2006年09月16日

西洋中世史の本

最近、西洋中世史関係の本が、文庫本など、わりと手にしやすい形で相次いで出版されていて、読んでみるとどれも面白く、このところ読書で忙しいです。

それらについて順にここに書きとめていきたいとも思いますが、まずは読んでる本のリストを挙げましょう。

1.「中世ヨーロッパの城の生活」ジョゼフ&フランシス・ギース著、講談社学術文庫
2.「中世ヨーロッパの都市の生活」ジョゼフ&フランシス・ギース著、講談社学術文庫
3.「中世ヨーロッパの歴史」 堀越孝一著、講談社学術文庫
4.「十二世紀ルネサンス」 伊東俊太郎著、講談社学術文庫
5.「色で読む中世ヨーロッパ」 徳井淑子著、講談社選書メチエ
6.「フランスの中世社会」渡辺節夫著、吉川弘文館

(なんか講談社が多いですね。)
1〜3はそれぞれ半分ぐらいまで読んでいて、4〜6はほぼ全くの未読です。

1, 2はアメリカの中世オタクの作家が書いたもののようで、読み物として非常に面白いです。ただ専門家というわけではない分、ときどき細部で「それは違うだろう」ということはあります。

例えば、2.は1250年のトロワについて書いてる本なのですが、その「第九章 教会」のなかにこんな記述が…。

実は、音楽史上、非常に大きな変化がまさにこの時期に起きつつあった。多声音楽の誕生である。
(中略)
まずテノールが不定の長さの一声だったのが、それぞれリズムを持った別々の旋律になり、そこへもう一声加わった。そこから「モテット」、一種の小フーガが育っていった。

まず、多声音楽の誕生はもっとずっと早いのですが、そこはまあ置くことにしましょう。でも、「モテット」はどう考えても「小フーガ」じゃないと思うんだけど……とかですね。

でも、「第十三章 中世演劇の誕生」には中世の神秘劇の起源がトロープスだったことが書かれていて、それはちょっと興味深かったです。(というかそれは知らなかった。)

1, 2には他にもいろいろ面白いことが書いてるのですが、それはまた、別に機会に、ということで…。
posted by まうかめ堂 at 18:15| Comment(3) | TrackBack(0) | 普通の日記

2006年08月20日

「まうかめ堂標準化計画」

いわゆる「アクセシビリティーの向上」を目指し、「まうかめ堂」のソースを HTML から XHTML に書きかえようかと思い、『Web標準の教科書』という本を読みました。

分厚いですが、なかなか面白いことがいろいろ書いてある本でした。
いくつかいままで知らずに、そのために衝撃的なこともありました。例えば、「blockquote 要素はブロックレベル要素だけども、直接インライン要素やテキストを含むことができない」というのにはちょっと驚きました。考えてみればそれはそうなんですけどね…。

また、HTMLが mark up language であるということの本義は、おそらくあまり理解されていないのだろうなと思いました。

というより、もう既にインターネットにおいて HTML は別のものに姿を変えている可能性も大きいようにも思います。

それで結論としては、「まうかめ堂」の XHTML 化は時期尚早。
もう一年ぐらい様子を見ようかと思います。

ただ文字コードを euc-jp から UTF-8 に変更するぐらいはやってもいいかもしれないですね。その方が「まうかめ堂」のようにヨーロッパ諸語と日本語が混在する状況では自然かもしれないです。(ウムラウトとか。)

ところで UTF-8 には古&中英語の yogh yoghは入っているのでしょうか?

thorn þと eth ðは Latin 1 characters に入っているので今のままでもすぐ出せるのですが何故か yogh だけ無いんですね。


それと「標準化」ということに関しては、それが絶対的に「善」であるということではないように見えますね。
というか、XHTML1.0 Strict とかXHTML1.1の柔軟性の無さ(少くとも私にはそう見える)は悪い方向に働きかねないようにも見えます。

それと「構造と視覚表現の分離」ということ。言わんとすることは理解できますが本来はこの二つは不可分なものではないかと…。

まあでも、html文書を書くこと、楽譜を書くこと、MIDI dataを作ること、この三つは共通の悩ましい状況に直面しているわけですね。
つまり作る人とそれを実際に表現する人(機械)が別であるという…。

すくなくとも、あるいはおそらく、W3C で規格を作ってる人たちは、HTML が「西洋中世の音楽を MIDI と mp3 データと解説文と譜例などによって紹介するウェブサイト」を構築するのに用いられる、なんてことを実際的には想定していないだろうなという気もします(笑)。

実際にどう使われるかよりは mark up language であることの方に重きが置かれているのでしょう。そのことの大きなメリットも理解できますが…。

ぶっちゃけ、一番の不満は、画像データはともかくとして、音声データや動画データなんかを文書内に置くことに対する実際的な配慮が十分でないように思えることです。将来的にはこれら全てを object 要素で統一的に扱えるように考えてるようなのですが、この辺もっときちんとやってもらわないと…。なんというか実際の取り扱い方に関してはブラウザに丸投げみたいなことだと、私としては使いようがありません。

段々考えることに疲れてきたので唐突に結論。
「何もかも Microsoft が悪い」(笑)。
posted by まうかめ堂 at 02:13| Comment(3) | TrackBack(0) | 「まうかめ堂」の日記

2006年07月22日

ゲルギエフの「はるさい」

ゲルギエフ指揮キーロフ歌劇場管弦楽団の「春の祭典」を聴きました。

前々から「はるさい演奏史を塗りかえた」とか「ブーレーズが知的なアプローチを一般化させたのを野生に戻した」だのいう噂を聞いていたので一度は聴かなきゃと思っていたのですが、いろいろあって聴きそびれていました。

で感想です。

結論を先に言えば「全然たいしたことない」。ダイナミック・レンジが広くてフォルティッシモが大音量なので、それを音楽的な大迫力と勘違いしてるのかもしれませんね。

特にスコアを見ながら聴いたりすると(実は見なくてもだけど)、「ああ、ここではこのパートが聴こえないと嘘なのに消えちゃってる」とか気になっちゃってダメでした…。

それから、ペットやトロンボーンやチューバは派手にバリバリ言わせてるのに、ホルンが全然迫力なくてどうしてもバランスが悪い…何故でしょう?団員の技術的問題か?いやカップリングされてるスクリャビンではちゃんと咆えてるからそうでもないか。
ホルンが十分に咆哮しないと困る箇所沢山あったんだけど…。

でも見所というか面白いところが無いわけでないです。
ときどき和音のバランスが「変」なところがあって、それがちょっと面白いです。つまり、普通はその音あるいそのパート強調しないだろうっていうのが強調されてたりして…。

ストラビは、「ぶつかってる」音を「ぶつかってる」という理由で音量をしぼったりして無闇に回避するとストラビで無くなります。それは本当にゴシャっと塊で聴こえるのがおそらく正解です。響きを統制しようなどと考えてはいけない…。

その点、ゲルギエフは正解が多かったかもしれません。

それに、露骨に反ブーレーズな箇所があるのもちょっと面白かったです。第二部の終わりから二曲目「祖先の儀式」で、弦のトレモロの中に第二部序奏の旋律が「隠されてる」ところがあるのですが、大抵の演奏はそれに派手にアクセントを付けさせたりして「明るい所に引きずり出してる」んですね。ところがゲルギエフは見事に何もさせないで「隠れたまま」にしてて、こういう演奏はちょっと聴いたことがないです。確かに楽譜にはなにも余計な指示は書いてない。

前にショスタコの「革命」の終楽章の最初の方を試聴したときは、大迫力の大盛り上がりのキレてる演奏のように見えて実はものすごく頭がイイ感じがしたので、そういう「はるさい」を期待してたのにちょっと残念でありました。
posted by まうかめ堂 at 03:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 中世以外の音楽

2006年07月16日

知らなかった…

TMLでノートル・ダム楽派のオルガヌムに関する13世紀の論文Discantus positio vulgaris「ディスカントゥスにおける通常の配置」をつらつらと見ていて衝撃の記述が…。

リガトゥーラに関して、二つの音符からなるリガトゥーラは前がブレヴィス後ろがロンガ、三つのときは(休符がそれに先行するなら)ロンガ-ブレヴィス-ロンガ、四つなら全部ブレヴィス、ということが書かれた後で、五つ以上からなるリガトゥーラに関して

Quodsi plures quam quatuor fuerint, tunc quasi regulis non subjacent, sed ad placitum proferuntur.

いい加減訳:四つより多いときは規則が無いみたいだから好きなようにやっていいよ。

ad placitum (= as it is pleasing)ときたもんです。
モーダル記譜法では、初めから厳密に書き記そうという意志は無かったのかもしれませんね。
posted by まうかめ堂 at 03:11| Comment(2) | TrackBack(0) | 中世音楽

2006年07月13日

今日のクラウズラ

二日ほど前に「ノートル・ダム楽派様式のクラウズラを自作する」ということをしましたが、今日も一つ作りました(笑)。

Regis Aevus 2 (Clausula)

しかし、良い悪いを別にするならいくらでもできますね。クラウズラが実用上必要であるよりもはるかに大量に作られた理由は案外こういうところにあったのかもしれませんね。

第1モードは何となくわかってきたので、次は第2か第3モードで作りましょう。(←って、まだ作る気?)
posted by まうかめ堂 at 00:20| Comment(5) | TrackBack(0) | 中世音楽

2006年07月12日

MML

ええと、ちょっと小声で言いたいのですが…。
私は「みやこだい音楽研究所」というところの「所長」に就任したようです。
posted by まうかめ堂 at 03:23| Comment(2) | TrackBack(0) | 普通の日記

2006年07月10日

ノートル・ダム楽派様式のクラウズラを自作する

中世の様式の多声音楽を自作してみるというのは、やってみても良いことだなぁ、と前々から思っておりました。

で、一番作りやすそうな、ノートル・ダム楽派のディスカント様式の2声のオルガヌム(クラウズラか?)を作ってみました。

作るだけなら、異様なまでに簡単で、15分ぐらいでできました。工程は以下の通り。
1.定旋律を持ってくる。
2.テノール(定旋律)のリズムを決める。
3.対旋律を、原則的に強拍でテノールと完全八度、または完全五度になるように作る。まずは基本の第一モード。

で、とりあえずできたものがこれ。→Regis Aevus (Clausula)

初めてにしてはまずまずと自己評価したいところですが、中世においても平行五度八度や場合によっては隠伏五度八度も避けられた傾向があるようなのでその辺は調整した方が良いかも…。

次は3声のオルガヌムでしょうか。それができたらアルス・アンティカの様式のモテト、ホケトゥス。それができたらアイソリズム・モテト…かな?

註:上の曲の定旋律にはグレゴリオ聖歌ではなくて、日本人なら誰でも知ってる曲が使ってあります。題名はその勝手なラテン語訳です。
posted by まうかめ堂 at 23:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 中世音楽

2006年06月30日

計算が終わらない……

本業の方で、パワーカリキュレーションをやる必要があって、今日、ちゃちゃとプログラムを組んで、夕方6時半ごろ動かしはじめて5時間ちょっと経過、まだ半分も終わっていない(;_;)。

データは着々と掃き出されていて現在7.1Mのテキストデータに成長してる。一体全部で何行になるのだらう…。

全ての場合を列挙する必要は、本当は無いのだけど、総数がどのくらいになるのかというのはちょっと興味があるので、最後までやっていただきましょう。イタリア×ウクライナ戦が終わるまでには終わるでしょう。

まあ、日頃計算をしてる人から見れば、一日もかからない計算は計算のうちに入らないかもしれないんですけどね。
posted by まうかめ堂 at 23:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 普通の日記

2006年06月29日

バードの鍵盤ポリフォニー

ここのところバードの鍵盤曲(というか Nevells Booke)にずっとはまっていたので、そろそろ中世に戻りたいな、と思っているところなのですが、先週 up した A Gaillards Gygge という曲はどちらかというと鍵盤的なホモフォニックな曲だったので、もう一曲、もっとポリフォニックな曲を作ってみようと思い、A Voluntarie: for my ladye nevell という曲をぽちぽちと打ち込みはじめました。

そこでまた面白い現象に直面しました……といっても言ってしまえば当たり前のことなんですけどね。

私は単旋律の音楽以外の西洋音楽は基本的に全てポリフォニーだと思っている人間です。(特殊な現代曲は除きます。)例えば、主旋律に和音が付いて、みたいなホモフォニックな音楽もポリフォニーの特殊な場合にすぎないと見做しています。

そんなこともあって、ピアノ曲の MIDI を作るときでも4〜5チャンネル使ってパートを割り振り、PANを左右に散らします。あ、別にややこしいことをしてるわけでも何でもなくて左右それぞれの手に2チャンネルずつみたいな感じです。(こうしとくと後で手を加えるときに見やすかったりもします。)

で、それは大抵の場合それなりにうまくいきます。ブーレーズのピアノ・ソナタでさえ大体4、5パートに収めることができます。(ホントですよ。)

では、これこそがまさにポリフォニー音楽であるというバードのこの曲はきっとそのようにしやすいに違いない、と思いきや、これが存外厄介だということに気付きます。ある意味、ブーレーズより厄介です。

どういうことかと言うと、混線や分岐が非常に頻繁に起きるのです。

例えば、上から二番目の声部だなぁと思って進んでいくと途中で一番目と二番目の声部の間に新たな声部が出現していつのまにか三番目の声部に変わっているというようなことが頻繁に起こるのです。

つまり、バードのこの種の音楽は、声楽ポリフォニー的な書法ではあるけれども、声部を直線的に固定する必要がないという自由を、むしろ積極的に利用している鍵盤特有のポリフォニーだと言ってよいようです。

もともと分かれていないものを分けようというのだから不整合が起こるのは当然なのですが、上でも言ったように経験上、大抵はそこそこうまくいくものでした。けど、ここまで悩ましいのはちょっとなかった経験です。

それにしても面白いですね。
バードのこの Nevells Booke はいろんな意味でエキサイティングな曲集です。
posted by まうかめ堂 at 00:21| Comment(4) | TrackBack(0) | 中世以外の音楽

2006年06月26日

再び音律についてのメモ

これも備忘のためのメモ。

うちにある音律の参考書、平島達司著『ゼロ・ビートの再発見』(今でもこれが一番の名著でしょうか)に興味深い記述が。

1.「(3)(←ピタゴラス音階のこと)は、純正の五度調弦をする弦楽器の現代奏法では、思いのほか多用されているようです。」p.77.
そうだっだのか…。そうするとフル・オーケストラの演奏ではいくつもの系統の響きが同時に聴かれるのですね。弦のピタゴラス、ブラスの純正、鍵盤が入るなら平均律と。
でも、たしかに言われてみればオーケストラの響きは重層的で流動的かもしれません。

2.「1756年に出版されたレオポルド・モーツァルト(ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの父)のヴァイオリン教則本を見ますと、四本の弦はすべて開放弦から弾き始めるようになっています。このことは、父モーツァルトの時代でも、ヴァイオリンの調弦は、ミーン・トーンに調律したチェンバロのg, d1, a1, e2に合わせたことを物語っています。」p.106.

これもちょっとすごいですね。
ミーン・トーンの五度って純正よりも5.5セント、平均律よりも3.4セント狭くて、私でも「ああ、ちょっと狭いな」と思うぐらいのものですが、それで調律したヴァイオリンは結構違和感あるんじゃないでしょうかね。

それと、現代のギターのフレットの付け方は平均律ですよね。そうすると6弦を正確に純正に取ってしまうとだいぶ「狂う」ことになりますね。だからギターのチューニングをハーモニクスを使ってやると不正確になる、ということで良いのでしょうか? (←誰に訊いているのだろう…。)
posted by まうかめ堂 at 02:16| Comment(8) | TrackBack(0) | 音楽理論