてを見事にしかも効果的に要約している、と。まさしくバッハにおいては、二つの書法類型の間にきわめて緊密な結び付きが見いだされ、またその結びつきは、彼以後もはやそれほど容易に達成されないような一致を示している。現在でも学校の対位法は、とくに彼の作品から引かれた範例にしたがって教えられている。バッハはわれわれに「対位法大全」とも言えるものを残したが、そこには、人間の獲得し得る書法上の全知識が要約された形で見いだされる。この大全は、『フーガの技法』、『音楽の捧げもの』、(チェンバロのための)『ゴールドベルク変奏曲』および(オルガンのための)『"高き天より”に基づく変奏曲』を含んでいる。これらの四つの作品には、模倣から厳格なカノンに至るまで、自由な対位法や厳格な対位法の諸形式がすべて見いだされる。


さらに興味深いことに、対位法の教育に関してこんなことも言っています。
しかし現代の対位法教育においては、より多くの考慮がバッハ以前の作曲家たちに与えられることが望ましい。大部分の教師たちにとっては、音楽が始まるのはまさしくバッハからということになっているのだ。ルネッサンスの側からおずおずとした侵入が行われはしたが、「オルガヌム」から古典派の時代に至る対位法の発展に誠実に基づいた教育は何もない。さらにテキストそのものを識ることも、それらの出版物が数少なかったり、高価であったりするために、ひじょうな制限を加えられている。

これは現在でも全く当てはまる指摘でしょう。
バッハが偉大であることは疑いようのないことです。「音楽の父」と呼ばれ、それ以前の全ての音楽はバッハに集約されており、それ以後の音楽の発展の全てがバッハに遡れるというものの見方は一つの観点として正しいでしょう。

バッハは西洋音楽においてもっとも高い山(の一つ)なわけですね。

しかしそれは一つ陥穽でもあります。すなわち、あまりに大きな山なのでその向こうが見えなくて、また、その山を登って越えることなど極めて困難なことです。

確かに、バッハには中世音楽のかすかな残響さえ聴くことができます。が、しかし、「集約」は「取捨選択」であり「選別」です。ある種のフィルタリングです。当然のことながらバッハに中世音楽そのものを聴くことなどできません。

バッハの向こう側に行くためには、一度「飛ぶ」必要がどうしてもあるようです。ヘリかなにかで山の向こうにポンと飛ぶ。

そうするとさらなる山々が連なっているのが見えるのですが、今飛び越えてきた高い山と同じくらい高い山に出会うことになります。

それがマショーです。

というか、マショーの高さを正当に見極められるかがどうかは、バッハを音楽の「始まり」とみなす類の立場、「バッハの重力圏」から抜け出ることが出来るかどうかにかかっていると言っても良いかもしれません。

(もう一つ「バッハの重力圏」から抜けだせるかどうかが問題になるのは20世紀音楽に向き合うときでしょう。)

ブーレーズの同じ文書の中にこんな一節があります。

たしかに、今や音楽の発展は、モノディーであり次いでポリフォニー(対位法から和声)であった二つの段階のあとで、第三の段階に入りつつあり、それは一種の「ポリフォニーのポリフォニー」であるように思われる。すなわち、もはや単なる堆積ではなく、音程の「配分」が要請されるのである。大ざっぱな表現だが、今や音楽には新たな次元が存在する、といえるだろう。このポリフォニックな観念は、いわゆるリズム語法の発展に助けられている。そしてたしかに、中世以来、あらゆる領域において、現在ほどの鋭さをもって問題提起がなされたことは未だかつてなかったように思われる。現代と「アルス・ノーヴァ」の間に正当な権利をもって存在し得るのは、以上のような比較だけだろう。

なかなか理解しにくい一文ですが、この文章は1960年ごろ書かれており、「ポリフォニーのポリフォニー」という「第三の段階」をセリーに託したブーレーズの夢はそれほど成功しなかったようにも今となっては見えます。

しかし、ブーレーズが当時一体何を夢見ていたのか、そしてそれとの関連においてアルス・ノヴァの中に何を見ていたのかは非常に興味のあるところです。

そういうわけで、私がマショーの MIDI を作るのは、ブーレーズを理解するためだと言ってもよいでしょう。


posted by まうかめ堂 at 20:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 中世音楽

2008年01月21日

20世紀のアルス・ノヴァ

わけあって、「ブーレーズ音楽論 徒弟の覚書」(ピエール・ブーレーズ著、船山隆、笠羽映子訳)所収の Eventuellement… という原題の論考を十数年ぶりに読みました。(この題を「偶々…」と訳すのは明らかに誤訳でしょう。)

で、もちろん昔読んだときには全くそんな風に思いませんでしたが、これって「20世紀のアルス・ノヴァ」なんじゃないかという風に強烈に感じました。

ここで言うアルス・ノヴァとは、フィリップ・ド・ヴィトリの同名の論文のことを指しています。すなわち、それまでの「古い技法」に対して、計量記譜法(これは即その方法による作品の音楽構造を規定しています)に関してのイノヴェーション(二分割リズムを認めることと、ミニマの導入)を提案・提出した、かの有名な論文のことで、それがそのままその時代・様式の音楽に転用されたおおもとのことです。

で、ブーレーズの Eventuellement… は、まさにそのころその技法による傑作(「ル・マルトー」)を完成させつつあった、セリーの技法に関する非常に具体的な論考です。
私にはこれが、20世紀音楽におけるセリーの技法についてのアルス・ノヴァに見えるのです。

自分の作った曲にすら自分の名前を記さなかったほど慎ましやかだったヴィトリと比べれば、「激怒する職人たち」(ルネ・シャール)を地でいくような若きの日のブーレーズはアグレッシブです。
つまり十二音音楽語法の必要性を感じたことのない(中略)音楽家は、すべて「無用」である。

なんてことまで言ってます。(有名な一節ですが。)

でも、内容的にはさして戦闘的というものでもなくて、19世紀末ぐらいまでの伝統的(因襲的)音楽を、新ウィーン楽派らの資産を元手に、どのように超克していくかが、具体的な方法論とともに示されています。

読むほどにアルス・ノヴァですね。

しかも面白いことに、ここにはマショーやデュファイへの言及があります。
たしかにリズムをセリー構造に組み入れる必要がある。どのようにしてそれを成し遂げるのか?
逆説的にいえば、その出発点となるのは、ポリフォニーをリズムから引き離すことであろう。保証を必要とするなら、マショーやデュファイのアイソリズム・モテトを挙げればよい。つまり、われわれは、リズム構造にもセリー構造にもまったく対等な重要性を与えるのだ。この[リズムの]領域においても同様に、可能事の網状組織を創りだすこと、それがわれわれの目標である。

一つ前の記事で、20世紀音楽に言及したのには実はこういう背景があったんです。

というか、この一文は、私の関心が中世音楽に向かう遠因の一つだと言ってもよいものです。

十二音音楽、そしてセリー音楽へといたる道は、大体バッハの時代から19世紀終わりぐらいまでのいわゆるクラシック音楽に慣れ親しんだものにとってはなかなか理解しがたく、また現在学校で教えられているような「標準的な」音楽な規範からすると受け入れ難いものでありえます。

しかしながら、ヴァーグナー以降顕著だった半音階主義の中、調性は一度解体されねばならなかったということを前提とするならば、調性和声、あるいは機能和声に基づいた音楽の構成法を捨て去らなければならなかったことは必然であり、それにかわる新しい音楽の構成法、組織化の方法を探し求める必要があったこともまた必然でしょう。

そうしたときに、シェーンベルクはどの程度自覚していたかはわからないけど、ストラヴィンスキーは極めて直観的に、メシアンとブーレーズは音楽史全体を俯瞰的に見渡す観点からの論理的帰結として、それぞれに、そして常に implicit に中世音楽への参照がなされたということは、今では私には必然のように思えています。

ロマン主義の時代にあまりにも多くのものを背負わされてしまった音楽を解放し、音と人間とのより直接的な結びつきをとりもどすこと。
音楽は、その本質からいって、感情、態度、心理状態、自然現象など、いかなるものであっても何ものをも表現する力を持たない、と私は考える。未だかつて表現が音楽の内在的特性であったことはない…。(ストラヴィンスキー)

20世紀音楽、というか上に挙げた作曲家の音楽は、その前の世紀の音楽よりずっと、中世音楽、より正確には十二世紀以降の中世多声音楽に近いと感じています。

すなわち、神の声たる(グレゴリオ)聖歌に対する注釈としての音楽の時代、与えられた神の声=聖歌は既に書き留められ、シンボルとして、記号として操作の対象になっていて、数の学問の一分野たるムジカを修得したマギステルたちが行っていたことは、「宇宙の調和を見つけ出す」という認識の下で、調和=比例関係に基づく音の大伽藍を築き上げることにほかならなかった、そんな時代の音楽にです。

セリー音楽と、ブーレーズも言及しているアイソリズム・モテトに関して言えば、その発想法も、おそらくは作曲のプロセスも、かなり似通っていると言ってよいでしょう。
(結果として得られる音響はだいぶ異なるものになりますが…。
また、20世紀と中世の非常に大きな違いは、20世紀にはもう「神」がいなかったことでしょうか。)

西洋音楽の歴史全体を、ひとまとまりのもの考えたときに、(それは正当なものの見方でしょう。)非常に大きくわけて15世紀ごろから19世紀末までと、それ以外にわける見方がありうるだろうと、私は思っています。これは、音響の性質という観点から、三度を中心にした音の構成法が主流だった時代とそれ以外と言っても良いかもしれません。つまり、響きの性質ががらっと変化した時期がここ2000年ぐらいの間に二回あったということです。

前者は常に中心であり、後者は明らかに周縁です。

そして、多くの人は、(たとえ音楽のプロであっても、)「中心」の論理・観点から非常にしばしば「周縁」を裁いてしまっていることに何の疑念を持たないどころか、そういう事態が生じてしまっていることにすら気づいていないようにも見えます。

私はいまさらいわゆる「現代音楽」を解さない人から20世紀音楽を擁護しようなどという気はまったく起きませんが、中世音楽は、西洋音楽の礎として音楽の卵であると同時に、もはや多くの人々にとってその声をきちんと受け止めることの難しくなってしまった内なる他者です。

中世音楽は、多くの人々が「音楽とはこういうものだ」と認識しているその音楽の正統性を根底から覆す力を内に秘めています。

西洋音楽の歴史は、中世と20世紀を足場として一度脱構築されてよい、ということが一つ前の記事で言いかけたことでした。

ですが、今回も議論が性急に過ぎました。
posted by まうかめ堂 at 00:56| Comment(10) | TrackBack(0) | 中世以外の音楽

2008年01月20日

デュファイのアイソリズム・モテト

今年に入って立て続けにデュファイの MIDI を up してますが、今や私はデュファイのアイソリズム・モテトに夢中です。

実は、私はアイソリズム・モテトをまうかめ堂で取り上げるのを今までずっと避けてきました。なぜならば、アイソリズム・モテトは、ジャンルとして、あるいは技法として、中世音楽の精華というべきか、最終到達点というべきか、もっとも高度なポリフォニーであって、最後に来るべきものだと思っていたからです。

それで、ほとんど気まぐれにデュファイの二曲を作ってみたら、何かわかってしまいました。
今までまうかめ堂で MIDI なりなんなりを作ってきた本当の目的は、アイソリズム・モテトをきちんと理解することだったということを…。(いままで気づきませんでした。)

そしてその向こう側には20世紀音楽、とりわけセリー音楽をきちんと理解するという20年来の宿題が見えかくれしていて、いずれは、中世音楽と現代音楽をてこに「通常の」西洋音楽史における図と地を反転させるようなものの見方を形にしようとするかもしれません…が、これだけでは、何を言ってるのかわかりませんね。

まあ、それはさておき、デュファイです。
アイソリズム・モテトです。

デュファイのアイソリズム・モテトは、13世紀のモテトを胚とし、ド・ヴィトリ、マショー、チコーニア、ダンスタブル、と続く系譜の最後にくるものです。

デュファイは音楽の歴史としてみるならば、ルネサンスと呼ばれる時代の最初の作曲家であり、新しい時代を切り拓いたパイオニアであるわけですが、時代の移り変わりはもちろんある日を境に起こるわけではありません。つまり昨日まで中世で、今日からルネサンスだという特定の日付は存在しません。

デカルトの中にスコラ哲学が流れ込んでいてその養分の上に近代哲学が切り拓かれたように、デュファイの中には中世音楽の全てが流れ込んでいて、そこに深く根を下ろしています。

その大きな残響は、一方では彼の多くの世俗シャンソンに響いており、また一方では、アイソリズム・モテトにおいてより直接的に発現しています。

しかし、デュファイはその音楽家としての人生の半ば(1440年代前半)で、もはや時流にそぐわなくなったアイソリズム・モテトの作曲をやめてしまいます。

すなわち、デュファイこそが、中世音楽を完全に終わらせた墓堀人だということもできます。

これに関して、ウエルガス・アンサンブルのデュファイのアイソリズム・モテト集のCDによせられた、この団体のリーダーであるパウル・ファン・ネーヴェルの言葉が極めて的確にこれを表現しています。
1440年代、個人の表現、ポリフォニー的音響の感覚性(sensualite)、テクストの内容へのヒューマニスティックなアプローチがますます重要になってくる時代にあって、アイソリズム・モテトの厳密な数学的制約にもはや未来がないことはデュファイにとって明白なことだったにちがいない。この意味で、デュファイのアイソリズム・モテトは、マショー、ダンスタブル、チコーニアによって準備されたこの中世の多声音楽の概念の頂点をなすと同時に、若かりしデュファイが完全に同意していた形式概念の終焉をも表現している。彼のアイソリズム・モテトは、中世の凋落のある種の加速された音楽的なヴィジョンを形成している。(主に仏語訳からのまうかめ堂のテキトー訳)

しばらくアイソリズム・モテトとその周辺をうろつくことになると思います。
posted by まうかめ堂 at 18:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 中世音楽

2008年01月01日

謹賀新年

新年明けましておめでとうございます。
ぼちぼち活動を再開していきたいと思います。
(とはいうもののさすがにこの年になると私でも忙しくなりますね。)
去年のノートルダム楽派みたいに大変なテーマを掲げてしまうと身動きがとれなくなるので、今年はゆるゆるいきたいと思います。

ここ数年大晦日は紅白を見ないでMIDIを作っていることが多いのですが(笑)、昨日もその時間デュファイのMIDIを作っていました。
やっぱりデュファイやマショーは作ってて楽しいですね。

今年はデュファイをぽつぽつ作ることから始めましょうか。

それでは、本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
posted by まうかめ堂 at 16:28| Comment(6) | TrackBack(0) | 「まうかめ堂」の日記

2007年09月09日

今後の予定

うっかりというべきか、「終わり」を口にしてしまったばっかりに、思いがけなくも多くの方にご心配をかけてしまい、申し訳ありません。

「まうかめ堂」は存続いたします。

ただ少しの間更新は休ませてもらって、早ければ11月の1日ごろを目安に、そうでなければ2008年1月ごろに新しい内容が追加されるようにしたいと考えています。(まぁ、ガルランディアの翻訳の一章が追加される程度だと思いますが…。)

なんといますか、こういう時期って必要、です、よね?

この日記も当初閉じるつもりでしたが、とりあえずこのままにしておきます。

それでは、また。
posted by まうかめ堂 at 18:48| Comment(3) | TrackBack(0) | 「まうかめ堂」の日記

2007年08月18日

「『まうかめ堂』の終焉」についての補足

先日の日記で方針の転換を打ち出しましたが、一部で思わぬ反響があったようなのでもう一言説明いたします。

・サイトを閉じるということはありません。

・解説文書を捨てることにしたのは、それらを最近自分で読み返していて「違うなぁ」と思うことが多くなったからです。こういう記述は私にはまだ早かったようです。

・日記についても同様の理由です。
われながら良くないなぁと思うのですが、最近とみに「重さ」に捕われはじめているようですね。
一度リセットが必要です。

・MIDIの製作をやめることにしたのは、最近自分で自分の作ったMIDIを関心を持って聴かなくなったからです。
これはほんとに卒業という感じです。

まぁ、なんというか、「ウェブサイトを作るという勉強法」という感じでやってましたがこの辺で気分転換が必要かな、ということです。
posted by まうかめ堂 at 16:36| Comment(6) | TrackBack(0) | 「まうかめ堂」の日記

2007年08月14日

「まうかめ堂」の終焉

最近気づいてしまいました。
「中世音楽のまうかめ堂」というサイトは、私の中で既にその役目を終えていたということに…。

なんというか、モードが変わったと言いますか、まうかめ堂のコンテンツは全て捨ててしまって良い気がしてきました。

中世音楽に対する関心が薄まったわけでは全くないのですが、そろそろMIDIを作ったり、中世音楽について何かを書いてみたりということを卒業してもいい頃合かな、と思っているのです。

そういうわけなので、すぐにでもサイトを閉じてしまっても良いのですが、ごく稀によそ様のサイトからリファーされてることもあるのでとりあえず現在の状態は維持しつつ、内部構成を少し変えることにしました。

・翻訳(のようなもの)以外の文書は捨てます。ただ一応辿れるように雑文のページの片隅に放りこんでおくことにしました。

・MIDIはそのままにしておきます。ただどんな曲についてもMIDIを作成することへの意欲と関心はもうあまりないので、新しいMIDIが作られることはないかもしれません。

・BBSは閉じることにしました。この日記もいずれ閉じるつもりです。


で、今後の活動は次の二点にしぼりたいと思います。


1.やりかけの翻訳(のようなもの)をとりあえず終結させる。

2.楽譜の校正の精度を上げる。


ま、結局まうかめ堂の内容で多少なりとも意味があると判断したのはこの二つだけということです。

そして、その先のことは未定です。新しい transcription を作りはじめるのか、新しい論文を読みはじめるのか、はたまた他のことをはじめるのかは、未定です。
posted by まうかめ堂 at 21:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 「まうかめ堂」の日記

2007年07月08日

マショーのバラード vs バッハ vs ソナタ形式

先週MIDI 環境の整備が完了したことを書きましたが、せっかくなので何か一曲作りましょうということで、バッハのプレリュードのちょっとした MIDI を「中世以外の音楽のまうかめ堂」の方に up しました。

この曲は私の好きな曲で、難易度も手頃なため、バードの Nevells booke と出会う前はピアノに向かうと必ずこの曲を弾き始めるような曲でした。

MIDI 自体はほんとにたいしたものではありませんが、そういえば去年マショーのバラードを作っていたときに、マショーのバラード&バッハの舞曲形式の鍵盤曲&ソナタ形式について書きそびれていたなぁ、ということを思いだし、この MIDI を up しました。

「マショーのバラード&バッハの舞曲形式の鍵盤曲&ソナタ形式」について一体何を言いたいのかというと、以下のようなことです。

・これらは構造的に同型である。それは形式的なものだけでなくて、音楽の力動的構造の点で同型である。

・すなわち、18、19世紀に隆盛を究めた表現形式であるソナタ形式は、少なくとも14世紀マショーのバラードまで遡れる。

「また、まうかめ堂はとち狂ったか」と思われるかもしれませんが説明します。

まず、上でバッハの舞曲形式の鍵盤曲と言ったものは、フランス組曲やイギリス組曲、あるいは無伴奏チェロ組曲なんかの、アルマンドとかクーラントとかジーグとか舞曲起源の形式の曲を指しています。

それらはそれぞれ性格的に異なるフレイバーを持つ形式ですが、繰り返しのパターンは一様に AABB の形をしています。

一方、中世フランスの定型歌曲の一様式であるバラードは、これも舞曲が起源だとされていますが、その繰り返しのパターンは AAB です。ときどき AABB のように B パートを繰り返すことがあります。

というわけで同じ形をしてますね……ということが言いたいのではなくて、上でもわかりにくく言ったように内容の同型性が見られるということを言いたいです。

さて、野暮ったいことを言うならば、大抵の音楽作品は起承転結というストーリー展開の図式で理解することができます。

バッハの舞曲の場合、(何が「起」で何が「承」かは言う気はありませんが、)B パートのはじめに明確に「転」が来ます。

すなわち、A パートの終わりでフレーズが一旦締めくくられた後、B パートの開始部では和声や調が動いたり、音楽がドラマティックに展開したり、それまでと性格的に逸脱しているようなことがいろいろ起こります。

そして、B パートの後半で元の鞘にまとめてみせると、たとえ一分二分の短い曲であってもひとつのドラマが過不足なくそこに完結することになります。

こういう構造的な図式はバッハに限ったことではないかもしれませんが、バッハにおいてはとりわけ顕著であるように思います。

一方、マショーのバラードにおいてもB パートのはじめに明確に「転」が来て、バッハの舞曲のとき同様なことが起こります。すなわち和声や調が動いたり、音楽がドラマティックに展開したりします。

マショーのバラードの場合、特に注目したいのは、主旋律を担う上声部が、B パートのはじめで高い音域から入ることが多いことです。A パートの終わりの音から比べ、その五度、六度上は当り前、七度八度の跳躍もあります。

さらに、B パートの終わりの部分は、A パートの終わりと全く同一であることも多いことも強調しなくてはなりません。

やはりこういう構造的な図式はマショーに限ったことではなくて、同時代あるいはその後の時代のバラードにも見られるものですが、マショーにおいては性格的にとりわけ顕著です。

で、ソナタ形式ですが、これは上記のバッハの舞曲の力動的な構成を、主題とその展開という構成に敷衍したものに他なりません。
(あ、これは私が勝手にそう思っているわけでは必ずしもないです。たとえば、今、私の手元にある音友の新音楽辞典にもそれを示唆する記述がちゃんとあります。)
実際、モーツァルト以前の初期のソナタ形式の楽章では、本当に AABB の形式をしていることが多いようです。B パートに展開部と再現部が入っていて、展開部が「転」です。

というわけで、マショーのバラード&バッハの舞曲&ソナタ形式は全て構造的に同型である、という認識に至ります。

さて、上の議論で、バロックの舞曲がソナタ形式にすんなりつながっていることには一定の理解が得られるかもしれませんが、バッハの舞曲とマショーのバラードの間に直接的あるいは間接的つながりはあるでしょうか?

すなわちマショーのバラードに見られる構造的な形式が時代から時代へと連綿と受け継がれて、バッハの時代にまでつながっているのか?……

おそらく答えは No だろうと私は思います。

これにはバロックの舞曲形式も、中世のバラードという形式も、もともと民間の舞曲がその起源だったことに注目する必要があると思います。
すなわち、普遍的、あるいは不変なのは AABB という繰り返しのパターンそのものでしょう。(踊りの音楽における一パターンとしてのこの繰り返しの形式は、西洋世界だけのものですらないでしょう。)

その、ある種典型的で単純なパターンを、自身の芸術的な音楽に昇華させていくその発現のさせかたがバッハとマショーで共通していたと考えるのが自然だろうと思います。

別のいい方をするなら、西洋音楽において、17世紀以降の構成についての考え方、発想法、精神性が既に14世紀にもあったということです。

西洋音楽の歴史において、その構築的な側面について、「ギョーム・ド・マショー以来ブーレーズにいたるまで、西洋音楽は構築的であった。」というような記述を見たことがありますが、それはあながち間違いではないかもしれません。

…………

と、なにやら書いてきましたが、(ひさしぶりにまじめな顔でこういうことを書くと照れますが、)比較のため MIDI でも並べておきましょう。

バッハ:プレリュードハ長調: [MIDI]

クレメンティ:ソナチネ第一楽章: [MIDI] (AABBの形のソナタ形式の楽章)

マショー:Biaute qui toutes autres pere(ballade): [MIDI], [mp3].

こうやって並べるとマショーはだいぶ地味に見えてしまいますね。
それにマショーだけ明らかに異質ですし…。
posted by まうかめ堂 at 23:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 中世以外の音楽

2007年07月01日

MIDI 環境の整備

調整を進めている新マシン ciconia ですが、MIDI 関係のソフトのインストールがひとまず終わったので、全体の98%ぐらいの調整が完了したことになります。

以下そのお話です。

まず TiMidity++ は aptitude でパッケージを取ってきたら自動的に終了。

timidity は単体では音は鳴らないので、音源の GUS patch を入れる必要があります。これについては、以前から使っていた大量のストックがあるのでそれをそのまま使えば良いのですが、Debian ではその辺どうなってるのかと見てみると、あるじゃないですか、公式配布のフリーなパッチが…。

どうもこれのもともとの配布元はfreepats.opensrc.orgというところらしいです。

で、中身を見てみると、ところどころに抜けてる音色があって、GMの128音色全部が揃ってるわけではない…。

なるほど、過去にネット上に出回っていたパッチも、徹底的にライセンスを洗い出すと本当にフリーなものはこれしか残らなかったのかもしれませんね。

で、パッチもひとしきり試したりしつつ前から使ってたのをベースに一揃組みました。

というわけで、timidity はすぐにインストール完了。

さて、問題はいつもほんとに御世話になってるシーケンサ、STed2 が動いてくれるかです。

たしか woody のころまでは、これも Debian パッケージに入っていたのですが、STed2 自体は5年ぐらい前から新しいヴァージョンが出ていません。

果して Debian etch で動いてくれるでしょうか。

………

コンパイル自体はあっさりできました。

でも起動しようとすると Window が開けないみたいなエラーが出て止まります。

で、X 関係の部分のソースで当たりを付け、原因を探ってみたら、フォントの設定に失敗してるらしいことがわかりました。

Debian etch では、X が、XFree86 から X.Org に移行したので、その辺の関係かもしれません。面倒なのでかなり ad hoc な対応として、エラーを無視し、システムに存在することがあらかじめわかってるフォントを明示的に指定してやるようにソースを修正したらきちんと起動できました。

(何をどうしたかを書いてもいいのですが、たいしたことをやっておらず、有益な情報では無いのでやめときます。)

で、timidityを STed 経由で鳴らすこともあっさり成功、懸案のSTed2 は難なく使えるようになりました。

さて、これで後は Roland SC-88 をとりあえずシリアル経由でつなげて MIDI 環境の構築が完成です。

と、思って、PC の背面を覗いたら衝撃の事実が…。

シリアルポートが無い!!!

IDE だとか AGP だとかに気を取られていてシリアルポートが無かったことに今の今まで気づきませんでした(--;)。

これには笑うしかないです。
「そうかぁ、シリアルポートも無くなったんだぁ」とひとしきり遠い目をしてみた後、気を取り直して SoundBlaster から MIDI ケーブルをつなげました。

これで MIDI 関係は完成です。

(正確には STed2 が勝手に /dev/midi を初期化してしまうため、SC88につながってる MIDI A ポートがブロックされてしまう現象がありましたが、そこはやはりソースを適当に修正して望みどおりに動くようにしました。)

さて、これで「まうかめ堂」のコンテンツを製作する体制は完全に整いました。

手始めに何かちょっとした MIDI を作りましょうかね。
posted by まうかめ堂 at 18:55| Comment(0) | TrackBack(0) | Debian

2007年06月17日

Debian 日記

しばらくPCの調整等で本サイトの方を更新できなさそうなので、せめて日記を書くことにします。

CPU & マザーを交換したので Debian のkernelをアップグレードしたところまで書きました。

次は Debian を sarge から etch に上げるつもりでいたのですが、いくつかの理由から再インストールすることにしました。

前のマシンは potato のころから使っていて、potato -> woody -> sarge と dist-upgrade を繰り返してきたものだというのと、だいぶいろんなソフトを試しては捨てきれてないので、その辺一回リセットしてすっきりさせましょうということです。

それで、これまでの資産(主に home directory )を保ったままでどうやって再インストールするかです。

実はこうなることを見越してこれまで HDD を使っていたというのがちょっとあります。
内蔵の IDE の HDD が二台付いていて、マスターが最初から(5年半前から)付けてある Maxtor 40G, スレイブが後で買い足した Seagate 160G です。

システム本体はマスターに入っています。
で、Seagate 160Gは80Gずつ二つにパーティションを区切り、後ろの80Gに home directory でかさばる音声ファイル(wav,mp3)とかビデオ録画の動画ファイルなんかが放りこんでありました。

それで再インストールするにあたって、元のマスターにまたインストールするのはどうかと思うので、というのは使用年数から言って、次に壊れる可能性の高いのがこのマスターの Maxtor 40G だからですが、マスターとスレイブを入れ換えて、Seagate 160G の前半分に新たに Debian etch をインストールしました。

これで資産はそっくりそのまま、新システムに移行できました。
(HDDに余裕があったからできたことですが…。)

で、Debian etch、いいですね。

ウィンドウマネージャというかデスクトップの gnome がやたらと MS Win 風になってるのが気になるといえば気になるのですが、これなら Linux なんて触ったことない、しかも Debian なんて難しそうなんて人も全然OKですね。

で、後はPCを使えるように仕込む作業が残っているわけですが、それは私的には楽しい作業だけど、「まうかめ堂」的には更新が進まないのであまりありがたくないことになっているわけです。

とりあえず、先日キャプチャボードが動いたことでハードウェアは全て正常に動くようになったので、あとは諸々ソフトですね。

とりわけ MIDI 関連がまだ全く手つかずです。
TiMidity++ がまだなのと、ほんとにいつも御世話になってる STed2 がちゃんと動いてくれるのかが懸案です。

まあ、ぼちぼちやっていきましょう。
posted by まうかめ堂 at 21:53| Comment(0) | TrackBack(0) | Debian