2007年08月14日

「まうかめ堂」の終焉

最近気づいてしまいました。
「中世音楽のまうかめ堂」というサイトは、私の中で既にその役目を終えていたということに…。

なんというか、モードが変わったと言いますか、まうかめ堂のコンテンツは全て捨ててしまって良い気がしてきました。

中世音楽に対する関心が薄まったわけでは全くないのですが、そろそろMIDIを作ったり、中世音楽について何かを書いてみたりということを卒業してもいい頃合かな、と思っているのです。

そういうわけなので、すぐにでもサイトを閉じてしまっても良いのですが、ごく稀によそ様のサイトからリファーされてることもあるのでとりあえず現在の状態は維持しつつ、内部構成を少し変えることにしました。

・翻訳(のようなもの)以外の文書は捨てます。ただ一応辿れるように雑文のページの片隅に放りこんでおくことにしました。

・MIDIはそのままにしておきます。ただどんな曲についてもMIDIを作成することへの意欲と関心はもうあまりないので、新しいMIDIが作られることはないかもしれません。

・BBSは閉じることにしました。この日記もいずれ閉じるつもりです。


で、今後の活動は次の二点にしぼりたいと思います。


1.やりかけの翻訳(のようなもの)をとりあえず終結させる。

2.楽譜の校正の精度を上げる。


ま、結局まうかめ堂の内容で多少なりとも意味があると判断したのはこの二つだけということです。

そして、その先のことは未定です。新しい transcription を作りはじめるのか、新しい論文を読みはじめるのか、はたまた他のことをはじめるのかは、未定です。
posted by まうかめ堂 at 21:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 「まうかめ堂」の日記

2007年07月08日

マショーのバラード vs バッハ vs ソナタ形式

先週MIDI 環境の整備が完了したことを書きましたが、せっかくなので何か一曲作りましょうということで、バッハのプレリュードのちょっとした MIDI を「中世以外の音楽のまうかめ堂」の方に up しました。

この曲は私の好きな曲で、難易度も手頃なため、バードの Nevells booke と出会う前はピアノに向かうと必ずこの曲を弾き始めるような曲でした。

MIDI 自体はほんとにたいしたものではありませんが、そういえば去年マショーのバラードを作っていたときに、マショーのバラード&バッハの舞曲形式の鍵盤曲&ソナタ形式について書きそびれていたなぁ、ということを思いだし、この MIDI を up しました。

「マショーのバラード&バッハの舞曲形式の鍵盤曲&ソナタ形式」について一体何を言いたいのかというと、以下のようなことです。

・これらは構造的に同型である。それは形式的なものだけでなくて、音楽の力動的構造の点で同型である。

・すなわち、18、19世紀に隆盛を究めた表現形式であるソナタ形式は、少なくとも14世紀マショーのバラードまで遡れる。

「また、まうかめ堂はとち狂ったか」と思われるかもしれませんが説明します。

まず、上でバッハの舞曲形式の鍵盤曲と言ったものは、フランス組曲やイギリス組曲、あるいは無伴奏チェロ組曲なんかの、アルマンドとかクーラントとかジーグとか舞曲起源の形式の曲を指しています。

それらはそれぞれ性格的に異なるフレイバーを持つ形式ですが、繰り返しのパターンは一様に AABB の形をしています。

一方、中世フランスの定型歌曲の一様式であるバラードは、これも舞曲が起源だとされていますが、その繰り返しのパターンは AAB です。ときどき AABB のように B パートを繰り返すことがあります。

というわけで同じ形をしてますね……ということが言いたいのではなくて、上でもわかりにくく言ったように内容の同型性が見られるということを言いたいです。

さて、野暮ったいことを言うならば、大抵の音楽作品は起承転結というストーリー展開の図式で理解することができます。

バッハの舞曲の場合、(何が「起」で何が「承」かは言う気はありませんが、)B パートのはじめに明確に「転」が来ます。

すなわち、A パートの終わりでフレーズが一旦締めくくられた後、B パートの開始部では和声や調が動いたり、音楽がドラマティックに展開したり、それまでと性格的に逸脱しているようなことがいろいろ起こります。

そして、B パートの後半で元の鞘にまとめてみせると、たとえ一分二分の短い曲であってもひとつのドラマが過不足なくそこに完結することになります。

こういう構造的な図式はバッハに限ったことではないかもしれませんが、バッハにおいてはとりわけ顕著であるように思います。

一方、マショーのバラードにおいてもB パートのはじめに明確に「転」が来て、バッハの舞曲のとき同様なことが起こります。すなわち和声や調が動いたり、音楽がドラマティックに展開したりします。

マショーのバラードの場合、特に注目したいのは、主旋律を担う上声部が、B パートのはじめで高い音域から入ることが多いことです。A パートの終わりの音から比べ、その五度、六度上は当り前、七度八度の跳躍もあります。

さらに、B パートの終わりの部分は、A パートの終わりと全く同一であることも多いことも強調しなくてはなりません。

やはりこういう構造的な図式はマショーに限ったことではなくて、同時代あるいはその後の時代のバラードにも見られるものですが、マショーにおいては性格的にとりわけ顕著です。

で、ソナタ形式ですが、これは上記のバッハの舞曲の力動的な構成を、主題とその展開という構成に敷衍したものに他なりません。
(あ、これは私が勝手にそう思っているわけでは必ずしもないです。たとえば、今、私の手元にある音友の新音楽辞典にもそれを示唆する記述がちゃんとあります。)
実際、モーツァルト以前の初期のソナタ形式の楽章では、本当に AABB の形式をしていることが多いようです。B パートに展開部と再現部が入っていて、展開部が「転」です。

というわけで、マショーのバラード&バッハの舞曲&ソナタ形式は全て構造的に同型である、という認識に至ります。

さて、上の議論で、バロックの舞曲がソナタ形式にすんなりつながっていることには一定の理解が得られるかもしれませんが、バッハの舞曲とマショーのバラードの間に直接的あるいは間接的つながりはあるでしょうか?

すなわちマショーのバラードに見られる構造的な形式が時代から時代へと連綿と受け継がれて、バッハの時代にまでつながっているのか?……

おそらく答えは No だろうと私は思います。

これにはバロックの舞曲形式も、中世のバラードという形式も、もともと民間の舞曲がその起源だったことに注目する必要があると思います。
すなわち、普遍的、あるいは不変なのは AABB という繰り返しのパターンそのものでしょう。(踊りの音楽における一パターンとしてのこの繰り返しの形式は、西洋世界だけのものですらないでしょう。)

その、ある種典型的で単純なパターンを、自身の芸術的な音楽に昇華させていくその発現のさせかたがバッハとマショーで共通していたと考えるのが自然だろうと思います。

別のいい方をするなら、西洋音楽において、17世紀以降の構成についての考え方、発想法、精神性が既に14世紀にもあったということです。

西洋音楽の歴史において、その構築的な側面について、「ギョーム・ド・マショー以来ブーレーズにいたるまで、西洋音楽は構築的であった。」というような記述を見たことがありますが、それはあながち間違いではないかもしれません。

…………

と、なにやら書いてきましたが、(ひさしぶりにまじめな顔でこういうことを書くと照れますが、)比較のため MIDI でも並べておきましょう。

バッハ:プレリュードハ長調: [MIDI]

クレメンティ:ソナチネ第一楽章: [MIDI] (AABBの形のソナタ形式の楽章)

マショー:Biaute qui toutes autres pere(ballade): [MIDI], [mp3].

こうやって並べるとマショーはだいぶ地味に見えてしまいますね。
それにマショーだけ明らかに異質ですし…。
posted by まうかめ堂 at 23:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 中世以外の音楽

2007年07月01日

MIDI 環境の整備

調整を進めている新マシン ciconia ですが、MIDI 関係のソフトのインストールがひとまず終わったので、全体の98%ぐらいの調整が完了したことになります。

以下そのお話です。

まず TiMidity++ は aptitude でパッケージを取ってきたら自動的に終了。

timidity は単体では音は鳴らないので、音源の GUS patch を入れる必要があります。これについては、以前から使っていた大量のストックがあるのでそれをそのまま使えば良いのですが、Debian ではその辺どうなってるのかと見てみると、あるじゃないですか、公式配布のフリーなパッチが…。

どうもこれのもともとの配布元はfreepats.opensrc.orgというところらしいです。

で、中身を見てみると、ところどころに抜けてる音色があって、GMの128音色全部が揃ってるわけではない…。

なるほど、過去にネット上に出回っていたパッチも、徹底的にライセンスを洗い出すと本当にフリーなものはこれしか残らなかったのかもしれませんね。

で、パッチもひとしきり試したりしつつ前から使ってたのをベースに一揃組みました。

というわけで、timidity はすぐにインストール完了。

さて、問題はいつもほんとに御世話になってるシーケンサ、STed2 が動いてくれるかです。

たしか woody のころまでは、これも Debian パッケージに入っていたのですが、STed2 自体は5年ぐらい前から新しいヴァージョンが出ていません。

果して Debian etch で動いてくれるでしょうか。

………

コンパイル自体はあっさりできました。

でも起動しようとすると Window が開けないみたいなエラーが出て止まります。

で、X 関係の部分のソースで当たりを付け、原因を探ってみたら、フォントの設定に失敗してるらしいことがわかりました。

Debian etch では、X が、XFree86 から X.Org に移行したので、その辺の関係かもしれません。面倒なのでかなり ad hoc な対応として、エラーを無視し、システムに存在することがあらかじめわかってるフォントを明示的に指定してやるようにソースを修正したらきちんと起動できました。

(何をどうしたかを書いてもいいのですが、たいしたことをやっておらず、有益な情報では無いのでやめときます。)

で、timidityを STed 経由で鳴らすこともあっさり成功、懸案のSTed2 は難なく使えるようになりました。

さて、これで後は Roland SC-88 をとりあえずシリアル経由でつなげて MIDI 環境の構築が完成です。

と、思って、PC の背面を覗いたら衝撃の事実が…。

シリアルポートが無い!!!

IDE だとか AGP だとかに気を取られていてシリアルポートが無かったことに今の今まで気づきませんでした(--;)。

これには笑うしかないです。
「そうかぁ、シリアルポートも無くなったんだぁ」とひとしきり遠い目をしてみた後、気を取り直して SoundBlaster から MIDI ケーブルをつなげました。

これで MIDI 関係は完成です。

(正確には STed2 が勝手に /dev/midi を初期化してしまうため、SC88につながってる MIDI A ポートがブロックされてしまう現象がありましたが、そこはやはりソースを適当に修正して望みどおりに動くようにしました。)

さて、これで「まうかめ堂」のコンテンツを製作する体制は完全に整いました。

手始めに何かちょっとした MIDI を作りましょうかね。
posted by まうかめ堂 at 18:55| Comment(0) | TrackBack(0) | Debian

2007年06月17日

Debian 日記

しばらくPCの調整等で本サイトの方を更新できなさそうなので、せめて日記を書くことにします。

CPU & マザーを交換したので Debian のkernelをアップグレードしたところまで書きました。

次は Debian を sarge から etch に上げるつもりでいたのですが、いくつかの理由から再インストールすることにしました。

前のマシンは potato のころから使っていて、potato -> woody -> sarge と dist-upgrade を繰り返してきたものだというのと、だいぶいろんなソフトを試しては捨てきれてないので、その辺一回リセットしてすっきりさせましょうということです。

それで、これまでの資産(主に home directory )を保ったままでどうやって再インストールするかです。

実はこうなることを見越してこれまで HDD を使っていたというのがちょっとあります。
内蔵の IDE の HDD が二台付いていて、マスターが最初から(5年半前から)付けてある Maxtor 40G, スレイブが後で買い足した Seagate 160G です。

システム本体はマスターに入っています。
で、Seagate 160Gは80Gずつ二つにパーティションを区切り、後ろの80Gに home directory でかさばる音声ファイル(wav,mp3)とかビデオ録画の動画ファイルなんかが放りこんでありました。

それで再インストールするにあたって、元のマスターにまたインストールするのはどうかと思うので、というのは使用年数から言って、次に壊れる可能性の高いのがこのマスターの Maxtor 40G だからですが、マスターとスレイブを入れ換えて、Seagate 160G の前半分に新たに Debian etch をインストールしました。

これで資産はそっくりそのまま、新システムに移行できました。
(HDDに余裕があったからできたことですが…。)

で、Debian etch、いいですね。

ウィンドウマネージャというかデスクトップの gnome がやたらと MS Win 風になってるのが気になるといえば気になるのですが、これなら Linux なんて触ったことない、しかも Debian なんて難しそうなんて人も全然OKですね。

で、後はPCを使えるように仕込む作業が残っているわけですが、それは私的には楽しい作業だけど、「まうかめ堂」的には更新が進まないのであまりありがたくないことになっているわけです。

とりあえず、先日キャプチャボードが動いたことでハードウェアは全て正常に動くようになったので、あとは諸々ソフトですね。

とりわけ MIDI 関連がまだ全く手つかずです。
TiMidity++ がまだなのと、ほんとにいつも御世話になってる STed2 がちゃんと動いてくれるのかが懸案です。

まあ、ぼちぼちやっていきましょう。
posted by まうかめ堂 at 21:53| Comment(0) | TrackBack(0) | Debian

2007年06月16日

キャプチャボード GV-MVP/RX を Debian (etch)で動かす

二年半ぐらい前からちょっとテレビを録画したりするのにI-O DATAのキャプチャボードGV-MVP/RXを使っています。

以前は Debian sarge で、ぱ研さんの開発始めのころのだいぶ前のドライバを使っていたのですが、今回 Debian を etch にしたので、ドライバを入れ直す必要がでてきました。

ぱ研さんのドライバは既にivtv 本家の方にマージされていたのでそちらからドライバを取ってきてビルドしたのだけど、映像はきちんと映るのだけど音声が高音でゴニョゴニョ言っててどうもおかしい…。

それでぱ研さんの過去ログを見て、macmil_co_jpさんのサイトで配布されてるパッチを使ったらバッチリ動きました。
(一体なにが起きていたのかについてはぱ研さんの過去ログ2006後半を見てみてください。)

以下なにをどうしたのかをメモっておきます。

まず私の環境は以下のようです。
Debian GNU/Linux 4.0 (etch, amd64)
kernel: linux-image-2.6-amd64 2.6.18+6

諸事情あって再インストールしたのでほとんどまっさらな状態です。

まずivtv 本家の方からとりあえず最新版 ivtv-0.10.3.tar.gz を落としてきます。

あとコンパイルのためには Debian パッケージの g++ と linux-kernel-headers が要ると思います。
# apt-get install g++ linux-kernel-headers

さて、前述のmacmil_co_jpさんのサイトから saa7115p.tar, tvaudiop.tar, kb10-082.tar の三つをダウンロードします。(そこでも書かれているとおり .tar はダミーです。)

それで適当なところで ivtv-0.10.3.tar.gz を展開。上の三つのファイルをコピーします。
$ tar xzvf ivtv-0.10.3.tar.gz
$ cp saa7115p.tar ivtv-0.10.3/i2c-drivers/saa7115.c
$ cp tvaudiop.tar ivtv-0.10.3/i2c-drivers/tvaudio.c
$ cp kb10-082.tar ivtv-0.10.3/i2c-drivers/Kbuild

あとは ivtv-0.10.3 のディレクトリに降りて make, make install でOKだと思います。

# cd ivtv-0.10.3
# make
# make install

あ、ファームウェアのインストールがまだの人はこちらから拾ってきてインストールしましょう。

そしてロード。
# depmod -a
# modprobe ivtv

ためしに 1ch を見てみましょう。
まず v4l2-ctl で video standard を NTSC-J にします。(日本にいるなら。)次に ivtv-tune で周波数を日本の1ch に合わせます。
$ v4l2-ctl -s ntsc-j
$ ivtv-tune -tjapan-bcast -c 1

これできっと見れます。
$ cat /dev/video0 > test.mpg

で test.mpg に録画されれば成功です。

最後に。

ドライバを作って下さった方々に感謝です。
Deo gracias Amen!
posted by まうかめ堂 at 18:01| Comment(0) | TrackBack(0) | Debian

2007年06月10日

CPU & マザーボード交換のはなし

先週の某日の深夜、自宅の Debian PC (通称 "dufay")の X window が突如落ち、 CPU がらみのエラーを吐いてフリーズしました。

mplayer が悪さをしたかと思いながら、再起動をかけようとするも、BIOS すら起ち上がらないのでかなり焦りました。

それで、何度かトライするうちにDebianのブートローダーまで到達することもあったけど、結局最後には何も起こらなくなってしまいました。(真っ暗な画面なままでキー入力等を全く受けつけない…。)

さてどうしたものか。
おそらく5年半使い倒したマザーボードが壊れたのでしょう、ということで、ちょうどいい機会なので思いきってマザーボードとCPUを新調することにしました。
(まぁ自作DOS/Vの強みでしょうか。)

というわけでアキバへGo。

最近一部で話題の「らーめん缶」の自販機が「完売御礼」で売り切れてるのをチェックした後、T-ZONE, ドスパラ、クレバリーあたりで物色、さすがに五年も経つとマザーボードの状況もえらく変わると次の二点で痛感しました。

一つは、もはやHDDの接続はSereal ATAが主流でIDEポートが一つしか付いてないボードが大半ということにちょっとびっくり。まぁでもこれは何年も前からわかってたことですが…。

もう一つは(グラフィックカードを付ける) AGP ポートが無くなっていて、みんな PCI EX16 になっていたことです。依然 AGPのグラフィックカードは売っているのだけれど新しいマザーにはAGP ポートが無いということになっていました。

これにはちょっと参りました。結局グラフィックカードも買うことに…。

それと、最近のパーツは軒並発熱が多いということで、きちんとファン付きのケースも買うことにしました。

結局、次のようなパーツを揃えました。

CPU: AMD Athron64 X2 4200+
Motherboard: ASUS M2V
Memory: Hynix DDR2 1G x1
Graphiccard: ELSA GLADIAC 573 (GeForce 7300LE)
適当なケース

メモリー以外は全部リテールものを買いましたが、グラフィックカードはバルクでも良かったかなとも…。あとメモリーは500M二枚にすべきだったかとも…。

まあでも良しとしましょう。

で、早速組み立て。前のPCからHDD, DVD/CD drive, サウンドカード等を引っこ抜いて付けかえです。それにしても、CPUの取り付けも以前に比べて楽になりましたね。

で、起動。
さすがは Debian です、CPUとマザーを交換したぐらいでは、何事もなかったように普通に動きます。

ただグラフィックカードも新しくしたので、X window はドライバを新しくしないと動きません。nvidiaのサイトからドライバを落としてきてモジュールを取り換えたらX window もあっさり動きました。
良い時代になったものです。

さて、「普通に動く」とは言うものの、ただ動くだけでは折角の新CPUが泣きます。

というわけで、なんと二年ぶりに kernel を upgrade することにしました。(いままでサボっていただけですが…。)
本当は Debian も sarge から etch に上げたいところですが、順を追ってということで、まずは kernel を 2.4.24 から 2.6.8 へ。

最初、kernel 2.6.8 を binary image で持ってきたのだけど何故か kernel panic を起こして止まるので、ソースからコンパイルすることになりました。

それで、適当に設定してほどなく動きましたが、一つだけ問題が…。マザーボード上の storage 制御の VT8237A というチップが認識されていない…。

何が困るかというと、これだと IDE devise が DMA 転送をしてくれないので、HDDの読み書きでCPU 負荷&時間がだいぶかかることです。

で、検索かけまくって調べたところもっと新しいカーネルなら大丈夫そうでしたが、面倒なのでとあるフォーラムの記事を参考にソースを二行ほど修正したらきちんと動き始めました。

すると前のマシンにくらべ、無茶苦茶速く感じますね。

というわけで、一段落したところで新しいマシンに名前を付けましょう。

命名:ciconia (チコーニア)

ちなみに、これまでの Linux machine の名前は

98年頃 Vine Linux 1.0: pynchon(ピンチョン)、pynchon.vineland
00年頃 Vine Linux 2.0?: machaut(マショー)、machaut.ars.nova
02年 Debian GNU/Linux 3.0 woody: dufay (デュファイ)

でした。
posted by まうかめ堂 at 20:08| Comment(0) | TrackBack(0) | Debian

2007年05月19日

Ce moys de may の詞にもう一言だけ

デュファイの Ce moys de may の詞について書き連ねておりますが、最後にもう一言だけ。今回はこれまで私が目にしてきた詞の transcription とは、意見を異にする箇所の話です。

詞の全文とまうかめ堂による適当な訳については数日前の記事を参照してください。
問題にしたい箇所は、最初から四行目

Pour despiter ces felons en vieux.

の、en vieux です。
これは、私の所有する全ての詞の transcription では envieux と一語になっています。しかし写本のファクシミリを見ると en vieux と、はっきり二語に見えるように書かれています。

少し詳しく言うなら、この箇所は楽譜の中に書かれている詞なので、場合によっては語の区切が必ずしも明確ではありません。というのは、現代のようにハイフンによって語のつながりと区切をはっきりさせるという習慣なんて無かったからです。

にもかかわらず、これが二語に見えるのは、vieux の最初の v が大きめに、語頭であることを強調するかのように書かれているからです。しかも三パート全部同じようにです。

では、これを envieux と一語に読む積極的な理由はあるだろうか、と考えてみます。私は最初、詞の文脈から envieux 一語説が正しいだろうと思っていました。しかし今回改めて検討してみて、二語 en vieux が意味的にピッタリくるという結論になりました。それについて説明します。

まず、そこにいたるまでの詞を最初から見てみましょう。

Ce moys de may soyons lies et joyeux
Et de no cuer ostons merancolie.
Chantons, dansons, et menons chiere lie,
Pour despiter ces felons en vieux.

この五月、陽気に楽しくやろう
そして心の中から憂さを追い出そう
歌って踊って明るい顔をしよう
en vieux な反逆者(裏切り者)に負けないために


さて、最初の三行は意味的に明解です。疑問の入る余地はあまりないでしょう。

ところが四行目になると、いきなり ces felons (反逆者、裏切り者、冷酷な者、不敬な輩)を despiter する(軽蔑する、挑戦する、負けない、立ち向かう、反する)という詞になっていてちょっと???と思うことになります。「反逆者」もしくは「裏切り者」が唐突に登場するので…。

で、 en vieux もしくは envieux は、その ces felon (「反逆者」「裏切り者」)に掛かるというので間違いないでしょうが、 en vieux と envieux どちらが意味的に正しそうか。

envieux は、現代英語で対応物を見付けるなら見たまま envious で、当時も同じ意味、すなわち「うらやましがる、妬み深い」となるようです。
だから ces felons envieux だとすると「嫉妬深い反逆者たち」というような意味になります。
これで、もちろん意味は通りますが、やはり「反逆者」が何なのか、何に反逆してるのかがわからないままです。(想像はできますが…。)

では en vieux ではどうか。英語にそのまま直すとしたら in old となります。これだとさらに???ですね。

でも、次のような意味だと思うとしっくりくる気がします。
フラ語の前置詞 en は英語の in と同様、意味が広いですが、ここでは状態を表すものと考えます。すなわち en vieux は「古い状態にある」です。

それで、改めてこの歌の内容を思い出しますと、これは「春の歌」です。冬は遠くに去って、新緑が生い茂り、生命が新生を向かえる新しい季節の歌です。過ごしやすい良い季節で日の光も明るい、だからみんなで浮かれて楽しくやろうよ、歌って踊ってさぁ、という歌です。

それでようやく ces felons en vieux の意味が見えてきます。つまり ces felons en vieux というのは、春になってみんな浮かれて楽しい気分になってるのにいつまでも冬みたいに暗い顔してるノリの悪い連中のことということになります。それが「反逆者」であるのは「五月の新鮮さ、明るさに反逆してるから」ですね。

以上のように理解すると私には非常にしっくりくるように思うのですがいかがでしょうか?

やっぱり折角写本のオリジナルを見ているなら、詞もしっかり見ないといけませんね。それと CD に付いてるような詞もその訳も、もとよりそれらはいい加減なものでは決してないでしょうが、そのまま鵜呑みにするというわけにもいかないようですね。

いやはや、古い音楽と付き合うのって大変です。

それから、この曲の詞について、もう一箇所明確に理解できてない箇所があります。後ろの方の

Car la saison semont tous amoureux
A ce faire, pourtant n'y fallons mie.

というところで、n'y fallons mie の意味がいまひとつ私にははっきりしません。みなさまの御意見求む、です。
posted by まうかめ堂 at 18:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 中世音楽

2007年05月18日

デュファイの Ce moys de may のまうかめ堂訳

Ce moys de may soyons lies et joyeux
Et de no cuer ostons merancolie.
Chantons, dansons, et menons chiere lie,
Pour despiter ces felons en vieux.

Plus c'onques mais chascuns soit curieux
De bien servir sa maistresse jolie.

Ce moys de may...

Car la saison semont tous amoureux
A ce faire, pourtant n'y fallons mie.
Karissime! Dufay vous en prie
Et Perrinet dira de mieux en mieux.

Ce moys de may...

この五月、陽気に楽しくやりましょうよ
そして心の中から憂さを追い出そう
歌って踊って明るい顔をしよう
老けこんでるひねくれ者は蹴散らしちゃえ

各人はいつにもまして念入りに
うるわしの御婦人によく仕えよう

この五月…

なぜなら季節が愛する者すべてを誘うのだ
こうするように、だからこの機を逃さないでね
Oh my Dear! デュファイたってのお願いだ
そうすればペリネもますますいいこと言うだろうし

この五月…


[MIDI]
posted by まうかめ堂 at 02:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 中世音楽

2007年05月13日

デュファイの Ce moys de may の詞

みなさま、こちらではお久しぶりです。

ここ数ヶ月、本業の方で論文を書いていたために、他のことに使う余力がありませんでした。というわけでだいぶ御無沙汰になってしまいました。

それはさておき、「まうかめ堂」の最近の出来事として、アメリカの某大学のコンピューターサイエンスのさる教授(以下 O 教授)と、デュファイの Ce moys de may の詞に関してちょっとしたやりとりをしているというのがあります。

最初はその O 教授が、「まうかめ堂」の Ce moys de may の楽譜を見て、自分で作成した詞の英訳を送ってくれたのが事の始まりでした。そのメールでは、「自分でも source を見たいんだけども、あなたはどこで見たのか?」と訊いてきていて、「ファクシミリが出版されていて云々」と答えました。すると、先週になって、 O 教授が自身でファクシミリを検討した結果が、詳細なコメントとともに送られてきて、これを昨日今日、私の方で検討してみたところ、「まうかめ堂」の楽譜の詞の間違いもいくつか見付かったのと、あと、いろいろ面白い発見がありました。

O 教授の偉いところは Larousse の中仏語辞典をひき倒しながら、徹底的に自力で解読しようとしているところです。

一方、私の方はといえば、詞に関しては半ば諦めていて、というのはそれが目的の中心ではないからでもありますが、不明な箇所が出てきたら、市販の楽譜とか、CDのブックレットの中の詞とか、既存のものを参照してその中から最も納得のいくもので埋めとくことにしています(笑)。
さすがに自分が習熟してない中仏語のテクストの専門家による transcription をクリティークするわけにはいきかねますからね…。
(実はこれ、「まうかめ堂」で、楽譜の需要が最も多いにもかかわらずそれを無闇に増やすわけにいかない理由でもあります。補完して下さるかた募集。)

さて、それでO 教授の詞の transcription を見ていてわかったことがいくつかあります。

・私はこの Ce moys de may の詞を、何らかの形で印刷されたものを四つほど持っています。(Besseler 校訂の楽譜、CDの詞等)。もしかしたら、その全てが重要な局面で単一の transcription (Besseler か?)に依拠しているかもしれない感じがしてきました。

・例えば些細なところでは "Por despiter" という箇所。
写本に忠実に読むなら "Pour despiter"の方が良いかもしれません。
ただこれはほとんど表記の仕方が違うだけなのであまり問題にはなりません。

・ちょっと問題なのは "Carissimi" というパッと見イタリア語が突如現れる箇所です。写本ではどう見ても "k(?)rissime" のように読めます。
当然のことながら O 教授は「何であんたの transcription は Carissimi! になってるの?」と噛みついてきます。
いえ、私の所有する全ての詞が Carissimi になってるから、そのまま写しただけなんですけどね…。

しかし、ここはちょっと根拠をはっきりさせないと問題かなとも思いました。

それで、しばらく写本を眺めながら「カリッシミ、カリッシミ」と呟いていたら、これはイタリア語じゃなくてラテン語なんじゃないかと思いあたりました。
(先程言ったイタリア語というのは、私も O 教授も勝手にそう思ってたことなんですね…。)

より詳しく言うと、「カリッシミ、カリッシミ」と呟いていたら Antonius 'Zacharias' de Teramo という人の Sumite, karissimi というモデナ写本に含まれるアルス・スブティリオールの曲を思いだし、ラテン語である可能性に気付きました。

そして、やはりCe moys de may の中のこの語は karissime で、第一第二変化形容詞 karus の最上級 karissimus の男性単数呼格が名詞的に用いられていて、「親愛なる友よ」(訂正)「最愛なるものよ」という呼び掛けの意味になってると解するのが一番自然のように見えてきました。

ちなみに karissimus は carissimus とも綴られるようです。
すると Carissimi はパッと見イタリア語に見えるけれども、ラテン語と思うこともできて、その場合男性複数呼格で、「親愛なる友たちよ」(訂正)「最愛なるものたちよ」というような意味になります。イタリア語と見做しても複数のようです。

それでは、これまでの transcription において、karissime と単数に読めるものが、なぜ複数に解されていたのかが問題になりますが、詞の内容を見るかぎり複数と見做すべき積極的な理由は見当らないように思うのですが……どうでしょうか?(御意見求む。デュファイの場合、複数の写本に写されてることも多いので他の写本との校合により Carissimiなのかもしれませんね。)

そういうわけで、近々この曲の楽譜は改訂します。
特に、とりあえず Karissime になる予定です。

でも、「かりっしめ、でゅふぁーい」と歌うより「かりっしみ、でゅふぁーい」の方がカッコいい気も…なぁ〜んて。

posted by まうかめ堂 at 22:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 中世音楽

2007年02月18日

Stravinsky Experience??

先週のBBC radio3 は、The Tchaikovsky Experience というタイトルでチャイコフスキー&ストラヴィンスキーの全曲放送ということで、まるまる一週間一日24時間、チャイコとストラビばっかりやってました。

(なんと、2月13日の「すたんこ日記」でも言及されています。リアルタイムの放送は終わっていますが、Listen again で放送後一週間以内ならまだ聴けます。)

で、先週はこれのストラビばかりを聴いたり録音したりで忙しかったです(笑)。

未聴の曲やら、珍しい録音を丹念に拾って録音していたら、最終的にファイル数が90を越え、ちょっとづつ mp3 化してサイズを落としているものの、現時点でトータル7Gを越えるデータになっています。(しかも全部ストラヴィンスキー。多分チャイコは一曲も聴いてない…。)

さすがに疲れました(笑)。

というか、まだこんなことにこういうエネルギーの使い方をするパトスが残ってたんだ、なんて思いました。

でも、貴重なものが沢山聴けて本当によかった。

とりわけ、晩年20年間(70才過ぎてから!)のセリー作品がまとめて聴けて良かったです。さすがにこの辺のレパートリーは録音がほとんど無いですね。BBC、ほんとに偉いです。

他に面白いと思ったものは以下のようです。

1.ピアノラ。
ストラヴィンスキーがピアノラ(自動ピアノの一種)を好んでおり、いくつかの曲をこの楽器のために書いているのですが、実際にピアノラの演奏を聴いたことはありませんでした。

しかし、BBCはちゃんとやってくれました。
一つは、管弦楽のための「4つのエチュード」の終曲の元曲マドリッドです。「4つのエチュード」の前三曲の元曲は弦楽四重奏で、それは結構聴く機会があるのですが、終曲のピアノラ版は初めてです。
やっぱり、聴いてみるとストラビが何をしたかったのか納得しますね。

もう一つは、「結婚」のピアノラ版です。
こちらはもの凄いですね。
MIDI ピアノ版「結婚」を作らねば、という気にさせられるものでした。


2.アゴン、二台ピアノ版。
よく知られているように、ストラビは編曲魔です。
意地悪く言うなら、自分が過去に作った曲を違う編成の曲に自分で編曲して、もう一儲けしようと常にしてた人です。(違いましたか。)

で、ピアノ伴奏の歌曲が、奇妙な編成のアンサンブルの伴奏に化けたり、大オーケストラのバレー曲が(二台)ピアノ版になったりしてるのですが、ストラビはそのどちらもが異様に面白いんですね。

この二台ピアノのアゴンも、きっと元はバレーのリハのためのピアノスコアか何かなのでしょうが、いいですね。
珍しいもの聴かせていただきました、という感じです。

3.ストラビ版ジェズアルド。
ストラビは他人の曲も編曲します。
一番有名なのは、事実上ペルゴレージ(その他)の人の作品の編曲なんだけどストラビ作曲という感じになってる「プルチネラ」ですが、一時、ジェズアルドにはまっていたこともありました。
(まあ、これにはジェズアルド生誕400年だったということもありますが…。)

それで二つの編曲?作品が残されています。一つはジェズアルドのマドリガーレの三曲をオケに編曲した Monumentum pro Gesualdo di Venosa, そして、もう一曲は、ジェズアルドの Sacrae cantiones という曲の失われた声部を勝手に補完した Tres sacrae cantiones です。

どちらもやたらと面白いのですが、まず Tres sacrae cantiones 。
「プルチネラ」でも、冒頭からストラビのものとわかる不協和音が忍ばせてあったわけで、こちらも、曲はもちろんジェズアルドなんだけどやっぱりストラビの響きになってるところがすごく面白い作品です。ある意味すごく器用な人です。
ストラビはマショーも熱心に研究してたそうなので、マショーのバラードのコントラテノールを勝手に書きかえるなんてことをやっていてくれたら面白かっただろうなぁ、などと思いました。

Monumentum の方も、ジェズアルドの楽譜をどう読むとこんなことになるのかわからないような作品ですが、古楽 MIDI をちょこちょこと作っている身としては、ちょっと示唆的かもしれませんね。

というのは、日頃、中世の曲を MIDI にするのに、各声部に何の楽器を当てればよいかというので延々と悩むわけですが、いっそのことこのぐらいのことをしてしまっても良いのかもしれないという気にさせられます。

つまり中世 MIDI を作るにあたっては、ノートル・ダム・ミサのオーケストラ版を作るぐらいのことをしてもいいという気にもなってくるのです。
(実際にやるのは難しく、私には不可能ですけどね。)

4.その他。
他に面白いものとしては、例えば、「マヴラ」の「パラーシャの歌」をチェロ&ピアノに編曲したもの (Chanson Russe) を、なんとフルニエが弾いてるなんてものがありました。

あとストラビの歌曲はキャシー・バーベリアン(ルチアノ・ベリオの奥さん)が歌うとなかなかハマるとかですね。


それにしても一週間御苦労様でした。
今日からは、しっかり寝ます。
posted by まうかめ堂 at 20:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 中世以外の音楽