先週、土日のBBC Radio3, The Early Music Show は、久々の本格的中世音楽のプログラム(14世紀、チョーサーの時代の音楽)で良いです。
興味のある方は是非どうぞ。今週中なら聴けます。
Chaucer 1
Chaucer 2
一日目は Gothic Voices の創始者 Christopher Page がゲストでした。(司会の Lucie Skeaping も Page も早口なので私にはかなり厳しかったです。)
この一日目では全盛期の Gothic Voices の演奏が沢山聴けました。
二日目は実は今まさに聴いてるところなのですが、チョーサーのカンタベリー物語の朗読の上に、 BGM に様々な中世音楽がたて続けに流れていて面白いです。
朗読の内容がもうちょっと理解できるときっと楽しいのだけど…現代英語訳でも厳しいですねぇ。
2006年12月27日
2006年12月20日
Gothic Voises のソラージュ
イギリスのア・カペラ古楽グループ Gothic Voices の新譜 "The Unknown Lover - Songs by Solage and Machaut" が出てたので聴いてみました。
(上の Gothic Voices のサイトの Recordings のところで試聴できます。)
プログラムは、なんと、世界最初のソラージュ全曲録音です。(作者不詳だけどソラージュ作の可能性のあるものも含みます。それと軽めのマショーが数曲。)
ということで、ものすごく期待に胸を膨らませて聴きました。しかし…。
ちょっと残念な内容でした。
まず第一に、Gothic Voices にしては演奏がちょっと下手です。いや、一般的に言えば必ずしも下手な演奏では決してないのですが、あくまで「Gothic Voices にしては」です。
創設者の Christopher Page がいなくて古参メンバーが二人しか残っていないと、現ヒリアード・アンサンブルのメンバーでもある Steven Harrold が参加していてもこのレベルなのかという感じでした。
かつての、実は機械でやってるんじゃないかという精巧なア・カペラは見る影もない…と言っては言い過ぎですが、ちょっと残念でした。
二番目に、楽譜の解読にだいぶ疑問が残ります。特にムジカ・フィクタにはうなずけないところが多いです。機械的に「減5度は完全5度に修正」みたいなことをやっているように聴こえます。
それではだめじゃないかと……特にソラージュは…。
現代譜を作って歌っているのかどうかはわかりませんが、解読には音楽学者の Yolanda Plumley が関わっているようにライナーノートからは推測できます。
この人すごく興味深い仕事をしてる人なのですが、実践は苦手なのでしょうか。(←このパラグラフは完全に邪推です。)
結論としましては、かつての Gothic Voices ファンにはあまりお勧めできませんが、アルス・スブティリオール・ファンの人(そんな人どのくらいいるのだろう)には一枚のディスクでソラージュの全曲が聴けるというのはかなり魅力的かもしれません。
演奏も上のサイトで試聴してもらえばわかる通り、全くダメというわけではないですし…。
あ、上のサイトでもこれ以外の(もっと上手かったころの)ディスクも試聴ができますが、次の hyperion のページでも何曲か試聴できて、こっちの方が音質がいいみたいです。
hyperion の Gothic Voices のページ
(上の Gothic Voices のサイトの Recordings のところで試聴できます。)
プログラムは、なんと、世界最初のソラージュ全曲録音です。(作者不詳だけどソラージュ作の可能性のあるものも含みます。それと軽めのマショーが数曲。)
ということで、ものすごく期待に胸を膨らませて聴きました。しかし…。
ちょっと残念な内容でした。
まず第一に、Gothic Voices にしては演奏がちょっと下手です。いや、一般的に言えば必ずしも下手な演奏では決してないのですが、あくまで「Gothic Voices にしては」です。
創設者の Christopher Page がいなくて古参メンバーが二人しか残っていないと、現ヒリアード・アンサンブルのメンバーでもある Steven Harrold が参加していてもこのレベルなのかという感じでした。
かつての、実は機械でやってるんじゃないかという精巧なア・カペラは見る影もない…と言っては言い過ぎですが、ちょっと残念でした。
二番目に、楽譜の解読にだいぶ疑問が残ります。特にムジカ・フィクタにはうなずけないところが多いです。機械的に「減5度は完全5度に修正」みたいなことをやっているように聴こえます。
それではだめじゃないかと……特にソラージュは…。
現代譜を作って歌っているのかどうかはわかりませんが、解読には音楽学者の Yolanda Plumley が関わっているようにライナーノートからは推測できます。
この人すごく興味深い仕事をしてる人なのですが、実践は苦手なのでしょうか。(←このパラグラフは完全に邪推です。)
結論としましては、かつての Gothic Voices ファンにはあまりお勧めできませんが、アルス・スブティリオール・ファンの人(そんな人どのくらいいるのだろう)には一枚のディスクでソラージュの全曲が聴けるというのはかなり魅力的かもしれません。
演奏も上のサイトで試聴してもらえばわかる通り、全くダメというわけではないですし…。
あ、上のサイトでもこれ以外の(もっと上手かったころの)ディスクも試聴ができますが、次の hyperion のページでも何曲か試聴できて、こっちの方が音質がいいみたいです。
hyperion の Gothic Voices のページ
2006年12月16日
布袋さんの Sumer is icumen in
布袋 厚さんの一人多重録音による(ルネサンス)合唱曲のサイト
ルネサンス音楽の部屋 salle de musique renaissante
に、とうとう、「Sumer is icumen in 夏がやってきた」が up されました!
みなさま、是非聴いてみてください。
中世の曲が一人多重録音でネットに up されたのは、これが初めてのことかもしれません。(わかりませんが。)
それと、「まうかめ堂」のBBSにも少し書きましたが、この曲のオリジナル通りの演奏はヒリアード・アンサンブルのものを除いて私はほとんど知らないのですが、それがこのようにネットで誰でも聴けるようになったというのは、素晴しいことだと思います。
それにしても、構想から半年以上かかって完成とのこと、大変な作業に敬服いたします。
「まうかめ堂」のマショーのバラードみたいに、その日に楽譜をパラパラめくって曲を決めてから up するまでせいぜい4時間ぐらいというのとは大ちがいですね…。
ルネサンス音楽の部屋 salle de musique renaissante
に、とうとう、「Sumer is icumen in 夏がやってきた」が up されました!
みなさま、是非聴いてみてください。
中世の曲が一人多重録音でネットに up されたのは、これが初めてのことかもしれません。(わかりませんが。)
それと、「まうかめ堂」のBBSにも少し書きましたが、この曲のオリジナル通りの演奏はヒリアード・アンサンブルのものを除いて私はほとんど知らないのですが、それがこのようにネットで誰でも聴けるようになったというのは、素晴しいことだと思います。
それにしても、構想から半年以上かかって完成とのこと、大変な作業に敬服いたします。
「まうかめ堂」のマショーのバラードみたいに、その日に楽譜をパラパラめくって曲を決めてから up するまでせいぜい4時間ぐらいというのとは大ちがいですね…。
2006年09月16日
西洋中世史の本
最近、西洋中世史関係の本が、文庫本など、わりと手にしやすい形で相次いで出版されていて、読んでみるとどれも面白く、このところ読書で忙しいです。
それらについて順にここに書きとめていきたいとも思いますが、まずは読んでる本のリストを挙げましょう。
1.「中世ヨーロッパの城の生活」ジョゼフ&フランシス・ギース著、講談社学術文庫
2.「中世ヨーロッパの都市の生活」ジョゼフ&フランシス・ギース著、講談社学術文庫
3.「中世ヨーロッパの歴史」 堀越孝一著、講談社学術文庫
4.「十二世紀ルネサンス」 伊東俊太郎著、講談社学術文庫
5.「色で読む中世ヨーロッパ」 徳井淑子著、講談社選書メチエ
6.「フランスの中世社会」渡辺節夫著、吉川弘文館
(なんか講談社が多いですね。)
1〜3はそれぞれ半分ぐらいまで読んでいて、4〜6はほぼ全くの未読です。
1, 2はアメリカの中世オタクの作家が書いたもののようで、読み物として非常に面白いです。ただ専門家というわけではない分、ときどき細部で「それは違うだろう」ということはあります。
例えば、2.は1250年のトロワについて書いてる本なのですが、その「第九章 教会」のなかにこんな記述が…。
まず、多声音楽の誕生はもっとずっと早いのですが、そこはまあ置くことにしましょう。でも、「モテット」はどう考えても「小フーガ」じゃないと思うんだけど……とかですね。
でも、「第十三章 中世演劇の誕生」には中世の神秘劇の起源がトロープスだったことが書かれていて、それはちょっと興味深かったです。(というかそれは知らなかった。)
1, 2には他にもいろいろ面白いことが書いてるのですが、それはまた、別に機会に、ということで…。
それらについて順にここに書きとめていきたいとも思いますが、まずは読んでる本のリストを挙げましょう。
1.「中世ヨーロッパの城の生活」ジョゼフ&フランシス・ギース著、講談社学術文庫
2.「中世ヨーロッパの都市の生活」ジョゼフ&フランシス・ギース著、講談社学術文庫
3.「中世ヨーロッパの歴史」 堀越孝一著、講談社学術文庫
4.「十二世紀ルネサンス」 伊東俊太郎著、講談社学術文庫
5.「色で読む中世ヨーロッパ」 徳井淑子著、講談社選書メチエ
6.「フランスの中世社会」渡辺節夫著、吉川弘文館
(なんか講談社が多いですね。)
1〜3はそれぞれ半分ぐらいまで読んでいて、4〜6はほぼ全くの未読です。
1, 2はアメリカの中世オタクの作家が書いたもののようで、読み物として非常に面白いです。ただ専門家というわけではない分、ときどき細部で「それは違うだろう」ということはあります。
例えば、2.は1250年のトロワについて書いてる本なのですが、その「第九章 教会」のなかにこんな記述が…。
実は、音楽史上、非常に大きな変化がまさにこの時期に起きつつあった。多声音楽の誕生である。
(中略)
まずテノールが不定の長さの一声だったのが、それぞれリズムを持った別々の旋律になり、そこへもう一声加わった。そこから「モテット」、一種の小フーガが育っていった。
まず、多声音楽の誕生はもっとずっと早いのですが、そこはまあ置くことにしましょう。でも、「モテット」はどう考えても「小フーガ」じゃないと思うんだけど……とかですね。
でも、「第十三章 中世演劇の誕生」には中世の神秘劇の起源がトロープスだったことが書かれていて、それはちょっと興味深かったです。(というかそれは知らなかった。)
1, 2には他にもいろいろ面白いことが書いてるのですが、それはまた、別に機会に、ということで…。
2006年08月20日
「まうかめ堂標準化計画」
いわゆる「アクセシビリティーの向上」を目指し、「まうかめ堂」のソースを HTML から XHTML に書きかえようかと思い、『Web標準の教科書』という本を読みました。
分厚いですが、なかなか面白いことがいろいろ書いてある本でした。
いくつかいままで知らずに、そのために衝撃的なこともありました。例えば、「blockquote 要素はブロックレベル要素だけども、直接インライン要素やテキストを含むことができない」というのにはちょっと驚きました。考えてみればそれはそうなんですけどね…。
また、HTMLが mark up language であるということの本義は、おそらくあまり理解されていないのだろうなと思いました。
というより、もう既にインターネットにおいて HTML は別のものに姿を変えている可能性も大きいようにも思います。
それで結論としては、「まうかめ堂」の XHTML 化は時期尚早。
もう一年ぐらい様子を見ようかと思います。
ただ文字コードを euc-jp から UTF-8 に変更するぐらいはやってもいいかもしれないですね。その方が「まうかめ堂」のようにヨーロッパ諸語と日本語が混在する状況では自然かもしれないです。(ウムラウトとか。)
ところで UTF-8 には古&中英語の yogh
は入っているのでしょうか?
thorn þと eth ðは Latin 1 characters に入っているので今のままでもすぐ出せるのですが何故か yogh だけ無いんですね。
それと「標準化」ということに関しては、それが絶対的に「善」であるということではないように見えますね。
というか、XHTML1.0 Strict とかXHTML1.1の柔軟性の無さ(少くとも私にはそう見える)は悪い方向に働きかねないようにも見えます。
それと「構造と視覚表現の分離」ということ。言わんとすることは理解できますが本来はこの二つは不可分なものではないかと…。
まあでも、html文書を書くこと、楽譜を書くこと、MIDI dataを作ること、この三つは共通の悩ましい状況に直面しているわけですね。
つまり作る人とそれを実際に表現する人(機械)が別であるという…。
すくなくとも、あるいはおそらく、W3C で規格を作ってる人たちは、HTML が「西洋中世の音楽を MIDI と mp3 データと解説文と譜例などによって紹介するウェブサイト」を構築するのに用いられる、なんてことを実際的には想定していないだろうなという気もします(笑)。
実際にどう使われるかよりは mark up language であることの方に重きが置かれているのでしょう。そのことの大きなメリットも理解できますが…。
ぶっちゃけ、一番の不満は、画像データはともかくとして、音声データや動画データなんかを文書内に置くことに対する実際的な配慮が十分でないように思えることです。将来的にはこれら全てを object 要素で統一的に扱えるように考えてるようなのですが、この辺もっときちんとやってもらわないと…。なんというか実際の取り扱い方に関してはブラウザに丸投げみたいなことだと、私としては使いようがありません。
段々考えることに疲れてきたので唐突に結論。
「何もかも Microsoft が悪い」(笑)。
分厚いですが、なかなか面白いことがいろいろ書いてある本でした。
いくつかいままで知らずに、そのために衝撃的なこともありました。例えば、「blockquote 要素はブロックレベル要素だけども、直接インライン要素やテキストを含むことができない」というのにはちょっと驚きました。考えてみればそれはそうなんですけどね…。
また、HTMLが mark up language であるということの本義は、おそらくあまり理解されていないのだろうなと思いました。
というより、もう既にインターネットにおいて HTML は別のものに姿を変えている可能性も大きいようにも思います。
それで結論としては、「まうかめ堂」の XHTML 化は時期尚早。
もう一年ぐらい様子を見ようかと思います。
ただ文字コードを euc-jp から UTF-8 に変更するぐらいはやってもいいかもしれないですね。その方が「まうかめ堂」のようにヨーロッパ諸語と日本語が混在する状況では自然かもしれないです。(ウムラウトとか。)
ところで UTF-8 には古&中英語の yogh

thorn þと eth ðは Latin 1 characters に入っているので今のままでもすぐ出せるのですが何故か yogh だけ無いんですね。
それと「標準化」ということに関しては、それが絶対的に「善」であるということではないように見えますね。
というか、XHTML1.0 Strict とかXHTML1.1の柔軟性の無さ(少くとも私にはそう見える)は悪い方向に働きかねないようにも見えます。
それと「構造と視覚表現の分離」ということ。言わんとすることは理解できますが本来はこの二つは不可分なものではないかと…。
まあでも、html文書を書くこと、楽譜を書くこと、MIDI dataを作ること、この三つは共通の悩ましい状況に直面しているわけですね。
つまり作る人とそれを実際に表現する人(機械)が別であるという…。
すくなくとも、あるいはおそらく、W3C で規格を作ってる人たちは、HTML が「西洋中世の音楽を MIDI と mp3 データと解説文と譜例などによって紹介するウェブサイト」を構築するのに用いられる、なんてことを実際的には想定していないだろうなという気もします(笑)。
実際にどう使われるかよりは mark up language であることの方に重きが置かれているのでしょう。そのことの大きなメリットも理解できますが…。
ぶっちゃけ、一番の不満は、画像データはともかくとして、音声データや動画データなんかを文書内に置くことに対する実際的な配慮が十分でないように思えることです。将来的にはこれら全てを object 要素で統一的に扱えるように考えてるようなのですが、この辺もっときちんとやってもらわないと…。なんというか実際の取り扱い方に関してはブラウザに丸投げみたいなことだと、私としては使いようがありません。
段々考えることに疲れてきたので唐突に結論。
「何もかも Microsoft が悪い」(笑)。
2006年07月22日
ゲルギエフの「はるさい」
ゲルギエフ指揮キーロフ歌劇場管弦楽団の「春の祭典」を聴きました。
前々から「はるさい演奏史を塗りかえた」とか「ブーレーズが知的なアプローチを一般化させたのを野生に戻した」だのいう噂を聞いていたので一度は聴かなきゃと思っていたのですが、いろいろあって聴きそびれていました。
で感想です。
結論を先に言えば「全然たいしたことない」。ダイナミック・レンジが広くてフォルティッシモが大音量なので、それを音楽的な大迫力と勘違いしてるのかもしれませんね。
特にスコアを見ながら聴いたりすると(実は見なくてもだけど)、「ああ、ここではこのパートが聴こえないと嘘なのに消えちゃってる」とか気になっちゃってダメでした…。
それから、ペットやトロンボーンやチューバは派手にバリバリ言わせてるのに、ホルンが全然迫力なくてどうしてもバランスが悪い…何故でしょう?団員の技術的問題か?いやカップリングされてるスクリャビンではちゃんと咆えてるからそうでもないか。
ホルンが十分に咆哮しないと困る箇所沢山あったんだけど…。
でも見所というか面白いところが無いわけでないです。
ときどき和音のバランスが「変」なところがあって、それがちょっと面白いです。つまり、普通はその音あるいそのパート強調しないだろうっていうのが強調されてたりして…。
ストラビは、「ぶつかってる」音を「ぶつかってる」という理由で音量をしぼったりして無闇に回避するとストラビで無くなります。それは本当にゴシャっと塊で聴こえるのがおそらく正解です。響きを統制しようなどと考えてはいけない…。
その点、ゲルギエフは正解が多かったかもしれません。
それに、露骨に反ブーレーズな箇所があるのもちょっと面白かったです。第二部の終わりから二曲目「祖先の儀式」で、弦のトレモロの中に第二部序奏の旋律が「隠されてる」ところがあるのですが、大抵の演奏はそれに派手にアクセントを付けさせたりして「明るい所に引きずり出してる」んですね。ところがゲルギエフは見事に何もさせないで「隠れたまま」にしてて、こういう演奏はちょっと聴いたことがないです。確かに楽譜にはなにも余計な指示は書いてない。
前にショスタコの「革命」の終楽章の最初の方を試聴したときは、大迫力の大盛り上がりのキレてる演奏のように見えて実はものすごく頭がイイ感じがしたので、そういう「はるさい」を期待してたのにちょっと残念でありました。
前々から「はるさい演奏史を塗りかえた」とか「ブーレーズが知的なアプローチを一般化させたのを野生に戻した」だのいう噂を聞いていたので一度は聴かなきゃと思っていたのですが、いろいろあって聴きそびれていました。
で感想です。
結論を先に言えば「全然たいしたことない」。ダイナミック・レンジが広くてフォルティッシモが大音量なので、それを音楽的な大迫力と勘違いしてるのかもしれませんね。
特にスコアを見ながら聴いたりすると(実は見なくてもだけど)、「ああ、ここではこのパートが聴こえないと嘘なのに消えちゃってる」とか気になっちゃってダメでした…。
それから、ペットやトロンボーンやチューバは派手にバリバリ言わせてるのに、ホルンが全然迫力なくてどうしてもバランスが悪い…何故でしょう?団員の技術的問題か?いやカップリングされてるスクリャビンではちゃんと咆えてるからそうでもないか。
ホルンが十分に咆哮しないと困る箇所沢山あったんだけど…。
でも見所というか面白いところが無いわけでないです。
ときどき和音のバランスが「変」なところがあって、それがちょっと面白いです。つまり、普通はその音あるいそのパート強調しないだろうっていうのが強調されてたりして…。
ストラビは、「ぶつかってる」音を「ぶつかってる」という理由で音量をしぼったりして無闇に回避するとストラビで無くなります。それは本当にゴシャっと塊で聴こえるのがおそらく正解です。響きを統制しようなどと考えてはいけない…。
その点、ゲルギエフは正解が多かったかもしれません。
それに、露骨に反ブーレーズな箇所があるのもちょっと面白かったです。第二部の終わりから二曲目「祖先の儀式」で、弦のトレモロの中に第二部序奏の旋律が「隠されてる」ところがあるのですが、大抵の演奏はそれに派手にアクセントを付けさせたりして「明るい所に引きずり出してる」んですね。ところがゲルギエフは見事に何もさせないで「隠れたまま」にしてて、こういう演奏はちょっと聴いたことがないです。確かに楽譜にはなにも余計な指示は書いてない。
前にショスタコの「革命」の終楽章の最初の方を試聴したときは、大迫力の大盛り上がりのキレてる演奏のように見えて実はものすごく頭がイイ感じがしたので、そういう「はるさい」を期待してたのにちょっと残念でありました。
2006年07月16日
知らなかった…
TMLでノートル・ダム楽派のオルガヌムに関する13世紀の論文Discantus positio vulgaris「ディスカントゥスにおける通常の配置」をつらつらと見ていて衝撃の記述が…。
リガトゥーラに関して、二つの音符からなるリガトゥーラは前がブレヴィス後ろがロンガ、三つのときは(休符がそれに先行するなら)ロンガ-ブレヴィス-ロンガ、四つなら全部ブレヴィス、ということが書かれた後で、五つ以上からなるリガトゥーラに関して
Quodsi plures quam quatuor fuerint, tunc quasi regulis non subjacent, sed ad placitum proferuntur.
いい加減訳:四つより多いときは規則が無いみたいだから好きなようにやっていいよ。
ad placitum (= as it is pleasing)ときたもんです。
モーダル記譜法では、初めから厳密に書き記そうという意志は無かったのかもしれませんね。
リガトゥーラに関して、二つの音符からなるリガトゥーラは前がブレヴィス後ろがロンガ、三つのときは(休符がそれに先行するなら)ロンガ-ブレヴィス-ロンガ、四つなら全部ブレヴィス、ということが書かれた後で、五つ以上からなるリガトゥーラに関して
Quodsi plures quam quatuor fuerint, tunc quasi regulis non subjacent, sed ad placitum proferuntur.
いい加減訳:四つより多いときは規則が無いみたいだから好きなようにやっていいよ。
ad placitum (= as it is pleasing)ときたもんです。
モーダル記譜法では、初めから厳密に書き記そうという意志は無かったのかもしれませんね。
2006年07月13日
今日のクラウズラ
二日ほど前に「ノートル・ダム楽派様式のクラウズラを自作する」ということをしましたが、今日も一つ作りました(笑)。
→Regis Aevus 2 (Clausula)
しかし、良い悪いを別にするならいくらでもできますね。クラウズラが実用上必要であるよりもはるかに大量に作られた理由は案外こういうところにあったのかもしれませんね。
第1モードは何となくわかってきたので、次は第2か第3モードで作りましょう。(←って、まだ作る気?)
→Regis Aevus 2 (Clausula)
しかし、良い悪いを別にするならいくらでもできますね。クラウズラが実用上必要であるよりもはるかに大量に作られた理由は案外こういうところにあったのかもしれませんね。
第1モードは何となくわかってきたので、次は第2か第3モードで作りましょう。(←って、まだ作る気?)
2006年07月12日
MML
ええと、ちょっと小声で言いたいのですが…。
私は「みやこだい音楽研究所」というところの「所長」に就任したようです。
私は「みやこだい音楽研究所」というところの「所長」に就任したようです。
2006年07月10日
ノートル・ダム楽派様式のクラウズラを自作する
中世の様式の多声音楽を自作してみるというのは、やってみても良いことだなぁ、と前々から思っておりました。
で、一番作りやすそうな、ノートル・ダム楽派のディスカント様式の2声のオルガヌム(クラウズラか?)を作ってみました。
作るだけなら、異様なまでに簡単で、15分ぐらいでできました。工程は以下の通り。
1.定旋律を持ってくる。
2.テノール(定旋律)のリズムを決める。
3.対旋律を、原則的に強拍でテノールと完全八度、または完全五度になるように作る。まずは基本の第一モード。
で、とりあえずできたものがこれ。→Regis Aevus (Clausula)
初めてにしてはまずまずと自己評価したいところですが、中世においても平行五度八度や場合によっては隠伏五度八度も避けられた傾向があるようなのでその辺は調整した方が良いかも…。
次は3声のオルガヌムでしょうか。それができたらアルス・アンティカの様式のモテト、ホケトゥス。それができたらアイソリズム・モテト…かな?
註:上の曲の定旋律にはグレゴリオ聖歌ではなくて、日本人なら誰でも知ってる曲が使ってあります。題名はその勝手なラテン語訳です。
で、一番作りやすそうな、ノートル・ダム楽派のディスカント様式の2声のオルガヌム(クラウズラか?)を作ってみました。
作るだけなら、異様なまでに簡単で、15分ぐらいでできました。工程は以下の通り。
1.定旋律を持ってくる。
2.テノール(定旋律)のリズムを決める。
3.対旋律を、原則的に強拍でテノールと完全八度、または完全五度になるように作る。まずは基本の第一モード。
で、とりあえずできたものがこれ。→Regis Aevus (Clausula)
初めてにしてはまずまずと自己評価したいところですが、中世においても平行五度八度や場合によっては隠伏五度八度も避けられた傾向があるようなのでその辺は調整した方が良いかも…。
次は3声のオルガヌムでしょうか。それができたらアルス・アンティカの様式のモテト、ホケトゥス。それができたらアイソリズム・モテト…かな?
註:上の曲の定旋律にはグレゴリオ聖歌ではなくて、日本人なら誰でも知ってる曲が使ってあります。題名はその勝手なラテン語訳です。