2006年06月25日

ミーン・トーン音律の覚え書き

Byrd の Virginal 曲の MIDI を作るのにミーン・トーン音律を計算する必要がでてきました。(いや、別に平均律のままでもいいんですけどね…。折角の機会なので。)

で、今日計算を実行しました。
備忘のため計算のプロセスをメモっておきます。

Cを基準に取ります。各音の振動数をCを1とした比で表すことにします。
まず5度の積み重ね C-G-D-A-E を考えます。純正の5度で積むとこのEは 81/16 になりますが、これをちょっとずらして E=80/16=5 とすると最初のCとこのEの音程はちょうど2オクターブ+純正長三度になります。

中間の G-D-A はこの「2オクターブ+純正長三度」を四等分することで決定します。
すなわち G=45 (←5の4乗根), D=√5 , A= (45)3.

全ての音程を最初のCから1オクターブの間に置いておいた方が都合が良いので、適当に2のべき乗で割ってやって1から2の間に入るようにしときましょう。すると

C=1, G=45 , D=√5/2, A= (45)3/2, E=5/4.

他の音程はこれら五つの音高から純正長三度だけ上がるまたは下がることによって計算します。(上がるときは5/4を掛ける。下るときは5/4で割る。)
例えば G# は E の純正長三度上なので G#=(5/4)E = (5/4)2 = 25/16.
Eb は G の純正長三度下なので Eb = (4/5)G = 45 ×4/5. 等々。

そのようにして次のような表が得られます。(う〜む、表を入れるとレイアウトが壊れますね。css直すの面倒なのでほっときます。)































G#=25/16D#=45×25/16×1/2A#=√5/2×25/16E#= (45)3/4×25/16
E=5/4B=45×5/4F#=√5/2×5/4C#= (45)3/4×5/4
C=1G=45D=√5/2A= (45)3/2
Ab=4/5×2Eb=45×4/5Bb=√5×4/5F= (45)3/2×4/5
Fb=16/25×2Cb=45×16/25×2Gb=√5×16/25Db= (45)3/2×16/25

註:オクターブの範囲に入るように調整してあります。また、理論上はこの表は上下に無限に続けることができます。
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posted by まうかめ堂 at 00:17| Comment(2) | TrackBack(0) | 音楽理論

2006年06月21日

My Ladye Nevells Booke の楽譜を入手しました!

ByrdのMy Ladye Nevells Booke の楽譜(現代譜)をとうとう入手いたしました!

nevellsbooke.jpg

パラパラと見てると本当に面白いです。しばらくハマりそうです。
曲ごとの作風がものすごくバラエティに富んでて面白いです。鍵盤楽器特有の書法から声楽ポリフォニーをそのまま鍵盤譜に直したようなものまで、さすがは「英国音楽の父にして鍵盤音楽の父」であるバードです、抽き出しの数が多いです。

それから、機能和声が理論として確立する少し前ということで興味深い色彩がありますね。
というのは、現在の和声の教科書では「禁則」と書かれているようなことがもちろん平気でやられていて、しかもそれがしばしばイイんです。この自由さとおおらかさと、まだまだイノセントな姿が実にいいです。

中世音楽はもっとそうだけど、「偉大なる無知」たる「イノセンス」が古楽と呼ばれるものの大きな魅力の一つなのかもしれません。

逆に言うと、機能和声の理論が現在のような形に定式化されたのは良かったかもしれないけど、それがセントラル・ドグマに奉りあげられてしまったことの弊害はものすごく大きかったのかも、などと思いました。

結局、爛熟の果てに、ドビュッシーみたいに旋法性を再び取り込むとか、半音階主義を徹底して無調に到達するかとか、あまり幸福でない形でないとそこから脱することができなかったわけですね。まさに呪縛です……。

それはさておき、Nevells Booke です。
試みに作りの簡単な曲を一曲 MIDI にしてみました。

7.A Galliard Gygge

もう少し、いろいろ(装飾法、音律等)勉強してから「正式に」どこかに up しようと思います。
posted by まうかめ堂 at 22:21| Comment(7) | TrackBack(0) | 中世以外の音楽

BBCのバルトーク

今週のBBC Radio3のComposer of the Weekはバルトークです。バルトークが好きな人、興味がある人にけっこうお勧めです。なかなかいい感じでプログラムが組まれています。

昨日、月曜日の分を聴いたのですが、初期バルトーク、たまに聴くとすごくいいですね。
交響詩「コシュート」、初めてまともに聴きました。もろリヒャルト・シュトラウスな曲ですが、ときどきバルトーク・オリジナルな響きが顔を出すところが面白い…。
それにしても、この曲、バルトークの曲で最もわかりやすい曲かもしれませんね。バルトーク、若いです。

ところがこれ以降、一変して最も難解な作風の時期に突入するところが凄いです。改めてその難解な時期の作品を聴くと、すごくいいですね。
ベートーヴェンにおいては晩年の作品がキーであるように、バルトークはこの時期がキーなのかもしれません。
ちょっとよく聴きなおしてみようかな、と思いました。
posted by まうかめ堂 at 21:34| Comment(3) | TrackBack(0) | 中世以外の音楽

2006年06月11日

BBSのコメント・スパム対策&ブログのトラックバックの設定

去年あたりから URL をずらずら並べただけのコメント・スパムが BBS にたくさん来るので、CGIをちょっと改造して "http://" という文字列を三つ以上含むコメントを受け付けないようにしました。
というわけでBBSのコメントに書き込める URL は一コメントにつき二つまでということで、ご理解とご協力をお願いします。

それから、このブログのトラックバックの設定を「受け付ける。しかし管理者の承認が必要」に変更しました。
でもスパム以外まず承認しますので遠慮せずにバンバン打って下さい。

以上よろしくお願いいたします。

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posted by まうかめ堂 at 13:56| Comment(6) | TrackBack(0) | お知らせ

2006年06月10日

ノートル・ダム・ミサのディスク

前にもノートル・ダム・ミサのディスクについて書きかけたのですが(旧「まうかめ堂日記」)、意欲が続かず立ち消えになっていました。

ちょうどいい機会なので、再挑戦です。フットワークを軽くするためにランキング形式です。

第一位:Ensemble Gilles Binchois, Dominique Vellard
純粋に響きの美しさでこれが一位です。

第二位:Taverner Consort & Choir , Andrew Parrott
これについては旧「まうかめ堂日記」でちょっと書きました。

第三位:Oxford Camerata , Jeremy Summerly (NAXOS)
演奏者の力量と演奏自体の出来に関しては第四位のカペラに及ばないものの、演奏の素直さ・堅実さ、そして1000円という価格の良さ、さらに長大なレー Le lay de bonne esperance の見事な演奏が聴けるという点でこれを三位にしました。

第四位:ヴォーカル・アンサンブル・カペラ
これについては別の記事でちょっと書きました。

第五位:Deller Consort , Alfred Deller, 1961, DHM
歴史的録音でDeutch Harmonia mundi で比較的安く買えるので一度は聴いてみても良い演奏だと思います。(日本盤もあったはずです。)現代のピッチのやたらと正確な整然とした演奏を聴きなれていると「エーッ」ということになるかもしれませんが、よくよく聴くと味わいがわかってくるものと思います。

第六位:Ensemble Organum Marcel Peres
ここからあまり勧められなくなりますね。派手にこぶしをまわした強烈な節回しの演奏を怖いもの見たさで聴いてみたいと思う人のみ聴いてください。

第七位:Hilliard Ensemble, Paul Hillier
ヒリアードなので下手だとかそういうことは全くないのだけどいまひとつパッとしなかったものです。「泉のレー」は他では聴けないのでそのために買っても…でも、ちょっと微妙でしょうか。

第八位:Clemencic Consort, Rene Clemencic
これは私は最初から最後まで通して聴いた記憶がないディスクです(笑)。ここまで来ると私もついて行けません。

私が持っているのはこの八枚です。(しかし、八枚も持っていたのかと、自分でもちょっと驚きです。)
でもまだまだ沢山あるんですよね…。

それと、ランキング形式は書きやすいですね。
この方法で中世音楽のCDについてちょっとまとめられそうかも…。
posted by まうかめ堂 at 02:19| Comment(2) | TrackBack(0) | 中世音楽(CD)

カペラのマショー revisited (CDの感想)

ヴォーカル・アンサンブル・カペラのノートル・ダム・ミサのディスクを聴いたのでその感想を少し書きたいと思います。

カペラのノートル・ダム・ミサは以前2005年1月の演奏会で聴いて、その感想をlivedoor blog 時代の「まうかめ堂日記」に書いていました。なかなか今読み返すと、仮にカペラの人が読むことがあったとしたら失笑ものだろうというようなことも書いていますが、実際、どうしてもはっきりとは書けなかったのだけど「カペラにしてこの完成度?」というのが偽らざる感想で、それにいろいろ理屈を付けようとしたのでああなったというのが本当のところです。

それで今年一月の同曲の演奏会には本当に行きたかったのだけれど、今年は年始からバタバタと忙しく断念。「ダヴィデのホケトゥスと Felix virgo のモテトどうだったのかなあ、来年もやってくれないかなあ」と思っていたところにCDが出たので即、買いでした。

で感想です。

・やっぱりカペラは上手いです。CDだと他と比較しやすいですね。間違いなく世界のトップレベルの団体ですね。さすがに演奏の水準は格段に上がっていましたね。

・CDでようやくカペラのやりたかったことがわかったような気がしました。
なんというかフランドル楽派の視点からその源流のミサ曲を見るとこうなると言っても良いかもしれません???。
最も顕著にそう思うのはムジカ・フィクタのある種の徹底ぶりです。
Kyrie の冒頭部分から他の演奏では聞かれないSol#のムジカ・フィクタが Triplum に出現したりするのですが、これほど全曲にわたって consistent にというか、調的な homogeneity を得ようとしたものは無かったのではないかと思います。
特に頻出する Fa supra La のムジカ・フィクタは楽譜を見ながら「なるほどなぁ」と思う反面「そこまでやらなくても」という気も多少しました。
好みの問題なのかもしれませんが、マショーのこの曲に関しては ambiguity を残して、heterogeneous なままな方が私としては良いです。特に終止的な部分については、全てをクロマティックにしてしまわないで、ダイアトニックなところが残っていた方が良いです。

・教会で聴いているとそれほど感じないのですが、CDで聴くとテンポがだいぶ遅めに感じ、ノートル・ダム・ミサに関しては全体に重たく感じますね。そのためか、折角美しいパースペクティブの変化が見事に歌われているのにもかかわらず単調な印象が残ってしまうのが少し残念でした。

・アレルヤ唱の後にダビデのホケトゥスを置くというのはどうしていままでだれもやらなかったのだろうという感じで良いです。演奏も、私の知っているこの曲の演奏の中で間違いなく最高のものでした。

・モテト Felix Virgo / Inviolata Genitrix / Ad Te Suspiramus もカペラならではの美しさに満ちていますね。こちらは本当にいままで無かったタイプの演奏かもしれませんね。
(う〜む、ノートル・ダム・ミサ以外の曲の方がやっぱり良いですね。)

・結論として、カペラファンなら間違いなく「買い」です。
既存のノートル・ダム・ミサの演奏に飽きていてもっと別の演奏が聴きたいという人も「買い」…でも初めての人にはあまり勧めない、という感じです。

posted by まうかめ堂 at 00:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 中世音楽(CD)

2006年06月08日

テューダー朝の鍵盤音楽

Myoushin さんがMUSICA ANTIQUAで up されている一連のヴァージナルの音楽の MIDI に触発されて、英国テューダー朝の鍵盤音楽に急速に魅かれつつあります。

特に、一月ほど前に up されたバードの Have with yow to Walsingame の MIDI にはすごく感銘を受けました。
こんな名曲がバードの鍵盤曲にあったんですね。

その後、高名な古楽奏者による同曲の録音を聴いたりすると、そちらはそちらでもちろん面白いのですが、ある観点では Myoushin さん作の MIDI の方が上であることに気付きます。

どういうことかというと、余計な装飾を排し、基本的にべた打ちで要所要所で的確に手を加えていく作りの MIDI の方が、作品の構造的な本質を良く表現しているということです。

つまり、私の聴いた実演の録音では、装飾とルバートによって作品構造が若干見えにくくなっている感があるのですが、その点 Myoushin さんの MIDI では、カラーレーションやプロポルツィオの変化による対比や、後半に向けての構造的なダイナミズムの高まりが、手に取るようにわかります。

実はこういう MIDI がまうかめ堂の理想の一つといえるかもしれません。
すなわち、現実の人の手による演奏をエミュレートすることに重きを置くのではなく、時計じかけの音楽であっても明確な輪郭で作品の本質を描きだすような MIDI を目指すことです。


さて、それで、グレン・グールドの「エリザベス朝のヴァージナル音楽名作選」というディスクを買いました。(上の Walsingame とは別です。グールドは Walsingame を弾いていません。)

ギボンズ、バードに bonus track としてスウェーリンクが録音されているのですが、知りませんした、グールドがこれらの音楽に深い情熱を持っていて、このアルバムがグールドの最高傑作の一つだったとは…。

そもそもグールドを聴くのがものすごく久しぶりです。10年以上ぶりかもしれませんね。私は、バッハの鍵盤音楽の多くを、例えばパルティータ、フランス組曲、イギリス組曲、ゴールトベルクなどをグールドの演奏を通じて知りました。これは良かったのか悪かったのか…。今、思い返すと、「フーガの技法」の最初の10曲をオルガンで弾いたディスクが一番印象に残っていて、それがゴールドベルクなんかより好きかもしれません。

さて、この「エリザベス朝…」ですが、案外違和感ないものだなと思いました。
普通のコンサート・グランド・ピアノで弾いてることも、グールドが弾いていることも…。
たとえは悪いかもしれませんが、アーノンクールの演奏で、ベートーヴェンはちょっとくどいけどモーツァルトの方は面白いというのにちょっと似てるのかなと思いました。

バードのヒュー・アシュトンのグラウンドが特に良いですね。グールドならではの鋭い切れ味の演奏だと思いました。

それで、ライナーノートにグールド自身の文章が引用されていて、それが凄く面白い…。

『ソールズベリー卿のパヴァーヌとガヤルド』のような中途半端な技巧的作品の中でも、音階やトリルを必要な箇所にそれなりに盛り込んでいるにも関わらず、極めて美しい作品だが、理想的な再現手段を欠いているという印象を拭い去ることができない。後期の弦楽四重奏を書いたころのベートーヴェン、または、ほとんどの時期のヴェーベルンのように、ギボンズは扱いにくい作曲家なのだ。少なくとも鍵盤楽器の分野では、共鳴板を通してより、記憶や紙の上での方が良く響くのである。

そこで、はたと気付くのです。
私は、ベートーヴェンでは中期よりも「後期の弦楽四重奏を書いたころ」の方が好きだし、ヴェーベルンは私の好きな作曲家ベスト5に入ってくる人だということを…。
そして何よりも、中世多声音楽こそ「理想的な再現手段を欠いている」音楽の最たるものではないかと…。
またここでは言及されていないけれども、私の偏愛するセリー音楽もまた、「記憶や紙の上での方が良く響く」音楽であるということを…。

いやはや、今まで気が付きませんでした。私の好む音楽が「理想的な再現手段を欠いている」「記憶や紙の上での方が良く響く」という言葉で括られるということを…。

posted by まうかめ堂 at 00:16| Comment(6) | TrackBack(0) | 中世以外の音楽

2006年06月06日

「盗作疑惑」について思うこと

あまりこういうところに時事ネタは書きたくないのですが、さる洋画家の盗作疑惑のことであります。
とうとう本人も「盗作と見られても仕方のない」ことを認めて、芸術選奨も取り消しになっちゃいましたね。

普段ならこういう話は「ふ〜ん」で済ませるのですが、今回わざわざ取り上げているのにはちょっと訳がありまして、というのは、朝、読売の朝刊で両者の絵がカラーで掲載されているのを見たときに、盗作の絵をオリジナルだと思いこんでしまい、夜あらためてみて逆だということに気付きえらくびっくりしたということがあったからです。

えらくびっくりしたのには次の二つのことがあります。

一つ目は、ルネサンス期の絵画の展覧会に行ったりすると、しばしば高名な巨匠の手による有名な絵画とともに、無名または本当に名前の無い人が描いた fake だか贋作だか模写だかが並べて展示されているのを目にすることがあるわけですが、ほとんど100%の場合その差は歴然としているということです。
fake の方はまるでオリジナルに及ばない。

二つ目には、にもかかわらずと言うべきか、私は盗作の絵の方をパッと見、優れていると判断していたことにあります。まあ、何分新聞のカラー画なので、この判断はまったくあてにならないことは確かなんですが…。
(それに、上のケースと盗作は違いますし。この場合のことはわからないけど、盗作がオリジナルを越えることはあるでしょうしね。それに、当時は盗作とは見做されてなかったけれども現代から見ると盗作にあたるかもしれなくて、オリジナルを軽々と越えてみせた人にモーツァルトがいますね。)

それで、盗作ということになった人の肩を持つわけではまったくないですが、「構図を借り、私なりのものを加えているのが自分の手法。」というのは言い訳でもなんでもなく、本当にそうだったんじゃないかという気もちょっとしてきました。
ただ、仮にそうだったとしても正当な手続きを踏んでいないのだからこういう事になってもしかたないことには変わりはないですけどね。

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posted by まうかめ堂 at 01:56| Comment(8) | TrackBack(0) | 普通の日記

2006年06月05日

吸血鬼映画論のようなもの (序)

きのうのマショーについての記事は、あとで読み返してみるとまうかめ堂の悪文のなかでもとりわけ悪文なものでしたね。

ほとんど思いついたままに書き散らしているので、分裂、散乱していて、しかも同時に三つか四つのことを詰めこんでいるために、他の人が読んで非常にわかりずらいものになってます。

まあ、でも、私自身の考えた痕跡ぐらいにはなっているのでとりあえずよしとしましょう。

さて、表題にある吸血鬼映画ですが、最近ものすごく驚嘆しつつ見てた1920年代の無声映画の中にF.W.ムルナウの『吸血鬼ノスフェラトゥ Nosferatu』(1922)があり、また、これは正確には無声でないけどカール・ドライヤーの『ヴァンパイア Vampyr』(1932)があり、さらに、HMVで一枚980円がさらに15%引きで800円台になっていたので思わず買ってしまったDVDにハマー・フィルムの『吸血鬼ドラキュラ』(1957)がありと、なんかたて続けに吸血鬼映画ばかりを見ていて、「そういえば吸血鬼映画って、なんか印象に残っているのが多いな」と思い、ちょっとまとめてみようかと思いたってこんな記事を書いているわけです。(←悪文。)

それで、なんか考えてるといろいろ言いたいことが出てきて頭のなかで収拾がつかなくなりつつあるので、今日はやはり項目だけ並べてみることにします。
(さて、後で中身を書く気になるかどうか…。)

1.吸血鬼映画マイ・ベスト1はカール・ドライヤーの『ヴァンパイア Vampyr』。
芸術性の高さで、やはりこれがベストになりますね。トーキーでありながらセリフを拒み、無声時代の表現が生きている名作…。

2.F.W.ムルナウの『吸血鬼ノスフェラトゥ Nosferatu』。怪優マックス・シュレックの強烈な吸血鬼のヴィジョンは、実はブラム・ストーカーの原作に最も忠実かもと思われ…。

3.やっぱりドラキュラのヴィジョンを世に定着させた映画と言えばベラ・ルゴシの『魔人ドラキュラ』(1931)でしょう。

4.『魔人ドラキュラ』には脚本もセットも同じだけど役者が違うスペイン語版があるのって知ってました?

5.私のドラキュラの原体験はハマー・フィルムの『吸血鬼ドラキュラ』。
クリストファー・リーが私にドラキュラ像を植えつけました。

6.まさにC級ホラーのケッサク、怪優ウド・キア主演『処女の生血 Blood for Dracula 』(1974)。なんとアンディ・ウォーホールのプロデュース。(実は名前を貸しただけとの説あり。)あんまりの展開に大ワライしながら見た映画でした。

7.なんだかんだで一番つまらなかったのはフランシス・コッポラの『ドラキュラ』(1992)かも。

Appendix. 『ポーの一族』?『吸血姫美夕』?『ヘルシング』?『月詠』?


いやはや、こんなの全部書いてたら大変ですね。マショーのMIDIを作ってた方がずっと良いかも…。
posted by まうかめ堂 at 00:38| Comment(2) | TrackBack(0) | 普通の日記

2006年06月04日

マショーのバラード 2声 vs 3声以上

今年の「重点領域」と年の初めに定めたマショーのバラード「チクルス」も、それなりに着々と量産できていて、2声曲は全曲 MIDI 化を終え、3声曲に突入しはじめました。
そこで、2声と3声では全く世界が違うのだという、非常に興味深い事実に気付きました。

それは「2声のようなフレキシビリティーが3声には無い」、「3声曲の構造は2声曲よりはるかに rigid である」、という口に出してしまうと当たり前に聞こえることなのですが、作ってみてそれを実際に体感できたというのはちょっと良い経験です。

これに関して二つのことを思いました。

第一には、中世音楽は単旋律のものと多声のものに大きく分けられますが、多声音楽もそれに匹敵するような差異として2声と3声以上に分けられるということです。

これは、単旋から2声への飛躍と2声から3声への飛躍がそれぞれかなりの期間を要したのに、3声から4声以上への敷衍は比較的短期間で行われたということと本質的に関わることと思われます。

またこれはノートルダム楽派におけるモーダル記譜法の導入とも微妙に関わってくることです。すなわちレオニヌスの時代までのような多分に即興的要素を含む2声の音楽においては必ずしもリズムをrigid に書き記さなくとも容易に「調和=協和」のための同期が得られたわけですが、3声以上で同期するとなると「時間 tempus」を何らかの意味で「計量する mensurare」必要が生じるわけです。

ただ、この辺の発展のモチベーションの核心がどこにあったのかは微妙かつ難しい問題ではないかと思います。つまり、3声以上に拡張するためにリズムの構造化が起こったのか、最初に2声において既にリズムの構造化が起こってそれが自然に3声に拡張されたのか、はたまたそれらが同時に起こったのか…。

面白いのは、完全に計量された音楽であるマショーの作品においても2声曲と3声曲の間にこれほど実感できるほどに差があったということです。

二番目には、トレチェントの曲で2声曲のウェイトが大きいのは、そのフレキシビリティーと直接関わっているようだということ。

確かにトレチェントの decorative な旋律重視の表現においては2声曲の方が圧倒的に作りやすそうです。
(カッチャは例外ですね。カッチャも旋律重視の音楽であることには変わりないと思いますが、これは系統が別ですね。)


マショーに話を戻しますが、3声の曲でもう一つ興味深く思ったのはコントラテノールの豊かさです。マショーの3声曲ではコントラテノールがいわば「狂言回し」になってるんじゃないかと…。

例えば、 Gais et joli ではAパート(二回くりかえす前半部分)で、三分の一ぐらいのところでコントラテノールに上声部のAパートのエンディング(二回目の方)の予示が既に出てくるんですね。しかも上声部のフレーズの切れ目にかぶせるような形で…。

本当に面白いですね、コントラテノール、和声やリズムの補完的声部にとどまるわけでなく、近代以降の音楽で言うところのオブリガートとも違う、マショーを始めとするこの時代のポリフォニーは本当に興味深いです。

また、これは、最近BBSの方でちらっと言った、コントラテノールにチェロ、Tテノールにハープシコード、というMUSICA ANTIQUAの Myoushin さんがよく使われている楽器法がしっくりくるということと関わっています。

チェロの音って大抵の音源でかなり分厚いウェイトのある音なのですが、これを敢えてコントラテノールに置き、上声部とがっつり対決させて、その分テノールを撥弦楽器にしてウェイトを軽くしておくと面白いぐらい良いバランスになるんですね。

マショーも、マショーの MIDI 化も興味が尽きないです。
posted by まうかめ堂 at 04:29| Comment(4) | TrackBack(0) | 中世音楽