実は、私はアイソリズム・モテトをまうかめ堂で取り上げるのを今までずっと避けてきました。なぜならば、アイソリズム・モテトは、ジャンルとして、あるいは技法として、中世音楽の精華というべきか、最終到達点というべきか、もっとも高度なポリフォニーであって、最後に来るべきものだと思っていたからです。
それで、ほとんど気まぐれにデュファイの二曲を作ってみたら、何かわかってしまいました。
今までまうかめ堂で MIDI なりなんなりを作ってきた本当の目的は、アイソリズム・モテトをきちんと理解することだったということを…。(いままで気づきませんでした。)
そしてその向こう側には20世紀音楽、とりわけセリー音楽をきちんと理解するという20年来の宿題が見えかくれしていて、いずれは、中世音楽と現代音楽をてこに「通常の」西洋音楽史における図と地を反転させるようなものの見方を形にしようとするかもしれません…が、これだけでは、何を言ってるのかわかりませんね。
まあ、それはさておき、デュファイです。
アイソリズム・モテトです。
デュファイのアイソリズム・モテトは、13世紀のモテトを胚とし、ド・ヴィトリ、マショー、チコーニア、ダンスタブル、と続く系譜の最後にくるものです。
デュファイは音楽の歴史としてみるならば、ルネサンスと呼ばれる時代の最初の作曲家であり、新しい時代を切り拓いたパイオニアであるわけですが、時代の移り変わりはもちろんある日を境に起こるわけではありません。つまり昨日まで中世で、今日からルネサンスだという特定の日付は存在しません。
デカルトの中にスコラ哲学が流れ込んでいてその養分の上に近代哲学が切り拓かれたように、デュファイの中には中世音楽の全てが流れ込んでいて、そこに深く根を下ろしています。
その大きな残響は、一方では彼の多くの世俗シャンソンに響いており、また一方では、アイソリズム・モテトにおいてより直接的に発現しています。
しかし、デュファイはその音楽家としての人生の半ば(1440年代前半)で、もはや時流にそぐわなくなったアイソリズム・モテトの作曲をやめてしまいます。
すなわち、デュファイこそが、中世音楽を完全に終わらせた墓堀人だということもできます。
これに関して、ウエルガス・アンサンブルのデュファイのアイソリズム・モテト集のCDによせられた、この団体のリーダーであるパウル・ファン・ネーヴェルの言葉が極めて的確にこれを表現しています。
1440年代、個人の表現、ポリフォニー的音響の感覚性(sensualite)、テクストの内容へのヒューマニスティックなアプローチがますます重要になってくる時代にあって、アイソリズム・モテトの厳密な数学的制約にもはや未来がないことはデュファイにとって明白なことだったにちがいない。この意味で、デュファイのアイソリズム・モテトは、マショー、ダンスタブル、チコーニアによって準備されたこの中世の多声音楽の概念の頂点をなすと同時に、若かりしデュファイが完全に同意していた形式概念の終焉をも表現している。彼のアイソリズム・モテトは、中世の凋落のある種の加速された音楽的なヴィジョンを形成している。(主に仏語訳からのまうかめ堂のテキトー訳)
しばらくアイソリズム・モテトとその周辺をうろつくことになると思います。